100億年後の年賀状
元旦の朝。
宇宙暦が意味を失うほど遠い未来──それでも私は、十六歳の女子高生として目を覚ました。
私の名前は綾音。
部屋の転送ポストに、一枚の紙が落ちていた。
電子でも投影でもない、時代錯誤なはがき。
《100億年後も、お前が笑っていますように》
胸が、理由もなくきゅっと痛んだ。
この文字を、私はずっと待っていた気がする。
◇
自動配膳マシーンは、注文者のウォレットデバイスを認識してからでないと作動しない。
それが、この時代の常識だった。
──なのに。
見たこともない古風な服装の男が、配膳マシーンの前に立ち、何事もなかったかのように「DANGO」を取り出したのだ。
ウォレットも使わずに。
男は、それを美味しそうに頬張り、そのまま歩き出した。
「……ちょっと!」
気づいたら、声が出ていた。
「神様が、無銭飲食していいと思ってるの!」
その瞬間──世界が、ひっくり返った。
◇
──100億年前。“令和”と呼ばれていた時代。
私は、神社の麓にある和菓子屋でアルバイトをしていた。
「団子、焼き上がりましたー!」
店先に団子を並べた、その時だった。
視線の先に、妙な男が立っていることに気づく。
古風な装束。
どこか浮世離れした雰囲気。
彼は、じっと団子を見つめ──次の瞬間、一本をひょいと取り上げた。
そして。
もぐもぐと、美味しそうに食べながら、立ち去ろうとした。
「……無銭飲食!」
思わず声を張り上げる。
男が、ぴたりと足を止め、振り向いた。
「ちょっと! お金払って!」
怒鳴ったけれど、周囲の空気が変だった。
店主も、通行人も、誰一人こちらを見ていない。
まるで──男の姿が、見えていないかのように。
「……何に怒ってるの?」
「独り言?」
そんな声が、背後から聞こえた。
混乱する私を見て、男は目を細めた。
「お前、ワシが見えているのか?」
「……え?」
彼は、ため息まじりに笑った。
「困ったのう。人に見られてはならぬのだが」
その時、私は理解した。
「……神様?」
「いかにも」
男は、神社の神様だった。
◇
それから、私たちはよく会うようになった。
団子を買い、縁側で並んで食べて、他愛ない話をした。
気づけば、恋に落ちていた。
でも──神様は、人間と恋をしてはいけない。
その決まりの代償は、消滅だった。
「……後三日だけ、この世界にいられる」
そう告げられた時、私は泣かなかった。
ただ、残された時間を、必死に一緒に過ごした。
何も言わず、彼もそれを楽しんだ。
三日目の夜。
別れの時。
私は彼に抱きつき、泣きながら叫んだ。
「100億年経っても、絶対に忘れないんだから!」
彼は、驚いたように目を見開き──やがて、優しく笑った。
◇
──現在。
視界が戻る。
目の前には、DANGOを食べ終えた古風な男。
胸が、熱くて、苦しくて、愛おしい。
「……やっと見つけた」
彼は、懐かしそうに微笑んだ。
「100億年ぶりだな、綾音」
私は涙をこらえ、言った。
「100億年経っても忘れないって、言ったでしょ」
彼は、満足そうに笑った。
◇
それからの三日間は、夢みたいに静かだった。
彼は相変わらずこの世界に長く留まれないらしく、昼と夜の境目が曖昧になる頃に、ふっと姿を現した。
私たちは、特別なことは何もしなかった。
DANGOを半分こにして、並んで座って、とりとめもない話をした。
「相変わらず、甘いもの好きなんだね」
「これだけは止められん」
そう言って、少し誇らしげに胸を張る姿が可笑しくて、私は笑った。
彼は、よく私の顔を見ていた。
何かを確かめるように、何度も。
「……変わらんな」
「なにが?」
「叱る声も、笑い方も」
胸が、少しだけ痛くなった。
三日目の夜。
空がやけに静かだった。
彼は、何も言わなかった。
けれど、分かってしまった。
「……行かなきゃ、だよね」
「そうだのう」
神様は、困ったように笑った。
私は、黙って一歩踏み出し、彼に抱きついた。
温度は、確かにそこにあるのに、もう薄れていく。
「百億年経っても、絶対に忘れないんだから!」
声が震えた。
「次も、その次も。どこに行っても、絶対に!」
神様は、一瞬だけ目を見開いて──すぐに、懐かしい笑顔を浮かべた。
「ははは。また叱られてしまうのかのう」
私の頭に、そっと手を置く。
「それは楽しみだ」
光が、彼の輪郭を溶かしていく。
最後まで、彼は笑っていた。
◇
翌朝。
転送ポストに、一枚の紙が届いていた。
古びた年賀状。
《100億年後も、必ず迎えに行く》
私はそれを胸に抱き、静かに息を吸った。
神様は消えた。
でも、約束は消えていない。
だから私は、今日も生きる。
叱る準備を、ちゃんとしながら。
──100億年後の、その先で。
〜〜〜おしまい〜〜〜
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