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0話

 ことのほか静謐な夜には、山霧が麓へ下って行く音すら聞こえるという。

 風のない今宵はきっと、王都シャンブロワの家々は穏やかな眠りに包まれていた。


 一方で――王城内部では熾烈な戦いが繰り広げられていた。


 暗躍する影は三十にも満たぬ少数。一国を相手取るにはあまりにも少なすぎる頭数だ。

 しかし、戦いは互角――否、正規軍が圧されているようにも見えた。


 その戦いの喧騒とも隔絶された王城の一階奥に、白山琥太郎はいた。

 乾いた足音が大理石の床を鳴らし、反響した音が監視するように自身を包み込む。空間の広さが奇妙に不気味なものと感じられてならなかった。


 やがて琥太郎が辿りついた広間には、巨大な女神の石像が鎮座していた。

 自然と視線が誘導され、女神像の頭部を見上げそうになったが、突然の声がそれを阻む。


「一番乗りはお主か」


 女神像の足元で腰かけていた男が立ち上がり、剣を抜く。

 琥太郎もそれに応じ、佩いていた刀を地摺に構える。


「……言葉は不要、というわけだな」


 無言の返答を受け取った男は、どこか哀愁のような気色を漂わせつつ、ゆっくりと構えをとった。瞬間、猛烈な剣気が琥太郎へ叩き付けられる。

 正当の剣を以て、邪剣を撃ち破れぬ道理はない――そう信じているかのような、精悍な表情であった。


 ――固着。絵に入ったかのように動かぬ間に、月光が生む影法師だけがじわじわと角度を変えていく。

 白刃の先にまで行き渡った戦意が闇雲に両者の体力を削いでいた。


 やがて、玉の汗がぽたりと床に落ちた頃、琥太郎の気力が僅かに乱れた。

 その隙を逃さず、敵の男が全身から掛声を発し、跳躍した――意図的な隙であったとも知らずに。


 そして。


 琥太郎は、無言のままに、刃を走らせた。

 思考というよりは感性の業であった。


 霞を断つよりもずっと空虚な手ごたえ。

 しかし。

 敵の男は、血煙を立て、溶けるようにたおれた。


 数秒間、そのまま呼吸を止めていた琥太郎であったが、床に膝をついて嘆息する。

 凄まじい疲弊が全身を蝕んでいた。


 ――尋常一様の遣い手ではなかった。

 魔法で強化された肉体の反応速度が、わずかに実力差を覆してくれたのだ。


 ふらふらと立ち上がった琥太郎は、愛刀を鞘に納め、女神像の足元へ向かった。


(待っていろよ、アイラ)


 琥太郎は知っている。

 女神像の下には隠された空間があることを。

 そこには、大切な友人が捉えられていることを。


(必ず助けてやるからな)


 琥太郎は、隠し部屋への入り口を開くべく、教えられた手順を辿る。

 彼の脳裏には、自然とこれまでの経緯が思い出された。





     ☆





【 数週間前 日本某所 】



「おーい、兄貴」


 俺が呼ぶと、藪の向こうから不愛想な生返事が帰って来た。

 声の主――我が兄でもある清太郎は、のそのそと姿を現したかと思うと、興味深げに眉を顰める。


「兄貴が探してたのって、これか?」

「……そうだ。よく見つけたな」


 眼鏡をクイと上げる仕草に思わず閉口する。


 俺たちの眼前、草むらの中に佇むのは、高さ七十センチほどの岩だった。意匠として彫られている男女は仲睦まじそうに手を繋いでおり、クリスマスを目前に控えたこの時期には随分と皮肉な印象を受ける。


「なぁ、兄貴。大学の研究だって言ってたけど、これが兄貴の研究の対象なのか?」

「対象のひとつ、だ。賽の神というのだが……知っているか?」


 首を縦に振る。


 兄貴は大学で民俗学者の卵として働いている学徒で、幼い頃から事あるごとに自分の知識を俺に披露してきた。

 俺としてはそれほど興味もなかったのだが、自然に覚えてしまった事柄もたくさんある。

 そのひとつが『賽の神』あるいは『道祖神』と呼ばれるものだった。


「たしか、悪霊から村を守ったりするために置かれる神様だよな?」

「ああ。日本各地に存在するが、中にはこのように男女の姿が掘られたものも少なくない」


 日本神話にこんな話がある。


 イザナギという神は、死んだ妻イザナミに会うため黄泉の国に向かった。

 イザナギが妻を連れ戻そうと語り掛けたところ、イザナミは「黄泉の国の神に相談するので、その間私の姿を見ないでください」と告げる。

 しかし、イザナギは我慢できずに様子を伺ってしまった。

 彼が見た光景は、腐り果てた妻の姿であった。


 約束を破ったイザナギは、八人の追手に追われることになる。

 黄泉の国へと続く道を巨大な岩で塞ぐことで、イザナギはなんとか追手から逃げることができたのだった。


 そして――その岩こそが『賽』。今の『賽の神』の原形であるという。


「けど、不思議じゃないか? どうして幽世の存在を退けるための『賽の神』に掘られているのが男女の姿なのか。邪悪なものを追い払うなら、剣や槍のような意匠の方が適切だろう?」

