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10話 決意の夜

長いです。

 フレンシア王国は古来より肥沃な土地と温暖な気候に恵まれ、平和に発展してきた国である。

 しかし、温厚でのんびりとした国民性は、権力への不満を行動へ繋げることなく、次第に格差の肥大化に繋がった。

 そして、先王の死後、長男のヴァンが王位を継いでから、あっという間に腐敗した王国には暗雲が立ち込めている。


 国家中枢にも、ヴァンに反対する立場の者もいたが、彼らは次々と権力を奪われていった。そして、その暴挙は妹――アイリーン・フランシスにも及んだ。

 兄を諌めるうち大喧嘩になったアイラ(本名がアイリーンだろうと、俺にとってはアイラという名が自然だ)は、目をつけられてしまう。部下から身の危険を鵜げられたアイラは、協力者の手助けで王都を脱出。そして、再起を図って彼女はとある人物を探す旅に出た。忠誠心があり、かつ権力から遠い位置にいる元・騎士――アル・グレイという男を。


「何かあった時にはアルという男を探せ、と教えてくれたのは、騎士団の副団長さんでした。彼は、私が逃げ出す数日前に、兄の――ヴァン国王の暗殺を企て、処刑されています」

「……あの方が」


 話を聞いたアルさんは表情を暗くした。

 きっと、同じように処刑されたものはたくさんいるのだろう、アイラは僅かに追悼の想いを瞳に浮かべたのみで、滔々と話を続けた。


 王女・アイリーンは、現在、反逆者として追われているのだという。

 しかし、王都の民にも慕われていたアイリーン姫を大々的に在任扱いするわけにもいかないのは当然の道理。軍が王女を追いかけていると周囲に悟られないために、わざわざ追手たちは盗賊のふりをして行動していたらしい。


「これはいい機会だと思うのよ」


 話を聞いて、リアクションに困った様子の団全体に向かい、エリシアは言った。


「ボクらはもともと国家や社会への不満を抱えている者の集まりだったんだから、今こそ蜂起するべきじゃないかしら。勿論、参加したくない人は参加しなくてもいいわ。けど、少なくともボクとアルは反乱軍を立ち上げるわ」


 アルさんが元・騎士団員であることは知っている者も多かったようだが、それでも皆戸惑いは隠せないようだった。

 エリシアLOVEのマリオンだけはすでに決意を固めている様子だったが、モニカは驚きを隠せないようで、珍しく表情から余裕が失せている。

 エリシアは、明後日の朝まで時間を与えるからゆっくり考えろと言い残し、自室に去ってしまった。


 残された者の多くは、周囲の仲間と不安げに視線を交わした後、のろのろと自室に帰って行った。




     ☆




 しばらくの間、寝台の上でじっと考え込んでいたが、いつの間にか眠ってしまっていた。

 起きた頃には、腕時計の針が午後十時を指していた。太陽の出ている時間帯は、まるまる熟睡してしまったらしい。

 みんな、決心は固まったのだろうか。迷いを抱いているのが自分だけなのではないかと言う疑念に襲われた俺は、恐怖から逃れるべく部屋を抜け出した。

 少し歩いてから冷静になり、「そうだ、アイラに会わなければ」と思いついた俺は、一度部屋に戻ってアイラのフラコン・ド・セルを手に取ってからもう一度部屋を出た。


 と、そのとき。


「ぷぇっくしゅっ!」


 奇怪な、それでいて妙に可愛らしい声。

 新種の小動物の鳴き声と言われたら信じられそうなくしゃみを放った人物は、廊下の隅で謎のオブジェと化していたエリシアだった。


「お、おい」

「くしゅんっ! ふぇ……ふぇーっ!」


 酒を片手に、脱力しきって地面に横たわる様子は、なんとなくエロかったが、連発するくしゃみがすべてを台無しにしていた。


「あ……あふぅ……ふにゃぁあああっ!」


 どうやら、くしゃみの刺激で次のくしゃみが出てしまうという悪循環に入ってるようで、計十回もくしゃみを連鎖させてから、ようやくエリシアは落ち着いたようだった。


「……大丈夫か?」

「あぅ……恥ずかしいところを見られたわね……」

「こんなところで寝るなよな……ほら、立てるか?」

「馬鹿にしないでよ、お酒なんかに負けるボクじゃないわよ……あ、あれー?」


 ドヤ顔で立ち上がったエリシアだが、ふらふらと危なげなので仕方なく支えてやる。

 艶やかな肌が俺の肩に触れ、ドキッとしてしまう。酔っぱらっている無防備極まりない表情を見ると、なぜか罪悪感が生まれてしまった。

 

