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第4話 写真の中の戦後

翌日、俺は普段通りに学校へ行った。

 教室で挨拶を交わして、先生の話を聞いて、ノートを取り、昼休みに購買へ向かうクラスメイトの列を眺める。そういう、何でもない動作の一つ一つが、妙に現実を強調する。


 ――2026年。

 ――日本。

 ――高校一年。


 昨日、2500年と繋がったと頭では理解しているのに、目の前の景色は何一つ変わらない。だからこそ、感覚のどこかが追いつかない。未来人が存在する世界と、教室の埃っぽい匂いが同じ現実に属していることが、信じがたい。


 放課後、部活見学を終えて帰宅し、夕食を済ませて部屋に戻った。机の上には、数学のワークと英単語帳。引き出しの奥には、三つのキャンディ。

 俺は、どちらにも手を伸ばせないままベッドに腰を下ろした。


 自分が何者なのか、まだ分からない。

 透明なウィンドウが「能力」だと呼べるものなのかすら曖昧だ。

 それでも、昨日の会話以降、俺の中で一つの感覚が固まっていた。


 ――この相手は嘘をついていない。

 少なくとも、「2500年」という数字は、冗談のための飾りではない。


 だからこそ、確かめたくなる。

 確かめるという行為は、もう一段深い場所へ足を踏み入れることだと分かっているのに。


 スマホを手に取り、画面を眺める。

 何か通知があるわけでもない。透明なウィンドウはスマホのアプリではなく、視界に直接浮かぶ。だから、スマホを握るのは気休めに過ぎない。


 それでも、俺はスマホを握ったまま、天井を見上げた。

 息を吐き、目を閉じかけた瞬間――視界の端が淡く光った。


 来た。


 青みがかった枠。

 ウィンドウはいつもより少し大きく、どこか「余白」を感じさせた。


『ねえ』


 彼女の文字が現れる。

 昨日と同じ軽い呼びかけなのに、俺の心臓はわずかに跳ねた。言葉が軽いほど、背後にある現実が重くなる。


『昨日、ごめんね』


 謝られると、かえって困る。俺は何を許す立場でもないし、そもそも俺の方が彼女に問い詰めたのだ。


『いや』


『ううん、私の方が悪い。

 君の“今”に、変な穴を開けた』


 穴。

 ぴったりの表現だった。日常に細い裂け目ができて、そこから冷たい空気が入り続けている。


『でもさ』


 彼女は続ける。


『言葉だけだと、信じられないよね』


 俺の胸が詰まる。

 信じられない、というより、信じたくない。信じてしまったら、日常が戻らない。


『……うん』


『だから』


 一拍置いて、ウィンドウの端に、見慣れない表示が浮かんだ。


《機能解禁:画像共有》

《送受信が可能になります》


 俺は目を瞬いた。

 今までのウィンドウは、ただ文字をやり取りするだけだった。写真なんて、現実の匂いが強すぎる。文字は曖昧にできる。言い回しで逃げられる。けれど画像は逃げない。写っているものが、そのまま突きつけられる。


『……これ、何』


『たぶん、君の能力の進化?』


 彼女は軽く言うが、俺の喉は乾いていた。能力。進化。どれも、俺にとってはまだ確定していない単語だ。


『ねえ、見せて』


『何を』


『君の世界。教室とか、空とか、そういうの』


 彼女の要求は、意外なほど素朴だった。未来人なら、もっと重要な情報を求めるはずだと思っていた。例えば、政治や軍事や、技術の進歩。けれど彼女が欲しがったのは、ただの“空”だった。


 俺は、迷った。

 スマホのカメラを使えばいいのか、それともウィンドウに直接“意識”を向ければいいのか。試すように、俺は机の上の英単語帳にスマホを向けてシャッターを切った。


 すると、信じられないことに、撮ったはずの画像がスマホではなく、透明なウィンドウの中に現れた。まるでウィンドウそのものが送信機能を持っているみたいに。俺は息を呑んだ。現実の写真が、現実の端末を通らずに、直接この窓へ流れ込んでいる。


『うわ』


 彼女の反応は早かった。


『本当に紙の教科書だ』


 紙の教科書。

 俺はその一文で、胸の奥がひゅっと冷える。未来では紙は珍しいのか。珍しいとしても、反応が妙に「懐かしむ」感じだった。


『珍しいの?』


『うん。便利じゃない?

