16話 モニカ
砦の制圧後、俺たちは持って帰れそうなものを残らず頂いてから撤退した。
俺たちの目的は砦を手に入れることではない。居残る必要はなく、ただ戦力を削ったという結果だけで充分だった。あとは、反乱の火種さえ広がってくれればいい。
「あ、ああ……ここここんなに怪我しちゃって……だ、大丈夫ですか? 痛くないですか?」
「アルさんの薬を塗ってもらってるから、すぐに治るよ」
包帯だらけの俺を見て、アイラはあたふたと取り乱した。
ほんの少し戦場に出ただけで、隠れ家がひどく懐かしいものに感じられる。アイラが駆け寄って来た瞬間、俺は全身の痛みを忘れていた。
「俺たちがいない間、何もなかったか?」
「大丈夫でしたけど……不安で頭がおかしくなりそうでした」
「あはは。ありがとうな、心配してくれて」
「もう、笑いごとじゃないですよぅ」
ぷくーっと頬を膨らませるアイラの頭を撫でたくなった。ので、撫でてみる。意外にも嫌がる素振りを見せなかったので、調子に乗ってもう少し撫で続けていると、さすがに睨まれてしまった。睨まれた、と言っても、迫力とは無縁であり、これはこれで可愛らしかったのだが。
苦笑しながら手を離して、そのタイミングで何気なく思い出したことがあった。
「あ、そうだ。俺、広間に用事があるんだ」
「広間ですか」
「ああ。ちょっと探し物でな」
「わ、私、お手伝いしますよ! がんばります!」
「や、武器とかあって危ないからさ。気持ちだけ受け取っておくよ」
不満げに睨まれたが、連れて行くわけにはいかない。
広間には、今、砦の宝物庫から根こそぎ奪ってきた品が収められている。その中に、天狗が言っていた武器――おそらくは日本刀――があるはずである。
探す人手は多い方がいいだろうが、なんとなく、略奪品の類を彼女に見せたくはなかった。それに、宝物庫にあったものは広い意味で王家の所有物と言えるはずなので、王族のアイラとしてはやや精神的な立ち位置に困ってしまうだろう。
「じゃあ、せめて、荷物をお部屋に運ばせてください。何か仕事をしたいんです」
「わかった。ありがとう。後で宴会をすることになるだろうから、そこでまた会おう」
アイラと別れた俺は、広間に向かった。
砦の宝物庫はかなりの広さだったが、案外そこに収められている物品は多くなかった。そこで、一気にまとめて隠れ家に運び込み、整理することにしたのである。現在、広間で略奪品とにらめっこしているのはマリオンだ。
そろそろ、武器や宝石などのジャンル分けくらいは終わっているだろう。
第二拠点の内部構造はまだ覚えていなかったので、広間として利用している場所に辿りつくまでに少し時間がかかってしまった。
ちょうど俺が到着したとき、何やらマリオンが両手を頭上で組み、うーんと背のびをしていた。無防備な後姿と、力の抜けるような声に、思わず笑いそうになる。背伸びによって、艶めかしいくびれが強調されているのを見ると、なんだか悪戯したくなってきた。
こっそりと忍び寄り、彼女の脇腹をくすぐってみる。
「はっひゃあ!」
なんか凄い声が出た。
「ふひ、ははははっ! や、やめ……ひゃぁあっ! こ、こた、っ、コタローさ、んふっ!」
仕方がないので解放してやると、マリオンは腰が砕けたようにその場に座り込み、呼吸を荒げていた。
「えっと……ご、ごめんな。ここまでくすぐりに弱いとは思わなかった」
「は、はぁっ、はぁ……よくもやってくれたッスねて……お返しッスよ!」
びっくり箱みたいな勢いで立ち上がったマリオンが、俺の脇腹に手を這わせ、不器用にわしゃわしゃと指を動かす。
しかし、そんな攻撃は俺には通用しない。
「あ、あれ? な、なんで効かないんスか! ずるいッスよ!」
「ふふふ。俺の弱点はただ一つ。辛い食べ物だけなんだよ」
嘘だった。ほんとは辛いものが大好きである。
俺の『まんじゅうこわい作戦』に気づく様子もなく、マリオンは底意地の悪い笑みを浮かべていた。近いうちに、辛い食べ物を調達してくれそうだ。その際はネタばらしをして悔しがらせてやろう。こいつ、悔しがってる表情が妙に似合うからな。
「ところで、マリオン。この中に剣はあったか?」
「はい? 剣ッスか?」