「部屋まで送るよ」

「うん」


 案外素直に頷くエリシアに肩を貸して、彼女の部屋へ向かう階段を上る。

 ぽーっと頬を上気させる彼女は何を考えているのかわからない表情で間抜け面を晒していたが、部屋に到着する頃には多少の自我を取り戻していた。


「ねぇ、コタローくん」

「ん」

「反乱軍に参加してくれる?」

「……まだわからない」

「怖い?」

「怖いかどうかもわからないんだ」

「……そう。けど、ボクの予想では、あんたはボクについてきてくれるわ」

「根拠は?」

「根拠が必要?」


 問い返されると、何故かうまく切り返すことができなかった。


「ふふっ。まぁ、他の人とも話してみなさいよ。たぶん、離れていく奴は一人もいないから」

「そうか……? だって、たったの三十人で一国を相手取るって宣言したんだぞ?」

「反乱が始まれば、呼応して反旗を翻す勢力は必ず現れるわ。数の差なんて微々たるものなのよ」


 くすくすと笑って、エリシアは部屋に引っ込んでしまった。

 ――なんか、あいつの掌で転がされてるような気がするなぁ。彼女がいったいどれほど先のことまで見据えているのか、想像もできなかった。


 俺は、彼女の言うように、他の連中にも話を聞いてみることにした。




     ☆





 一人目、マリオン。


「はぁ? ついていくに決まってるでしょう? それ以外の選択肢があるんですか?」


 終了。

 こいつの話は参考にならない。





     ☆





 二人目、アルさん。


「…………………………おれは」

「はい」

「……………………………………今でも、騎士の誇りを捨てるつもりはない。それに、姫殿下のために忠をつくすことが、あいつへの弔いにもなると思う」


 まぁ、ここらへんの答えは予想通りというか。

 亡くなったという想い人の顔を浮かべているのだろう、どこか悲しげな顔でアルさんは言った。


 二十歳にも満たぬガキである俺には、アルさんの積み重ねた年月がとてつもなく重いものに感じられ、結局すぐに彼の部屋から退散することになった。





     ☆





 それから、数人の知り合いと話をしたが、皆エリシアに従う所存のようだった。

 本当に、誰も逃げ出す心算はないらしい。

 最後に話を聞きに行った相手であるモニカも、「一人残らずエリシアについていく」ということは想像していなかったようで、ぼんやりしながらも驚いたようだった。


「そうだねー。普通に考えれば、怖いことだよね。ここ最近は、勝てる相手としか戦ってなかったし……自分より強大な相手と戦うのは久しぶりだしねー」


 相変わらず倉庫からくすねてきた肉を頬張りながら、モニカは寝台の上で足をぶらぶらさせた。


「みんな、想像ができないのかもねー。一国を相手にするっていうのがどういうことか」

「うーん。これまで王家を支えてきた有能な人材ほど権力から遠ざけられてるって話だけど……」

「だからといって、無能が中枢に集まるわけじゃないよ。それに、一人の達人より百人の雑兵の方が役に立つ場面なんていくらでもあるもん。本当なら、楽観視できるような敵じゃない」


 意外と、モニカは物事に対する考えがしっかりしている。

 頭がいいか悪いかは知らないが、少なくとも、自分なりに考えようとする姿勢は、異界に来て誰にも相談できない考え事を多々抱えている俺にとって、親近感の湧くものであった。


「でも……結局、なんだかんだ言っても、モニカもエリシアについていくつもりなんだろ?」

「まーね。コタローくんもそうでしょ?」


 返答に戸惑ったが、自然と首は縦に動いていた。


 結局、誰一人として、エリシアの下を去る者はいなかった。

 俺はどこかで、否定材料を求めていたのかもしれない。誰かが、「俺は○○だから反乱には参加しない」と言ってくれれば、俺は「○○じゃないから参加する」と宣言できるのだ。