 でも逆に、こういうのって安心する』


 安心。

 瓦礫の山で育ったと言った彼女が、紙に安心する。それが、妙に胸に刺さる。


『じゃあ今度は私の番』


 彼女の文字が打たれる。

 次の瞬間、ウィンドウが一度だけ暗転した。送信中のように、画面の中に薄いノイズが走る。まるで、遠い場所から何かが引きずり出されるような感覚。


 俺は無意識に息を止めていた。


 表示されたのは、一枚の写真だった。


 最初の印象は、拍子抜けするほど「普通」だった。

 画角の中心に、女の子が立っている。制服――というより、制服に似た服装。ブレザーっぽい上着に、スカート。髪は暗めで、肩のあたりで揃えられている。表情は、気取っていない。スマホで自撮りしたような角度で、少しだけ目線が外れているのも、いかにも現代の高校生っぽい。


 ――同い年。

 そう言われたら、そう見える。


 だが、その「普通」は、二秒で崩れた。


 俺の視線が、彼女の腕に吸い寄せられる。

 画面の左側、ブレザーの袖が少しだけ捲れている。その下から覗くのは、人間の皮膚ではなかった。


 金属。


 関節の位置が、人間のそれと一致しているのに、材質が違う。光の反射が硬い。皮膚の柔らかさがない。

 義手――そう認識するより早く、俺の体が冷たくなる。


『……腕』


 俺はそれしか打てなかった。


『あ、そこ見た?』


 返事が軽い。軽すぎる。

 それが一番怖い。


『うん。義手?』


『うん。義手。正確には“代替腕”って呼ぶけど』


 代替腕。呼び方がいちいち現実的だ。

 未来の言葉なのに、妙に無機質で、日常の用語みたいに馴染んでいる。


『事故?』


 俺が訊くと、彼女は少し間を置いた。


『事故、って言えば事故かな』


 言い方が曖昧だった。

 事故に分類してしまえば話は簡単になる。でも彼女は簡単にしない。簡単にできないのだ。


『……戦争?』


 俺は、自分で自分の言葉に驚いた。

 昨日は“第四次のあと”と言われただけだった。だが写真の義手が、その言葉を現実の形に変えてしまった。


『うん』


 肯定は短い。

 それだけで、写真の中の彼女の笑顔が別のものに見えた。笑っているのではなく、“笑える顔”を覚えたのだ、と。


 そして、腕よりも遅れて、もう一つの異常が視界に入ってきた。


 背景。


 彼女の背後にあるのは、街並みのはずだ。だが、整っていない。コンクリの壁にはひびが入っている。窓枠が歪んでいる建物がある。遠景には、骨組みだけ残った高層の影が見え、そこに布のようなものが垂れている。工事中なのか、崩壊の途中なのか判別がつかない。どちらにせよ、平時の景色ではない。


『……これ、どこ』


『家の近く』


『家の近くが、これ?』


 俺の問いは、ほとんど責める形になっていた。彼女は責められる理由がないのに、俺の中で、彼女の未来が俺の世界を侵食していく感覚があった。


『うん。普通だよ』


 普通。

 その言葉が、昨日よりもずっと重く響いた。


『普通って……』


『普通。

 崩れてない所もあるけど、こういう所もある。

 あと、修復が追いついてないだけ』


 追いついてない。

 復興、という言葉が喉まで出て止まった。復興の途中の街。瓦礫。義手。第四次世界大戦。全部が一本の線で繋がっていく。


 なのに、彼女の服装は、あまりにも今の高校生に近い。

 ブレザーも、スカートも、髪型も、表情も。未来なら、もっと機能的で、もっと違う文化になるはずだ。戦後なら、もっと粗末な布を纏っているはずだ。どちらにも見えない。「今」と同じ形だけが残っている。


