表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/67

009 聖也と麗華

 ガルムとの邂逅から数日、八雲は力が漲る気がしていた。本当に魔力が漲っただとか、超人的な力を手にしたというわけではない。ただ、なんとなく何かが漲る気がするのだ。それは、やる気かもしれないし、もしかすると元気かもしれなかった。


 とにかく、何事に対しても活力が湧いたのだ。あの独白が相当に効いたらしい。


 訓練に際しては、誰よりもひたむきに努力した。中田の取り巻きには馬鹿にされたが、それでも八雲はめげなかった。どれだけ酷くやられようと、まったく挫けなかった。

 訓練後は図書館に籠り、あらゆる文献を読んだ。むろんクルトに読ませた。だが、クルトは嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれた。八雲の熱心さに打たれたのだろうか、クルトもまた、自主的に知識を得ようとするようになった。


 今の八雲のお気に入りは、『オークでも分かるオーク解体新書』である。まず作者がユーモアに溢れていて、面白おかしくオークの生態などを書き記しているのだ。その中でも八雲が一番好きな一節がある。


 『オークの心臓は硬い筋肉に覆われていて、普通の剣では到底突き刺せない。だが、その筋肉にはぽっかりと空いた隙間がある。大動脈と大静脈が通るための大きな穴が空いている。そこに勢いよく突き立てれば、たといペンでも心臓を貫けるのだ。オークは学習するべきだろう、すなわち下心が丸見えなのだと!』。


 この作者『ユー・ロウ』はなかなか博識で、著作もかなりある。それも、魔物の弱点を解りやすく書いてくれているからありがたい。


 そんなこんなで八雲の努力は、他の生徒たちにも少なからず影響を与えた。一番弱かった八雲が、聖也と並ぶくらいに努力しているのである。

 今も生徒たちのほとんどは、八雲に対して負の感情を抱いている。が、それが功を奏したと言ってもいいだろう。八雲に劣らぬよう努力をたゆまぬ生徒が増えたのである。結果、生徒全体のレベルが上昇しているのだ。



 そして今日は、騎士団の見守る中で生徒同士の試合が行われていた。闘技場で行われているそれは、いわば生徒たちの実力がどれだけ伸びたかを確認するためのものでもある。


 闘技場の二階観客席、舞台にて相対する二人に八雲は注目した。

 木剣を片手に佇む美青年――東條聖也は、試合に向けて瞑想している。この世界に来てから、聖也はひとが変わったように鍛錬を積んでいる。聖也に勝てる者などいるのか、と噂されるくらいだ。