 異世界人の俺にとって、国を変えたいというモチベーションは極めて希薄なものであり、マイナスの動機を切り捨てることでプラスの動機を強められるのである。


 俺の心から迷いは少しだけ消えたが、それでもモヤモヤとした塊は残っていた。

 モニカの部屋にあった酒入りの水筒を借りて、俺は隠れ家の外に出た。





     ☆





 俺のお気に入りの場所である、白い花の揺れる高原。

 アルさんの過去話を聞いたあの場所へやってくると、先客がいた。


「あ……コタローさん」

「え、っと……アイラ……じゃなかった、アイリーン様」


 俺がぎこちなく首を垂れると、「アイラでいいですよ、これまで通り」と苦笑し、手招きされる。

 隣に座ると、やわらかな風が俺たちの間を吹き抜けていった。


「い、いいのか? だってお前……王女だろ?」

「あはは。実は、お友達みたいに接してくれて、嬉しかったんです。同年代の男の人とまともに話したのって、初めてで」


 そんな風に頬を染められると、こちらとしても照れる。


 トレードマークのおさげは解かれており、髪型の変化がグッと彼女の色気を引き立てていた。二つ年下のはずだが、オトナの女性に見える。月光を受けて幻想的な色合いになった肌も、微笑みによって引っ張られた唇の形も、しなやかな佇まいも、すべてが魅力的だ。

 俺は慌てて視線を背けた。


「そ、それより、こんなところに一人で来たら危ないぞ」

「大丈夫ですよ、私も魔法は使えますから」

「アイラのは、どんな魔法なんだ?」

「フランシス王家は代々、光の魔法を受け継いでいるんです。コタローさんは異国の方ですから、ご存じないのかもしれませんが」

「ええ。こんな風に」


 アイラが手を開くと、仄かな光源がそこに生まれ、ふわりと舞い上がった。

 テニスボール大の光が、ホタルのように俺たちの間を飛んだかと思うと、アイラの手に戻って消えた。

 応用の幅は広そうな魔法だ。

 光というと、俺が思い出すのは『アルキメデスの鏡』――第二次ポエニ戦争中、天才アルキメデスが発明し、圧倒的な兵力差を誇るローマ艦隊を退け続けた伝説的兵器――である。それは、鏡を用いた巨大兵器であり、光を一点に集めて敵を焼くというものだったらしい。

 やはり、エリシアの『雷』といい、自然現象を操る魔法は格が高いような印象を受ける。


「…………なぁ。お前、大丈夫なのか?」

「大丈夫、とは?」

「そうやって笑ってるけどさ。けっこう重たい事情があるわけだし、ちょっと不思議だなぁと思って」

「うーん…………どうなんでしょう。もちろん、追手に狙われる心労はありましたし、兄の横暴への怒りや悲しみもあります。けど、今はコタローさんやアルさん、それにエリシアさんたちに出会えて、不思議と安心してますよ」

「安心って……たった30人だぞ?」

「それでも、なぜか安心できる気がするんです。コタローさん、すっごくお強いですし」


 すっごくお強いかと言われると、魔法という要素がある以上、素直には頷けないが、そう言われて嬉しくないわけはない。

 顔が熱くなっているのを感じ、俺はわずかにアイラから距離を取った。


「えへへ。こんなこと言うのは恥ずかしいんですけど、コタローさんなら、私のことをしっかり守ってくれそうです」

「やめてくれよ……そりゃ、お前が襲われてたら、きっと俺は戦うと思うけどさ。魔法も使えない俺では、あんまり役に立つとは思えないし、それに……」

「ふふっ。頼りにしてます」

「話聞けよ」


 俺の言葉を遮るように笑うアイラ。

 くそう。わざとではないのだろうが、こいつ、的確に俺のツボをついてくる。


 閉口し、ポケットに突っ込んだところで、ふと指先に当たった感触でフラコン・ド・セルの存在を思い出した。

 話題を変えるにはちょうどいい。

 ポケットから取り出した小瓶を、俺はアイラに手渡した。


「そ、そうだ。これ、お前が落としたものだろう?」

「え? あ……そうです、これ、私のです。ありがとうございます。まさか、コタローさんが拾ってくださってたなんて」

「大切なものなのか?」

「亡くなった母から譲り受けて、少しずつ使っていた香水なんです。大衆の前に立つときに」


 なるほど。

 大きな空間で用いるものだから、強烈な匂いなのか。離れた場所では、ちょうどいい具合に刺激が薄められるのかもしれない。


「お母さん、亡くなってるのか」

「はい。私がまだ小さい頃に、病気で命を落としました。私に絵を教えてくれたのも母だったんですよ」

「……絵、か」

「とっても優しい絵を描く人でした。国内の各所に慰問で訪れては、その土地の風景を描いていたそうでして……私、母の描いた風景を全部見てみたいと思ってるんです。海も空も草原も、山も荒地も渓流も……この国のすべてを肌で感じたいです」

