A3-6
――擬似記憶の再生を再開。
ルトの戦闘技術は、日に日に上達し続けた。それは、彼女が本格的に幻想界での活動を再会してからも続き、まさに天井知らずな有様だ。
ルトと共に訓練を初めてから、変わったことがある。それは、冒険が終わってから、必ず彼女が僕の元へ戻ってくることだ。ルトは少し下の子供が母親にするように、今日あったことを僕に報告するのだ。命を賭けた戦いだというのに、冒険のことを話すルトはとても楽しそうだった。
やはり、ルトはある種の天才なのだろう。実力は留まることを知らず、戦いのプレッシャーで潰れることもない。もし、僕との会話がストレスを解消する要因になっているのなら、これほど嬉しいことはない。
おそらく、いや確実に、ルトが戦い続ける要因の一つとして、捕らわれた日本人を解放できるというものがある。今では隠すこともなく「父さんを解放してみせる!」と豪語して憚らないし、僕としてもそれは誇らしいことだ。
たまに、港に行って捕らわれの日本人たちが「水揚げ」される場面を見に行くときがあるけれど、その回数が増えるうちにルトに、そして僕にも人を助けているのだという実感が出てきた。なにせ、日本人を乗せた輸送船とそれを守護するフリゲート艦とイージス艦がやってくるのは、幻想界のダンジョンがクリアされた、その翌日なのだ。
救出された人々は、一度サンフランシスコにある日本大使館で保護され、身元を確認されてから、その氏名が公開される。
今回も、公開されたリストに真琴の父親の名前はなかった。それでも、僕とルトは顔を見合わせて笑う。だって、日本の人口は一億を越えているのだし、僕たちの家族ではなくたって、誰かの家族が救出されているかもしれないのだ。家族全員が一度に救出されている例だって多い。
冒険はまだまだ続く。ただ、それだけのことだ。
さて、ルトが戦闘技術の訓練を初めてから、もう一つだけ変わったことがある。それは、僕の戦闘スタイルが対ルト用のものになったことだ。
いくらルトに才能があって強いといっても、妹分のような女の子に負け続けるのも癪だ。だから僕はある意味忠告のつもりでルトが最も警戒しなくてはならない戦術を使うようになった。具体的に言えば、〈アスカロン〉と〈ミストルティン〉による戦術。前者は片手武器としては破格の重量を持ち、後者は相手のMPをゼロにする解放必殺技を持つ。つまり、重量から来る圧倒的な攻撃力が売りの〈ヨトゥンヘイム〉の攻撃を受け止めることができ、かつ、高燃費という弱点を突くことができるというわけだ。
とはいっても、ルトとのデュエルの勝率は芳しくないどころか、ほとんど勝てた試しがない。ルトの薦めでアーサー王と戦ってみたりもしているけれど、こちらも勝率はお察しの通りだ。
「ねえ、ルト」
「なに?」
公表されたリストを閉じながら、僕は彼女に聞く。
「幻想界で戦うの、辛くない?」
それなりに長いつきあいだから、ルトが無理をしたりして疲れているとすぐにわかる。いつも元気だからわかりやすいというのもある。しかし、この件だけは僕の目ではどうにも判断がつかない。
「んー」
本人でもすぐには答えが出ないのか、考え込むようなそぶりを見せる。
「まあ、向こう側で戦うのは結構大変だけど。辛くはないかな。まあ、いつも疲れて帰ってくる父さんには負けるっていうか、そんな感じ。それにね……」
地面に突き刺した巨大な剣を軽く蹴りながら、ルトは晴れやかな笑顔で言った。
「わたし、これしか上手くできないからさ」
次の日も、ルトは幻想界へと戦いに行き、そして帰ってくる。
昨日、ルトのあの言葉を聞いてから、僕は幻想界で戦う彼女の身の安全を考えられずにはいられなかった。幻想界でアバターのHPがゼロになれば、プレイヤー本人は廃人になり、やがて死に至る。これは都市伝説でもなんでもなく、各国の政府が発表した事実だ。
そこで戦うルトは、今の僕よりもずっと、死ぬリスクを背負っているということになる。
けれど、今のルトの様子を見る限り、それはオートレースとか、スカイダイビングとか、現実にもありふれた危険のように思える。ルトだけが、理不尽なリスクを負っている、という感じではない。世界には、今でも紛争で理不尽に命を落としている人たちもたくさんいるという。でも、危険なスポーツや職業は、大抵の場合、歳をとるとすぐに引退するものだ。誰だって、好んで死にに行くわけじゃない。
ルトは、いつまで幻想界で戦い続けるつもりなんだろう?
