A1-18
その場で、二つのことが起こった。
一つ、俺がラザさんを突き飛ばし、〈虎徹〉の解放必殺技を乗せた〈オメガドライヴ〉から庇い、解放必殺技をもろに喰らったこと。
〈クラウ・ソラス〉の起動による防御力上昇で辛うじて即死を免れたものの、ダメージによる痛みで動けない俺を悠然と眺めながら、男が〈虎徹〉を起動したこと。
つまり、絶体絶命だ。俺のHPは一気に赤い瀕死状態までに減少し、俺自身も痛みによって行動ができなくなっていた。そしてなにより、恐怖だ。幻想界ではHPが全損したとき、アバター同様そのプレイヤーも死に至る。死にそうなほどの痛みが、絶対的な恐怖として死を関連づけ、俺をその場に縛り付けていた。
足音が、徐々に近づいてくる。死神の足音とは、こういうもののことを言うのだろうか。ゆっくりだが、逃れることのできない恐怖だ。
やがて、男が獲物を振りおろし、金属のぶつかる硬質な音が響きわたった。
「こちらの世界で最も恐れるべき状態異常は、『自失』よ。もし幻想界で戦うのであれば覚えておいて。そうでなかれば、いくら強くても関係ない」
「え?」
顔を上げると、一本の槍が〈虎徹〉を受け止めているのが見えた。
「ジルさん!」
「なんだか、あたしを差し置いてとってもおもしろそうなことやってるじゃない」
ラザさんの叫びに、槍の持ち主はそう茶化す。男はバックステップで距離をとり、ジル先輩はそれを睨んだ。
「なんて、それどころじゃなさそうね」
言いながら、回復魔法を俺に放つ。俺は腕を捕まれて無理矢理立たされる。
「自立しなさい。ガルド君は黙って見てればいいわ。ラザさんもね。手出しは無用よ」
突然手を離され、俺はふらつきながらも何とか姿勢を保った。視界に映った、赤茶色のショートヘアーで蒼い鎧を纏った後ろ姿が、やけに大きく見える。
「〈虎徹〉使いね。近藤誠の真似かしら。確か彼の虎徹は贋作だったって話だけど、それはどっちも同じかしら?」
ジル先輩の言葉に、男は答えない。
「答えない、か」
呟き、槍を構える。一・二メートルほどの短い槍は、〈ロムルスの槍〉というレベル80のスフィアーツだ。さらに腕には〈ゼピュロス〉という腕輪系スフィアーツがあり、肩の上には青いスフィアーツの輝きと共に〈ランドヴァリナウト〉の赤い光があった。いくつかのバフもかけてあり、完全な戦闘態勢だ。
先手を打ったのは、男のほうだった。滑るような動きで接近し、〈虎徹〉による袈裟斬りを放つ。ジル先輩はそれを、槍の杖で逸らした。
「速いな……」
呟きながら、反撃する。ジル先輩の戦闘を見るのは初めてではなく、むしろ見慣れたものなのだが、まるで流れるような華麗な槍さばきだ。本来それなりの重量があるはずの武器を、スフィアーツによって強化された筋力を利用してバトンのように振っていく。男のほうも男のほうで、〈虎徹〉による高速の斬撃でジル先輩の槍をさばいていく。俺には、もう目で追うことのできない戦闘だ。
だが、HPを見る限りは男が押されているようだ。よくよく見ると、どちらも攻撃を当ててはいるものの直撃ではない。だが、HPが減っているのは男のほうだ。レベル40と80の武器では、基本的な攻撃力が違う。その差が、ジル先輩にアドバンテージを生んでいた。
このままの戦闘が不利だと悟ったのか、男は再びバックステップで距離を取る。そして直後、〈虎徹〉から離した左手に、強い光を発する直剣が握られる。
「危ないッ!」
俺が、な、くらいまで発音した瞬間、男は目にも留まらぬスピードでジル先輩に迫った。それを前にして、ジル先輩はとっさに武器を背中に回した。
クリーンヒット。だが、ジル先輩のHPは三割も減っていない。解放必殺技の後の隙を狙って、単発強刺突〈ストライク〉による攻撃が男を貫く。
「不意打ちの構成なのに〈看破阻害〉を使っていないなんて、詰めが甘いわね。それが〈フルンティング〉なのが丸わかりよ」
レベル20の片手剣系スフィアーツ、〈フルンティング〉は、このゲームにおける初期装備だ。特に対人戦においてはその貧弱な攻撃力のせいでメインウェポンとなることは決してないが、起動に必要なMPが少ないため、解放することによって様々な運用が可能となる。例えば、この男のように〈武器破壊〉を五つセットした〈フルンティング〉の解放必殺技をぶつけることで、相手の武器を一撃で破壊したりすることもできる。
