A2-10
「なんで逃げた!」
「狭間の大樹・下層」の最上部に降り立った俺は、いきなりラザさんにつっかかった。続いて拳を振りあげるが、落下しながらスフィアーツを手放してしまっていたためにそこまでの威力は出ず、ラザさんに容易く受け止められてしまう。
「四体三……いやあのじじいが戦っていなかったから四体二だったんだぞ! うまくやれば、一人ぐらいは倒せたかもしれねえのに! それなのに……!」
自分が言っていることが見当はずれなのはわかっていた。だが、それでも拳を振りあげられずにはいられない。
「ジル先輩は……ちくしょう……ちくしょう!」
ラザさんは軽蔑の表情も、哀れみの視線も向けることはなく、ただ、淡々と俺の拳を受け止める。そのうち、ラザさんは俺の腕を完全にホールドし、言い聞かせるようにしゃべり始めた。
「君は、ただのゲームでの知り合いが、国家機密級の技術に通じていることが普通だと思っているのかい?」
「え……は?」
言っている意味がわからず、俺は間抜けな声を返す。
「ログアウトできないプレイヤー。人工知能という存在。それを隠蔽したがり、住処を提供しようと提案できる人物が、この世界にどれだけいるんだろうね? いや、そういう人物は、どんな職業についているんだろうね? ガルド、君は、そういうことに無頓着すぎる」
「どういう……ことですか……?」
エリが心配そうな声音で問うと、ラザさんは人の良さそうな笑顔で答えた。
「ああ、さっき彼らが言っていたことだけど、なんだ、気にしていなかったのか。端的に言うと、僕はCIAのちょっと言えないところの所属でね。訳あって、君たちを利用させてもらった。本当はこんなつもりはなかったんだけど、すっかり巻き込んでしまったね」
エリが息を呑むが、俺は何もリアクションをとることもできない。
「もう意味をなさないから話しておくけど、本来は『英雄相談所』のギルドマスター、クイーンの素性を探ることが目的だったんだよね。それで君たちとも接触したんだけど、まさかガルドが先に本命を見つけてしまうとは思わなかったよ。ま、でも大方目的は達したし、君たちには感謝してる。ああそうだ、リタとルトの住処のことだけどね、かなり貴重なデータが取れたよ。これで、このゲームを作っているようなプログラムができあがるのも、時間の問題ってところかな」
「ラザルスさん……あなたは……」
相変わらず、リアクションを取るのはエリだけだ。恐れるような声音で言葉を発するエリに対し、ラザルスは急に真剣な表情と声音になって、エリの言葉を遮った。
「友人として忠告しておこう。君たちは、もうこの件に関わるべきではない。このゲームにログインするのも控えたほうがいいだろう。僕も同僚に君たちの間接的な保護を提案してみよう。後は、国がなんとかしてくれるさ」
ラザルスはそう言って、俺の肩に手を置いた。
「ゲームとして、君たちと共に戦うのは素晴らしい経験だったよ。でも、もう二度と会うことはないだろうね。ジル先輩の仇も必ず取ろう。だから、もう君たちは無理をする必要はないんだ」
そう言い残し、ラザルスはログアウトした。
拳を振りあげる対象をなくし、俺は力無くその場にへたりこんだ。エリが心配して名前を呼ぶが、返事をすることもできない。
俺は、無力だった。あの場で俺ができることは、何もなかった。ジル先輩が「これぐらい」と言ったことさえ、できなかった。リタとルトはみすみす奪われ、ジル先輩は……。
「ガルドさん……」
触れられそうな距離で名前を呼ばれ、俺は我に返った。見ると、エリは腰をおろし、俺と同じ高さに目線を合わせている。
「帰りましょう……。ここは、なんだか……寒いです」
その言葉で連想されたのか、幻想界へと向かうスフィアーツの光と、そこから戻ってくるものたちが、雪か何かのように見えた。
「……そうだな」
俺は頷き、メニューウィンドウを開いた。
それからほどなくして、学校が始まった。向こうの世界であれだけのことがあったのに、現実では笑ってしまうぐらい平穏な日常が過ぎる。健吾も相変わらずだったし、俺に至ってはゲームをしなくなったぶん成績がよくなったほどだ。
暇で仕方がなかった。たまに意を決してVRヘッドギアに手を伸ばすものの、すぐに引っ込めてしまう。部屋にこんなものがあっては、ほかのゲームなど買う気は起きなかった。
今思えばスポーツでもすればよかったのだろうが、その時の俺と言えばゲームをしてばかりのもやしだ。やはり暇になるのは必然だったのだろう。
早く今日が終わらないだろうか。
そんな卑屈な考えを抱いて、ひたすら続く日常をやり過ごした。そうすれば、記憶の中に根を張るこの虚ろな感情を薄めることができると信じて。
リタとルトは奪われた。ジル先輩は、死んだ。ラザさんは、どこかに消えてしまった。エリとは、あれから会っていない。
あのときの記憶は深く俺の中に根を張ってしまっていて、一向に枯れる様子がない。いや、とっくに枯れていて、その地を腐らそうとしているのか。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、三週間が過ぎた。
日を増すごとに、口数は少なくなっていた。健吾も急に遠慮しだして遊びに来なくなったし、親しくしていたやつらとも距離ができていたと思う。
もし、このとき。親でも、教師でも、俺の事情を知った上で寄り添ってくれる誰かがいたのなら。こうはならなかったのだろう。実際、エリは俺よりもずっと早く立ち直り、行動を起こしていたのだから。
だが、俺はあの出来事を誰にも話さなかったし、元々あのゲームの中の世界を知っている奴も、周りにはあまりいなかった。
俺が失ったものの全て。それは既に、取り戻すことは決してできない。とは言っても、人間は忘れる生き物だ。何か別のもので埋めることはできただろうし、まっとうに生きていくことを選ぶのならば、それはとても自然なことだった。だが、そうはならなかった。
なぜなら俺は、この思いを決して忘れないことを選んだからだ。
携帯端末にメールが届いたのも、かなり久しぶりだった気がする。その気がするだけで、実際はそうでもなかったのだが。
差出人の欄を見て、俺は急に姿勢を正した。その内容をじっくりと読み。そして、一つため息を吐く。
ゆっくりと腰を上げ、ベッドの近くにあるVRヘッドギアに視線を落とした。
いつもより頼りないように感じる両手でそれをつかみ、被りながら体をベッドに横たえた。
そして、俺の意識は仮想世界へと旅に出る。
これが、俺にとって、最後の曲がり角だった。