 そんな聖也を見つめ、ぐっと槍を握る幼馴染。麗華だ。

 以前の麗華であれば、おそらくは試合を拒否したことだろう。だが、どうも心変わりしたらしい。自ら聖也に相手をするよう頼んだのである。


 この試合、かなりのものになるだろう。聖也と麗華はどちらも実力は並ではない。特に聖也は、召喚勇者の中でも最強と名高い。

 その二人が白熱しすぎたとき、はたしてセルグに止められるのだろうか。


 心配になって、八雲は後ろに呼びかける。


「なあクルト。あの二人は相当強いと思うが、セルグさんは大丈夫なのか?」

「大丈夫っすよ。言っときますけど、今の聖也さんじゃセルグさんには到底かなわないっす」

「そんなにか?」

「もちろん! まだ実戦経験のないひよこなんかに鷹が負けるはずないっすから」


 クルトは自分のことのように誇らしげだ。


「セルグさんのこと、尊敬してるんだな」

「まあ、そうっすね。団長も尊敬してるっすけど、一番はセルグさんっす」

「きっとすごいひとなんだな、セルグさんは」


 そう返して八雲はセルグを見た。いつも槍を背負っているはずだが、今日は背負っていない。まさか、素手で止めに入るつもりだろうか……。

 だがまあ、クルトが心配ないと言うのであれば、本当に心配は無用なのだろう。クルトは嘘は吐かない(たち)だ。


 場内は深深としてきた。闘技場中央の石舞台には、聖也と麗華の二人のみが立っている。その姿はいかにも悠然としていて、まるで臆する様子がない。


 場内を取り巻く緊迫感。今か今かと待ち構える群集。両隣に座る愛華と拓哉は、どことなく不安げだ。むろん、八雲とて不安だ。だが、期待を感じずにはいられない。

 自分にはできないことを、二人の幼馴染は容易にこなしてみせる。その二人が見せる試合とは、いったいどんなものなのか。


 ついにセルグが、口を開いた。同時、場内に歓声が沸く。


「始めっ!」


 まず手始め、聖也は木剣を握り、麗華へと駆ける。麗華もまた、木槍を構えると穂先を聖也に向けた。

 八雲は内心不安を感じつつも、麗華を信じることにした。


「行くよ」


 聖也は木剣を上段から振るう。麗華はそれを受け流すと、巧みなステップを踏んで聖也の懐に入り込み、肘を突き入れる。聖也はそれを片手で受ける。

 そこからは体術の応酬となった。上段、中段の二連脚。正拳突き、回し蹴り、多様な技を駆使して二人は踊る。

 ワルツのように流麗ながらも、力強い技の掛け合いに八雲は瞠目せざるを得なかった。


 だがこのままでは体力の消耗が激しいはずだ。

 聖也もそう考えたのか、一旦距離を取る。麗華も追撃をせず、互いの視線をぶつけ合った。しばらくして、ようやく動きがあった。


「今のあなた、おかしいわよ」

「元からだって、言ってるだろっ」


 裂帛の闘志とともに、聖也は駆けた。それも、尋常でない速度である。強化魔法により、身体能力を向上させているのだ。


 勢いを乗せた木剣が麗華を襲う。眼前までに迫る剣を、麗華は後ろへ跳んで回避。強化したことにより、麗華は軽業のような身のこなしで高く跳んだ。身を翻しながら槍を構える。

 麗華の双眸が細められる。──刹那、麗華は空宙で踏み込んだ(、、、、、)


 踏みしめたのは魔法陣(、、、)。“空歩”と呼ばれる技術で、魔力を固めて魔法陣を形成し、それを足場としたのだ。

 魔法陣を蹴ると、麗華の身体はさながら砲弾のように宙を裂く。そのまま聖也に肉薄すると、麗華は槍を突き入れる。

 聖也は目を見開きつつも即座に対応。身を回転させて躱し、そのまま蹴りを放つ。麗華は回避できなかった。聖也の足が脇腹に入り、吹き飛ぶ。


 八雲の横、愛華が「ひっ」と息を漏らす。

 麗華はリング外の壁に衝突。石壁は脆くも崩れ去り、破片が飛び粉塵が舞い上がる。麗華の姿は見えず、聖也は剣を構える。


 八雲は目の前の出来事が信じられなかった。が、今起きていることは紛れもない事実だ。

 これはもう、期待した範囲をはるかに超えている。それ以上に、不安であった面が大きくなってしまっている。麗華には申し訳ないが、踏ん張ってもらうしかない。


「麗華ちゃん……」

「大丈夫だ、信じてやれ」

「でもっ!」

「あいつにしかできないことなんだ。なにより、あいつが自分で決めたことだ、俺たちは信じてやるしかない」


 八雲は渋面を浮かべて苦々しく言った。目的を達するためには、もはや先日の麗華を信じるほか手立てはないのだ。すなわち、聖也の本心を聞き出すには、聖也を追い込む必要がある、と。


「だけどよ、マジでやばくねえかこれ」

「……わかってる。だからこそ麗華なんだよ」


 実力が聖也の域に達していて、かつ聖也の変化に気づいているのは麗華だけだ。愛華も拓哉も二人にはついて行けない。八雲などもってのほかである。

 それを熟知しているからこそ、八雲は悔しくて仕方がない。何もできないことほど歯がゆいものはないのだ。


 八雲が目を伏せたそのとき、一際大きな歓声が上がった。


 慌ててリングに目を遣る。そこには、必死に剣を振るう聖也の姿があった。剣を振るって弾いているのは、幾筋もの矢。その矢は、すべて光でできていた。

 それらはすべて、麗華の衝突した方――粉塵と煙の中より放たれている。しかもすべてが精確に聖也を狙っている。弧を描きながら迫る一筋、尾を引いて放物線を描く一筋。幾重もの軌道を描く矢の数々が、聖也の肩、脚、腕、あらゆる部位を目がけて放たれていた。