一個のダンジョンを攻略するのにかかる日数は、最低でも一週間。それで救出できる人数は、多くて数百人。日本の人口が一億ちょっとだったはずだから、単純計算で百万回以上の攻略が必要となる。幻想界で戦っているのがルトだけではないとはいえ、あまり現実的な数字ではない。
いつまで、ルトは……。
「ねえ、ルト」
「なに?」
「ルトはさ、夢とかあるの? 将来、何になりたいとか」
いつもの訓練のために闘技場でデュエルをして、その休憩中、僕はルトに訪ねた。
「んー、夢かあ。うーん、あんまり考えたことないなあ」
「そっか、でも、学校の作文とかでよく聞かれるよね? そういうとき、どうしてたの?」
質問を続けると、ルトは恥ずかしそうな笑顔を見せた。
「いやー。ちっさい頃は『お父さんのお嫁さんになる!』ってかなり本気で書いてた記憶があるなー。そもそもわたしって作文苦手だからさ、ほとんどすっぽかしてたかな」
「なるほど……」
いかにもルトらしい。その答えに僕は理由なく安心する。
「じゃあ、リタは? リタだけ聞くのも卑怯でしょ」
ルトからしたら、僕がここで口ごもるのがシナリオの内だったのかもしれない。なにせ、僕はルトにそういったことを全く話したことがなかったのだから。
しかし、僕は少し前から考えていた案を口に出す。
「僕? 僕はね、ハッカーってやつになりたいな」
だから、その時のルトの表情ときたら傑作だった。後にも先にも、ここまで顔中に疑問符を散りばめた顔は見たことがない。
「ハッカーって、映画とかで交通システムとかを混乱させちゃう、あのハッカー?」
「それは厳密に言うとクラッキングっていうんだけど……まあ、そんな感じ」
「なんで?」
僕の頭の中では、その夢は理由のほうから来て、ハッカーという形をとった。だから、ここでも僕はスムーズに答えることができる。
「もし、このゲームにハッキングをやれたらさ、ルトの助けになるかもしれない。僕にはルトみたいに戦うことはできないけど、まあ、勉強ぐらいならできるかなって。ほら、あとちょっとで学校も始まるでしょ?」
「ほ、本当?」
その時のルトの顔は、道端で宝石の原石でも見つけたかのような、驚きと喜びが混じったものだった。
「本当だよ」
「ほんとに?」
「うん」
「そっかー」
新しいものを見つけたようなルトの笑みは、気の抜けたような笑みに変わった。
「えへへ、そうだよね。戦うだけが、解決方法じゃないもんね」
僕は頷いた。
「ねえ、リタ」
「なに? 改まって」
「いつか、リタが偉くなって、ものすごいハッカーになったらさ。わたしが手に入れた幻想界のアクセス権限、高値で買い取ってよ。そのお金で、わたしは遊んで暮らすの!」
「なにそれ。ルトが遊んでたら、日本の人たちはどうなっちゃうのさ」
突然の自堕落発言に、僕は軽くずっこけながらつっこみを入れる。
「いや、だからさ。わたしが活躍する必要もないくらい、リタが偉くなっちゃってさ、ちょちょいのちょいって、捕らわれの人たちを解放しちゃうの!」
「そ、そこまでの自信はないなあ……」
予想外の期待の大きさに僕がたじろぐと、ルトはしてやったりな笑みを浮かべた。
「それまで、わたし、がんばるから。いつか億万長者になるために、ね!」
全部が本音だったわけじゃないだろう。でも、この時、ルトは初めて「父さんを助ける」とか、そういう義務感以外の戦う理由を得たのだ。
これが、ルトが、現実世界の椎名真琴が死亡する前日に交わされた会話だった。
ルトは、幻想界でヘマをして死んだのではなかった。
日本人ばかりの仮設住宅の中、立ち入り禁止のテープが張られたその家の前に立って、呆然とする。
第一発見者は、僕だ。いつもの時間になってもリタは訓練に来ず、さらにログインもしていなかった。どうしたのかなと思って、ルトのいる仮設住宅の部屋を訪ねたのだけれど、反応はなし。携帯端末も同じだ。
どうしたものかと考えあぐねて、少し後ろめたさを感じつつも暑さのため開いていた窓から部屋の中を見た。
「――。」
目を見開いたまま意識を失った人間の姿というものを、僕は始めて見た。同じ躰のはずなのに、それはひどく不気味で、思わず口を押さえずにはいられなかった。
強盗致死事件だったらしい。
集合住宅ではない、一世帯ずつの家が点在している場所で、かつ近所との交流が深い住宅地というのは、たまに強盗に狙われることがあるという。そういった場所では、集合住宅よりも家の外の人間に対する警戒心が薄いからだ。
犯人はピッキングで真琴の家の鍵を開け、保護された日本人宛の補助金が入った口座の通帳を奪って逃走。VRヘッドギアで半分眠っている状態だったのにも関わらず真琴が殺害された理由は不明。犯行の数時間後、犯人はトラックにひかれて死亡したらしい。
第一発見者である僕に対して取り調べをした警官は、そう丁寧に事実を教えてくれた。
どうして。
人間、生きていれば病気にかかるし、事故にも遭う。通り魔に襲われることもあるし、強盗に入られることもある。
でも、どうして、彼女なんだろう。
いくら考えても、事実が変わるわけじゃない。それでも考えずにはいられず、いつしか、それは別の問いに変わっていく。
どうして、僕じゃなかったんだろう、と。
――擬似記憶の再生を終了。




