7話 出会い 後篇
あわよくばお近づきに、と思っていたら、やくざのおかげで随分と懐かれてしまった。
アイラと名乗った少女は、俺の誘いで足を運んだ喫茶店で、この地方独特の甘い茶を喉に流し込みながら、芸術論を熱く語った。
「つまり、権力に媚びるだけの芸術では意味がないと思うんです! コタローさんもそう思いませんか!」
「お、おう……そうだな」
一度話し始めると止まらないタイプらしく、彼女は周囲の目を気にせず声を荒げる。
意外と大きな声も出るんだなぁ、と俺はぼんやりその演説を聞いていた。
「古典技法への回帰を目指す余り感性や感情を軽視した現代の美術! 展覧会で評価を下す人の好みばかりを気にして主張や信念を無くしている現状はあまりにも嘆かわしいと思うんです! 美術は富裕層のためのものではないのに!」
「ま、まぁそんなに熱くなるなよ。周りに迷惑だぞ」
「あ、あぅ……すみません」
俺たちがいるのは石畳の上に並べられた席のひとつだ。
斜陽を浴びて伸びる影がオシャレな雰囲気を醸し出しており、素敵なデートスポットという塩梅だ。俺の地元にこういう場所があれば――あ、でも相手がいなかったから結局意味はないのか。
悲しい。
「……この国ってさ」
ここまでの口ぶりを見て、疑問に思ったことがある。
「貴族と平民の格差は大きいのか?」
「残念ながら、かなり。先王が崩御し、息子であったヴァンという人物が王位を継いでからは……圧政と評するほかありません。自分に味方する者は高い位に就かせて、暴虐を諌める者がいれば、たとえこれまで国に尽くしていた方であっても爵位の取り消しを言い渡すほどでして」
「そりゃひどいな……」
「この町みたいに王都から離れた場所は比較的ましですけど、相次ぐ増税で徐々に国は疲弊しつつあります。固有文化や少数民族への支援金も大幅に減らされて、才能ある人物が次々と国外に逃げ出しているというのが現状です」
思っていたより、ずっとひどい状況らしかった。
しかし、庶民の迫害は同時に貴族の優遇である。貴族からは現状の政治が厚く支持されているのも事実だという。
俺はそんな現状を実感できていないが、それでも憤りを覚えずにはいられなかった。
この町は交易都市であり外国人の流入も多いため、やや治外法権的にまともな生活環境が保たれているのだろう。
「アイラも……やっぱり貴族のことは嫌いなのか?」
「…………」
俺の問いにアイラは複雑な笑みを見せた。
少し答えに迷った様子であったが、数秒待つと考えが纏まったようだった。
「こんな話を聞いたことがあるんです」
「え?」
「とある高貴な立場のお方が、今の王様――ヴァン様の考えに賛同しなかったために、危険因子と見なされまして。そのせいで、王都にはいられなくなったそうなんです」
「いられなくなった?」
「ええ。追い出されたということですよ」
「そんな……」
「……貴族の中にもいろんな考え方の人がいますし、一概に否定はしません。ただ、権力には適切な使い方があるとは思います。その使い方が誤っているなら、それは忌むべきことでしょう」
「……そっか」
なるほどねぇ。
いろんな事情があるもんだ。
異世界人より特殊な出自の人間は滅多にいないだろうが。
と、理知的なアイラに感心していると、どこかで鐘が鳴った。
夕刻を告げる音だ。
このタイミングを目安として、多くの商売人たちは店を閉め、酒場などは営業を開始する。
予め、マリオンからこの鐘が鳴る頃に町を出るよう言われていた。
遅くなると夜行性の魔物に襲われる危険性もあるからだそうだ。
「おっと……俺、そろそろ帰らなきゃ」
「どちらの宿にお泊りなんですか?」
「実は、あの山の猟師さんに泊めてもらっているんだ」
「そうですか……」
「……お別れ、だな」
「でも、お互いに旅をしているならまたどこかで会うかもしれませんよ」
どうやらアイラは俺が旅人だと勘違いしているようだった。
東洋人の風貌で、この国のことをあまり知らない様子なのだから、そう考えるのも無理はあるまい。
訂正すべきか否か、迷う。
しかし、現在の俺の立場を説明するのは非常に難しく、うまいごまかし方も思いつかなかったので、結局曖昧に笑ってごまかした。
「そうだな。きっとまた、どこかで」
