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8話 夜話

 それから、また数日が経過した。

 すっかり生活にも慣れつつある俺だが、小さな机の上に置いた絵を見る度に、もどかしい感情が湧き上がって来る。

 助けてくれたお礼に、とアイラがくれた油彩画。どこかの港を描いたものだ。

 今頃彼女はどうしているだろうか。

 女の子の一人旅だなんて、心配するなという方が無理だった。


 今宵、深夜に目が覚めてしまった俺は、アイラの絵を眺めるうちに酒を飲みたい気分になり、倉庫から持ち出した葡萄酒を飲んでいた。

 隠れ家のある山をしばらく上ると、スズランのような白い花が咲く高原があるのだ。

 崖のように切り立っているその縁に腰かけると、夜風が妙に心地よかった。


「…………おや」


 いざ酒に口をつけようとしたそのとき、背後から鉛でできているかのような声が聞こえた。

 振り向くと、俺と同じように酒杯を手にしたアルさんの巨体が佇んでいる。


「アルさん。帰ってきてたんですか?」

「………………つい先ほど」


 よく見れば、アルさんは背にエリシアを背負っている。

 どうやらかなり酔っぱらっているようで、アルさんが彼女を地面に降ろすと、なぜか俺にもたれかかって来た。

 そのまますぅすぅと寝息を立て始めるエリシアにため息をつきながら、アルさんは俺の隣に腰かけた。


「……これ」

「え?」

「………………つまみ。おれが作った」


 差し出された包みを開くと、何やら肉の塊が並んでいた。

 鼻の奥を圧倒的な香ばしさで蹂躙し、食欲をそそるそいつを、俺とアルさんの間に置く。

 ……待て、なぜ顔を赤らめているんだ。


「食べてもいいんですか?」


 こくり、と無言で頷くのを見て、一個手づかみで口に運んでみる。

 おそるおそる舌の上で転がしてみると、カリッと焼かれた表皮と溶けるような柔らかい肉のギャップに思わず唸ってしまった。

 あふれ出る肉汁の熱さに思わず口を開くと、そこから立ち昇った香りが鋭く鼻腔へ飛び込んでくる。

 どうやらスパイスとともに肉を焼いただけらしいが、確かな料理スキルを感じる逸品であった。


「美味しいです、これ」

「…………よかった。調査の合間に、行商人が珍しい香辛料を売っているのを見つけてな」

「なるほど。そういえば、調査はどうなりましたか?」

「………………エリシアにはもう伝えたが。おれたちの仲間のふりをして暴れていた連中の正体は掴めた」


 迷うような間を空けて。アルさんは低く「王国軍だ」と呟いた。


「お、王国軍、って……」

「……国の意思で動いているのか、個人的な企みで動いているのかは知らん。が、昔なじみの顔をいくつか見かけた」


 アルさんは勢いよく酒を喉の奥へ注いだ。

 あっという間に顔が赤くなり、挙動が可笑しくなり始める。どうやら酒には弱いらしい。


 俺の背中にもたれていたエリシアがずるずると滑り落ち、地面に寝っ転がった。幸せそうな寝顔は年相応の少女のものに見える。そんな彼女を眺めながらも、俺はふと疑問を抱いた。


