想いをあなたに 後編
X Dayはあっという間にやってきた。
昨夜は結局チョコ作りに時間がかかってしまって、その上ベッドに入っても緊張で目が冴えていて、よく眠れなかった。作品の出来に関しては……も、何も言うまい。一応味見したもん。食べられた、美味しかったもん! ちゃんと綺麗にラッピングして、メッセージカードも書いた。よし、バッチリ。
今日、彼はこちらの下校時刻に合わせて用事が終わるように学校に来るという。おかげで、授業は一つも身が入らなかった。何をやっても上の空。数学の小テストは散々な点数だったに違いない。帰りのホームルームが終わった次の瞬間、あたしは教室を飛び出した。彼に一刻も早く会いたくて……。それだけで頭がいっぱい。上履きからローファーに履き替えて、待ち合わせ場所に急ぐ。
校舎の角を曲がった瞬間、あたしはハッと立ち止まった。
彼はもう来ていた。そして、どこから嗅ぎ付けたのだろう、3,4人の女子生徒に囲まれている。そのうち一人の手に、可愛く飾られた小さな箱まであった。
あたしのより上手い。そう思った途端、胸が少し苦しくなる。
おまけに。女のコたちに囲まれた彼の顔は
「困ったなあ。」
――笑っていた。
息が詰まる。
居ても立ってもいられなくなって、あたしはくるりと踵を返した。
「早苗!」
あたしに気付いたらしい彼の声が聞こえたけど、振り向かなかった。足早に校庭を抜け、門を出て走る。涙が滲んだ。必死で堪え、鞄をぎゅっと握る。どこに向かってるかも分からないけどとにかく走った。
けど体の所為であたしはあんまり速く走れない。性差も体格差もあって、学校を出てすぐのところで追いつかれた。
「早苗。」
すぐ後ろで声が聞こえて、腕を掴まれた。
「放して……ください。」
「なんで逃げんだよ。」
その声はちょっと苛立っていた。胸の中がぐちゃぐちゃして、なんて答えたらいいか分かんない。
「せんぱ……が、笑って……から……。あ、たし……なん、っか……分か……ないけ、ど……」
おまけに荒い息が治まらない。これじゃ何て言ってるか全然分からないだろうな。
そうこうしてるうちにどんどん苦しくなってきた。まずい。発作……こんな時に。
と、唐突に彼が腕を引っ張った。あたしは後ろによろけ、抱き止める彼の腕にすっぽり包み込まれるような格好になる。彼はそのまま、ちょっとかがんであたしの膝辺りと肩に手をかけて、軽々と抱き上げた。
いわゆる『お姫様抱っこ』って奴だね。って、ええ!?
驚いて息が止まりそうになり、慌てて苦しいながら呼吸を立て直す。こんな状況じゃなかったら悲鳴あげてたに違いない。却って良かったかも……いや良くないけど! 今胸がバクバク言ってるの、絶対に発作の所為だけじゃないから!
彼はあたしを抱っこしたまますぐ近くの公園に足を向ける。そして、ベンチにそっとあたしを下ろした。家に連絡しようかと言った彼を止めて、なんとか自分で鞄から薬を取り出して口に入れ、水筒の中の水を流し込む。ふうっと大きく息をついたあたしの肩を、隣に腰を下ろした彼が優しく撫でた。
「落ち着いた?」
「はい……すみません。」
あたしはしょげて俯いた。なんで逃げたりしたんだろ。かえって迷惑かけちゃって、申し訳ない。
「良かった。もうそんな無理すんなよ。いきなり走ったりするからだぞ。」
明るく軽い口調。怒ったり責めたりしないんだね……先輩、優しい。
って、いつの間にか肩抱いて頭ポンポンしてるあったかい手は何ー!? さっきのお姫様抱っこといいコレといい……ドキドキしすぎて心臓に悪いよー!
