2話 盗賊団の少女たち
「うーん……ここは」
ゆっくりと覚醒する。
目を見開くと、どうやら俺は檻の中にいるようだった。鉄格子をぼんやりと見つめているうちに、記憶がじわじわと取り戻される。
そうだ。
俺はあの短剣の雨に全身を裂かれ、敗北したのだ。
そのはずなのに、痛みはない。どころか、傷すら無くなっていた。
「あら。目が覚めたみたいね」
突然の声に顔を上げると、不遜な顔の少女が立っていた。
盗賊のリーダーの女だ。
一瞬、敵意が鎌首をもたげたものの、ふと容姿を観察してみれば、思っていたよりもずっと可憐な少女であることに気づく。
引き締まった細身に纏われた軽装。身軽さと力強さを兼ね備えた肢体は艶めかしく、後頭部で束ねられた燃えるような赤毛が四肢を引き立てていた。
「俺を殺さないのか」
「どうして殺さなきゃいけないのよ」
「……男は皆殺しにするんじゃなかったのか?」
「はぁ? 何よそれ」
少女は眉を顰め、不思議そうに俺を見た。
どうやらここは洞窟の中らしく、視界は薄暗い。俺が立ち上がると、少女は鍵を取り出して、牢の扉を開いた。
「出なさい」
「……いいのか?」
「いろいろと聞いておきたいことがあるのよ。ついてきなさい」
少女が踵を返すと、ふわりと柑橘類のような香りが広がった。
無骨な盗賊の印象には似つかわしくない匂いだ。俺の錯覚なのだろうか。
「お、おい」
俺を意に介する様子もなく少女はずんずんと突き進む。
ほんの少しだけ迷ったが、仕方がないのでついていくことにした。
「ボクはエリシア。盗賊団の首領をやってるわ」
「……白山恵一」
「変わった名前ね。東の方の出身かしら」
「……そんなところだ」
乱雑に受け答えしながら、俺たちは歩いていく。
薄暗い洞窟の中は、俺の精神を不安と疑念で埋め尽くすに足る空間であった。
☆
ぽつぽつと言葉を交わしながら歩くうちに、やがて俺たちは開けた空間に辿りついた。
何やら騒がしいなと思いながら通路を抜けると、そこでは盗賊団の一味が酒や肉をまき散らして宴会をしている。明々とした松明の光の中、大声で歌う集団や何かのゲームらしき行為に興じている集団など、合わせて三十名ほどだろうか。
「姐さん、そいつ、牢から出しちまったんですかい?」
「ええ。心配しないでいいわ、彼自身状況がわかってないだけで、敵というわけじゃなさそうだし」
随分慕われているようで、エリシアがそう言うと下っ端盗賊はあっさりと引き下がった。
俺たちはそのまま木の扉を抜けて別の部屋に到着する。
そこには、幹部と思われる三人が座っていた。
「うわっ姉御、そいつ連れてきたんスか」
「ええ。あ、紹介するわ。この子はマリオン・ホーク」
「……よろしくッス」
「よろしく」
はじめに口を開いた少女は、声から察するにどうやら俺と戦った奴らしい。
とにかく背が小さい。150――いや、140くらいか。
髪型もサイドテールというどこかあどけないイメージを与えるもので、水色の髪が印象的だ。
しかし、顔立ちや体つきは決して幼いものではなく、確かな理性が感じられた。とくに体つきは、オトナ顔負けの巨乳である。
その豊満な双丘に思わず見とれていると、ギロリと睨まれたので視線を背ける。
そんな俺に、のんびりと間延びした声で俺を手招きしたのは、桃色の髪が目を引くおねーさんだった。
「やっほー、少年。あ、場所空けないとねー。よいしょ、ほらここに座ってー」
「あ、ありがとうございます」
「私はねー、モニカ・フレデリックっていうんだよー……って、うわ、お酒こぼしちゃった」
露骨に敵意を向けてくるマリオン・ホークとは対照的に、すらりと背が高く、いかにも温厚な性格といった柔和な笑顔を浮かべている。
練乳のように甘ったるい声は、盗賊のものとは信じ難かった。
何やら、厚着というわけではないものの、肌のほとんどが隠れるような服装をしている。痴女さながらの薄着姿の前者二名に比べると、かなりまともな印象を受けた。
なんつーか……こういう家庭教師のおねーさんに勉強を教えてほしい、って感じの人だ。
毛皮の絨毯の上で思い思いにくつろいでいた中、俺のために場所を空けてくれるモニカさんの優しさは有難いが、いかんせん手際が悪い。
あたふたしているうちに、ため息をついて座り位置をずらしてくれたのは、唯一の男だった。
「……………………ここ」
「え? あ、はい」
「………………………………………………アル・グレイ」
紅茶みたいな名前を名乗った男の身長は、2メートルを超えているだろうと見受けれらた。
巨岩のような肉体と、鋼鉄のような表情、浅黒い肌。容姿からは恐ろしい印象を受けるが、案外まともな人なのかもしれない。大和撫子のような奥ゆかしさすら感じる。
俺が彼――アルさんの隣に座ると、エリシアは一人だけ用意されていた椅子に腰かけた。
「さて。コタローくんだっけ? あんた、さっき、ボクらが村の男を皆殺しにしてたとかほざいてたわよね?」
「……下っ端の男が言ってた。そういう命令を受けてるって」
俺がそう言うと、エリシアはアルさんと視線を交わす。
アルさんが「俺は何も知らない」という風に首を振ると、エリシアは嘆息して言い切った。
「はっきり言っておくわ。ボクはそんな命令を下してない」
「じゃあ、別の盗賊団がいたとでも言うのか?」