 愛華の表情がぱあっと明るくなる。そんな愛華とは対照的に、太陽は雲に隠れた。リング全体に影が落とされる。

 矢が意思を持っているかのごとく動いている。これは、麗華の仕業── “絵描きの弓”と呼ばれる光属性魔法だろう。魔法陣より出した弓を用いて光の矢を放つ魔法。矢は思惑どおりに飛んでいく、さながら画家の走らせる一筆、ゆえに“絵描きの矢”。


 八雲は煙の向こうを見透かすように目を凝らす。

 おそらく麗華は煙の中にいる。あの粉塵を利用して身を隠し、そこから弓矢で聖也の気勢を削ごうとしているのだろう。

 だが、聖也が麗華の企図に気づかないわけはない。今も聖也は、連なる矢撃を弾きつつ、唇をせわしなく動かしている。


「光を制するは闇。今、ここにある闇を盾とせん、“黒蝙蝠”!」


 聖也の前に黒い魔法陣。現れるは無数の盾。それらは宙をふよふよと漂っていて、蝙蝠と言うよりかは、海月と言った方がしっくりくる。ふよふよした姿はやや頼りない。

 だが“黒蝙蝠”はしっかりと盾の機能を果たした。次々と放たれる光の矢を、一本も見逃さずに弾いている。それは、聖也が指示しているわけではない。“黒蝙蝠”は、いわば自動防衛装置なのだ。

 手が空いたかと思うと、聖也は瞑目して、


「一筋の風をここに収斂させよ、“通り魔の鎌”」


 横に発現させた若草色の魔法陣に聖也は腕を突き入れる。そして引き抜くと、聖也の手には一振りの大鎌が握られていた。鈍色の鎌には、若草色の文字が刻まれている。


「へえ……。聖也さん、あんなことまでできるようになってたんすね」


 その実力を値踏みするようにクルトは聖也を眺める。


「あれは結構すごいことなのか?」


 八雲が尋ねると、クルトは鼻で笑った。なんとなくムカついたが、気にしないことにする。


「麗華さんの“絵描きの弓”もそうっすけど、本来魔法は魔法陣から射出されたりするだけなんす。たとえば“絵描きの弓”はもともと魔法陣から矢を射出するだけっす」

「魔法陣から武器を取り出すのとは、どう違うんだ?」

「武具を取り出すのには結構な魔力が必要っす。聖也さんのあれは、もともと“風斬(かざきり)”って言って、魔法陣から鋭い風の刃が飛び出すだけっすよ」


 クルトの解説を聴いて、八雲はふむと頷く。


「つまり、魔力を練り込むことで魔法自体を武具化させてるってことか」

「その解釈で間違ってないっす。ま、もちろん武具化させても相性はあるし、なかには武具化させられない魔法もあるんすけどね」


 クルトは「はあ……」と深く溜息を吐く。八雲はそれを無視して観戦に没頭した。


「せあっ!」


 聖也が大鎌を振るうと、若草色の斬撃が飛び出す。斬撃はうなりをあげながら粉塵を切り裂く。麗華は弾かなかったのだろうか、と八雲はごくりと生唾を飲み込んだ。

 まるで鎌鼬のような魔法の影響で、粉塵は瞬く間に吹き飛んだ。すぐに煙は晴れて、その向こう側が露わになる。――が、そこに麗華はいなかった。


 ほう、と八雲は息を漏らす。だが、それにしても麗華はどこへ? 