「ああ。今俺が使ってる曲刀の仲間みたいな剣でさ。ものすごく切れ味がいいんだ。もしかしたら、刃に波みたいな模様があるかもしれない」
マリオンは「何言ってんだこいつ」とでも言いたげな顔で俺を睨む。日本刀を見たことのない人間に日本刀の説明をするのは意外と難しいようだ。たぶん、マリオンの頭の中に浮かんでいるイメージは実物とほど遠いものなのだろう。
腕を組んで考え込み、彼女はうーむと唸る。組んだ腕によって押し上げられたおっぱいが非常に素晴らしい癒しを提供してくれたいたのだが、至福の時間はすぐに終わってしまった。
「曲刀は、2本あったッスけど」
そう言って、地面に敷いた布の上に並べられた数多の物品のうち、武具類をまとめていた一画へ歩いていくマリオン。ついていくと、彼女は両手に一振りずつの曲刀を持ち上げ、俺に見せてくれた。
「どうッスか?」
「……いや。俺の探してた剣とは違うな」
「けど、他にそれらしいものはないッスよ?」
「うーん。確かに、見当たらないな」
二人で武器の山を漁ってみるが、やっぱり見つからない。
そんなとき、ふらりとやってきたのはモニカだった。彼女は手に何やら羊皮紙のようなものを持っており、どうやら要件もその紙のことらしかった。
「やっほー。あ、コタローくんもいる。もう怪我は大丈夫?」
「ああ。おかげさまでな」
ちょっぴり心配そうに包帯を見つめる彼女だが、さすがにアルさんの薬の効能は理解しているようで、すぐに本題に入る。
彼女が持ってきた紙は、砦の業務記録のようなもの――厳密にはその一部をモニカ自身が書き写したもの――なのだそうだ。書かれている内容は、遡ること四日前、宝物庫の品の一部を別の砦に移動させた旨と、移動させた品のリストらしい。
それを聞いて、俺はすぐにリストを読み上げてくれと頼んだ。モニカがおっとりした声ですらすらと挙げていく項目の中に「イワトオシ」なる名を聞き、おそらくこれがそうなのだろうと見当をつけた。
岩通というと、かの武蔵坊弁慶が住吉合戦の時に携えていた名刀の名だ。まるで情報が無く、分かっているのはほぼ名前だけという 得体の知れない代物である。
まさか――その岩通が、この世界にあるというのか。
どうやら、刀を手に入れるためには、その砦を攻め落とす必要があるようだった。
☆
その夜は宴会だった。
何かがあれば、必ず宴会が催される――そのパターンにもそろそろ慣れた。
今夜は、広間に略奪品が並んでいるため、各自の部屋で集まって飲み会をするような形式となった。 俺の部屋には、数人の男連中が集まっている。
「で、お前さ、誰が一番好きなわけよ?」
酒を飲みながら俺にそんなことを問うのは、大酒のみのカインという男。
俺と比較的年齢の近い奴で、おそらく幹部連中やアイラ以外で一番よく話すのはカインだった。
「好き、って……な、何のことだよ」
「決まってんだろ? うちの女性陣で、だよ」
俺に向けられるニヤニヤとした視線。
わざわざ飲食を進める手を止めてまで注目すんなよ、と心の中で悪態をつきつつ、考えてみる。
エリシアは……恋愛対象って認識がないな。頼れる上司っていうか。割と可愛いところもあるんだけど、やっぱり司令塔って認識が強い。
マリオンは、俺が言い寄っても跳ねのけられるだけだからナシ。あいつもあいつで可愛いし、比較的よく話はするんだけどな。俺がエリシアと仲良くしてると、露骨に敵意を向けてくるのも困りものだ。
モニカはアリだな。仮に彼女と恋愛関係になるとして、刺激的な恋はできないだろうが、のんびりまったりと、お互いに気を使わない関係になれそうな気はする。問題は、彼女の恋愛観が極めて希薄というか、男女の関係に対して無頓着すぎる点だろう。
アイラに関しては、エリシア同様に、恋愛対象としてアリかナシかという考え方はできない。妹に近い存在というか、つまるところ護衛対象なのだ。というか、王族を相手に恋心を持とうなどという無茶な野望は抱けなかった。
「恋愛対象としてなら……モニカかなぁ」
俺がそう言うと、「おおっ」とどよめきが上がった。
自分の顔が赤くなるのがわかる。あたふたと弁解しようとしたところで、カインに腕を掴まれた。
「じゃあ、早速行こうぜ」
「えっ」
無理やり立たされながら、問う。
「行くって、どこにだよ?」
「モニカのところに決まってるじゃねーか! 愛の告白って奴さ」