「壮大な目標だなぁ」

「やっぱり、無茶でしょうか」

「さぁな。俺にはわかんねぇよ」

「コタローさんは、夢とかありますか?」

 

 夢。

 真面目に語るには、どこか恥ずかしさを伴ってしまうものだ。

 俺の夢は――何なのだろう。武士道への憧れは、きっと、どう語ろうと人殺しの側面を孕んでしまう。澄み切った心の持ち主であるアイラの前で、それを語ることは憚られた。


「明確な夢はない、かな」

「何も、ですか?」

「漠然と、こういう人生もありかな、って考えることはあるよ。小さな町で食堂を開くとか、山奥で自給自足の生活を送る、とか。でも、当面は、俺もこの国の色んな風景を見て回ることを夢ってことにしとこうかな」

「むー。私のマネですか」

「ああ。お前が絵を描きたいときには、護衛がてら俺もついていくことにするよ」


 俺たちはしばし向き合った後、どちらからともなく笑い合った。


 言ってから気づいたが、俺は反乱軍への同行をはっきりと決断していた。

 別段、明確な理由や動機が生まれたわけではない。ただ、なんとなく、アイラには俺が必要だという気がしたのだ。異世界出身で、王族という立場に対して先入観の少ない俺が。

 そして――おそらくは、俺にとってもアイラという存在が必要なのだろうと直感した。


 そんなときである。


「っ!?」


 不意に。

 風切り音が聞こえた。


 反応が遅れたのは、殺意の類を一切感じなかったからだ。

 それもそのはず、突然の攻撃は俺たちのどちらも狙っていなかったからである。

 地面に転がった弾薬は、灰色の煙を爆発させ、俺たちを包み込む。

 咄嗟に反応して煙を抜け出した俺はなんとかセーフだったが、アイラの手を引いて煙から引っ張り出したときには、彼女はすぅすぅと寝息を立てていた。


「よい反応です。及第点といったところでしょう」


 声のした方へと振り返ると、木陰から、闇が寄り集まるかのような足取りで影が現れた。


 声から察するに女性なのだろうが、奇妙な仮面のせいではっきりとはわからない。

 仮面は顔の上半分を隠しており、両目のところには黒い布が張られ、鼻の部分がくちばしのように尖っていた。

 衣裳もゆったりとした構造のため体形がわかりづらく、不気味な印象を受ける。

 どう見たって、剣や槍で正面突破するタイプではなかった。しかし、わざわざ話しかけてきたあたり、暗殺者というわけでもないらしい。


「何者だ」

「王家に仕える者です」

「……アイラを追ってきたか」

「アイラ? ああ……アイリーン元殿下のことですか。安心してください。今のところ、彼女を殺す気はありません」

「何? ヴァン国王は、アイラを消そうといているんだろう?」

「それは彼の個人的な意思です。私には関係ありません」


 王に仕えているのに、王の意思に従わないとはどういうことだろうか。

 少なくとも、単なる刺客ではないということだけは理解できる。


 化け物だ、と直感した。

 見つめ合っただけで「勝てない」と確信したのは初めてだ。

 魔法に対する第六感を持たぬ俺がそう感じる以上、この女は肉体による武技のみで、俺をはるかに凌ぐ実力を有している。


「私の興味の対象は、反乱軍と――あなたですよ。イザナギ界のお侍さん」

「何っ!」


 明らかに地球の存在を知っている口ぶりに唖然とする暇はなかった。

 彼女の姿が煙のように掻き消えたかと思うと、眼前に峻烈な刺突が迫っていたからだ。


 咄嗟にかわし、後退してから、ようやく彼女の両の袖から短剣が覗いていることを把握した。

 かと思うと、こつん、と地面で何かが跳ねる。


「っ!」


 反射的に跳んだのは正解だった。

 どうやら爆薬だったようで、小規模な火炎が広がり、俺の脚を熱が包み込む。


 かと思うと、ぴんと張った糸に足を絡めそうになり、なんとか直前でそれをかわしたところに、投げ分銅が迫ってきていた。


