A1-15
運命の曲がり角。
物語には、須く分岐点が存在する。ドキュメンタリーならば彼の主人公が何かを発明したり重大な決断をしたりしたとき、曲がり角を曲がり、二度と戻ることはできない。
少女からの問いかけが、俺にとっての曲がり角だった。
なぜ、この時、俺は「その先」を聞いてしまったのか。なぜ、それでも尚、少女からの頼みを聞き入れたのか。理由になるかもしれない要素はある。ジル先輩のこととか、リタのこととか。そしてなにより、「あいつ」のことが。
そのことを俺が自覚するのは、もう少し後になってからだ。
「『姫』はボクをここに住まわせて、でも特になにも干渉してこなかった。一応ここで暮らしていたときは黒騎士たちがいたから、暇じゃなかったけど」
質問の意図をうまく掴めなかった俺が質問すると、ルトは困ったような顔をしてから、真面目な顔に変わって話し始めた。
「その『姫』ってやつは何なんだ?」
「わかんない。姿も現さなかったし、たまに話しかけてくるだけで……名前を聞いたら、仲間には『姫』って呼ばれているとしか教えてくれなかった」
「それ以外には?」
「うーん、それだけ。かな。でも、この町から出ることができなかったっていうのは言っておくべきかな。あ、そうだ、『姫』はボクのことを『次なる英雄』って言ってたっけ」
次なる英雄。俺は呟き、薄ら寒いものを覚える。それには、聞けば聞くほど訳の分からないものになっていく恐怖も混じっていた。
それでも、尋ねるのをやめることはできない。
「なら、ここは、何なんだ」
さすがに抽象的すぎたのか、ルトも首をひねる。少し沈黙があり、撤回しようとしたところでルトが口を開いた。
「それは、実際に見た方がいいと思う。こっちきて」
ルトは縁側のある庭から家出ると、さっさと行ってしまう。俺は慌てて追いかけ、しかしその景色に目を奪われていた。
軽く築四十年は越えるだろうか、今では少し珍しい瓦屋根の家と、現代的なデザイン建築の家が並んでいる。古いものと新しいものが同時にあり、何ともいえない家族感を醸し出すその町並みは、紛れもなく慣れ親しんだ東京の郊外のものだ。
黒髪の小柄な少女は、勢いよく出発はしたものの、俺がついてきていないことに気がついて急かすように足踏みをしている。
――ああ。
ふと、遠くなってしまった情景が現れる。なまじルトが女らしくないから、ひどく既視感を覚える。「あいつ」も、こんなんだったな、と。
「ねえ、早くー! この町のこと知りたいんでしょー!」
「ああ、わかってるよ」
飛んでくる言葉に答え、俺は大股でルトの後に付いていく。
しばらく吉祥寺の町を歩き回って、なんだか俺がすっかり里帰りでもした気分になってしまった。というのも、幻想界上でシミュレートされているはずのこの町は、本物と寸分違わないのだ。通行人が誰一人いないという点を除けば、だが、その再現は書店に売られている本の表紙にまで及んでいた。
「そういえば、このビルにアニフルイドがあったな」
駅近くの路地を偶然通って、なにやら懐かしい店を見つける。
「寄ってく?」
「やぶさかじゃねえが、お前はどうなんだ?」
「リタからちょっと聞いたことがある。マンガとか、CDとか、びーえるとか、いろいろ売ってるみたい?」
「なるほどな。まあ、寄るほどじゃないか」
俺の友人にもその道のやつはいたが、俺は素人だった。仲間での付き合いで入って、メジャーなマンガを特典付きで買うくらいだ。
「なあ、これも全部、日本に捕らわれている人たちの夢なのか?」
ふと浮かんだ疑問を口に出すと、ルトは首を傾げ、それから思い出したように答えた。
「うん、ボクも一度『姫』に質問したことがあったから、間違いないよ」
「そうか……」
だが、それにしても細部まで再現されすぎている。他のダンジョンもそうだ。果たして人間の夢は、あそこまで細かいだろうか? そもそも、人間の夢を再現するなど、できるものなのだろうか?