ここでやっと鞄の中の箱の存在を思い出した。えーい、もう今しかない。
「あ、あのっ! 先輩、あたし、渡す物があるんです。」
あたしは鞄を開けて、赤い包装紙とピンクのリボンに飾られたプレゼントを差し出す。彼の顔が驚いたように輝く。
「これって、もしかして」
「バレンタインです。一応、手作り……」
あたしの言葉は尻すぼみに消える。彼は震える手からそれを受け取って、にっこりと微笑んだ。
「ありがとう、嬉しいよ。開けてもいいかな?」
こくこくと頷くと、彼は丁寧にリボンを解いて包装紙を剥がす。ドキドキが高まる。
箱を開けたところで、動きが止まった。
『……なんだこれ』
もちろん彼がそう言ったわけじゃない。彼は絶対そんなこと口に出して言わない。けど、そんな感じの沈黙が流れた。
「チョコトリュフを、作ってみようと、思ったんです、けど……」
言葉が発作の時みたいにたどたどしいぞ。ああ、もう、恥ずかしい。
箱に入っていたのは、いびつな形のチョコレートの塊。中のいくつかは茶色とピンクの模様になっている。まんべんなくまぶす筈のココアパウダーは半端にしか付いてないし。なんか表面がごつごつしていて、お世辞にもかわいい球体とは言えない。
「生クリームの温度が低かったみたいでチョコ上手く溶けなくて、湯煎したんですけど失敗しちゃってお湯混ざっちゃったみたいでダマだらけで、何とかカタチ整えても固まらなくて、そのピンクのは苺チョコなんですけどコーティングのと混ざってマーブルみたいになっちゃうし……」
こんな言い訳したって、みっともないだけじゃない。自分が情けなくて泣けてきた。
「ごめんなさい……あたし、不器用で……」
先輩は何も言わずに、その斑模様のチョコレートを一つ摘まんで口に入れた。
「美味いよ。」
「そんなことないです。」
「いや、美味い。甘くておいしいよ。」
そう言って彼は優しく微笑んで、あたしの頭をポンポンと撫でた。
「俺のために、頑張って作ってくれたんだろ? すごく嬉しいよ。早苗が作ってくれたのが、俺には他の何より一番美味い。」
その笑顔に顔が熱くなって、目を伏せた。脳裏にさっきの光景が浮かぶ。
「……他のコたちにも、チョコ貰ってたじゃないですか。」
拗ねたように呟くと、彼は笑った。
「受け取ってないよ。」
「本当に?」
ついうっかりタメ口になってしまった……けど、今はそれどころじゃない。
「日比谷先輩、いつもみんなに優しいのに、どうして?」
「当たり前だろ。付き合ってるカノジョがいるんだから。俺は、早苗の以外のチョコなんか食いたくない。……ま、由依には義理チョコの余り物貰ったけど。」
『付き合ってるカノジョ』……この言葉が、改めて言われるとこそばゆくって、でもすごく嬉しい。やだ、なんか涙出てきそう。
「それと、その『日比谷先輩』っての、やめないか? あと、敬語も。その、恋人同士にはちょっと変だろ。もう俺は中学の先輩じゃないわけだし。」
照れ隠しなのかな、赤い顔してる。ふふっ、かわいい。
「じゃあ、何て呼べばいいんで……いいの?」
「そうだなあ……。普通に、下の名前で、とか……」
ぼそぼそと聞き取りずらい声で言った。あたしはちょっと戸惑って俯いて、勇気を出して、初めてその音を口にした。
「蓮……さん。」
蓮。日比谷、蓮。なんて素敵な音なんだろう。彼は照れたように笑って、あたしの肩を抱いた。
「早苗。ありがとう。」
あたしも何だか照れくさくなって笑った。彼が差し出してくれた箱からいびつなチョコレートをいっこ摘まんで口に放り込む。うん、甘い。
「この春から学校別れるんだな……。でも、またこうして会おうな。」
「うん。あたしも受験頑張らなきゃ。絶対にせんぱ……蓮さんと同じ高校行くから。待っててよね。」
「おう、頑張れよ。」
「そんで、また来年のバレンタイン……こうして迎えようね。」
あたしは思い切って彼に寄り掛かり、目を閉じた。頼もしくてあったかい存在があたしの背中を支えている。彼は黙ってあたしの髪に頬を寄せた。
結局この次の年、あたしの受験が終わっていなくて、バレンタインはお預けだった。
この時はまだ思ってもみなかったよね。これが、あたしと蓮くんの二人で過ごす最初で最後のバレンタインになるなんて――。