だが、どんな技にも「返し技」は存在する。相手のMPがわかるならば、起動したときのMP消費が丸わかりなのだ。だから、ジル先輩はあえてその攻撃を防御しなかった。
切り札の一つを潰された男は、しかしさして動揺したふうもなく、何事もなかったかのように攻撃を再開した。
再び得物の打ち合いになる。だがそれは先ほどの二番煎じに過ぎず、男のHPは四分の一を切る。そこで男はもう一つの切り札を発動した。奥義級乱舞〈オメガドライヴ〉の十連続攻撃が、ジル先輩を襲う。
だが、先輩は冷静だった。空いている左手にまばゆい光を宿らせると、そこに真っ白な盾が出現する。起動と同時に行う解放。その一瞬だけは、盾の持ち主は難攻不落の要塞がごとき防御力を得る。
十連続攻撃をほとんど防がれて得物を失った男は、しかしすぐに新たな得物を抜く。低レベルスフィアーツを使うメリットとして、武器を破壊されたり解放して得物を失ってしまったりしたときに、リカバリーが容易という点があげられるだろう。男は再び〈虎徹〉を構え、打ちかかる。
が、その直後、勝負は唐突に終わりを迎える。ジル先輩の右肩の上を浮く〈ランドヴァリナウト〉の赤い光がその輝きを増し、どす黒いオーラを纏った炎弾が放たれたのだ。PvPではおなじみの闇属性致命級魔法〈メギドフレイム〉が、残り少なかった男のHPを一瞬で吹き飛ばす。
たっぷり十秒間、誰も何も言えなかった。ラザさんと俺が二人がかりで三十分もかかった相手を、ジル先輩はほんの数分で倒してしまったのだ。
「おかしいわね。なぜ、闇属性耐性がなかったのかしら? レベル40装備なら、解放必殺技で攻めるものだけれど、それを隠すための〈看破阻害〉もない」
最初に放たれた言葉はジル先輩の訝しむものだったが、俺たちに答える術はなかった。
「……どうしてここに?」
その代わり、ラザさんはジル先輩に質問する。
「そうね、幻想界で生きていくために大切なことを、もう一つ教えておこうかしら?」
それに対して、ジル先輩は中学校の先生みたいな語調で答える。
「もし、幻想界のダンジョンでほかのプレイヤーの窮地を見て取ったとしたら、よ。確かに助けようとするのはリスクが伴う。だとしても、あたしは日本人だからね、助けられるなら助けたい」
一見関係のない話だが、俺は口を挟まずに聞く。というより、戦闘の終わった後の倦怠感でまったく口がきけなかったのだが。
「でもね、もし相手がピンチを装ったプレイヤーキラーだったとしたら、これほど危険なことはないわ。だから、あたしはそういう人を見かけたとき、対人戦闘用のスフィアーツを起動してから行くようにしているのよ。こんなふうにね」
大げさに肩をすくめながら、右手に持った〈ロムルスの槍〉をこちらに見せる。確か、ジル先輩は対モンスター戦ではレベル80の〈ロムルスの槍〉ではなく、レベル100の〈ロンギヌスの槍〉を使っていたはずだ。
「質問には答えたから、今度はあたしが聞くわね。これ、どういう状況?」
どうやら言い逃れできそうにない状況で、俺とラザさんは顔を見合わせる。
どこから話したものか……。言葉はなくとも、その意見で俺とラザさんは一致しているようだった。
「ふうん、二年半前に死亡した人間のAIねえ。本っ当、おもしろいことになっちゃってるじゃない」
ラザさんが順序立てて説明した事情を聞き終えると、ジル先輩は全く愉快そうな表情を見せずに言った。
「だったら、どうしてあたしに相談してくれなかったのよ。幻想界で活動するプレイヤーなら、多少なりともあたしの同類よ、さっきのことも含めて、あなたたちが知るべきことは多いわ。というか、そのルトっていうプレイヤーはあなたたちに何も教えなかったの?」
まったくその通りとしか言いようがない。二回しかその戦闘を見ていないが、ルトの戦闘技術は本物だ。しかし、あの性格で誰かに物事を説明するのに適しているとは思えない。
