6話 出会い 前篇
長くなりそうだったので前後編で。
異界に来て1週間以上が経過した。
盗賊団に拾われて、掃除と食料調達を手伝いながら生活して。
マリオンにぶつくさと文句を言われ、モニカに餌付けし、ときたま帰って来るエリシアと酒を飲み。
下っ端連中とも仲良くなったりはしたが、いまいち顔を合わせないのはアルさんだった。彼は一度だけ帰ってきて隠れ家に立ち寄ったが、基本的にはずっとエリシアに与えられた任務のために外出している。
なんとなく――今の生活がしばらくは続くような気がしていた。
しかし。
その日、俺は運命的な出会いをすることになる。
そう――革命の火種となる少女に。
それは、乾いた寒空の下、快晴の昼下がりだった。
☆
隠れ家のある山の麓には町がある。
交易によって近年急激に発展しつつある町だが、歴史自体は意外と古く、町の中央部分には幾万もの靴裏を受け止めてきた石畳が広がっている。
急速な発展に合わせて増築を繰り返した町は、やや性急な増築を繰り返しているためか、建物がパズルのように入り組んで立地した構造だ。
俺はマリオンから頼まれ、そんな町に生活雑貨の買い出しをしに来ていた。
盗賊なら必要な品は盗めよ、と思わなくもないのだが。うちの盗賊団はもともと社会や国家に恨みを持つ者を寄せ集めた集団であり、真っ当に生きている人たちはあまり狙いたくないのだそうだ。
義賊というのとも違うが、なんつーか、盗賊というよりはテロリストだよなぁ、これ。
「へぇ……こりゃすごい」
買い物の合間に俺がふらりと訪れたのは、硝子細工を売る店だった。
王室御用達の工房で修行したという主人は、薄利多売の方針らしく、一個一個の商品に時間と手間をたっぷりとかけているようだった。
「気に入っていただけましたか?」
「ええ。こういう模様って、どうやってつけるんですか?」
鉛硝子の食器に刻まれた大胆な模様。
生活上の道具でありながら、芸術としての価値すら秘めている。
数百年後にはとんでもない高値で取引されているだろうな、とぼんやり思った。
「切子細工といいましてね、手摺りで模様をつけているのですよ。使っているのは鑢や金棒、金剛砂です。それから、木の棒で磨きましてね」
「なるほど」
詳細な工法は秘密だ、と言外に告げる表情だった。
俺が気に入ったグラスを手に取り「これを」と手渡すと、主人は硝子が割れないよう綿の詰まった箱に商品を入れて売ってくれた。
「切子の技術はご自分で考えだされたんですか?」
「ええ、まぁ。この町は交易都市であると同時、芸術の町でもありますからね。刺激を受けまして」
「芸術の町、ですか」
「芸術家志望の若者が集まって来るんですよ。土地の安いこの町でそれなりに資金や人脈を得てから都会に移る人が多いですねぇ。そういえば、今朝からあちらの木陰でよく絵を描いている女の子はなかなかいい筋をしていると思いますよ」
「へぇ……美人ですか?」
「そりゃもう。輝くような金髪が綺麗な方ですよ。見ればすぐにそれとわかるでしょう」
美人と聞いて見に行かぬわけにもいくまい。
俺は教えられた場所へと足を向けた。
入り組んだ石段を少しだけ上ると、少し開けた場所に出る。いくつかベンチのある憩いの場の中心には大きな木が立ち尽くしており、そのすぐ側で、イーゼルと向かい合う少女がいた。
ふわり。
風に乗って広がった甘い香りが鼻腔をくすぐる。
唐突な風で、少女のかぶっていた帽子が舞い上がり、俺の足元まで飛んできた。
ドラマかアニメの一幕のような光景に思わずぽかんとしていると、帽子の行方を目で追った彼女と視線がぶつかる。
眉目秀麗という言葉がよく似合う美少女だった。
ただ目鼻立ちが整っているのとは違う。いわば、精魂そのものが美しいという印象を受ける。
エルドラドの黄金の如き髪が太陽の光を弾く様にしばし見とれてから、俺はあたふたと帽子を拾い上げた。
「あの……これ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
帽子を受け取ると、少女は深々と頭を下げた。
おさげ姿に地味な服装で、いかにも町娘といった雰囲気だが、どこか上品で理知的な瞳をしている。
照れくさそうに笑う姿に、思わず心が揺れた。
「そ、その絵……上手ですね」
「ふふ。私、描いた絵を売りながら旅をしてるんです。良かったら見ていきますか?」
「じゃあ、是非」
俺の家は学者の家系だ。
父は電気電子工学、兄は民俗学……そして、母の専門は西洋美術史である。その影響で、多少は美術論にも通じてはいるのだが、今回はぶっちゃけ下心であった。
イーゼルに乗った風景画には俺たちが隠れ潜んでいる山が描かれているが、正直それほど上手だとは思わない。むしろ、繊細に描写しようとした結果、同じ場所で筆を何度も何度も動かすことになり、色合いがごちゃごちゃとしているような印象を受けてしまう。
才能の欠如というよりは積み重ねた年月の少なさが原因なのだと思うが。
「よいしょ……あまり数はないのですが」
少女はイーゼルの下に置いていたトランクを開くと、中から数枚の小さな絵を取り出した。