「それじゃあ、私も宿に帰ることにしますね。どうかお元気で」
どこか寂しげな笑みを俺に向けてから、彼女は踵を返して歩いて行った。
その笑みに射すくめられた俺は、立ち尽くして、小さくなる背中を見送ってしまう。
俺は帰れば仲間がいるが――彼女は一人きりなのだろうか。画業で路銀を稼ぎながら旅をするというスタイルから察するに、同行者はいないのではないかと思われた。
アイラ、か。
また会いたいな。
元の世界であれば、離れていても簡単に連絡が取れるのに――と、何気なく俯いたとき、何かの瓶が落ちているのを見つけた。
アイラの座っていた椅子の足元だ。
拾い上げてみると、小瓶には爽やかな青の液体が入っている。
「香水?」
アイラの落とし物らしい小瓶の蓋を開けてみる。
すると、嗅ぐまでもなく、刺激的な匂いが鼻に飛び込んできた。
「うお……」
ただの香水にしては強烈な香りだ。
あまりの刺激に顔をしかめてから、とある話を思い出した。
中世の貴婦人は、コルセットで腹部を締め付けていたために、呼吸困難に陥ってしまうことが多々あったらしい。そこで、気を失った女性の鼻先に、気付け薬の入った小瓶――フラコン・ド・セルを突き付けて、正気を取り戻させたそうだ。
こんな強い匂いがファッション用のものであるはずがない。
俺の世界と同じ目的で使われているものなのだとすれば――
「もしかして、さっきの話って」
王都からの脱出を余儀なくされた貴族とは。
アイラのことなのかもしれない。
☆
もやもやした感情を抱えながら、俺は町を出るべく歩いていた。
近道になりそうだ、と路地裏を通り抜けたところで、やけに日当たりの悪い場所に来てしまったことに気づく。
そんな薄暗い道を足早に離れようとした瞬間、声が響く。
「よぉ。探したぜ、東洋人。さっきはうちの若い連中が世話になったみたいだな」
振り返ると、いかつい顔の連中が、ニヤニヤと俺を見つめていた。
さっきのやくざの仲間か、と舌打ちする。
人数はおよそ十人ほど。
さっきの奴らと同じ程度の強さなら、なんとか相手をすることは可能だと思ったが――1人、異様な風体の奴がいた。
分厚い鎧で全身を覆った、怪物のような巨体。銀色に輝く無骨なデザインは、SF映画に登場する戦闘用ロボットのようだ。
加えて、手に握った巨大な剣は、片手で持ち上げられていることが不思議なほど重厚である。
「要件は……わかってるよな?」
「……ああ」
「随分腕が立つらしいからよ、うちで一番強ぇ奴を連れてきてやったぜ。怪力の魔法を使うから、うっかり死なないように気をつけろよ」
なるほど、魔法によって強化された力で、この異様な装備を得手としているらしい。
普通の人間の筋力では、鎧を着込んだだけで一歩も動けなくなるだろうに、巨体は自然な足取りで進み出た。
「やれ、ゲイル」
ゲイルと呼ばれた男が巨大な剣を振り上げる。
少なく見積もっても、俺の身長よりでかい大剣だ。打ち合うことは得策ではない――いや、それどころか、一撃を受け止めただけで腕がいかれてしまうだろう。
「っ!」
そんな剣を、恐るべき軽やかさで叩き付ける様は、漫画やゲームの世界の出来事に見えた。
危うくかわして後退すると、剣は地面を穿ち、石畳をへこませる。
冗談みたいな威力だったが、すでに周囲は取り囲まれていて逃げられそうにない。
どうやら戦うしかないようだった。
剣を抜きながら走り込んだ俺は、攻撃すべき場所を探す。
視界を確保するための兜の隙間は、俺の剣よりずっと小さく、刺突を通すことはできない。やむなく肘の関節部を狙うが、敵も当然狙われやすい場所は把握しているようで、防御されてしまった。
魔法に頼った筋力馬鹿ではない、と察する。
確かな剣術に裏打ちされた強さなのだと直感した俺は、追撃を避けて距離を取った。
一瞬の静寂。
そして、凄絶な連撃が放たれた。
大剣を右から左へ、左から右へ、上から下へ、下から上へ。
怪力故の、剣を振り抜く途中で強引に軌道を変える技術は、恐るべきものであった。
「どうした! よけるばかりだな!」
「その剣を相手に打ち合う馬鹿がいるかよ!」
大剣が何かを掠める度に、それは容易く破壊される。
足場すら崩してしまう剛剣を前に、俺は自然と笑みを浮かべていた。
「けど――」
笑っている?