『服は……普通なんだな』


 俺がそう打つと、彼女は少し笑うような文を返した。


『それ、よく言われる』


 よく言われる。

 つまり彼女は何度も同じ驚きを見てきた。


『服ってさ、最後まで残るんだよ。

 だって、文化って“見た目”だから』


 見た目。

 見た目は残る。中身は壊れる。腕みたいに。


『ねえ』


 彼女が送る。


『君、私のこと信じた?』


 信じたくない。だが、信じざるを得ない。

 俺は写真を見ながら、自分の手が震えているのを感じた。これはもう、文字の遊びではない。遠い未来の現実が、画像として俺の目に焼き付いている。


『信じた』


 正直に打った。

 すると彼女は、少しだけ間を置いて返してきた。


『そっか。ありがと』


 ありがと。

 その礼が、胸に刺さった。信じてもらうことが、彼女にとっては簡単ではないのだ。


『でも、怖い』


 俺がそう送ると、彼女はすぐに否定しなかった。


『分かる』


 たった二文字が、昨日よりも近かった。写真のせいで距離が縮まったのか、それとも距離が壊れたのかは分からない。


『ねえ』


『なに』


『君の世界って、まだ……壊れてない?』


 壊れてない。

 その問いは、俺の世界を確認する問いであると同時に、彼女自身の希望の確認にも聞こえた。俺が「壊れてない」と答えれば、彼女の世界が“まだ避けられる可能性”を持つことになる。俺が「壊れてる」と答えれば、彼女は歴史が固定されていることを受け入れなければならない。


 俺は、息を吸って答えた。


『壊れてない』


『そっか』


 静かな返事。

 けれど、そこには確かな熱があった。


『ねえ、もう一枚送っていい?』


『……いい』


 返事を打った瞬間、俺は気づいた。

 今、自分が何の許可を出しているのか。未来の画像を、もっと見せてもらう許可。つまり、もっと深く侵食される許可だ。


 二枚目の写真が表示された。


 今度は風景だけだった。

 夜の街。暗い。街灯の数が少なく、光が斑だ。空には煙のような薄い影がかかっていて、遠くに赤い点が見える。火なのか、信号なのか分からない。だが、どちらにせよ落ち着く色ではない。


 そして、写真の隅に、見慣れたものが写っていた。


 看板。


 漢字。


 日本語だ。


 俺は喉の奥が固まった。

 外国の戦後なら、どこか遠い悲劇として逃げられた。でもこれは、日本の未来だ。俺の未来だ。俺の住む国の延長線上にある景色だ。


『……日本、なんだな』


『うん』


『こんなになるのか』


 俺がそう送ると、彼女は少しだけ間を置いた。


『全部がこうじゃないよ』


 必死に否定するような文。


『でも、こういう場所があるのも事実』


 否定と肯定が同居している。それが彼女の世界の現実なのだろう。


『ねえ』


 彼女は続けた。


『君、私の腕見て、引いた?』


 俺は答えに詰まった。引いた、と言えば傷つける。引いてない、と言えば嘘になる。

 俺が沈黙していると、彼女は先に答えをくれた。


『大丈夫。慣れてる』


 その「慣れてる」が、義手よりも痛かった。


『みんなだいたい、どっか欠けてるし』


 欠けてる。

 俺は画面を見つめたまま、拳を握った。

 欠けてるのが当たり前の世界。その当たり前を、彼女は「普通」と呼ぶ。俺は、その普通を受け入れたくない。


『どうして……そこまで』


 俺がそう打つと、彼女はしばらく返事をしなかった。送信中の点滅が長い。彼女も言葉を探しているのだろう。言葉にしてしまえば、俺の世界がさらに崩れると分かっているのかもしれない。