 今の短時間ではそう離れた場所には行けないはずだ。それに、直前まで矢が放たれ続けていた。麗華は一体……とあたりを見まわしたとき。

 聖也の背後、リングに魔法陣が描かれる。そして、とぷりとリングが揺らめく。いや、影が波立った。


 聖也は一瞬で察知したらしく、その場を即座に離れた。聖也が居た場所には、なぜか麗華が立っている。

 これは、と八雲が考える前に、クルトが口を開いた。


「“影入り(かげいり)”っすね」


 八雲もその語感からなんとなく効果を察する。おそらくは闇属性魔法なのだろう。


「詠唱は終えていて、聖也さんの刃が当たる直前に魔法名を唱えたんだと思うっす」

「……なんだか難しそうだな」

「そこまで難しいことじゃないっすけど、でも初心者にはかなり難しいはずっすよ。自分の立ち位置にある影の範囲内でしか移動できないし」

「すごいんだな……」


 しかしそんな高等技術を使っても通用しないのだから、聖也はさらに強いということなのだろう。

 再び目を向けると、聖也はすでに詠唱を始めている。


「我が敵を焼け、“焔”」


 赤の魔法陣が広がり、文字どおり焔が麗華へと放射された。

 ひとを焼くくらいならば容易である。


 迫り来る火炎に麗華は少しも動じない。一言告げて、麗華は槍をカツンと石製のリングに当てる。


「“水陣”」 


 水属性の魔法、“水陣”。水は万物を鎮める作用があるとされている。攻撃的である火属性魔法に対して、水属性魔法は防御に長けているのだ。 

 途端に麗華の前方で水の壁が噴き出す。麗華を中心として五メートルほど、リングには青い魔法陣が浮かんでいた。

 “焔”は“水陣”にぶつかる。せめぎ合ううちに、ジュッ、と水の壁は蒸発し、火炎は消え去る。ぶわっ、と上昇した水蒸気は、斜陽を反射して虹になる。


 観客が歓声を上げる。二人はどっと沸く観衆を意にも介さない。


「詠唱省略してるのは賢明っすね。水は火に強い。当たり前っすけど、大事なことっす」


 クルトが呟く。

 魔法の詠唱は、威力を落とす代わりに省略して発動することができる。

 また、属性には相性がある。火は風、風は水、水は火に強い、と言った具合であり、そして、光と闇は相互に対して優勢である。

 だから、詠唱省略された“水陣”は、詠唱省略をしていない“焔”に相殺されたのだ。


「この試合、なかなか見ものっすよ」

「お前がそう言うなんて珍しいな」

「ま、たしかに俺たちと比べたらまだまだ稚拙っすけどね。でも、麗華さんたちは技が豊富っすから」


 ああ、と八雲は頷く。なるほどクルトの知見はもっともだ。

 麗華と聖也はどちらもすべての属性に適性を持っている。その分だけ、技のレパートリーが広がる。魔法の応酬は魔力が尽きるまで終わらないだろう。


 そのことを考慮に入れてか、聖也は近接戦に持ち込む。麗華まであと数歩というところで、木剣を走らせた。


「あなたは真っ直ぐすぎるのよ!」


 槍で受け、木剣を弾き返す。

 聖也は、くっ、と歯噛みすると、全力で後ろへ跳んだ。聖也の居た空間へは、槍の穂先が残っている。


 麗華はその隙を見逃さない。聖也がリングに足をつける前に、追撃にかかった。


「“疾風(はやて)”」


 背後に若草色の魔法陣が現れ、生み出された突風が麗華の身体を押し出す。

 風属性魔法“疾風”。本来の用途は骨を折るほどの風で敵を吹き飛ばすことにあるが、麗華はそれを自らに使ってブーストとしたのである。

 詠唱を省略し、なおかつ身体を強化させているからこそ使える荒業だ。


 しかしそれを見越していたのだろう、聖也は至って冷静である。木剣を振りかざしつつ、


「“瞬閃”」


 素早く詠唱すると、木剣が眩い光を纏う。聖也が横に薙ぐと、剣先より閃光が迸った。網膜を焼くばかりの光量。“瞬閃”は光の粒子を刃そのものとして放つ魔法だ。

 親友の危機に、愛華は青ざめる。


「麗華ちゃんっ!」


 麗華は振り向くことなく、柳眉をゆがめつつ唱えた。


「“舞風”っ!」


 魔法陣が麗華の真下にて回転。ふわりと麗華の身体が浮き上がる。一直線に向かってくる刃を、すんでのところで身を捻って躱す。

 麗華の勢いは“舞風”により失われ、その結果聖也は追撃を免れた。


「よかったぁ……」


 愛華はほっと胸をなでおろす。それは、拓哉も八雲も同様だった。

 二人を見ていると、冷や汗が噴き出してくるのだ。どことなく危うい。

 それにしても、聖也はなにを考えているのだろうか。


 ──あいつ、本気なのか……?


