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ドリーミング・レジェンド  作者: 世鍔 黒葉@万年遅筆
ACT1 「幻からのシシャ」
12/62

A1-1

 漆黒の闇が、頭上に広がっていた。


 この闇の向こう側にある世界を、俺はよく知らない。だから、こちら側の「狭間の大樹」からでは、その世界の情報は生きて帰ってきた人の伝聞を聞くしかない。


「行ってしまうんですか?」


 俺は、円形の床の中心に立つ、蒼い鎧をまとった女性にそう問いかけた。彼女のまわりには色とりどりの光が浮かんでおり、それらは上昇して闇の中に消えたり、また闇の中から現れたりしていた。


「うん……今月はあまり遊んであげられなくてごめんね。オーストラリア一周旅行が当たっちゃったら、貧乏性の日本人としては行かざるを得なかったし、でも、こっちを止めるわけにはいかないから」


 そう言って微笑む女性を、美しいと思った。赤茶色のショートヘアーと、蒼い瞳。例え、それが現実世界の姿と違っていても、俺はこの女性が美しいのだと、根拠もなく感じていた。


「そうですか……俺からは、あまり無責任なことは言えないですけど、頑張ってください」


 俺が言うと、女性はいたずらな笑みを浮かべた。


「まったく、ガルド君がそんな弱気だってのは似合わないぞ。お姉さんとしてはそういうガルド君もかわいいと思うけど、君はお兄さんなんだから」


 そう言われては、返す言葉もない。だが、それでも言わずにはいられない言葉があった。


「どうして、ジル先輩はそんなに余裕でいられるんですか……。だって、幻想界では……」


「うん、そうだね。もしあたしが幻想界でHPがゼロになったら、あたしはその場では死ねず、けれど脳の機能が破壊されて、廃人になる。そして、一週間以内に死ぬ。まったくさ、なんてステレオタイプなデスゲームなんだろうね」


 廃人とは、ゲームに没頭しすぎた人間のことを示すのではない。文字通り、元にあった人格は完全に破壊され、一週間も生きられない体になるのだ。


「でもね、あたしはそれでもいいって思っているんだ。幻想界は、日本に囚われた人たちの夢で構成されている。だから、俊の夢だって混じっているはずなんだ。例えあたしが廃人になったとしても……」


 ジル先輩は、どこか遠くを見るようなまなざしで、言葉を続けた。

「俊と同じ夢を見られるのなら、幸せだよ」


 そんな様子に、俺は何度も断られ、しかし諦めきれないでいる提案をする。


「やっぱり、俺とフレンド登録しませんか……。俺だけじゃなくて、エリや、ラザさんとも」


 MMORPGでは定番のフレンド登録というシステムだが、このゲームでもそれは存在し、プレイヤーネームとは別に設定されているユーザーネームと、現在位置を登録した相手に知らせることができるシステムだ。もちろん、メールなどのやりとりもできる。


 だが、ジル先輩はそれを黙殺すると、先ほどまでの気楽な態度を真剣なものと変え、俺を見つめた。その眼光の強さを、俺はどうしても正面から受け止めることができない。


「ねえガルド君。あたしに、覚悟を決めさせて。君は、聞いているだけでいいから……」


 普通、男女がこんな長話をしていれば、MMORPGでなくとも目立つ。だが、この場所には俺とジル先輩以外の人間はいない。こちら側と向こう側の狭間であるこのエリアは、パーティーを組んでいる人間以外と接触することはできないのだ。


 その代わり、このエリアでは色とりどりの光の玉が浮かんでいる。上昇と下降をし続けるそれらは、こうして見ると雪のようだ。その数に、幻想界で活動するプレイヤーがこんなにも多いことを驚かされる。いや、幻想界へのゲートは世界でもここしかないのだから、少ないと言うべきか。