『第四次のあと』


 彼女は、昨日と同じ言葉を繰り返す。

 けれど、昨日は文字だった。今日は写真だ。写真があるせいで、言葉が嘘に戻れない。


『……ねえ』


 彼女は、話題を変えるように続けた。


『君、さっき教科書の写真送ってくれたでしょ』


『うん』


『あれ見て思った。君の世界は、まだ“手前”だ』


 手前。

 時間の手前。崩壊の手前。

 そして選択の手前。


『だから、お願い』


『何』


『変なことしないで』


 変なこと。

 俺の頭の中で、引き出しの奥のキャンディが鳴る。


『……変なことって』


 俺が訊くと、彼女はすぐには答えなかった。

 答えられないのだ。答えてしまえば、キャンディの存在に触れてしまうから。昨日、彼女は「そのキャンディ、まだ残ってる?」と聞きかけて、会話を切った。今日も、同じことを言いかけている。


『未来を、軽く触らないで』


 ようやく来た文は、それだった。

 軽く触らないで。写真の中の義手が、その言葉の重さを保証している。


『俺は、ただ……』


 ただ何だ。普通に生きたいだけだ。金持ちになりたいと思っただけだ。誰かに助けられて、変なキャンディをもらって、変なウィンドウが見えるようになっただけだ。

 “だけ”を重ねるほど、言い訳にしか聞こえなくなる。


『ただ、何?』


 彼女は追及しない。問い返すだけだ。

 問い返すだけで、俺の中から言葉を引きずり出す。


『……分からない』


 俺はそう答えた。

 すると彼女は、少しだけ柔らかい文を返してきた。


『分からないなら、まだ大丈夫』


 何が大丈夫なのか。分からないことが安全なのか。

 俺はその「大丈夫」が怖かった。未来人が言う大丈夫は、時々「手遅れではない」という意味になる。


『ねえ』


 彼女が言う。


『写真、送ったから言うけど』


『うん』


『私、君に嘘はつきたくない』


 その一文は、妙に真剣だった。

 彼女の軽さが、初めて消えた気がした。


『君の今は、まだ壊れてない。だから、壊さないで』


 壊さないで。

 俺の胸の奥が痛んだ。壊す気なんてない。けれど、壊す気がなくても壊れるのが未来だと、彼女は知っている。


 俺は、机の引き出しに目をやった。

 見えないのに、そこに三つのキャンディがあることを体が覚えている。

 それは、小学生の俺がもらった“助け”の形をした、危険物かもしれない。


『……なあ』


 俺は、決定的な質問を避けたまま、別の角度から訊いた。


『君の時代って、超能力者っているの?』


 彼女の返事は、すぐ来た。


『いる』


『普通に?』


『普通じゃない。高いし、危険だし、成功率も低い』


 俺は息を呑む。

 ここで彼女が、別の未来の常識を持ち出した。義手よりも、戦後の背景よりも、“超能力”の話は俺の足元を直接揺らす。


『手術で作るって言ってたよね』


『うん。大手術。神経とか内臓とか。成功しても、その後が地獄』


 彼女の言葉は、淡々としているのに、そこに実感がある。見てきた者の実感。


『だからさ』


『うん』


『キャンディで能力が出るなんて、ありえない』


 俺の指が止まった。

 彼女は断言した。写真よりも強い断言だ。


『……じゃあ、俺のキャンディは』


 俺がそう打った瞬間、ウィンドウの端に、また見慣れない表示が浮かんだ気がした。ほんの一瞬、点滅しただけで消えたが、確かに何かが変化した。俺は見間違いだと思おうとした。しかし、心臓の鼓動だけが、見間違いではないと告げている。


 彼女の文が続く。


『一体、どの未来から来たの?』


 その問いは、俺の世界の中心を撃ち抜いた。

 彼女の義手も、戦後の街も、全部“未来の結果”に過ぎない。だがキャンディは、結果ではない。原因になり得る。原因が歴史の外から来ているなら、未来は“ただの延長”ではなくなる。


