表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/5

第5話 確率という言い訳

 写真を見てから、世界の輪郭が少しだけ変わった。


 校舎の白い壁。ひび割れのない床。窓から差し込む光。

 それらが「当たり前」であることを、俺は今まで疑ったことがなかった。だが、2500年の街並みを写したあの一枚が、当たり前という言葉の足場を、静かに削っていった。


 壊れていない世界は、壊れた世界と地続きだ。

 ただ、まだ結果が見えていないだけ。


 放課後、俺は科学部の部室にいた。

 実験台の上には分解されたラジオと、未整理のノート。埃っぽい匂いがする、落ち着く場所だ。ここなら、余計な感情を挟まずに話せると思った。


「で、未来人から何を聞いたんだ」


 眼鏡をかけた友人――この学校で一番頭がいい、と教師からも一目置かれている男が、椅子に腰かけながら言った。

 彼は俺の話を、冗談として流さなかった。信じているわけではないが、否定もしない。仮説として扱う。その態度が、今はありがたかった。


「超能力者の分類と、発現率」


 俺は、頭の中で整理した数字を一つずつ口に出す。


「自然現象系が四割。火とか氷とか、分かりやすいやつ」

「概念系が二割五分。時間、確率、記憶、因果……そういうの」

「肉体強化が一割」

「その他の進化系が五%」

「残り二割は、分類不能」


 友人は黙って聞いていた。

 途中で口を挟まないのは、彼が本気で考えている証拠だ。


「……なるほどな」


 彼はノートを引き寄せ、シャーペンで簡単な円グラフを描いた。


「つまり、進化系はスーパーレア」

「ソシャゲで言えば、最高レアの中のさらに上だ」


「そういう言い方すると思った」


「事実だろ」


 彼は淡々と言う。


「全体の五%。しかも“進化系”って、定義が曖昧だ」

「当たりだとしても、即戦力とは限らない可能性が高い」


 正論だった。

 未来人ですら前例が少ないと言っている能力だ。発現したところで、何ができるか分からない。分からないものに期待値はつけられない。


「で」


 彼は顔を上げ、俺を見る。


「そのキャンディ、まだ三つあるんだろ」


「……ああ」


 引き出しの奥の感触が、頭に浮かぶ。


「個人的にはさ」


 俺は、一瞬だけ言葉を探してから続けた。


「お前に使いたいと思ってる」


 部室の空気が、ほんの少しだけ張り詰めた。

 彼は驚いた顔をしなかった。ただ、ペンを置いて、ゆっくり息を吐いた。


「合理的じゃない」


 即答だった。


「最悪に備えて温存すべきだ」

「使うなら、もっと状況が悪くなってからでいい」


「その時になってからじゃ遅いだろ」


 俺は、思っていたより強い口調で言っていた。


「もし、お前の能力が俺の能力みたいに“進化するタイプ”だったら」

「時間そのものが武器になる」


 友人は眉をひそめる。


「時間が武器になる、ってのは分かる」

「だが、その前提が成立する確率が低すぎる」


 彼は円グラフを指で叩いた。


「五%だぞ」

「全体の中で見たら、ほぼ外れ枠だ」


「だからだよ」


 俺は、言葉を重ねる。


「誰も賭けない」

「だから、意味がある」


 彼は首を振った。


「それはギャンブルだ」

「期待値で考えれば、今使う理由がない」


「期待値の話じゃない」


 俺は、自分でも驚くほど冷静に言った。


「これは“位置”の話だ」


「位置?」


「そう。時間軸上の位置」


 俺は机の端に手を置き、言葉を選びながら続ける。


「今は、まだ壊れてない」

「でも、写真で見た未来は、もう“結果”だ」


 友人は黙っている。

 彼は、感情で反論しない。だから、こちらも感情をそのままぶつけるわけにはいかない。


「結果を見たあとで準備しても、遅い」

「準備は、結果が見える前にしかできない」


「それは理屈としては正しい」


 彼は認めた。


「だが、だからといって五%に賭けるのは合理的じゃない」


「合理的じゃないから、俺がやる」


 自分で言って、少し可笑しくなった。

 未来人みたいな言い回しだ、と思った。


「……お前さ」


 友人は、しばらく考えてから言った。


「自分が特別な位置にいるって思ってないか」


 核心だった。

 俺は一瞬、言葉に詰まる。


「思ってる」


 否定しなかった。


「少なくとも、何も知らなかった昨日までとは違う」


 写真が脳裏をよぎる。

 義手。瓦礫。暗い夜の街。


「俺はもう、未来を“知ってしまった側”だ」

「知らなかったふりをして、合理性だけで動くのは無理だ」


 友人は、静かに息を吸った。


「……それは、責任の話か」


「多分な」


 責任という言葉を、俺は昨日まで避けていた。

 けれど今は、避けられない。


「知ってしまった以上、選ばないことも選択になる」


 彼は、しばらく黙っていた。

 科学部の部室には、時計の秒針の音だけが響く。


「なあ」


 やがて、彼は言った。


「もし、その五%を引かなかったら?」


「引かなかったら、外れだ」


「じゃあ、その時どうする」


 俺は即答できなかった。

 だが、答えは心の中にあった。


「その時は、その時だ」

「少なくとも、“やらなかった後悔”は残らない」


 彼は苦笑した。


「完全に非合理だな」


「そうかもな」


 それでも、俺は視線を逸らさなかった。


「でも、お前が言った通りだ」

「合理性は、今を生き延びるための道具でしかない」


 彼は小さく頷いた。


「……分かった」


 完全に納得したわけではない。

 だが、理解はした、という顔だった。


「条件がある」


「何だ」


「今は使わない」

「使うと決めるなら、ちゃんと準備する」


「準備?」


「能力が進化型だった場合の仮説を、全部洗い出す」

「制御不能だった場合の対策も考える」


 それは、彼なりの譲歩だった。


「……ありがとう」


「礼を言うのはまだ早い」


 彼は眼鏡を押し上げる。


「俺は反対のままだ」

「だが、お前が五%に賭けるなら、せめてその五%を最大化する」


 最大化。

 その言葉が、妙に頼もしく聞こえた。


 部室を出ると、夕焼けが校舎を赤く染めていた。

 何事もない風景。だが、俺は知っている。これが永遠ではないことを。


 帰宅して、部屋に入る。

 引き出しを開け、キャンディの箱を取り出した。


 三つ。


 軽い。

 ただの飴玉にしか見えない。


 けれど、未来人は断言した。

 彼女の世界には、こんな形の超能力発現は存在しない、と。


 つまりこれは、彼女の未来の延長線上にはない。

 延長線上にないものは、分岐点になり得る。


 五%。

 数字としては低い。

 合理的に考えれば、選ばない理由しかない。


 それでも。


 時間が武器になる能力は、時間がある時にしか育たない。


 俺は箱を閉じ、机の上に置いた。

 使うかどうかは、まだ決めていない。


 だが、決める時が来ることだけは、分かっていた。


 未来は、確率でできている。

 けれど歴史を動かすのは、いつだって「合理的じゃない選択」だ。


 俺は、五%の重さを掌に感じながら、静かに息を吐いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