こんな状況で?
自分自身の感情を不思議に思いながらも、それが同時に心地よく感じられた。
きっと、心のどこかではずっとわかっていたことなのだ。
命を賭した戦いを――強い相手と剣をぶつけ合うことを――心の底から渇望する自分の存在。現代日本の倫理を狭苦しく感じている自己の潜在。
かっこつけたりする気は毛頭ないが、それでもこう言わざるを得ない。
俺は戦うために生まれてきたのだと。
「――もう、その剣は見切った」
羽毛のように軽やかに。
跳躍する。
「!」
兜の奥で、敵が驚愕するのがわかった。
俺は、振り下ろされた敵の剣に乗り、ニヤリと笑う。
焦った様子で、敵は俺ごと剣を振り上げた。
その勢いを利用して、敵の背後に着地。隙だらけの背を捉えるべく、両足を踏ん張って剣を構える。
――斉天流には、花鳥風月それぞれの名を冠する4つの奥義がある。
その1つ目の技を俺は銀の鎧へと放った。
刃ではなく、柄を使った一撃。
衝撃によって、鎧の背は砕け、敵の巨体がゆらりと体勢を崩す。
そうして生まれた鎧の隙間に、俺は刺突を突き立てた。
「……か……はっ……」
ゆっくりと。
残心を解いて剣を引き抜くと、轟音を立てて敵は倒れた。
この技は、花鳥風月の『花』の型。
開祖が桜の木へとこの技を放ったところ、衝撃で花弁が一枚残らず一斉に舞い散ったという逸話から、『桜花』という名を与えらえている。
斉天流は流派として成立したのは江戸時代だが、剣技自体はかなり古い時代から受け継がれてきたらしい。
鞍馬天狗に習ったという源義経の剣技や、佐々木小次郎の巌流といった無双の技を次々と吸収し、自流のものとして昇華したと師匠は語っていたが、その斉天流が世で初めて猛威を放ったのが戦国時代であった。
戦の中で比類なき威力を発揮しつつも、数多の兵のうち一人であったため、歴史に名は残っていないが――そうして戦に参加していた頃に、盾の上から敵を屠るための技術として生まれたのが、この『桜花』の原形となったのだそうだ。
「驚いたな」
呼吸を整える俺の後方で、掠れた声が聞こえる。
剣を一振りし、赤黒い血を散らしながら振り返った俺は、しかし戦意を失うことになった。
「ゲイルを倒すとは思わなかった。が……」
俺が戦っている間に仲間が次々と集まってきていたようで、数十人もの敵が俺を取り囲んでいる。
しかも、それぞれに武器を持っており、明らかな殺意がこちらに向けられていた。
「たった一人の猛者よりも、百人の雑兵の方が、お前にとっては厄介だろう?」
冷や汗が流れる。
逃げ道などあるはずがない。かといって、強敵との戦闘で疲弊した状況で、この数の暴力を撃退できるはずもない。
絶望感が、細く冷たい指先で俺の背を撫ぜた。
じりじりと少しづつ近づいてくる敵の大群。夕日をギラギラと跳ね返す刃。
思わず後ずさりしようとして、俺はゲイルの鎧に足をひっかけ、尻餅をついてしまった。
そんなときである。
「何弱気になってるのよ」
歌うような声が聞こえた。
この場にあったすべての視線が声の主に集中する。屋根の上に腰かけ、不敵な笑みを浮かべていたのは――
「エリシア……?」
「荒事の気配がしたから野次馬根性で覗いてみれば。まさかコタローくんがその主役とはね」
二階建ての建物の上から軽やかに飛び降りたエリシアが、俺の眼前に着地し、獰猛な瞳を敵に向ける。その威圧感だけで、数で勝るはずの敵が怯んでいた。
