A1-4
「っていう感じで、俺の友人の知人がどうやら記憶喪失っぽいんですよ」
ゲーム内ではガルドこと俺は、現実世界の冴草海斗としてサンフランシスコ郊外のとあるバーにきていた。一応ここのマスターも俺も日本語は話せるが、郷に入っては郷に従うべし、会話は英語だ。
「それは心配だな。病院には行ったのか?」
ここのナイスミドルなマスター、ミスターコリンズは、俺がこの町にやってきた頃、お世話になった人物だ。仕事かなんかで日本に長期間滞在していたことがあったらしく、そのとき日本語を覚えたらしい。なかなか流暢で、その上他の言語までいくつか覚えているのだと言うから驚きだ。古くから彼を知る人は、言語マニアだなんだとか言っていたが。
「いや、その本人が保険に入っていないらしくて、すぐには行けないらしいんです」
記憶喪失の知人、というのは、この場合リタのことを指す。だが、さすがにゲームの中でログアウト不能になっているということを話すわけにはいかず、友人の知人ということにしている。
「ふむ、カイトの話を聞く限り、部分的な全生活史健忘と考えられる。自分の名前は覚えていたのだろう?」
「ああ、だけどその全生活史健忘って何ですか? 聞いたことがない単語なんですけど……」
「そうだな、漢字で書くと分かりやすいだろう」
マスターは注文とかをメモる紙を取り出し、見覚えのない英単語と、その横に漢字で「全生活史健忘」と書いた。まったく、現地人でないのによく書けるよな。
「すげーよく分かった。……ということは、例のある症状なんですね?」
多彩な言語を操るだけでなく、このマスターは様々な分野に通じている。常連の話を聞くうちに詳しくなっているとの本人談だが、バーを経営する前はなにをやっていたんだか。
「そうだ。健忘症、一般的には記憶喪失と言うが、多大なストレスや脳の外傷によって引き起こされることが多い。その知人はどうだったんだ?」
俺はそこで少し考えてから口を開く。
「事故にあったって話はなかったから、本人に何らかの要因があったんだと思います。それ以外は……どうとも」
俺の要領を得ない答えに、マスターは少し眉をあげて見せたが、気楽な調子で言った。
「記憶喪失というのは、たいていの場合時間がたてば直る。医療としては催眠療法があるが、まずはその当人がちゃんと生活できるようになるのが先決だ。周囲が不安がるのもよくない。カイトがやるべきことは、その友人を落ち着かせて、ゆっくり様子を見るのを促すことだ」
「そうですか……」
周囲が不安がるのはよくない、か。確かにそうだな。
「悩み事ならいくらでも聞いてやるよ。ここにはたくさんのお客さんが来るが、君のような若いひとは珍しいのでね」
「大学生のにーちゃんなら結構来るんじゃないんですか?」
「いや、そうだが、君のようにじっくり話す機会はあまりない。あと、日本のことを知っている人間もだ」
「そんなものですか……」
そうして話がひと段落したとき、俺の名前を呼ぶ声が店に響いた。
「よう、カイト。元気でやってるかい?」
「おかげさまで。エドワーズさんも儲かってますか?」
店内に入ってきたのは、人懐っこそうな笑顔が印象的な黒人男性だった。相変わらず笑顔に光る白い歯がチャームポイントだ。
「ああ、絶好調だ。この前カイトがやってくれたナビシステムが良い評価を受けていてな。いやはや、本当に助かったよ」
高校生である身だが、俺はエドワーズさんのいる企業でちょっとしたアルバイトをしていた。
「アーキテクトができるのはここらじゃ君だけだからね。本当に、君の手際はすばらしかった」
「いや……エドワーズさんのプログラミングのほうがすごいですよ。俺なんてぜんぜんわかんないのに」
同じ仕事場ということで、エドワーズさんのプログラミングする様子を見せてもらったことがあるのだが、それはもう予想斜め上をいくものだった。まるで映画のワンシーンかのように画面にはずらりと文字の羅列やチャートが書かれていて、俺には何のことやら、説明されてもさっぱりわからなかったものだ。
「それを言うなら、俺たちにとって君がVR空間で感覚的にプログラミングできるのも理解不能なんだけど。それにしても、この技術を持ち帰った人はすごいよね! 俺たちにとっちゃ、救世主様さ」
ギルガメッシュ・オンラインの「幻想界」のダンジョンをクリアしたプレイヤーには、そのマップのデータと、VR技術の一部情報へとアクセスする権限が与えられる。まだ名称が決まっておらず、いくつか呼び名が存在する技術、
「アーテキテクト」は、とあるプレイヤーが偶然持ち帰った技術だ。
その原理は未だよくわかっていないが、ギルガメッシュ・オンラインでも使うVR用ヘッドギアを、任意の機械、ハードウェアに接続することでそのソフトウェアとなるプログラムを作ることができる。
だが、ほとんどの人間はうまくプログラムを作ることができない。僅かな例外をのぞいて、それができるのは日本人だけだ。それも、日本から救出された経歴を持つもののみ。
俺はわりと早くからアーキテクトに触れることとなり、結果的にこの辺では一番この技術に精通するようになってしまった。以来、俺はエドワーズさん経由で企業からの仕事を引き受けることとなり、ちょっとしたフリーターぐらいには稼ぐようになったのだ。
VR空間で機械と繋がってプログラミングを行う感覚は、なんとも形容しがたい。VR空間自体は真っ暗闇の空間だし、明確な形があるというわけでもない。手探りで捜し当てようとすると、少しずつ形になっていくのだ。そうして、見えにくいところはロウソクを灯すようにして照らし、その全体像が見えるようになると、そこでプログラムのおおまかな形ができあがっている。エドワーズさんは理解不能だと言ったが、俺もそれには同意だ。
「ギルガメッシュ・オンラインの、幻想界というのだろう?
