17話 酒場の遊興
息抜き回です。
フリッツ将軍はどこへ逃げたのか。
それを調べることが、目下の任務であった。
仮にも四将軍の一人に名を連ねる相手なので、彼を倒すことは大きな意味をもつ。スルーするわけにはいかない相手だった。
「よいしょ、っと……これで完成です」
そんなわけで、皆で手分けして情報収集を行っているのだが。
今日の俺は、アイラが絵を描くのを隣でぼんやりと眺めるのが仕事だった。
「今回は割とうまく描けた気がします」
「そうだな。俺も、すごくいいと思う」
「……」
「な、なんだよ、その不満げな視線は」
「だって、コタローさん、どの絵を見ても『すごくいい』って言うじゃないですか」
「そ、そうだったか?」
本心から出ている言葉なのだが、アイラはそう思ってないようだった。
確かに、毎回毎回同じ感想なら、嘘くさく感じるのも無理はない。同じ言葉ばかり返していることに気づいていなかった俺は、褒めたつもりで相手を不快にさせてしまったので、ひどく驚いてしまった。
「でも、本当に、俺はアイラの絵が好きだよ。色使いも、構図も」
フォローしようと試みたものの、アイラの不満を解消できた気はしなかった。
片付けを始めるアイラから視線を反らし、ぼんやりと町を眺める。
現在地は、ロエナと呼ばれる町の一角だ。
なだらかな渓谷のそばで発達した町で、規模は比較的大きい。しかし、もともと交通の要衝として発達した宿場町としての特徴が大きく、第一次産業がほとんど行われていないので、不景気と重税にあえぐ現在、人口は急激に減りつつある。
俺たちは、町はずれの高台から、人通りの少ない町並みへと歩いていく。
乾いた風が吹き抜ける大通りは、たくさんの露店が並んでいるものの、店員や商品は見当たらない。
俺たちは、しばらく歩くと、目当ての場所にたどり着いた。予め決めておいた待ち合わせの場所だ。で、待ち合わせの相手は、モニカとエリシアだった。
「いらっしゃい」
「葡萄酒を」
「お連れ様もご一緒で?」
「は、はい」
おっかなびっくりといった調子のアイラを背に隠すようにして、俺はマスターに注文し、二人の姿を探す。
エリシアたちが座っていたのは隅っこの薄暗い席だった。手招きされてそちらに向かい、席についてから周囲を見回す。
熱気が失せた町に残っている人間は、やはり良識的な層とは言い難い。荒くれ者というほどではないかもしれないが、できればお友達になりたくないタイプだった。まぁ、『土蜘蛛』のメンバーはそんな感じの連中が大半なのだが。
「どうだった? 何か情報は?」
「だめね。フリッツ将軍が逃げたのはこっちの方面じゃないみたい」
「そっか」
「でも、トルーム砦が落ちたって噂は確実に広まってるねー。国の力が低下していると考えてる人も少なくないみたいだよー」
まぁ、噂が広まってるというか、俺たちが広めてるからな。
たった三十人で砦を落としたという話は、現実味が薄い。信じてもらえないが、内容の無茶さが逆にそれらしいと思われているようだった。よく広まる噂というのは、たいてい荒唐無稽なものなのだ。
火のない所に煙は立たぬ――と日本では言うが、逆に言えば、煙だけ見せておけば、誰かが火元を調べ、勝手に吹聴してくれるはずだった。
俺たちは、しばらくの間、声をひそめて話し合っていた。
そんな中、少し離れた場所で、酔っ払いたちが遊興を始めるようで、つい興味を引かれてしまい、会議は中断した。
「あ、あの……いったい何が始まるんですか?」
近くを通った男に俺が問うと、そいつは面倒くさそうな顔をしながら説明してくれた。
商人や金持ちがこの町を離れてから、町では賭博が流行っているらしい。今からするのも賭博ゲームのひとつで、『矢飛ばし』と呼ばれるものだという。
名前からは、弓矢を用いた競技を想像してしまうが、広くもない室内で弓を用いるはずもなく。的に向かって矢を投げつけるという主旨の遊びなのだそうだ。
1人につき10本の矢を投げ、うち何本が的に命中するか。当然、多く命中した者が勝利者となる。
賭けの内容は、参加者のうち誰が優勝するかというものだった。掛け金のうち三割はゲームの勝者に与えられ、賭けの配当金として分配されるのは残りの七割となる。
「俺も参加してみようかな」
「へぇ? 妙に自信ありげな顔ね」
「まぁな。皆もやってみないか?」
女性陣は、顔を見合わせて、互いの様子をうかがう。
矢を用いたゲームとあってはまさか自分が参加しないわけにはいかないだろう、と手を挙げたのはモニカ。続いてアイラが参加を表明したものの、エリシアは「ボクはやめとく。こういうの苦手だし」と苦笑した。
俺たちは参加者として名乗りを上げ、計八名がプレイヤーとなる。
「なぁ。参加者が賭けるのはアリか?」
「え? あ、ああ」
「じゃあ、俺は自分に賭けるよ」
ゲームの進行役のみならず、全員が驚いた表情を見せた。
俺はニヤリと笑いながらも、金貨を数枚手渡し、自分の矢を受け取る。
モニカとアイラが左右から袖を引っ張ってきて、「だ、大丈夫なの?」と問うてくるが、俺は意味深な笑みを返すのみでとどめておいた。
ふっふっふ。