「王国軍にお知り合いがいるんですか?」

「…………おれは、騎士として国に仕えていたことがあるんだ。話していなかったか、昔の話は」

「まぁ、知り合ったばかりですし」

「………………面白い話ではないが」


 不安げに前置きしたものの、どうやら彼自身が話したいようだった。

 寡黙な御仁だと思っていたが案外話したがりらしい。メンタルが女性的だと思うのは俺の気のせいだろうか。


「おれは貧民街の生まれでな。幼い頃から犯罪や喧嘩に明け暮れて育った」


 あるとき、アルさんと徒党を組んでいた荒くれ者たちは、取引にやってきた豪商の馬車を襲う計画を立てた。

 計画は実行され、成功したものの、予想とは大きく違ったかたちとなった。

 馬車に乗っていた少女――豪商の娘は、痩せ細った襲撃者たちの容姿を見ると、驚くほど快く食物を渡してくれたのだ。その境遇に涙すら流しつつ。


 それから、アルさんは少女の姿を幾度も思い出してしまうようになった。

 自分の感情に戸惑いながら生活していたある日、耳にしたのは、別の一派が企てた襲撃計画。

 対象は、件の娘が商談しているという飲食店。まずいのは、その一派が性犯罪を幾度となく起こしている集団であることだった。


「気づくと、おれは襲撃の現場に飛び込んでいたよ。もともと彼女についていた護衛を含めても、十五対三という状況だった。それでも、不思議な力がおれを突き動かしたんだ。当時はそれが恋心だなんて思わなかったが」


 襲撃から娘を守り切ったアルさんは、彼女に専属の護衛として雇われることになる。

 貧民街の路地裏暮らしから一転、貴族の豪邸で暮らすことになったアルさんは、恩義に報いるために盗賊や魔物と戦い続けた。

 そんな中、次第にアルさんと娘は恋に落ちていく。

 しかし、まともな肩書を持たぬアルさんとの婚姻が認められるはずもなく、アルさんは平民が成り上がる唯一無二の方法、戦勲の獲得を目指すことになった。


「……騎士の称号さえ手に入れれば、元貧民という差別はあれど、結婚自体は反対されない。そう考えたおれは、兵士になった後、危険な任務に次々と志願した。

 たくさん怪我をしたし、あいつと会う機会もめっきり減った。今になって思えば、無茶ばかりしていたおれは、あいつに随分と迷惑をかけてしまったのだろうな」


 そんな生活が続く中で、アルさんはついに騎士の称号を得る。

 騎士に叙勲されると教会で神と契約し魔法を得ることすらできるらしいのだが、その儀式の日、アルさんは驚くべき報せを聞くことになった。


「その日……あいつは死んだ。

 任務にばかり意識を向けていたおれは、あいつがずっと体調を崩していたことに気付けなかった。あいつもあいつで、俺に心配かけまいとして元気なフリをしてたんだろうな」

「そんな……」

「……何のために頑張って来たのか、わからなくなったよ。おれはあいつと結ばれるためだけに戦っていたのにな。

 しばらく、抜け殻のようになって、与えられたばかりの騎士の称号を取り消されそうにもなった。酒場に入り浸っては、あいつの思い出ばかり同僚に話していた……」


 後にして周囲の言うことを聞いてみれば、特別美しくもなく、むしろ陰気で繊細な印象の女性だったという。

 そんな言葉を信じられず、アルさんは彼女の愛した真っ白な花に、在りし日の面影を重ねて泣き続けたそうだ。


「……その後、立ち直ることはできたんですか?」

「なんとか、な。別の生き甲斐を見つけたんだ」

「別の生き甲斐……」

「その話は、またいずれ」


 くすくすと笑って、アルさんは残っていた酒を飲み干した。


 どうして彼がその話をしたのかはわからないし、別に俺が相手だから話してくれたわけでもないだろうが、何故か心の奥にこびり付いて離れない内容だった。

 思い出してしまうのは、アイラのことだ。恋をしているわけではないと思うのだが――なんとも不思議な感覚である。


 アルさんは、それからしばらくして、隠れ家へと戻って行った。

 俺は体格的にエリシアを運ぶこともできなかったので、仕方なく彼女が目覚めるまでその場で夜空を眺め続けていた。







 次の日、酔いの醒めたエリシアは、全員を広間に呼び集めた。

 とある町への襲撃計画を立てたと話す彼女だが、そこにはもう一つの意図がある。

 盗賊団のふりをして横暴をはたらく目的不明の王国軍を、誘い出して駆逐する――そんな作戦の決行は、三日後だと決まった。


 俺は漫然とその計画を聞いていたが、解散する間際にエリシアが放った指示に、思わず呼吸を止めた。





「もし、金髪の娘を見かけたら、必ずこの隠れ家まで連れ帰りなさい。首元に大きなほくろのある子だから、すぐにわかると思うわ」





 その言葉が――アイラのことを指しているのは明白であった。

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