 一連の攻防には肝が冷えた。もしも思い浮かべたイメージを崩してしまえば、魔法はその効力を失い、瓦解してしまう。一歩間違えれば大けがだったろう。


「つうか、すげえな……」


 拓哉が感嘆に暮れている。

 たしかにすごい迫力だった。

 魔法を習得してあまりそう長くはたっていないのに、聖也と麗華はそれを躊躇うことなく駆使している。よほど自信を持っているのか、それとも──、


「でも、やっぱりこわいよ……」


 愛華は拳をぎゅっと握りしめる。呟いた声はか細く震えていて、二人の剣呑な雰囲気に怯えているとすぐにわかった。

 仲のよかった二人が、正面からぶつかっている。今も、剣と槍を交錯させ、魔法を放っている。愛華には、それが不和の象徴に見えたのだろう。


 だが八雲は、二人のぶつかり合いがいいことのように思えた。転移初日は危ういものを感じたが、今や麗華は、遠回りながらも自らの意思を伝えようとしている。

 問題は聖也の方だ。


「あいつ、本音を言えないんだ」


 聖也は自分の気持ちを吐き出さない。いつだって正論だが、そこに聖也の本音はないのだ。これまではずっと、……いや、一度だけある。

 転移初日の麗華との会話。八雲が危ういと感じたあの会話には、たしかに聖也の本音があったのではないだろうか。


 いつだって人を纏めることが上手かった聖也が寂しげに漏らした言葉――『他人の考えなんて、わからないからね』。あれは、きっと本音だ。


 麗華がどうだったか知らないが、少なくとも八雲はその言葉に共感した。他人の考えなんて、読み取れるはずがない。

 昨夜の自分を思い出す。言葉にしないと、意思は形を成さない。それと同じことだ。言わなくては、伝わらない。だが聖也の言ったとおり、言葉だけでは人の想いを理解することはできない。


 ちょうど、聖也と麗華は離れた位置にいる。両者とも魔法の詠唱に入っている。それも、かなり長い。ほぼ確実に高威力魔法だろう。そうしてついに、魔法陣がそれぞれの前に現れる。

 八雲は一瞬躊躇した。麗華を信じると言ったのに、それを裏切ってもいいのだろうか。……だが、二人のうちどちらかが傷つくのを、指をくわえて見ているのか。


 言ったとしても、想いは伝わらないかもしれない。──けれど。

 八雲は決心した。立ち上がって、大きく息を吸い込む。


「──言わなかったら、何も始まらないだろうが!」


 ほとんど絶叫に近い。周囲の観客は唖然として八雲を見つめる。場内がシンと静まり返って、反響してきた自らの声が八雲の耳に入る。


 麗華はぽかんとして八雲を見た。魔法の詠唱すらも中断しているが、それにも気づいていない様子だ。八雲の叫びが効いたと見える


 周囲など気にせず、八雲は聖也に視線を投げた。リング上、聖也は立ったままじっと硬直していた。それから、肩をわなわなと震わせる。


 ──どうなんだ、聖也。


 暫時八雲が視線を注いでいると、くくっ、と笑い声が漏れた。

 八雲ではないし、周囲の観客でもない。


 そのうち、笑い声はだんだんと大きくなっていく。治まる頃には、闘技場の上で聖也が腹を抱えて倒れ込んでいた。


「はぁ、はぁっ……、八雲、ぼくはやっぱりきみが好きだよ」


 ずっと張りつめていた聖也の面差しは、とうとう緩み切った。それを見て、八雲は深く溜息を吐く。すっと疲れが抜ける気がして、八雲は脱力感に襲われた。


「すみませんセルグさん、この試合、棄権させてください。僕はもう無理です、笑いが止まらなくって──」


 と言うと、聖也はまた腹を抱えて笑い出す。セルグはにこやかに了承した。一方で麗華は、ひとり取り残されて目をしばたたかせている。何がなんだかわかっていないようだ。


「この試合を無効とする。両者、退場してくれ」


 セルグが声高に告げると、一気に観客の温度が下がる。八雲のせいで興がそがれたらしかった。みな口々に文句を言うが、八雲は気にも留めなかった。

 すると突然、袖がくいと引っ張られる。見れば、愛華はすごく嬉しそうに笑っていた。

 

「かっこよかったっすよ」


 背中にクルトが拳を押し付ける。よくやったな、と言わんばかりだ。

 愛華は目尻を拭いつつ、


「ありがと」


 感謝の込めた笑顔を向けられる八雲。素直に感謝されるのは久しぶりな気がして新鮮だ。が、同時に、


 ──……っ!!


