1話 いきなりの戦い
気づくと俺は、薄暗い空間にいた。
「……ここは」
酒蔵――だろうか。
樽の並んだ空間を包む、不慣れな臭い。扉らしき場所からわずかに明かりが差し込んできているが、窓の類はないらしく、部屋はほぼ真っ暗に近い。
「お、おい! キクリだったか!? いるなら出て来い!」
呼びかけてみるが反応はない。仕方がないので、俺はおそるおそる部屋を抜け出した。
廊下は燭台で照らされているものの、薄暗く、どうやら地下らしい。間近にあった石段を慎重に上ると、俺は思わず足を止めた。
「これは……」
あらゆるものが破壊され、散らかされた部屋。ファンタジーのゲームなどでよく見かけるような洋風の部屋が、滅茶苦茶に荒らされている。
花瓶は倒れ、テーブルや椅子は転がり、壁の絵画は落とされており、ひどい状況だ。
いったい何があったのだろうか。家の人は大丈夫だろうか。
反射的に家人の無事を確かめようと周囲を見回した、そんな瞬間だった。
「おっと。まだ残ってたのか」
振り返ると、そこには獣の皮でできた服を纏う巨漢が立っていた。
「!」
男の手に握られた西洋式の長剣。
凸凹の形状から察するに、逆の手に提げられた麻袋には硬貨が詰まっているようだ。
無精ひげと赤らんだ面構え。分厚い筋肉の鎧。
思わず身構える俺に、男は剣の切先を向けた。
「異人か。旅人か知らんが、不幸だったな。男は皆殺しにするよう命令されているんだ」
眼前に迫る死の恐怖。
リアリティを伴って突き付けられる絶望が、四肢の自由を奪っていく。
筋肉が鉛のように重い。神経が脳からの命令を伝達しない。
恐怖。
緊張。
そして。
「っ!」
ゆるやかに浮沈する切先。その先端が急激に大きくなった。
刺突だ――直感したときには体が動いていた。
上体をねじって回避。そのまま懐に飛び込み、掌底で霞を打った。
すると、男の巨体が崩れ落ちる。いとも――易々と。
「はぁっ……はぁっ……」
心臓が暴れまわっていた。
本能的に、倒れた男から剣を奪い取る。
扉を開けて外に出ると、広がっている光景は、中世のような長閑な町並み。 ただし、あちこちで火の手が上がり、悲鳴と怒声が響いていた。
「あ、あの、いったい何が……」
あたふたと走って来た男性に話しかけると、彼は半狂乱で叫んだ。
「盗賊だ! あんたも逃げろ!」
その言葉でおおよその状況を理解した。逃げていく男性の背を視線で追ってからため息をつく。
「剣術を活かせる……異世界……そういうことかよ」
瞬間、悪寒が背を走った。
地面を転がると、直後、びゅおんという鋭い音が頭上を過ぎ去っていく。
矢だ。
「迷ってる暇は……なさそうだな!」
俺に向けて弓を引いたのは、盗賊一味の一員らしき男だった。
物陰から次の矢をつがえて俺を狙う男に向かって、俺は勢いよく走り出す。
命のやりとりをすることに、迷いはある。ないはずがない。
しかし、躊躇している余裕なんて存在しないのだ。
次の矢を剣の一振りで弾き飛ばすと、俺は射手の頭蓋を叩き割った。骨と脳が潰れる嫌な感触が手を走る。
「てめぇ!」
近くにいた別の盗賊が俺に目を付けたようだった。
俺は八双に構えると、無我夢中で盗賊と斬り合った。
☆
肩や腕にいくつかの傷は負ったが、俺は十人にも及ぶ敵を倒していた。
いつの間にか、町中に火は広がり、悲鳴もほとんど聞こえなくなっている。大勢が決しようとしているのだ。おそらくは、盗賊の勝利なのだろう。
血に濡れ、曲がってしまった長剣。それを投げ捨てた俺は、別の盗賊の剣を奪って歩んだ。
