第2話 もう一人の相手
その翌日から、透明なウィンドウは以前より頻繁に現れるようになった。
授業中ではない。
風呂でもない。
決まって、考え事をしているときだ。
――宝くじ、どうする。
昨日の相手の言葉が、頭の中で何度も再生される。
同番号を十枚。
連番は買うな。
理由は分からない。
分からないままなのに、妙に具体的で、現実的だった。
その日の放課後、部活見学を終えて帰宅したあと、俺は自分の部屋で天井を見つめていた。
スマホは机の上に伏せたまま。
すると、視界の端に、いつもの光。
透明なウィンドウ。
……来た。
と思った瞬間、気づいた。
枠の色が、違う。
今までのウィンドウは、無色に近い透明だった。
けれど今回は、ほんのりと淡い色がついている。
言うなら、青と白の中間みたいな。
『え、なにこれ』
向こうから、先に文字が打たれた。
軽い。
やけに軽い。
『これ、チャット?
やば、初めてなんだけど』
俺は一瞬、指を止めた。
口調が、明らかに違う。
昨日までの相手は、淡々としていて、無駄がなかった。
でもこれは――
『初めてって、どういうこと?』
『そのまんまの意味!
なんか急に出てきたんだけど』
絵文字はない。
でも、文章のテンポが完全に同年代だ。
『え、もしかして君も?
このウィンドウ見えてる感じ?』
『見えてる』
『だよね!?
うわー、仲間いた』
仲間、という言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
昨日までの相手と話しているときは、常に試されている感じがした。
でもこの相手は、ただ驚いているだけに見える。
『私さ、女子高生なんだけど』
唐突だった。
『同い年くらい?』
『高一』
『まじで!?
やった、年近いじゃん』
やった、という反応が妙に自然で、俺は思わず苦笑した。
『昨日からこれ見えるようになった?』
『いや、今日の夕方かな
課題終わってベッドでゴロゴロしてたら急に』
ゴロゴロ。
その言い方が、やけにリアルだ。
『てかさ
このチャット、誰と繋がってるんだろ』
『分からない』
『だよね
名前も顔も出ないし』
そこまで打ってから、少し間が空いた。
『……でもさ』
『なに』
『なんか
変な感じしない?』
俺は、胸の奥が少しだけざわつくのを感じた。
『変な感じ?』
『うん
夢っぽいっていうか
現実感ないっていうか』
それは、俺も同じだった。
『でもまあ
害なさそうだし
暇つぶしにはなるよね』
害なさそう。
その言葉を、俺は一度頭の中で転がした。
『君はさ
何の相談とかした?』
『え?
まだ特に』
『そっか
私、進路とか聞こうかなって思って』
進路。
『進路?
早くない?』
『えー
そう?』
少し考える間。
『だってさ
高校なんて一瞬じゃん』
一瞬。
高校生活を“一瞬”と表現するのが、妙に引っかかった。
でも、言葉にするほどじゃない。
『将来どうしたいとか
ある?』
『特にない』
『そっかー
まあ、その時その時でいいよね』
この「その時その時」という言い方が、やけに軽かった。
『今を楽しめばいいってやつ』
『そうそう』
会話は続いた。
ゲームの話。
学校の雰囲気。
先生の愚痴。
テンポは合う。
笑いどころも近い。
なのに。
『てかさ
スマホ代高くない?』
『高い』
『だよねー
通信ってさ
基本インフラなのに』
俺は一瞬、指を止めた。
『インフラ?』
『あ
ごめん
そっちだとそうじゃないか』
そっち?
『どういう意味』
『あ、いや
言い方ミスった』
すぐに取り繕うような文が続く。
『普通に
生活必需品って意味ね』
納得できなくはない。
でも、妙に慣れた言い直しだった。
『ねえ』
『ん』
『君さ
お金持ちになりたいとか思ったことある?』
心臓が、わずかに跳ねた。
『ある』
『だよね
まあ普通思うよね』
『なんで聞くの』
『なんとなく』
少し間。
『でもさ
お金って
持ってるだけじゃ意味ないよね』
それは、昨日の相手が言ったことと、少し似ていた。
『使い方の方が大事ってやつ?』
『そう
でももっと言うと
“どこに置くか”かな』
置く、という表現が引っかかる。
『銀行とか?』
『うーん
それもあるけど』
そこで、彼女は言葉を切った。
『ごめん
これ以上言うと
ややこしくなるかも』
ややこしくなる。
まるで、先を知っているみたいな口ぶり。
『君さ』
『なに』
『このチャット
長く使えそうな気する?』
『分からない』
『だよね』
そして、何気ない調子で。
『でも
長く使えたら
面白いよね』
『どういう意味で』
『だって』
一拍。
『普通
こういうのって
すぐ終わるじゃん』
――普通?
俺は、その言葉の裏に、言いようのない違和感を覚えた。
『終わるって?』
『あ』
『いや
なんでもない』
取り消しは早い。
でも、一度出た言葉は戻らない。
『ねえ』
『うん』
『君ってさ
今が
何年の何月か
ちゃんと意識してる?』
その質問は、あまりにも唐突だった。
『2026年の4月だけど』
『そっか』
それだけ。
しばらくして、彼女はこう送ってきた。
『……ごめん
今日はここまでにしよ』
『え?』
『なんか
考えすぎそう』
最後に、軽い一文。
『また話そ
同い年だし』
同い年。
その言葉を残して、ウィンドウは静かに消えた。
部屋には、エアコンの音だけが残る。
俺は天井を見上げたまま、さっきの会話を反芻していた。
楽しかった。
確かに、楽しかった。
でも。
「高校は一瞬」
「通信はインフラ」
「普通、こういうのってすぐ終わる」
どれも、少しだけズレている。
俺は、引き出しを開け、キャンディの箱を取り出した。
中には、三つ。
まだ、誰にも渡していない。
透明なウィンドウは、今は見えない。
けれど、はっきり分かる。
このチャットは、
俺と同じ時間を生きていない誰かと、確実に繋がっている。
その相手が、どれほど遠い未来にいるのか。
あるいは、どれほど危険なのか。
まだ、知らない。
でも。
昨日の相手といい、今日の相手といい――
偶然で片付けるには、もう遅すぎた。
俺は机の上にスマホを置き、静かに息を吐いた。
次にこのウィンドウが開くとき、
きっと、何かがはっきりする。
そんな予感だけが、
夜の底に、重く沈んでいた。