 なんだか急に恥ずかしさが込み上げてくる。


「あ、ああ」


 八雲はたちまち顔を逸らす。

 燃えそうなほど真っ赤に染まった顔を見せたくはなかったのだ。



    ×   ×   ×   ×



 賑わいのある市場を突っ切ると、真正面には時計塔が見える。

 場外で聖也たちと合流したのち、八雲たちは城下町を散策した。そこで偶然見つけた公園で、とりあえずの休息を取ることにしたのだった。

 聖也は明らかに上機嫌で、麗華はどことなく機嫌が悪い。


「いやあ、八雲。まさか君があんなことを叫ぶとはね」


 聖也は思い出し笑いをする。

 こうも笑われるとは心外だ。真面目に言った自分が馬鹿みたいである。


「でも、そのとおりだよ、八雲。言わなかったら何も始まらないよね」

「ようやくわかったかよ」

「うん。まったく……僕は焦りすぎてたのかもしれないね。まぁこれは麗華も言ってくれてたんだけどさ」


 聖也が悪戯っぽく微笑むと、麗華はすぐ赤くなった。今になって言われると恥ずかしいらしい。先ほどまでの戦闘が嘘のようだ。

 そんな麗華に、拓哉が冗談めかして、


「心配だったのよ、これでも」


 などと裏声で真似る。案外特徴を捉えていて、似ていると言えなくもない。ただ、見ている側としては気持ちが悪いだけだった。


「虫唾が走るからやめてくれるかしら」


 正真正銘、本物の麗華である。その視線は、小動物程度ならば射殺せそうなほどに鋭い。さらには声音が平生(へいぜい)よりずっと低いから一段と恐怖が増していた。


「は、はハは……」

「本当に馬鹿だな……」

「ま、君が悪いよ、拓哉」


 自業自得。拓哉は顔を青ざめさせて引き笑いしている。


「麗華ちゃん……落ち着いて? ね?」


 そこへ愛華が助け舟とばかりに麗華をなだめた。背伸びして麗華の頭をなでる姿に、八雲もつい頬が緩む。


「あ、あいかがそう言うのなら……」


 麗華は視線を適当に泳がせた。愛華はよしよしと頭をなでる。

 まるで母にあやされる幼子だ。相も変わらず、麗華は愛華に弱い。


「んんっ!」


 八雲は空咳をひとつ。


 ──さて。

 

 訊くべきことがある。もちろん聖也のことだ。

 愛華と麗華を見て微笑んでいる聖也を流し目に見つつ、八雲は本題を切りだした。


「で、聖也。どうして焦ってるんだ?」


 言うと、聖也は表情を曇らせた。無理に言わなくてもいい、と言いたいところだが、そういうわけにはいかない。

 逡巡する聖也に八雲は視線を投げる。逃げるな、と。


 それを受けた聖也は笑顔を取り繕って、


「怖いのさ」

「……怖い?」

「ああ。途轍もなく怖いんだよ」


 よく見ると、聖也の目許には深い隈ができていて、微笑を湛えた口許は力ない。


「どうしてか、聴いてもいいか」

「その覚悟がなかったら今この場に僕はいないよ」


 いつしか、八雲たちは黙って聖也の言に耳を傾けていた。聖也は淡々と胸中を語った。


 聖也は怖がっていた。剣と魔法の世界などという、いわば殺し合いの世界に身を置くことに恐怖を感じていたらしい。ただ、それ以上に自分が怖かったと言う。魔法を使えるということに胸を躍らせている自分が、まるで自分でないかのような錯覚もあったようだ。