「くそ……っ!」


 攻撃を避け続けていては相手のペースから逃れられない。

 俺はあえて脇腹で分銅を受け止め、脚力を爆発させて敵に突進した。


「ほう」

「はぁあああっ!」


 スピードだ。

 こいつの厄介極まりない攻撃を封じるには、スピードが必要になる。


 俺はすべての神経を集中し、一瞬の隙もない連撃を放った。

 だが。

 仮面の女は、そのすべてを、必要最小限の動きでかわしてみせる。俺の剣は相手の服だけを裂き、肌に達することがなかった。


「闇雲に速くすれば攻撃を当てられるというわけではありませんよ」

「っ……だったら!」


 俺は一旦剣を引くと、下段に構え、呼気を肺の内側に押込めた。


 花鳥風月の『鳥』。

 『桜花』が、防御力の高い敵を攻略する技ならば、こちらは回避力の高い敵を屠る剣技である。


 一撃目――切り上げを、あえて敵の急所から外れた場所へと叩き込む。一見すれば、一撃必殺を狙った渾身の大技にも見える大振りだ。

 案の定、敵は避けた。避けてくれた。俺の誘導した通りの動きで。


「ぉぉぉぉぉおおおおっ!」


 そして。

 手首を柔軟に使うことで、切り上げの勢いを真逆のベクトル――斬り下しの動きに転化する。

 回避動作の途中であった仮面の女は、余裕たっぷりの笑みを消失させた。


 一瞬の間に二撃。一撃目で敵の動作を誘導し、二撃目を確実に命中させる。

 この技は、とある人物の剣技を斉天流が取り入れたものだ。技の名は――『燕返し』。


「……これは驚きました」


 しかし。

 奥義を以て尚、俺の剣は仮面を掠めたのみだった。

 わずかに欠けた仮面から素顔は現れない。長い黒髪を揺らして、彼女は再び悠然とした笑みを取り戻す。


「これなら――今しばらくは、見守ることにしてもいいでしょう」


 仮面の女は、くるりと踵を返すと、すたすたと歩き始める。


「お、おい! 待ちやが……っ!?」


 一瞬。

 首だけで振り返ったかと思うと、仮面の奥の瞳が、カッと赤い閃光を放った。

 その光が目に飛び込んできた瞬間、俺の全身は石のように固まっていた。


「…………」


 漫画でよくあるような、舌や目だけは動く金縛りとは違う。

 ありとあらゆる筋肉が、1mmすら動かない。乾いた眼球が瞬きを欲しても、まぶたを閉じることすらできなかった。


「……その剣を見るに。どうやら、あちらの世界では、時代の変遷とともに刀という武器が廃れたようですね」

「……」

「しかし、私の見る限り、あの芸術品のように美しい武具を用いぬ限り、あなたの剣技が真の力を発揮することはない」

「……」

「……こちらの世界に、イザナギ界からやって来た者は少なからずいました。そのことはご存じでしょう。つまり、先人の遺した武具も、当然残っています」

「……」

「少々遠回りになりますが、トルーム砦へ向かうことをお勧めします。現状の反乱軍にも攻略可能な戦力でしょうし、何より、あそこの宝物庫には、刀がありますので」


 仮面の女が闇に溶けるように姿を消すと、糸が切れるように全身の感覚が戻った。

 ふらついてから、なんとかその場に踏みとどまる。


「はぁ…………はぁっ……」


 いったい――今の女は何者だったのだ。

 この国に仕えていて、しかし王の命には縛られず、そして俺の世界のことまで知っている。どう考えたって、只者ではない。

 もしかすると、キクリに近い立場の存在と言う可能性もあるが――しかし、キクリのように神秘的な感じは受けなかった。

 目的も不明だし、正体も不明だ。


 ただ一つわかるのは、圧倒的な実力差が存在することだけ。

 その厳然たる事実に打ちのめされながら、俺はアイラに駆け寄った。


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