大きいものでも40cm四方程度で、ほとんどが風景画である。
「値段は?」
「どれも銀貨2枚です」
「安いな」
「これ以上の値段で売れるような絵ではありませんから」
この世界のお金――というよりはこの国のお金かもしれないが――の感覚は非常にわかりやすい。
様々な商品の値段などから察するに、銅貨1枚が100円、銀貨1枚が1000円、金貨1枚が一万円といった感じだ。100円以下の果物や野菜は、まとめ売りをしているらしい。
「うーん」
それなりに気に入ったものもあったが、会話する時間を稼ぎたくて、悩むふりをする。
絵を吟味する素振りを見せつつも、ちらりと少女の観察してみた。
この世界の人間にしては、良い食生活をしているようで、細身ながらも肉付きはいい。なんというか、二の腕をぷにぷにしたい感じ。
表情は温和そのもので、平和主義的な思想の持ち主であることが伺えた。
一見すると子供っぽい雰囲気にも見えるが、首元のほくろが醸し出す色気や利発そうな眼差しからは成熟した大人の感性も見受けられる。
桜の花弁を丸めたような唇の端正さに見惚れていると、不意に声がかかった。
「おい、そこのねーちゃん。誰の許可を得てここで商売してんだ?」
三流映画の悪役でもいまどきこんなのいないぞ、というレベルの台詞とともにやってきたのは、いかにも悪人ですと言わんばかりの荒くれ者たちであった。
4人組で、いずれも体格に優れているが、武術やスポーツというよりは喧嘩向きの筋肉という気がした。
口ぶりから察するに、日本で言うところのヤクザみたいな連中なのだろう。
「だ、誰の許可……と言われても」
びくびくと怯えた様子で少女は身を強張らせる。
「この町ではなぁ、俺たちに場所代を払わないと商売しちゃいけないんだよ。知らなかったか?」
「そ、そんな……」
「金貨3枚だ。払わないって言うなら……わかってるよなぁ?」
少女に味方してあげたいところだが、何分俺は異世界人。この町のルールなんて知る由もない。
やくざたちは間違ったことを言っておらず、少女が正しい手続きを踏まずに商売しているという可能性もあるのだ。
「そ、そんなお金……持ってないです。あ、あの、絵を売るのはもうやめますから、ゆるしてください」
周囲の様子を見ると、明らかに通行人も距離を取っていることがわかる。
関わり合いになりたくない――あるいは、すでにこの連中の被害にあったことがあるのか。悪名高い連中なら、誰も首を突っ込もうとは思わないだろうが。
「絵は何枚売った?」
「え、えっと、2枚、です」
「なら、もう商売をしちまってるからなぁ。しっかり払ってもらわねぇとなぁ」
「で、でも、お金が……」
「稼ぐ方法ならいくらでもあるだろ? たとえば……その体を使うとか、な」
下卑た笑みとともに、先頭にいた男は少女の手首を掴もうとする。
その瞬間、弾かれたように俺は動いていた。
「おい」
男の手をがっちりと押さえ、睨みつける。
一触即発。
やくざの方も、俺が厄介な敵だと察したようだった。
「……あぁ?」
「嫌がってるだろ、やめろよ」
「……悪いのは規則を守らないこの女だぞ?」
「はっ。規則ねぇ。どこの誰が作った規則なんだか」
突き放すように手首を解放してやると、男は後ずさりしながら怨嗟の視線を俺に突き刺す。
言葉で退いてくれる相手ではないと理解したらしい。
「……死にたいらしいな」
「来るなら来いよ」
「女の前だからってかっこつけやがって。4対1で勝てると思ってんのか?」
「そっちこそ、たった4人で勝てると思ってるのか?」
もはや言葉は不要なようだった。
やくざたちは武器を持っていないようで、それぞれに拳を構える。ならば俺も剣は抜かずに応戦することにしよう。
数秒の間にらみ合い、互いに相手の出方を見る。
敵の四人は、俺を取り囲むように広がると、一斉に殴りかかってきた。
「嬢ちゃん! 離れてろ!」
四方を囲まれた状況で、最も警戒すべきは当然背後にいる一人である。
俺はすばやく前に踏み込むと、姿勢を低くしてレスリングのように前方の一人の脚を抱え、そのまま後方へと投げ飛ばした。投げた男の体が後方から突進してきた男にぶつかり、もつれ合って地面に倒れ込む。
そして、左右から殴りかかって来た二人に対応する。
右の一人を前蹴りで牽制して突進を止めると、まずは左の敵を倒すことにした。
顔面目掛けて振るわれた腕をかわし、懐にもぐり込むと、顎を掌底で打つ。衝撃が脳天まで突き抜けると同時、男は崩れ落ちた。
続いて、右方の敵。
わき腹を狙って回し蹴りを放ってきたので、腹筋に力を込めてそれを受け止めると、相手の体勢が整わない間に顔面をぶっ飛ばした。
初めに投げてぶつけた二人がよろよろと起き上がろうとしていたところに蹴りを叩き付けて、完全勝利。
至極――あっけない勝利だった。
当然だ。
斉天流は剣を遣わずとも天下無双なのである。
「ふぅ。これに懲りたらあんまりあくどいやり方はするなよ……っと」
大息を吐き出しながら振り返ると、少女は唖然とした表情でこちらを見ていた。
怖がらせちゃったかなと思ったが、彼女はとてとてと危なっかしい小走りでこちらに駆け寄ってきて、お礼を言ってくれた。