 転移初日、麗華と衝突したあのときは、ひどく混乱していたらしい。期待する自分、それから恐怖する自分、そのせめぎ合いに夜も眠れなかったと。


「でも、もう大丈夫だよ。僕にだって目的ができたんだ」


 聖也はぎこちなく笑う。だが、笑えるということはきっと、本当に大丈夫なのだろう。それに、きっと目的は全員同じだ。


「俺にだってあるさ。ここにいるやつらはきっと、共通の目的を持ってる」

「……そうだね」


 聖也はその微笑に陰を落とす。何か思うところでもあるのだろうか、と推察してみたが、結局わからない。まあ、漠然とした未来に不安を抱いているのだろう。

 そう結論付けてから、八雲は破顔した。


「ところで腹が減らないか? いい料亭を知ってるんだ」


 むろん、『吠える子犬亭』だ。実を言うと、今日はお金を貰ってきている。息抜きをしてきなさい、とセルグがくれたものである。

 打ち解けた今、この五人で行きたいと思えた。きっとセルグも、それを予知していたのだろう。大人とはすごいものだ。


「で、どうだ? いい運動もしたし、腹が減っているかと思ったんだが」

「減った!」

「お前は動いてないだろうに……。ま、とりあえず行こう」


 即答する拓哉に八雲はがっくりと肩を落とす。シリアスな雰囲気はどこへやら。


「拓哉の唯一の取り柄だものね」

「そこはかとなく馬鹿にされてる気がするんだが」

「そこはかとなく、は要らないわ」

「普通に馬鹿にしたのかよ!?」


 麗華が小言を付け加え、拓哉はそれに憤慨する。やり取りが面白かったのか、愛華は口許に手を押し当てて笑い声を殺そうとする。それでも全然隠せていないのは愛嬌である。


「僕としては拓哉が『そこはかとなく』なんて言葉を知っていたのが驚きだけどね」

「聖也まで馬鹿にするのか……」


 拓哉はどこか悲しげだ。それを受けた聖也は優しく笑いかけて、


「悪い悪い、本心だ」

「本心なのかよ!? 嘘って言ってくれよ!」

「生憎と嘘は苦手でね」

「それがもう嘘だろ!?」


 聖也と拓哉のくだらないやり取りに八雲は笑みをこぼす。隣を見ると、愛華と視線が重なった。くすくすと笑う愛華の姿に、また笑みがこぼれる。

 ああ、くだらない。

 くだらないが、幸せだ。異世界に来てもこんなくだらないやり取りができるというのは、それだけで最高に幸せなことなのだろう。

 笑いが収まらない八雲は、足早に歩き出す。こんなに笑ったのは久しぶりだから、なんだか気恥ずかしい。


「麗華は間違ってる!」

「へぇ……私に反駁(はんばく)するつもりかしら?」

「……は、はんばく……?」

「ああ、ごめんなさい拓哉くん。あなたには反駁の意味も解らないわよね、――本当にごめんなさい」


 今度は拓哉と麗華が言い合いをしている。それを眺める愛華の瞳は慈愛に満ちている。

 そんな三人の少し前を歩く聖也は、薄く、薄く微笑んでいた。だが、その双眸には険しい光が宿っていた。


 ──聖也?


 聖也が視線に気づいて、八雲に笑みを投げ返す。

 不思議になった八雲は歩くペースを落として、


「どうかしたのか?」

「いいや、なんでも? ただこのくだらなさが好きでね……ずっとこうであってほしいと思うよ」

「それは俺も同じだよ」

「共通の目的ってやつかな?」

「そういうことだ」


 ニッと笑って八雲はまた前を向いた。心の底から笑うとすごく気持ちがいい。


「……護るんだ、僕が」

「何か言ったか?」

「お腹がすいて背中がくっつきそうだ、ってね」


 聖也は冗談を飛ばすと、後ろで口論を続ける麗華たちの許へ。


 ──なんだったんだ……?


「まあ、いいか?」


 気にしないことにして八雲はまた先導に戻る。


 進んでいくと、活気のある市場が見えた。街の人々はみんな笑顔で、そこには何の葛藤もなさそうだ。

 それはきっと、勇者という存在に全幅の信頼を置いているからなのかもしれない。

 無邪気な子供たちは勇者さまだーとじゃれてくるし、大人たちはこの国をお救いください、とか言う。


 勇者の使命を負うならば、この街を、この国を守らねばならないのだろう。

 八雲たちが背負うにはあまりにも重すぎる使命だ。だが、それを四十人で分割するならば、きっと個々の負担は減るのだろう。


 ならば、その四十人を守るのは?


 その問いの答えは、八雲にはわからなかった。わからなくて、考えるのを放棄する。そのことを一生後悔するとも知らず、八雲はただ漠然とした未来に目を向けた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