そこまで疑問を抱くと、VRという技術自体が非常に不可思議な存在に思えてくる。確かに昔から夢見られてきた技術ではあるが、人間が完全に仮想空間に没入するような技術など、まだ影も形もなかったのだ。
そしてなにより、目の前にいる人工知能のことだ。ルトもまた、そういったあり得ない技術によって存在している。いや、俺はまだこいつがAIであるという証拠を掴んでいない。そう疑ってみても、なによりAIを装う理由がわからないのだが……。
「なあ、お前さ、自分がAIであるっていう分かりやすい証拠とか提示できるか?」
「なんで?」
質問を質問で返しやがった。だが、ルトにとってはやはり疑問なのだろう。
「お前がなにを望んでいるかは知らないが、おそらく俺だけで解決することは不可能だし、俺だって御免だ。だから、ラザさんあたりに協力して貰わなきゃならねえ。そのときに、お前がAIであるっていう証拠が欲しいんだよ」
俺の説明に、ルトはうんうんと頷く。なんというか、本当にわかっているのだろうか。リタと接するときのような不安を抱く。
「証拠……証拠かあ」
「できるだけ分かりやすいやつでな。まあラザさんぐらいにしか説明できないだろうから、そこまで考えなくてもいいが……あとは……」
ジル先輩ぐらいか。このことを話せそうなのは。
「で、どうなんだ?」
再度尋ねると、ルトはリタがそうしていたように首を傾げ、しばらくしてからわざとらしく手を叩いた。
「あ、そうだ。ねえ、これ見てよ」
おもむろにメニューウィンドウを開き、俺に見せてくる。そしてその指さす先には、ログアウトの項目が無かった。
「ほら、ログアウトの項目がない。つまり、ボクには帰るべき現実がない。これでどう?」
「……そうかよ」
合点がいった。そういえば、どこかのVR空間から出られなくなるような物語では、「ここが現実なんだ」という台詞があったな。
「何か不満?」
「いいや、謎が解けたよ。なにせ、リタもログアウトができないんだからな。それに、そういうことだったらお前が人工知能でなくてもあまり問題はない」
「なにそれ」
これまで訳の分からないことだらけで混乱していたが、こうやって示された事実を整理してみると、出てくるものはとてもシンプルだ。
「リタもお前も、この世界に捕らわれている。つまり、そういうことだろ。まあ、それに……」
話しながら、ルトの出した証拠がもう一つの意味を持つことが浮かび上がってくる。
「お前らは、もう死んでいるんだってな。だったら、再現された人工知能だと考えたら、一応筋は通る。もう死んでいる上にログアウト不能ってなったら、あんまり他の考えは浮かばないな」
「ほー」
ルトの間の抜けたあいづちに、俺は思わずため息を吐く。
「なら、そろそろお前の頼みってやつを聞かせて貰おうか。まあ、さっきまでの話でもうだいたい予想がつくけどな」
「うん、たぶん、おにーさんが考えてるので間違いないと思う。えっとね、簡単に言うとボクはリタのおかげでこの町から出ることができたけど、それでもここに捕らわれていることには変わりないんだ。リタもそう。だから、ボクたちをここから解放してほしい」
解放してほしい、か。ありがちなパターンだな。まったく、俺たちにとって解放ときたら、日本本土から救出される日本人たちを思い浮かべるに決まってる。
「それは、もしお前がAIだとして、日本にあるサーバーから別のサーバーに移りたいってことか?」
「おお! おにーさんすごい。ボク、それを言いたかったんだよ」
「お前さ、やっぱりAIらしくねえよ」
「なんで?」
ルトは不思議そうな顔をして聞いてくる。
「AIっていうんなら、もっと頭がいいとかだが感情が弱いとか、そういう設定あるだろ。少なくとも、バカなAIとか聞いたことない」
「あ! バカって言ったな! バカって言った方がバカなんですぅー!」
「小学生か」
「むう、そこまで言うんだったら、何か計算問題でも出してみてよ。そのぐらいだったらできるんだから!」
「そうだな……」
俺は少し意地悪がしたくなり、今の学校の先の方に書いてあった微分の問題を思い出して提示してみた。アイテム欄から呼び出した紙を意気揚々と受け取ったルトは、しかし額にしわを寄せることになる。
「なにこれ?」
「何って……微分だが?」
「わかんない! まだ習ってないもん!」
「やっぱりお前、AIじゃないだろ……」
「ま、待って! かけ算ならできるから!」
「そうか……?」
俺はまたアイテム欄から紙を呼び出し、四桁同士のかけ算を書く。ところでこの紙は植物系モンスターが落とす素材から作ることのできるアイテムで、英雄相談所のギルドハウスで受ける依頼はこれを介して行われる。依頼一つにつき紙は一枚から数枚で、ギルドメンバーが一つの依頼に集中してしまうことを未然に防いでいるというわけだ。