そこで死んでしまったら廃人になってしまうというのは有名な話なのに、彼らは勇敢だよね」
「そうですね……」
昨日、その勇敢な女性を見送った身としては、なんともいえない気持ちになる。確かに彼女は勇敢だが、しかし、幻想界にて活動しているのは恋人を助けるためなのだ。
「そういえば、カイトもギルガメッシュ・オンラインをやっているのだろう? 何かあったら、聞かせておくれよ」
「うーん、まあ大した話はありませんけど……」
ギルガメッシュ・オンラインが世に出てからもう三年がたつ。当時は得体の知れないものとして気味悪がられていたが、今となってはもの珍しい鍾乳洞ぐらいの扱いだ。
俺はあの世界の美しい風景などをかいつまんで説明しながら、世間話に花を咲かせた。
ログイン地点に指定した空中都市ラスタフィリアスに降り立った俺は、とりあえずフレンド登録したリタの現在位置を確認した。
リタの現在いるフィールドは、どうやら俺と同じこのホームタウン。なんだ呼びにいく手間が省けたなと思ったのも束の間、リタの現在位置が急に移動し始めた。空中都市を上から見たオーソドックスなエリアマップを、リタの位置を示すポイントが駆けていく。
地図に表示されている道を完全に無視して。
ポインタに合わせてエリアマップもスクロールし、やがて俺の現在位置を示すポイントが表示される位置までやってくる。建物を示す模様の上を突っ切り、直線距離でこちらとの距離を縮めていく。
そして、俺の背後にあった建物の屋根から、リタは姿を表した。驚くべきことに、リタは建物の屋根を伝って、こちらまでやってきたのだ。
「こんにちは! ガルド」
俺からしてみれば、突然目の前に人が降ってくるようなものである。俺は挨拶を返せず、ただぽかんと口をあけているしかできなかった。
そしてその当人は今、俺の隣でベンチに座り、プレイヤーの露天で売られていたホットドック的食物をほおばっている。
「で、今までに何か思い出したか?」
「……ごくん。特になにも。ガルドの言うとおりログアウト不能とか記憶のことは言わないようにしたけど」
「そうか……」
ところで、俺は今夏休み期間中である。昼間からバーに立ち寄ることができたのもそのおかげであり、夕方からログインできるのもいわずもがなだ。この付近の学校はほぼ六月から夏休みが始まるが、なぜか俺の所属する日本人学校は七月の半ばからだ。義妹のこともあり、俺としては腑に落ちない。一ヶ月前からエリも夏休みに入っているのだから、この歯がゆさは察してもらいたい。
だが、この少年の現実世界にあるはずの体は、いったいどうなっているのだろう。まだリタに会って一日しか経っていないのでどうとも言えないのだが、やはり彼自身が言ったとおり何らかの事件に巻き込まれている可能性が高い。まあ、ログアウト不能という事態がそもそも事件なのだが。
「不安がっても仕方がない、か」
俺は呟くと、いつもの俺なら、いや、ネットゲームで新しくできた知り合いとどう接するべきかを考えた。
そんなもの、一つしかない。
「ダンジョンに行こうぜ。昨日のこともあるし、リタはかなりの腕があるらしいから、見せてくれよ。戦っているうちになんか思い出すかもしれねえし」
「うん、わかった」
俺の提案にリタは頷き、俺たちは立ち上がってこのホームタウンの出口へと向かう。
「そういえば、昨日俺がログアウトしてから何してたんだ?」
ふと気になって聞くと、リタは首を傾げて、しかしすぐに答えた。
「ガルドがログアウトしてからは、この町を散策してたよ。それで、もう少し時間が経ったらなんか急に眠くなっちゃって、よく覚えてない。気がついたのは、一時間ぐらい前かな? むこうの丘にある芝生の上で寝転がってたんだよね」
普通、このゲームをプレイ中に睡眠する、つまり「寝落ち」をすると、自動的にログアウトされる。しかしリタはログアウトできないために、睡眠すらもこのゲームの中で行わなければならないようだ。
それにしても、昨日俺がログアウトしたのが午前三時で、今が午後五時だから、実に十時間以上寝ていたようだ。まるで子供だな。
「というかさ、さっきの屋根の上を移動していくの、どうやったんだよ。ホームタウンじゃ、スフィアーツは起動できないだろ?」
スフィアーツが起動できなければ、アバターの身体能力は現実世界の人間よりも少し優れている程度だ。モンスターと戦うにはかなり心ともない。
「うーん、なんていうか、なんとなくやったら?」
「俺に聞くなよ……」
まったく、この少年は俺の常識をことごとく壊してくれる。なんとなくでフリーランみたいなことができるか、普通。
俺はげんなりしながらこのホームタウンの出口を目指した。