「わからないわよ、正体なんて……何にせよ、きな臭いわね」
「でも、あんたらが村を襲ったことは事実だろ?」
「ええ。盗賊だもの。ただ、うちの団には掟があってね。可能な限り人は殺さないことにしてるし、基本的には金持ちからしか盗まないわ」
正当化するつもりはないけどね、と付け加え、エリシアは口を固く結んだ。
何かを沈思しているのか、彼女は気難しそうな顔をする。
そのタイミングで会話に加わったのは、ぽわぽわとお酒のにおいを漂わせ、のんびりと笑うモニカさんだった。
「もしかすると、私たちに罪をなすりつけるつもりだったのかもしれないねー。アルはどう思う?」
「……………………同感だな」
どうにも拍子抜けというか、思っていたほど悪い人たちではないらしい。
アルさんは困ったように俺の方をちらちら見ており、どうやら緊張しているようだった。
そのせいか、この場にいる五人の間に流れる空気は奇妙なものとなっている。警戒しているのとも、探り合っているのとも違う、いわく言い難い不思議なものだ。
「調べる必要があるわね。モニカ……は不安だからアルに一任するわ」
「…………了解した」
「で、聞いておきたいのはあんたのことよ、コタローくん」
どうやら、俺が斬った連中とこの盗賊団は違うようで、俺よりも彼女たちの方が困惑しているように見えた。
調査を任されたアルさんは岩のようにぎこちなく頷くと、ちびちびと酒を口に運びつつ俺の方を見つめる。
相手の立場に立ってみれば当然だが、俺のことは不審がられているらしい。
「ねぇ、あんた。どうしてあんなところにいたの?」
「あんなところ……とは?」
「あそこは農業――もとい薬物の栽培で富を得た村よ。村ぐるみで良くない薬を流していた連中であって、はっきり言えば『村の体を取り繕った犯罪者集団』といったところかしら」
「犯罪者集団……」
「ええ。つまり、あそこに出入りする旅人は薬の売人だけ。けど、あんたはそんな風に見えないし、農場で働かされていた奴隷でもなさそうだわ」
「旅人だっていう言い訳は通用しないのか」
困った。
おっとりした性格らしいモニカさんだけは「え?」と間抜けな声を出していたが、他の全員が俺の正体を訝しんでいるようで目を細めている。とくにサイドテール娘のマリオンは俺に対してかなり懐疑的なようだ。
「……気づいたらあそこにいた」
「真剣に言ってる?」
「真剣だ」
エリシアがじっと見つめてきたので、見つめ返す。
異世界から来たことには、あまり触れたくなかった。できれば秘密にしておきたい。
数十秒も見つめ合っていただろうか。エリシアは諦めたようにため息をついた。
「いいわ、信じましょう。嘘は言ってないみたいだし……まぁ、真実というわけでもなさそうだけど。とにかく、あんたにも状況はよくわからないってことね?」
「ああ」
「そう。ボクはてっきり……いや、この話はやめにしましょう。議論するには材料が少なすぎるわね。あんたのことも、あんたが斬った奴らの正体も」
エリシアが手渡してきたのは小さな酒杯だった。
それを受け取ってから、ぽかーんと顔を見つめると、彼女は滔々と語る。
「さて。このまま牢に戻ってもらってもいいんだけど。どうする?」
「どうする、って……」
「要するに、私たちの仲間に入るかどうか、ってことッスよ。入るなら盃を交わす。入らないなら奴隷商人に売り渡すんス」
欠伸をしながらマリオンが告げた言葉に、思わず冷や汗が流れた。
奴隷。
俺の世界――俺の国では聞き慣れない単語。
過酷な労働と人権のない生活。
そんなのは嫌だ。
「まぁ、盗賊になれというのも倫理観が邪魔するでしょうし、とりあえず雑用してくれればいいわ。そうすれば、差し当たって生活の面倒は見てあげる」
「……わかった」
アルさんが寡黙に酒を注いでくれる。
女子力の高いおっさんだった。
「決まりね。よろしく」
「よ……よろしく」
乾杯すると、エリシアは中身を一気飲みした。
困りつつも、それに倣って口をつける。だが、酒なんか飲んだことのなかった俺は、一気に中身を飲み干してからひどく咳き込んだ。
「ふふ。お酒は苦手みたいね」
「……悪かったな」
くすくすと笑って、エリシアはもう一杯酒を喉に流し込む。
笑うと可愛らしいものだ。
いったい、どうしてこんな子が――もちろんモニカさんやマリオンもだが――盗賊なんて稼業をしているのだろうか。コソ泥でなく盗賊団を組織するあたり、単純な貧困が原因ではないと思うのだが。
「あまり飲み慣れてないのかしら。美味しいのに勿体ないわね。と……さて。マリオン、コタローくんに空いてる部屋を案内してあげて」
「えー、あたしッスかぁ」
「いいでしょ」
「どーしてあたしなんスか」
「一番嫌そうな顔してるからよ。あ、そうだ、せっかくだから当面の世話役にも任命してあげるわ」
ひどい理由で世話役を押し付けられたマリオンは、この世の終わりみたいな顔で俺を見ていた。
……そんなに嫌か。ちょっと傷ついた。
にらみ合い、バチバチと視線をぶつける俺とマリオン。
そんな俺たちの確執には気づいていないのか、呑気に笑ったのはモニカさんだった。
「まぁ、何はともあれ、新しい仲間が増えたのは何にせよ嬉しいことだよねー。それじゃ、改めて」
彼女は立ち上がろうとして。
「かんぱーい……うわぁっ!」
足がしびれていたらしく、転んで酒をまき散らした。