「2863×4765は?」
「千三百四万二千百九十五!」
俺は答えをメモし、丁寧に筆算する。ルトは両手を握りしめながら見つめ、やがて俺が「正解だ」というと飛び跳ねて万歳した。
「やった!」
この喜び方はどうかと思うが、計算速度は驚異的だ。いや、でもこれには例外があったような……。
「そういえば、世の中にはこういう計算を一瞬でできる天才がいるらしいな」
「え、そうなの?」
「ああ、だからこれは決定的な証拠にはならないな」
「ええー! もういいじゃん」
「いいや、俺が納得できない。そうじゃないと、計画が立てられる気がしない」
「いじわるぅー!」
まあ、確かにそうかもしれない。正直言って、こうして確かめることに俺はあまり意味を見いだすことはできない。分かることは、ここにルト、現実世界では椎名真琴という名前だったはずの少女が確かに存在していることだけだ。
「ええい、そっちがその気なら、こっちだって意地悪しちゃう。出てこいー!」
ルトがそう叫んだ瞬間、俺を取り囲むようにして四人の黒い全身鎧の騎士が出現した。
「うわ! ちょっと待て!」
「問答無用!」
ルトの号令で、四人の騎士はそれぞれの獲物を抜く。俺は反射的に〈エペタム〉を起動したが、さすがに切り抜けられる気がしなかった。いつもは〈ダインフレス〉を最大まで強化して戦うのだから、〈エペタム〉は非常用だ。
最初に切りかかってきた騎士の攻撃をくぐってかわし、そのまま横をすり抜ける。スフィアーツで強化された脚力にものを言わせ、そのまま包囲を脱出した。反射的に行った行為だったが、俺はそれがおかしいことに気が付く。
「おい! ここはホームタウンじゃなかったのかよ! なんでスフィアーツが出せるんだ!」
「んー、リタが来たときは普通のダンジョンだったからね。今は切り替えられるけど」
話している間にも、黒騎士たちは追いすがってくる。
「待て待て! ここって幻想界だろ! 死んだらどうすんだよ!」
「あ、そっか」
ルトの間抜けな反応に、俺は歯噛みする。
だが、俺の苛立ちは次の瞬間に消し飛ぶことになる。
「消すのももったいないし、ボクがやるね」
いつ移動したのだろう。俺を追う黒騎士の頭上に現れたルトは、巨大な剣をそのまま振りおろす。最高クラスの攻撃力と重量を持ち合わせた〈ヨトゥンヘイム〉の一撃は、それだけで黒騎士のHPを半分以上奪い去った。
「行くよ……」
言うなり、ルトはその場で〈ヨトゥンヘイム〉の巨大な刃をひと振りする。そしてその遠心力を利用して、空中へと浮かび上がった。
スイングする剣のほうが使用者よりも重くなければできない芸当だ。ルトはこれを使って、常人には実現不可能な挙動をやってのける。俺を襲撃したときの不可思議な挙動も、これによってなされていたのだ。
不規則に動く振り子のように、ルトは空中を縦横無尽に駆けめぐる。黒騎士の攻撃は空中に移動することでかわし、そこから回避不能の重い一撃をお見舞いする。
四人の騎士が実体を失うまで、それほど時間はかからなかった。
「どうだ!」
そしてこの顔である。四人の騎士をあっというまに平らげてしまった恐ろしい存在なのにもかかわらず、俺にはなんだかフリスビーでも取ってきた犬のように見える。
「リタもそうだが、おまえも大概だな。もういい、そろそろ下層に戻ろうぜ」
俺が始めたことだが、ルトの正体が何なのかを確定させるのは今ではあまり意味のないことに思えた。それよりも、まずはできることをやるべきだろう。それに、さっきの一幕でルトは十分すぎるほどの証拠を見せてくれた。
「ったく、やってやる。やってやろうじゃねえか。お前の頼み、引き受けるぜ。だから、お前も協力しろよ」
「うん!」
俺が言うと、ルトは今日一番の笑顔で答えた。ちくしょう、こうして見ると普通の中学生にしか思えねえよ。
「ああ、そうだ。今度は、俺とフレンド登録してくれよ。一応言ったとは思うが、エリはなんだかんだで一般人だからまだリタの事情とかを話していない。こっちで独自の連絡手段が必要だ」
「そっか、それもそうだね。じゃあ、はい」
俺がメニューウィンドウを操作する前に、ルトは息をするように俺にフレンド申請を送ってきた。俺は心の中でため息を吐きながら、それを承諾し……」
――エラー。あなたはすでにユーザー:Asakura youjiとフレンドになっています。
「あれ?」
ルトが首をかしげ、俺は頭に手を当てる。
「ったく、そういうことかよ。お前、やっぱり俺の位置情報を受け取ってたな」
俺の糾弾に、ルトは首をかしげるばかりだ。
ああ、まったく。やっぱりこの事件はシンプルなんかじゃねえよ。