何を隠そう、この白山琥太郎、剣術の次に得意なものは『ダーツ』なのである。
俺たちが最後に参加表明したので、プレイの順番も最後になる。
俺は他の五名が的に向かって矢を投げる様子を観察し、まずは矢の飛び具合を把握した。その五名も
酔っ払いばかりでコントロールはさほど良くない。最高記録は七本だった。
「よ、よし……私の番だね」
続いて、モニカの番だ。
さすがに的を狙う視線は、矢の通るべき道筋をしっかりと見据えている。問題は、その道筋通りに矢を投げられるかどうかだった。
モニカは運動神経がいい。が、それは緊迫した状況下でしか発揮されず、普段はむしろどんくさい。
案の定というか、彼女の投げ方は不恰好なもので、矢もひょろひょろと不安定な放物線を描いて壁に命中した。
「うー。難しいよー」
困った顔のモニカは、苦手意識を持ってしまったようで、前腕をしっかり振るうことができていなかった。それでもたった三本のミスで軌道修正し、残りは一度しか外さなかったのだから、大したものだ。
最終的に、スコアは六本。
俺の世界のレジャー施設に設置されているようなダーツより的の小さいこの競技で、半数以上の矢を命中させるのは、それなりの成績といえよう。
「次は俺だな」
だが。
的が小さいと言っても、ダーツの『ブル』に比べれば大きい。
俺は床に引かれた白線の前に立ち、呼吸を整えた。
的として使われているのは、牛のような絵が描かれた、丸い木の板である。そういえば、『ブル』という言葉は雄牛の血走った眼が語源だという話を聞いたことがあるな。
そんな的を見つめ、己の体の感覚を調整していく。
的の位置はやや高い。矢の質量はやや重い。
慣れた感覚よりは、幾分高めを狙う必要があった。
「……」
心気を研ぎ澄ます。しかし、決してそれを長時間溜めこむようなことはせず、軽やかに放り投げた。
一投目は、わずかに下方へ外れてしまった。やはり、思っていた感覚との誤差があったのだ。しかし、今の一投で十分に修正することはできた。
二投目は命中。三投目も命中。ここらへんで、周囲の声は耳に入らなくなり、自分のペースで投げることができるようになった。
少しだけ厄介なのは、矢が一本一本微妙に違う特性を持つことだ。しかし、それも感覚的に把握し、その都度狙う位置と軌道を変えればいい。
俺は難なく九本という記録を達成した。
「あ、あんた、凄いじゃない! 見直したわ!」
「惚れんなよ」
「惚れないわよ、馬鹿……って言いたいところだけど、ちょっぴりカッコよく見えたわ。悔しいけど」
席に戻るとエリシアに感嘆され、ついドヤ顔を浮かべてしまう。
モニカも何かを言おうとしていたが、野次馬のうち数人が駆け寄ってきて俺をもみくちゃにし、有耶無耶になってしまった。
俺の両親は研究者だ。と言うと、大学で出会って恋仲になったかのような印象を受けるが、実は違う。彼らは、趣味のダーツを通じて知り合い、俺や兄貴を産むに至ったのだ。
そう――俺は研究者としてのみでなく、ダーツという世界においてもサラブレッドなのである。一時期はプロを目指すことも考えたほどだ。
俺はニヤニヤしながらアイラの挑戦を眺めた。
しかし。
驚愕の光景が、俺を唖然とさせることになる。
「え、えいっ」
一本目。命中。
ビギナーズラックというやつか。
「そりゃっ」
二本目。命中。
……あれっ?
「とーっ」
三本目、四本目、五本目、六本目……命中。
「よ、よし、いい感じ……えいっ」
七本目、八本目、九本目…………命中。
俺だけでなく、周囲の誰もが狸に化かされたような顔をしていた。
当然だ。
遊び慣れている風でもない女の子が、いかにも初心者といったフォームで矢を投げているのに、なぜかすべてが的へ吸い込まれていく。
そして、最後の一本も、それが当然とでも言うように、的に突き刺さった。
「……あ、あれ? もしかして、私、勝っちゃいました?
そんな覇業を成し遂げた当の本人は、ぽかーんとしていた。
爆発する歓声の中、俺は立ち上がりかけて、ゆっくりと座り込む。
「嘘だ……そんな馬鹿な、ありえない……」
「ぷぷっ。あんた、あんだけカッコつけておいて、まさかアイラに負けるとはね」
「わ、笑うなよ! 俺が下手なわけじゃなくて、アイラが凄かっただけだろ!」
「そうやって言い訳しちゃうのが一番ダサいわよ、馬鹿ね。あーあ、一瞬でもあんたがカッコいいと思っちゃった自分が恥ずかしいわ」
ちくしょう。
戦いではエリシアたちに適わないし、せめてこういう場所でカッコつけてやりたいと思ったのに。
さすがは王族、生まれついての勝ち組というわけか。
落ち込む俺の肩に、ぽんと手を置いたのはモニカだった。
「だ、大丈夫だよ。私は、コタローくんのかっこいいところ、いっぱい知ってるよ」
「お前だけだよ、俺に優しいのは……」
その後。
賞金を受け取ったアイラは、どことなく俺に対して見下したような態度を取るようになった。
――というのは嘘で、彼女は相も変わらず慇懃な態度であったが、俺の一方的な敗北感が消え去るには、数日を要した。
意外な才能を発揮したアイラだったが、一戦だけで満足したらしく、俺たちが『矢飛ばし』で勝負する機会は二度と訪れなかった。