「今、あたしたちの国である日本は、正体不明の勢力に占拠されていて、国民のほとんどが電脳空間に囚われている。衛星写真とか、これまで送られた調査部隊の成果で、彼らは今あたしたちが現実世界で被っているVR用のヘッドギアをつけられていて、永遠に目覚めることはないことが確認されている」


 調査部隊、といっても、それは決死隊みたいなものだったらしい。日本の領海に入ったら最後、電子機器はすべてハッキングを受け、機能を停止する。外的通信機能を持たない機械でさえ例外なく破壊されたらしい。日本を占拠している勢力が、何らかのオーバーテクノロジーを所有していることは周知の事実。彼らが配布するVR用のヘッドギアも、現代の技術では利用はできても再現することはできないのだ。


「彼らを目覚めさせ、日本から救出する方法は一つ。日本本国から配布されているVRヘッドギアを使って、世界初のVRMMORPG『ギルガメッシュ・オンライン』にログインし、その裏の世界である幻想界で、ダンジョンをクリアすること。そうすることで、自動操縦のフリゲート艦とイージス艦が日本本国からやってきて、百人弱の日本人を世界のどこかの港に水揚げする」


 その他の方法が試みられなかったわけではない。だが、日本領海内ではすべての電子機器が停止する上、自律運用されているイージス艦や迎撃ミサイルが針の山だ。正直、国家として風前の灯火だった日本が、そこまでの戦力を持っていたとは考えられない。それほどの設備を維持するだけの資本がどこから流れてきているのか、世界各国の調査機関が躍起になって調査しているのだろうが、未だに尻尾を掴めずにいる。


 そういった理由で、『ギルガメッシュ・オンライン』の存在は世界から黙認されているのだ。幻想界に入るのは本人の意志だとはいえ、それは投身自殺を助長するようなものだ。だから、支援もされない。


「そして、あたしが幻想界で戦っている理由も一つ。日本には、まだ俊が残っているから」


 彼女の瞳に映るのは、ここにはいない人間の姿。当時、まだジル先輩が高校生だったころ、彼女の隣にいた男の人だ。


「だからね、あたしは俊を取り戻さなきゃいけないんだ。あたしはね、ギルガメッシュ・オンラインの美しい世界を見ながら、俊が隣にいてくれたらどんなにいいかって思っている。彼がいてくれれば、あたしはなにもいらない。あたしには、彼が必要なんだ」


 強い調子で放つ声には、決して小さくはない狂気が混じっている。だが、俺は、それが彼女の本来の姿ではないことを感じ取っていた。ずっと言えずにいる質問、「だったら、どうして現実の姿をアバターにしていないんですか?」という、きっと言ってはいけない言葉。


 幻想界のダンジョンをクリアすると、百人弱の日本人が現実世界に帰ってくる。そして、そのダンジョンには当の日本人が暮らしているのだという。だから、極論を言うとダンジョンをクリアしなくても本人に会うことができるのだ。その時、彼女はどうするつもりなのだろう。


「わかりました。それが、ジル先輩の覚悟なんですね」

 だが、俺は彼女が必要としているであろう言葉を言う。


「待っていますよ。幻想界に籠もる時も、現実世界できちんと食べてくださいよ。栄養失調で孤独死とか、本当に笑えないですからね」


 俺の言葉に、ようやく彼女の顔に笑顔が灯る。


 幻想界に入る、とはいっても、あちら側でのログアウトは可能だ。さすがに何日も続けてログインすることは不可能だし、こちら側に帰ってくることもシステム上は可能だ。


 しかし、ジルは一度幻想界に入ると、一週間から数ヶ月はこちら側に帰ってこない。一つのダンジョンを、時間をかけて慎重に探索し、絶対に安全に進めるようにしてからさらに奥へと足を踏み入れるのだ。それはダンジョンのボスにしても変わらない。