「ボクも混ぜてもらうけど……文句はないわよね?」
「っ……誰だか知らねぇが、まとめてやっちまうだけのことだ。行くぞ、お前ら!」
リーダー格らしき男が吠えると、地鳴りのような怒声とともに敵が駆け出した。
エリシアはというと、剣に手をかけることすらなく、たおやかな腕を前方へ差し出す。
魔法を使うつもりだと直感したときには、エリシアの固有魔法がさく裂していた。
……一瞬の出来事だった。
紫電が迸ったかと思うと、悲鳴を上げることすらなく、敵が倒れていく。
前方にいた者たちが残らず気絶したことで、残りの集団も出花を挫かれたらしく、脚が止まる。
何が起きたのかわからない。そんな表情が並ぶ中、エリシアが人差し指だけを残して他の指を閉じると、今度はよりはっきりと視認できる攻撃が放たれた。
爆音とともに『それ』が敵のすぐそばの地面を焦がすと、無数の顔が残らず真っ青になった。
「雷……?」
「ええ。その通りよ」
俺の震える声に、エリシアが頷く。
破格だ。
とてつもない魔法だ。
一般に、人間はたった42Vの電圧で死に至る可能性があるとされる。
現代社会の技術は電気電子工学に大きく依存しており、使い方次第でどれほどの利便性を発揮するのかは語るまでもないだろう。
つまり――少ない労力で巨大な効果を発揮する上、千変万化の可能性を秘めた魔法なのだ。その恐ろしさは、エリシアに睨まれたやくざたちよりも、俺の方がよく理解していると思われた。
「まだやる気なら命の保証はしないけど……どうする?」
おまけとばかりに、エリシアは雷をもう一発放った。
閃光が再び足元を焦がしたことで、敵もその凶悪な魔法に立ち向かう気は失せたらしい。
次々と逃げ出す敵の背を呆然と眺めていると、小さな手が差し出された。
「頑張ったわね。やるじゃない、魔法使いを剣技だけで倒すなんて。立てる?」
「……あ、ああ」
マリオンの『複製』やアルさんの『治癒』はともかく、モニカの魔法はかなり強力な類のものだと思っていた。
しかし――エリシアの『電気』は、あまりにも格が違いすぎる。
戦う相手によってはこれを妨害できる魔法使いもいるのかもしれないが、少なくとも白兵戦なら無敵だと思われた。
キクリと話した夜、彼女は去る前にこんなことを言っていた。
『お主の魔法は、一人きりでは何の効力もない空虚なものじゃ。しかし、強力な魔法使いと力を合わせれば――お主はこの世の誰より強くなれる』と。
もし。俺が魔法を使って、エリシアの力を取り込むことに成功したら。
いったいどれほどの力となるのだろうか。
力に酔いしれる快楽。
飲み込まれるほど愚かではないと信じたいが、羨望は少なからずあった。
「って……あんた、その匂い」
「え? あ、ああ……実はこんなものを拾って」
エリシアの手を取って立ち上がると、彼女は鼻をひくひくさせながら俺をじろりと睨む。
あの小瓶を開いたせいで匂いが体についてしまったらしい。臭いわけでもないがとにかく刺激が強いので、彼女自身どう言葉にすればいいのかわからない様子だった。
俺が件の小瓶を取り出すと、エリシアは何とも言語化しづらい微妙なニュアンスの表情を見せ、ぷいと振り返った。
「ほしいならあげるけど」
「いらないわ、そんなの。ほら、さっさと帰るわよ。町の人に見られたくないし」
「あ、ああ」
確かに、死体の転がっている場所に立っているのはまずい。
すたすたと歩いていく我らが頭領の後を、俺は慌てて追いかけた。