たどり着いたのは、広場らしき場所だった。
「……生き残っている奴が、まだいたとはね」
そこにいたのは、明らかにこれまでの下っ端とは雰囲気の違う一団だった。
馬に乗った五人組。大柄な男が一人と、可憐な少女が三人。
異様な雰囲気だと思った。
ぽつりと興味深げに呟いた少女がどうやら中心人物らしく、残りの四人は彼女に付き従うように佇んでいた。
「へぇ。戦う気みたいね」
俺が長剣を正眼に構えると、リーダー格の女が嘲るように笑った。
「何人斬ったの」
「十人」
「へぇ。意外ね。戦い慣れてる風には見えないけど」
唸るように言った俺に、女は愉快そうな笑みを向ける。
彼女は、隣にいた少女に声をかけた
「相手をしてあげなさい」
「でも」
「いいから」
「……了解ッス」
羽毛のような軽やかさで馬から飛び降りた少女が、ブーツの底を鳴らしながらこちらに歩み寄って来る。
外套で全身が隠れているが、小柄で細身であることが読み取られる。顔はフードに隠れてよく見えなかった。
「……死んでも知らないッスよ」
少女がそう告げた直後。
何かが煌めいた。
「くっ!」
弾いてからその正体に気づく。
短剣だ。
「なるほど、十人斬ったというのは嘘じゃないみたいッスね」
少女はすさまじい勢いで走り込んできた。
右手に短剣を構える一方、左に握った剣は短剣と長剣の中間といった長さである。どちらの剣も刺突に秀でた細長い形状である。
それらを駆使して絶え間なく繰り出される攻撃は雨のようだった。
剣一本と、剣二本。
はじめは正比例し俺の二倍程度の手数であったが、あっという間に少女の動きは加速していった。
膂力で勝る俺だが、防御のために細かい動きを強いられ、十分に利点を活かせない。次第に少女の刺突は俺の肌を裂き始めた。
「くそっ!」
このままでは埒が明かない。
異様な早さで繰り広げられる打ち合いの中、ダメージ覚悟で防御は捨て、全力で剣を叩き付けた。
予想外だったのか、少女がぎょっと目を丸くし、咄嗟に回避行動をとる。
――結果として。
相手の攻撃は俺の左手を抉り、俺の攻撃は相手の左腕を裂いた。
「……っ!」
後方へ跳び距離を取る少女。対する俺も呼吸を落ち着け、下段に構えた。
斬られた左手が痛むが、剣を握る障害になるほどではない。利き手の自由を失い、手数が減った敵の方が不利だと思われた。
「……」
固着。
にらみ合い、わずかに距離を詰める。次の一瞬で勝負は決まる。そんな予感がした。
「うぉおおっ!」
駆け出す。石畳を蹴って距離を詰める。
少女は足裏を地面にべったりと押し付け、腰を低く落とし、迎撃の構えをとった。
俺が力任せに振るった一撃の剣筋を少女は見事に見極め、十字になるよう剣を構えて見せる。
だが、防御したとはいえ膂力の差は圧倒的で、剣は小さな手を離れて吹き飛ばされた。
勝利を確信して跳躍する。
――そして。
「……え?」
次の瞬間。
俺の視界には、無数の短剣が浮かんでいた。
十や二十ではない。百を超える短剣が、俺に向かって飛来している。
何が起きたのか、さっぱりわからなかった。
こんな数の短剣を隠し持てるはずがない。そもそも、同時に投げることが不可能だし、その上、少女の手から放射状に広がるわけではなく、むしろすべてが正確に俺の方に向かってきている。
魔法としか思えない光景の中、そこに死の恐怖を抱く余裕すらもなく、俺は振り上げた剣をその勢いのまま振り下ろしていた。
そして――俺の意識は、直後、ぷっつりと途切れた。