 その神経をすり減らす作業を、たった一人で、それも、数週間にわたって行うのだ。無理がないはずがない。せめて、現実世界では穏やかな生活を送ってほしいものだ。


 とはいえ、金銭的には困っていないはずだ。幻想界のダンジョンをクリアしたプレイヤーには、副賞としてクリアしたダンジョンのマップデータと、ギルガメッシュ・オンラインを構成するVR技術の情報の一部を閲覧するアクセス権が与えられる。それを各国の企業に提供すれば、決して少なくない報酬が貰えるのだ。最近になって現れ始めたVRを利用したゲームも、ギルガメッシュ・オンラインのプレイヤーによってもたらされた情報によって開発されたのだという。


 ジルはこれまでいくつもの幻想界のダンジョンをクリアしているから一財産ぐらい持っているはずだが、その使い道を聞いたことはなかった。


「そうね、でも甘いものを食べ過ぎると太っちゃうから、いつも通り食べようかな。あーあ、こっちで動いたぶん向こうでも消費されていればいいのに」


「そんなことがあったら、いくら食べても足りませんね」


 軽口を言い、笑い合う。これだけで十分だと、俺は思う。エリと、ラザさんとジル先輩、そして俺を加えた四人で、よくパーティーを組んで冒険するのだ。その時間はとても楽しく、充実して感じる。


 だから、本当は彼女に向こう側に行ってほしくなかった。だが、彼女を止めることは不可能だ。そして、同行するには、俺はあまりにも弱すぎた。


「んじゃ、またね、ガルド君。二人にはよろしく」


「はい、それじゃあ、向こうでもお元気で」


 そして、ジルは大樹の年輪そのものが刻まれた地面の中心で宙に浮かんだメニューウィンドウを操作し、その結果として、彼女の体は光に包まれる。


 アバターは一つの丸い光に凝縮され、彼女のスフィアーツの色である蒼の輝きとなる。そしてすぐに上昇を始め、頭上に広がる漆黒の闇へと消えた。

――パーティーのリーダーが「狭間の大樹・上層」に移動しました。パーティーを解散します。


 現れたアナウンスウィンドウを一瞥し、俺はその場を後にする。


 日本という国家がその形式を保っていたのは、四年前、俺がまだ中学校に上がるか否だった頃だ。当時の日本はそれはもう大不況で、中学生の俺にも「滅び」が近づいているのではないかと予感させるぐらい、経済は壊滅的だった。


 要因は二つ。


 今となっては些細な出来事として語られる、新型インフルエンザの大流行の爪痕。そして、国債の大暴落だ。


 やれリストラだとか、倒産だとか、ニュースではそんな話題ばかり。親父はジャーナリストとして世界中を回っていて、いろんな仕事にも手を着けていたからお金に困ることはなかったが、それでも形のない不安を覚えるには十分な環境だった。


 あの事件が起きたのは、そんなときだった。五月の始め。中学にあがって、少しずつ中だるみしていった頃。


 日本という国は、電子の海に没した。


 今となっては、評論家は日本の状態をそう評している。突如として、日本中の人間は電子の牢獄に閉じこめられた。


 その時、なにが起きたのか、具体的に説明できる人間はまだいない。衛星写真では渋谷のスクランブル交差点にいる人たちが一斉に意識を失って倒れ、高速道路を走行中の自動車は相次いで制御を失って玉突き事故が連鎖する様子が捉えられている。


 俺も、その瞬間になにが起きたのか、よく覚えていない。そして、俺が「救出」されたのはその約一年後だった。


 当時、誰が幻想界のダンジョンをクリアし、俺を救出したのか知りたかったが、その情報が開示されることはなかった。だが、その名も知らないに誰かは、俺の中では「英雄」に違いなかった。


 それは、ジル先輩も同じだ。


 そんなことを想起しながら、「狭間の大樹・下層」の一般エリアへと降りていく。


 今日は、エリたちと冒険する気にはちょっとなれない。この前のこともあって申し訳ない気もするが、今日だけは仕方ない。


 俺は胸にわだかまる気持ちを紛らわすため、そこまでレベルの高くないダンジョンに繋がるポータルへと向かった。

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