 俺は、答えを打てなかった。


 沈黙の間に、彼女はもう一つ送ってきた。


『ねえ』


『……なに』


『そのキャンディ、まだ残ってる?』


 昨日と同じ問い。

 けれど今日は、写真がある。義手がある。戦後がある。

 その問いの意味が、昨日とは比較にならないほど重い。


 俺は、引き出しに手を伸ばしかけて、止めた。

 答えを打たないことは、答えを隠すことだ。隠すことは、彼女を信用していないということだ。

 でも信用した瞬間、俺は「未来改変の共犯者」になる気がした。


『……ある』


 俺は、ようやくそれだけ打った。


 送信した瞬間、ウィンドウの向こう側が一瞬だけ暗くなった。まるで彼女が息を呑んだみたいに。


『三つ?』


 なぜ分かる。

 いや、四つもらって一つ使ったなら三つだ。論理としては簡単だ。けれど、その簡単さが今は怖い。簡単に辿り着くのは、簡単に踏み越えることでもあるからだ。


『……三つ』


 返した瞬間、彼女は短く送ってきた。


『お願い』


 そして、珍しく感情の色が濃い文章が続いた。


『誰にも渡さないで。今はまだ。

 君の世界が壊れてないなら、壊さないで。

 私の写真みたいな世界を、作らないで』


 俺は、言葉を失った。

 写真の中の義手が、彼女の文章の行間を埋め尽くしている。

 彼女は未来の結果を知っている。結果を知っている者は、原因を恐れる。原因が俺の手の中にあることを、彼女は知ってしまった。


 俺は、喉の奥が震えるのを感じながら打った。


『……俺は、どうすればいい』


 返事は、すぐに来なかった。

 送信中の点が三つ、ゆっくり点滅する。

 その点滅の時間が、俺には祈りに見えた。


『今は』


 ようやく、彼女の文が現れる。


『今は、何もしないで』


『それで未来は変わるのか?』


『分からない』


 正直な答えだった。

 未来人ですら分からない。それが、俺にとっては救いでもあり、絶望でもあった。


『でも』


 彼女は続ける。


『君が“何もしない”を選べるのは、今だけ』


 その一文が、胸に刺さった。

 何もしない、という選択肢があるのは、まだ壊れていない世界にいる者だけだ。壊れた後の世界では、何もしないことは許されない。生きるために動くしかない。


 ウィンドウは、ゆっくりと薄くなっていった。

 消える直前、彼女は最後に一言だけ残した。


『また話そ。君の空、見たいから』


 そして、消えた。


 俺はしばらく動けなかった。

 机の上には数学のワークと英単語帳。

 その隣には、写真の残像が焼き付いている。義手の金属の光。ひび割れた壁。暗い夜の街。漢字の看板。

 同い年のはずだった相手は、そこに立っていた。


 俺は引き出しを開けた。

 小さな箱の中に、三つのキャンディが並んでいる。カラフルな包み紙が、やけに無邪気に見えた。小学生の俺が「俺も使いたい」と言ったときの、あの軽さが戻ってくる。

 あの軽さのまま、未来を触ってはいけないのだと、今なら分かる。


 写真は嘘をつかない。

 写真は、未来を“結果”として見せる。

 そして結果を見た俺は、もう「知らなかった」側には戻れない。


 ――このキャンディは、どこから来た。


 2500年の女子高生が断言したように、彼女の世界には存在しない。

 つまり、彼女の未来の延長線上にはない。

 なら、もっと先か。もっと前か。あるいは、未来ではないどこかか。


 俺は箱を閉じた。

 手のひらに残った紙の感触が、現実の重さを持っていた。


 明日も学校へ行く。

 普通の顔で授業を受ける。

 クラスメイトの会話に相槌を打つ。

 その一方で、俺は確かに“未来”を見てしまった。


 透明なウィンドウは、俺にとって逃げ道だったはずだ。

 誰にも言えない本音を吐き出すための、穴だったはずだ。

 けれど今は、その穴の向こう側から、戦後の冷たい空気が吹き込んでくる。


 俺は机に額を当て、目を閉じた。

 その暗闇の中で、写真の義手だけが、何度も何度も、光っていた。

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