「その通りだ。だが俺たちがしたのは技術協力だけだ。こっちのダンジョンで何かするわけじゃない」
「それが甘いのよ」
びしり、と言葉を刺される。こちらがどう言い繕おうとも、非は否定できない。俺はため息を吐き、それでも言わずにはいられないことを伝える。
「俺らが悪いのは認める。けどよ、幻想界で戦っている先輩に助けを求めるわけにもいかないさ。連絡も取れなかったしな」
それを聞いたジル先輩が強い語調で口を開こうとし、しかしそのままつぐんだ。その代わり、強い眼光が言いたいことを雄弁に物語っていたが。
しばしの沈黙があり、ジル先輩はわざとらしくため息を吐いた。
「やっぱり、ガルド君はいつもの喋り方が似合うわね。見送ってくれたときは敬語だったけど、似合わないわ」
露骨な話題の転換だったが、俺は思わず自分の口に手を当てる。なんとなくジル先輩にだけは敬語で喋ることが多いのだが、今日はなぜかいつもの喋り方だった。
「そうね、過ぎてしまったことはしょうがない。だけど、今後この件に関してはあたしも一枚噛む。それでいいわね」
そう言って鋭い眼光で睨まれてしまえば、こちらに反論の余地はない。
「わかった、ラザさんもそれでいいよな?」
賛成しながら視線を向けると、「振るんじゃない」という言葉が顔に書いてあるようなラザさんの表情がある。
「それじゃあ、決まりね。ところで、あとどのくらいでルトって子の作業は終わるのかしら?」
「どうだかな、あいつは五時間もあれば問題ないと言っていたが」
と、丁度そのとき、俺にメッセージが届いた。反射的にメニューウィンドウを開くと、ルトからのメッセージが来たことがわかる。
「噂をすれば、だな。よし、入るぞ」
「え! ちょっと!」
ポータルの中に入ろうとする俺たちを、ジル先輩はぎょっとして止めようとする。
「ああ、大丈夫だ。前にも入ったことがあるし、この先はホームタウンで、非戦闘エリアだ」
半信半疑の先輩を連れ、俺たちはホームタウン「吉祥寺」へと入る。どう見ても現代の日本的な町並みにジル先輩は驚いていだが、無理もない。俺が「な?」と言うと、ジル先輩は驚いた顔のまま頷いた。
「幻想界にこんな場所が……」
「いつからあったのかは知らねえが、大層なもんだよ」
目的の人物を探して歩いていると、やがて吉祥寺駅のロータリーにたどり着く。そこに、黒髪の少女はいた。
「ようルト。新しい物件の住み心地はどうだ?」
「あ、おにーさん……」
俺が声をかけると、少女は振り返る。
「今、丁度……。ほら、ログインしてくるよ……」
主語とか目的語が省略された言葉に、俺は意味をつかみ損ねる。だが、すぐに理解させられた。
ルトの前で、人間大の光の柱が立つ。まともに見る機会が意外とない、プレイヤーがログインしてきたときのエフェクト。現れたのは、黒髪の少年。このゲームでは「リタ」、現実世界ではおそらく「アサクラ ユウジ」という名の存在だ。
少年はまず自分の手足を目で確認する。俺もたまにやる、現実世界と仮想現実の差を認識するが故の行為だ。たとえ体格が同じでも、そこに秘める力は全く違うのだ。
そして、周囲を確認する。吉祥寺の町並みを見たことがあるかどうかは分からないが、日本という共通項で繋がっているはずの景色。そして、前を向く。
「リタ……」
黒髪の少女は、その名を呼ぶ。少年は驚き、その顔を凝視し……。
「ルト……」
そして、唐突に泣き出した。怒りでも、悲しみでもない、声すらあげず、文字通り感極まった様子でただ大粒の涙を目から溢れさせる。
先に抱きついたのは、ルトのほうだった。大声で泣き出したのも彼女のほうで、リタはただ、静かに泣きながらその手をルトの背中に回していた。
「なんだか……あたしたちって邪魔じゃない……?」
唐突に始まった感動の再会劇に、俺たちは唖然となる。この二人の過去に、いったい何があったのか。だがジル先輩の台詞も道理で、俺たちはひとまず同じマップの別の場所に移動することにした。
このまま終わるのならば、それはハッピーエンドなのだろう。だが、俺にはそうは思えなかった。
予感は、このとき最大まで膨らんでいたのだから。




