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「完結済」「記録しか取り柄がない」と婚約破棄されたので、引き継ぎ書類だけ置いて静かに去りました  作者: 夢見叶
第3章 噂の刃、鍵穴の痕

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第13話 噂は三日で回る

 朝の玄関ホールに、封が3つ並んでいた。


 いつもより数が多い、とは思った。差出人の印は市場の仲買人、港の積荷商、それから見覚えのない商会名。全部が今朝の便で来たというのは、ロイドの顔色で分かった。普段は表情を崩さない彼が、盆の上の封筒を差し出す指先だけ、かすかに白くなっていた。


「本日の書状でございます」


「ありがとう」


 受け取りながら、封の縁を確認した。3通とも同じ場所が丁寧だった。赤い蝋。押しつけの力が均一で、まるでここだけ読ませたいように整っている。


 剥がさずに、わたくしは書庫へ向かった。


 期限。


 どれを開いても、最初に目に入るのはその言葉だ。本文は短い。「状況を確認するまで取引を留保いたします」「現在の条件では着荷を見合わせざるを得ない」「追って連絡する」。要するに、止まる、と書いてある。理由は何も書いていない。理由がないのではなく、書けないのだ。噂をそのまま紙に残す商人はいない。


 封の赤字だけが、やけに生きていた。




 廊下はいつもより静かだった。


 朝の使用人の往来が、どこかしら足が遅い。すれ違う者が目を伏せる。厨房に向かうはずの下働きが、角の手前で立ち止まって、誰かと耳打ちしている。その耳打ちが止んだのはわたくしの足音が届いてからで、止んだ瞬間にふたりの背中が「何もしていません」の形に戻った。


 聞こえた。最後の一文節だけ。


「王都の女が書庫を売った」


 七文字。充分だった。


 足を止めなかった。背表紙を撫でたい衝動を指の内側で堪えて、書庫の入口へ進んだ。感情は、今使う分じゃない。凪のまま記録する。揺れるのは、全部数えてからでいい。




「3通です。港、市場、東側のギルド窓口から来ました」


 執務室に入ると、レオンハルトはすでに机の前にいた。文書の束を開いたまま、わたくしが差し出した封書に目を落とす。


 彼は封を剥がさなかった。剥がす前に封の縁を見た。指がそこで止まる。赤蝋の丁寧さに、気づいたのだと分かった。


「止まる範囲は」


「港の着荷が先です。次に倉の受け渡し、それから税の照合。この順で止まると、7日以内に帳簿の穴が見えてきます」


 わたくしは記録帳を開いた。昨夜の時点で引いておいた線が、今朝の書状で3本とも実線に変わった。「可能性」が「確定」になった瞬間は、いつも静かで、いつも少し遅い。


「最初に打てる手は、どこだ」


「ギルド窓口です。直接話せます。でも今日中に」


 レオンハルトは短く息をついて立ち上がった。呼ばなかったのに、廊下からロイドの足音が近づいてくる。この方の部下は、来るべき時を誰かに教わらなくても知っている。




 ギルドの応接室は狭かった。


 四角い卓、四脚の椅子、窓のない壁。ロイドが扉の前に立ち、わたくしとレオンハルトが卓についてから少し経って、窓口の会計係が書類の束を抱えて入ってきた。若い男で、目が少し泳いでいた。


「本日は急なお時間を頂戴いたしまして」


「こちらも急ぎで参りました」


 わたくしは先に口を開いた。レオンハルトが一拍だけ止まって、続きを聞く形になった。この方はいつもそうする。割り込まずに、まず聞く。


「取引の留保について確認させてください。原因が何であれ、書面での理由をお示しいただけますか」


 会計係の目が止まった。当然だ。書面で理由を要求されると思っていなかった。噂に書面はない。口で言えることを、紙には書けない。


「それは……少々お時間をいただきたく」


「承知いたしました。では期限をいただけますか」


「……明後日には」


「ありがとうございます」


 わたくしは記録帳に書き入れた。「2日」と「書面待ち」。この2文字が残れば、相手は書面を書かなければ不履行になる。書けば、そこに噂ではなく理由が残る。どちらに転んでも、こちらには材料が増える。


 会計係が、菓子皿に手を伸ばすこともなく退室した。入れ替わりにロイドが近づいてきて、卓の上の菓子皿をひとつ増やした。


「本文が無い場合は甘味を……」


 沈黙が、横から二方向同時に落ちてきた。


「「そこじゃない」」


 わたくしとレオンハルトの声が重なった。ロイドは真顔のまま、菓子皿を元に戻した。


 窓のない部屋に、少しだけ空気が戻った。




 返し際に、レオンハルトが低い声で言った。


「噂は三日で回る、と言っていたな」


「はい」


「止まるのは、どのくらいだ」


 わたくしは一拍、考えた。計算ではなく、確認のための一拍だ。


「噂は三日で回ります。……でも、止まるのは一晩です」


 彼の目が細くなった。


「一晩で止まる材料があれば、か」


「ええ。材料は証拠です。証拠が先に回れば、噂は後から来ることになる。順番が変わります」


 廊下を歩きながら、彼はしばらく黙った。否定ではない。計算している顔だ。この方が黙っている時は、動いている。口が止まるほど頭が早く動いている時の静けさだ、とここ数週間で分かってきた。


「疑うなら、わたくしじゃなく――順番を疑ってください」


 彼の歩みが、半歩だけ止まった。止まったのは一瞬で、すぐに続いた。でも確かに止まった。


 理由は聞かなかった。聞かなくても、記録はされた。




 夜、書庫の灯りの下に戻った。


 今日の動きを順番通りに記録帳に落とした。3通の書状、廊下で耳に入った7文字、応接室で会計係の目が止まった場所、そしてギルドが書面を寄越すまでの2日間。ここまでが材料だ。


 索引箱の前に立った時、右端の箱の角が少しだけずれているのに気づいた。よく触る箱ではない。朝の時点では、揃っていたはずだ。


 指で軽く触れた。


 重さは変わらない。中身は減っていない。ただ、角だけが、1センチほど外に出ている。


 揃え直して、記録帳に短く書き入れた。「索引箱、朝と比較して角のずれ」。理由は書かない。理由がない時こそ、形だけを残す。


 灯りが揺れた。窓の外に風が来た音がした。


 明後日までに書面が来れば、証拠の材料が1枚増える。来なければ、「来なかった」という記録が1枚増える。


 どちらに転んでも、手は前に動く。


 それだけを確認して、ペンを置いた。


 次の朝、彼はまた廊下で待っているかもしれない。「城から出るな」の一言と一緒に。守るつもりで言う言葉が、もうあと一歩で命令になりそうな、そのぎりぎりの場所で。


 わたくしは灯りを消した。記録帳を閉じる前に、最後に一行だけ書き足す。


「噂は3日で回る。証拠は、誰が持つかで回り方が変わる」


読んでいただき、ありがとうございます。


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