第12話 本文のない通知、残るのは期限
玄関ホールに足を踏み入れた瞬間、ロイドの指が止まっていた。
封書を両手に持ったまま、彼は動かない。その背中の緊張が廊下の空気ごと固まっている気がして、私は思わず歩調を緩めた。
「……到着です、セレスティーヌ様」
名前で呼ばれることに、まだどこかがざわつく。ひと呼吸おいて、私は彼の手元へ視線を落とした。
王都の印章。六角形の封蝋――王宮書庫管理局が使う判型だ。ただし、割れている。
「輸送中の破損ですか」
「……そう、見えなくもないです」
見えなくもない。言い切れない言葉の滑り方が、私の指先を急かした。封書を受け取り、割れ目の断面を確かめる。外側から押しつぶすように崩れていた。落下の痕ではない。摩擦でもない。
誰かが、開けた。そして、閉じ直した。
玄関ホールに、ロイドと私だけの沈黙が落ちた。
書庫の作業机に封書を置くと、レオンハルトがすでに手を止めて待っていた。私が入った瞬間に察したのか、書類から目を上げてこちらを向いている。
「王都か」
「管理局の印章です。ただ封蝋が……」
「……見た」
一言で返して、彼は無言で手を差し出した。封書を渡す。受け取った彼の指が、割れ目の縁を一度だけなぞった――署名欄や封蝋にだけ触れる、あの癖。
開封された。中身が卓上に滑り出る。
紙が、1枚。
レオンハルトの手が止まった。
私は覗き込んだ。
本文がない。
日付と差出人の署名欄と――それだけだ。右下の隅に、赤い数字でひとつの日付だけが記されている。期限だ。3日後の日付が、やけに丁寧な筆致で書かれていた。まるでそこだけは消せないと言い張るように、他の余白がすべて白紙なのに、その数字だけが呼吸をしている。
声が出た。自分でも気づかないうちに、言葉になっていた。
「命令なら、本文があるはずです。……期限だけ残すなんて、怖すぎる」
沈黙が落ちた。レオンハルトは紙を裏返した。裏も白い。封書の内側を確認した。何もない。期限だけが、残っている。
私は椅子ごと寒くなる気がした。誰かが何かを伝えようとしている。いや――伝えないことで、伝えようとしている。それが一番怖かった。
そこへドアが開いて、ロイドが茶盆を持って入ってきた。
「……本文が無いなら、せめて茶請けを増やします」
私とレオンハルトは、ほぼ同時に小さく言った。
「そこじゃない」
ロイドが真顔のまま一礼する。私は息を吐いた。笑いそうになるのを堪えて、記録帳を引き寄せた。
「書きます」
「……何を」
「欠落です。本文のない通知が届いた事実を、無いことも含めて記録します。欠落も、記録のうちです」
彼が私を見た。何かを言いかけて、やめた。
索引札を切り、日付と差出印と状態――本文欠落の4文字を書き入れる。手が震えそうになるのを感じて、ペンを少し強く握った。書いた文字は変わらない。記録した事実は消えない。それでいい。恐ろしいものは、記録してから怖がる。
「……よく書けるな」
「書かないより、怖いので」
返答しながら索引札を揃えた。小さく呼吸を整えて、記録帳の角を指先で押さえる。背表紙を撫でる代わりに、手元を固めた。
廊下に出たのは昼過ぎだった。古棚の確認へ向かおうとした私の横に、レオンハルトが並んだ。
「城内に留まれ」
一言だった。理由も、柔らかさもない。
私は歩みを止めなかった。
「……出ません」
「わかった」
「でも」
足を止めて、彼を見上げた。
「閉じ込められもしません」
彼の目が細くなった。否定でも肯定でもない。ただ、私の言葉を受け止めた顔だった。
わかっている。「城から出るな」は命令じゃない。怖さだ。この方は守ろうとしている。でも私が一番怖いのは、守られることの形が「隔てること」に変わる瞬間だ。以前もそうだった。「必要だ」と言われながら、部屋に置かれて外側から鍵が閉まる――そういうことを、もう一度経験する気は、なかった。
「……わかってる」
彼が静かに言った。声は低くて、短くて、それだけだった。
「閉じ込めるつもりじゃない」
胸の奥で、何かがひとつ揺れた。凪が、揺れた。
不思議なことに、怖くなかった。ただその一言が消えずに残った。記録魔法が拾ったのではなく、私自身が――手放したくなかった。
夜、書庫の灯りの下で、私は一人だった。
記録帳を開く。欠落の項目。本文のない通知。期限の赤字。
ここまで来て、ようやく気づく。封蝋の割れた痕も、本文の欠落も、期限だけがやけに丁寧に残されていることも――すべてが誰かの意図だ。間違いや偶然ではない。そこだけは消せないように書かれた数字。つまり、相手はこちらに「期限だけを知らせたい」。
なぜか。
理由はひとつしかない。
期限が来た時、こちらに動かせる手が少ない方が都合がいい。
私は新しい索引札を切った。「期限の連鎖」と書き入れて、白紙のまま台帳に差し込む。内容はまだない。でも枠だけ先に作る。そうしないと、間に合わない気がした。
3日。残り3日だ。
灯りが小さく揺れた。窓の外、城壁の向こうの夜に、私は目を向けなかった。
噂は、期限より速い。
3日あれば、王都から辺境まで走れる。これが最悪の速さで来ると分かっているのに、私はペンを置かなかった。
期限は3日。――噂は3日で回る。
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