「や、強いて選ぶなら、って話であって、ほんとに恋愛感情があるわけじゃ……おい、誰か助けてくれよ」
助けを求めて皆に視線を送ると、いやらしい笑みとサムズアップが返って来た。
この世界でも同じジェスチャーを使ったりするんだなぁと妙な感慨を抱きつつ、カインに無理やり引き摺られていった。
☆
「……で、なんで外なんだよ」
「第二拠点にいるときは、毎晩この時間にモニカはここに来るらしい」
「ここ……って」
「真っ直ぐ進んでみな。行けばわかる」
酔っ払いというやつは面倒くさい。
モニカには適当な世間話をしてお茶を濁すことにしよう。カインたちは明日の朝にはこの件を忘れている。
現在、俺がいるのは、拠点近くの小さな山の麓だった。
いったい何なんだ、と毒づきながら斜面を下る。真っ直ぐ行けとは言われたが、道があるわけでもなかった。
辺りはすでに暗く、背の高い木々が並ぶせいで視界は最悪だ。そのせいで、地面から浮き出した根っこを見落とした俺は、見事なまでにすっ転んでしまった。
「う、わ」
運の悪いことに、そこは斜面の傾きが急峻になる地点。
転がり落ちた俺は、細い草木をなぎ倒し。
そして。
どぼーん、と。
温かい液体の中に落ちた。
「ひゃわーっ!?」
幸いというか不幸というか、水深は浅く、半身を水底で打ちつけながらもすぐに起き上がれた。
しかし、耳を揺らした素っ頓狂な声が、明白に緊急事態を告げる。
なぜなら。
そこには。
素っ裸のモニカがいたからだ。
「よ……よう」
「あ……う、うん」
ヤバイとは思ったが、目を反らすことはできなかった。
性欲を持て余す心がなかったとは言わないが、原因は清らかな乳房でもなく、水面の下の臀部でもなかった。
彼女は、左肩から腹部を経由し右腿に至る、河川のような火傷を負っていたのだ。新しいものではなさそうだった。
「す、すまん」
やっとのことで我に返り、彼女に背を向けて湯船に浸かる。
なんとなく、逃げ出すのも失礼な気がした。
「あ、はは……見られちゃったね」
「本当に、ごめん」
「やっぱり……醜いよね。この火傷は」
そういえば――と思い浮かべるのは彼女の普段の姿だ。
へそ出しルックを好むエリシアやマリオンと違い、彼女は肌が露出しないような服装ばかりなのだった。
気にしたことはなかったが、きっと彼女は火傷を隠すためにそゆな服を選んでいたのだ。
「いや、醜いなんてことは、ない、けど」
「嘘だよ。そういう表情だったもん」
「ち、違う違う! それは裸を見ちまったからだよ」
「じゃあ、こっちを見てよ」
見てよ、と言われても、ミスター童貞を自称する俺にとっては難易度が高すぎる。
しかし、俺が気にしている点と彼女が気にしている点は明らかに違っているわけで。俺は意を決して振り向き、湯船の中でモニカと向き合った。
「……ね? やっぱり、醜いでしょ?」
「……まぁ、正直に言って、痛々しいとは思うよ。それに関しては嘘を言っても仕方ない。けど、そんな火傷がなんだって言うんだよ。火傷してるからって、モニカはモニカだろ? お前はすごく美人だよ」
「ほんとに? ほんとにそう思うの?」
「おう。なんなら火傷してる部分を全部舐めてもいい」
「それはちょっと変態さんだよ……」
「まぁ、それくらい綺麗だってことだ、お前は」
不思議と恥ずかしい気持ちはなかった。
俺の心にあるのは「俺がモニカを嫌うことなんてありえないよ」という精いっぱいのメッセージだけだったのだ。
我ながら大胆だとは思うが、モニカの体をぎゅっと抱きしめる。そうしなければいけない気がしたし、一切の下心がないので恥ずかしいことをしているとは思わなかった。
服を着たまま湯に落ちてしまったせいで、びしょびしょの布が気持ち悪い。ということを、今更感じた。
「……綺麗とか言われると、変な感じだよぅ」
「じゃあブスだ。モニカはブスだ。でも、俺はお前がブスだろうと気にしない。これでいいか?」
「それはそれで嫌だけど……ふふっ。そういうことにしておいて」
モニカは小さな頭を俺に預けてきた。その軽やかな体重を受け止めると、小さな笑い声が響く。
自分に自信のない人間というのは少なからずいる。子供の頃に学校で虐められたり、親から不必要に怒鳴られて育った子――認められるという経験が不足している者は、そうなりやすい。