「たしかに、変な感じはするけど」

「……実はな、プラトンという哲学者はこんなことを主張してるんだ」


 兄貴は言う。


 大昔、人類には男と女の両者が合わさった『男女おめ』という性別があったそうだ。彼らは現代の人間に比べると莫大な能力を持っていたのだという。

 神ゼウスがその強大さを恐れて人間を男女に切り離すことにしたため、現在の人間は男と女に分かれているのだ。


「僕はな。大昔、本当に男女という存在がいたのではないかと思う。そして彼らはきっと、人外の者と戦う強力な戦士だったのではないだろうか」


 そろそろ興味を失っていた俺は、スマートフォンが振動したのをいいことに、話を聞かずメールを読んだ。


「どうした?」

「……師匠から、練習の予定について連絡が来た」


 そう言うと、兄貴はムッと眉宇をひそめた。

 兄貴は――もとい、俺の家族は――俺が剣術を習うことを快く思っていないのだ。


「まだ続けていたのか」

「うん。本当なら今日も練習があったから、こうして兄貴の助手をさせられるのは不本意なんだけど」

「……勉強はしっかりしてるんだろうな。いい大学に行けなくなるぞ」

「……わかってるよ」

「なら、いい。僕は車に戻ってカメラを取って来る。ここで待ってろ」


 重い足取りで離れていく兄貴。

 その背を追ってから嘆息し、俺はその場に座り込んだ。


 ――我が白山家は、旧幕の頃、微禄ながらも士分であった。とてつもなく勇猛な剣を遣う侍であったと聞き及んでる。

 明治の秩禄処分で生活に困窮したものの、学問で成功し、今では学者一家になった我が家系。父も母も祖父も祖母も、俺に求めるのは学業に打ち込むことだった。


 けど、俺は剣術が好きなのだ。


 剣を握れば並ぶ者はいなかったという我が先祖。その血は俺にもしっかり流れているらしく、剣の天稟は自他ともに認めることろだった。

 それなのに。

 親父もおふくろも、俺を認めてくれたことはない。俺が剣の腕を上げるほど、彼らは俺を冷淡に批判するのだ。


 地面に腰を下ろしたまま、俺は唇をかみしめる。

 そんなときだった。


「ほう。この時勢には珍しい。剣をまともに扱える者がいるとはのう」


 ぽつり。

 雨粒が落ちるような女声。


白山琥太郎しろやまこたろう。お主、剣の腕を活かしたくはないか?」


 振り返る。

 すると、賽の神の上に、不遜な表情の女性が腰かけていた。


 天女という言葉が思い浮かぶ。

 女が纏っているのは和服であったが、テレビなどで見かけるものとは大きく違う、古い様式のものであった。


「だ、誰だ!」

「神じゃよ。この賽の神に宿っておる神じゃ。名は……キクリと名乗っておこうか」

「キクリ……?」


 キクリと名乗った女性が賽の神から下りると、長く清らかなぬばたまの黒髪がそよ風に解けて揺れる。

 警戒しながらも、俺はその神秘的な色香に引き込まれていた。思わず飲み込んだ唾すら、甘酸っぱく感じてしまう。


「で、どうじゃ。剣の腕、活かしてみたいとは思わぬか?」

「……い、いきなり現れて何言ってやがる」

「答えよ。活かしたいか、否か」


 当然、言いよどむべきところなのだろう。初対面の怪しい女に本音なんて話す義理はないのだから。。

 しかし、俺の剣術への熱意を認めてほしいという切実な思いが、自然と俺の口を動かしていた。


「……そりゃ、どっちかって言われたら、活かしたいよ」

「なら決定じゃな」


 キクリがパチンと指を鳴らす。

 その瞬間だった。


「行ってこい。異世界に」

「……………………は?」


 突然足元に漆黒の円が広がった。

 それが穴だと気づいたときには、すでに俺の体は落下し始めていた。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああっ!?」


 あまりにも――唐突に。そして、傍若無人に。

 俺は異世界へと落とされてしまったのだった。



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