彼らに対して、褒めるという行為は、ひどく嘘っぽいものに感じられるのだという。そういう場合は、少し貶す方がいいのだと、師匠から聞いた。要するに、「自分はだめなんだ」という認識をあえて認めてあげることが、安心に繋がるわけだ。
「ありがとう」
ぽつり、とモニカは言った。
俺は静かに頷いて応えた。
カインの暴走は、結果としてファインプレーだったのかもしれない。少なくとも俺にとっては、だが。
「この火傷のことは、皆知らないのか?」
「エリシアは知ってるよ。マリオンは、この火傷を負ったときに知り合ったの」
「聞かせてもらってもいいか? そのときの話」
「うん。長い話になるけど」
温泉は自然のものらしいが、誰かが多少整備しているらしく、一週間も準備をすれば露天風呂として開業できそうだった。
この温泉を利用する人がどれくらいいるのかは知らないが、なんとなく、今は誰も来ないような気がする。俺は遠慮なくモニカの肌を堪能させてもらった。
「死の森っていう場所を、コタローくんは知ってる?」
そう言ってモニカは語り始めた。
死の森というのは、フレンシア王国の某所、深く深く地の底に伸びた谷の、さらに奥まったところに広がる場所である。物騒な名前だが、この呼称でも過小評価というほどの危険地帯だそうで、とてつもなく協力な魔物が徘徊していたり、地形も複雑だったり、気候も厳しいものだったりと、この世の地獄みたいなところなのだそうだ。
そういえば、モニカといっしょに魔物狩りをしたとき、「百倍強い魔物と戦ったことがある」とか言ってたっけ。
そんな「死の森」は、俺の知る単語で言えば流刑地というものに近い扱いをされているようで、罪人が放り込まれたりするのだそうだ。
モニカは、そんな罪人の一人だった。
彼女の罪は――生まれたこと。存在してしまったこと。
とある名家のとある当主――その妾腹の子として生まれてしまったのだ、彼女は。実の父である当主は、不義の子であることを隠そうと、幼い頃からモニカを殺そうとしていたそうだ。産みの母が必死に守ってくれていたし、当主としても表立って襲うわけにはいかなかったので、しばらくは屋敷で育つことができたものの――十三歳の頃、ついに、身に覚えのない罪を着せられたのだという。
そしてモニカは、無実にも関わらず罪人として名を残し、死の森を彷徨うこととなった。
実質的な、死刑。
刑を受けた初日に、いきなり魔物に襲われたモニカは、魔物の吐き出す炎にその身を焼かれた。
しかし、モニカは生き延びることになる。
モニカより以前から死の森で暮らしていたという短剣遣い――マリオンに偶々出会い、助けられたのだ。
マリオンは、驚くべきことに、死の森でもう何年も暮らしているらしく、小さな家も持っていた。彼女とともに暮らす中で、次第に魔物狩りを手伝うようになり、戦う術を身に付けた――それが、モニカという人物なのだ。
あの超感覚も、この日々の中で身に付いたものらしい。
やがて、モニカとマリオンは、2人の人物と出会うことになる。エリシアとアルさんである。
4人は力を合わせて死の森を脱出することになった。幸いにして、4人全員が戦いに秀でており、騎士として国中で戦っていたアルは、星の配置から方角を読む術を知っていた。
彼らは、おそらく歴史上で初めて、死の森から逃げ出すことに成功したのだった。
そうして今に至るわけである。
「……大変だったんだな」
「あはは。今となっては、どれくらい大変だったのか、自分でもよくわかんないよ」
「そんなもんか」
「そんなもんだよー。それより、コタローくんの話も聞かせてほしいな。昔の話」
「昔はこんな子供だった、とかそういう話か?」
「うん。とりあえず、いきなりここに転がって来た経緯から」
あー、そういや話してなかったな。
俺は酔っぱらったカインがいかに面倒くさい奴かを熱弁しつつ、かなりの脚色とともに、山肌を転がるまでの経緯を話した。
その流れで、なんとなく、トークテーマは「これまで出会った面倒くさい奴」になってしまった。
不思議なもので、他人の悪口というものは、恐ろしいほど盛り上がる。
この夜、俺とモニカは、翌日エリシアに不審がられるくらい仲良くなった。