2ー8 蒼龍隊 その二
不審者の対応については、蒼龍隊基地の周囲の柵や入口に仕掛けを施してあり、簡単には余所者が侵入できないようにしているんや。
因みに周辺の柵と入口の二重扉には銅線を這わせて、電気が流れるようにしてある。
手順を知らずに無理に押し通ろうとすれば感電するわけやな。
一応電圧強度も三段階に分けてあって、最初は12ボルトでビリッと来るぐらい、それからさらに押し込もうとすれば120ボルトの電圧がかかり、三段目では480ボルトの高電圧がかかるようにしている。
三段目が発動すると、ショック死もあり得るかも知れないが、それは侵入者の自業自得と言うものやろう。
銅線は仙術で不可視にしてあり、1mぐらいの奥行きの中で複雑に張り巡らしてあるから、数人が別々のところから押し入ろうとしても停電などが起きずに対応できるはずなんや。
ついでに警報も鳴るんやで。
誰かが寮に寝泊まりしていればすぐに侵入者に気が付くことになる。
因みにこのために、俺(浩一郎)のいた令和の日本でも最新理論だった地熱と表層大気の温度差を利用した発電装置を設置しているよ。
出力200キロワット程度の品物だが、静穏性が高く、故障もしにくい優れものだ。
但し、地下深くまで掘らにゃいかんのと、大きさが3m四方の敷地と2.5mの高さの小屋が(地下施設でも可)必要なので一般家庭にはちょっと不向きかな。
お値段も2千万円を超える代物だ。
でも、蒼龍隊の基地なら余裕があるし、地下に隠して設置することもできる。
但し、地下深くまで一部施設と配線を設置しなければならないのが面倒なのかな。
まぁ、俺の土性仙術と異世界商店からの物資補給で十分対応できたけどね。
ついでに地下深くの温泉も掘り当てておいた。
蒼龍隊の隊員には、衣食住を支給するんやが、親や保護者が居て別の住環境があれば、この基地の寮に住まう必要も無い。
でも、基地に住んだ方が明らかに飯は美味い筈や。
何せ供給元は、俺の異世界商店やからね。
タダの米にしたって、味の方はグルメのお墨付きやで。
◇◇◇◇
それに釣られたか7月初めには、何処からか噂を聞きつけた女の子4人が一緒になって俺のところに蒼龍隊に入れろと直談判に来たな。
まぁ、戦闘には向かなそうなので衣食住の世話をするようお願いして、蒼龍隊への加入を認め、新たに女子寮を造って住まわせている。
家族もいるらしいが、家の方では口減らしのために、奉公にでもなんでも他所に行ってくれた方が家計的に助かるようで、親が率先して送り出している雰囲気もあるみたいやな。
何となくやるせないというか、せこいというか。
こんな時代ならば仕方がないのかな?
でもなぁ、なんだか、俺の親衛隊であるべき蒼龍隊が、住み込み女中の就職先と思われている節があるような気がするぞ。
実のところ、蒼龍隊の隊員には一応給料を支給しているんや。
一日に宋銭(若しくは明銭)で五枚や。
月にすると約百五十文になるんやが、この時代の銅銭四千枚(四貫文)は、後の世の一両程度の価値があるらしいんや。
天正19年頃の価値としては、米一石(150㎏)が八百文程度やったらしい(郷土史家の受け売り)から、単純に言うて、蒼龍隊員は概ね半年で一年分の米(一人分)を買えることになる。
令和の価値に直すと政府の補助金制度なんかもあって若干価値が異なってしまうんだが、キロで400円~500円前後かな。
この率で計算すると、実は1石の米が6万円程度になる。
実際の値段から言うと、もっと米の値段は高いんだぜ。
現代と昔の米の価値を同等とみるから妙なことになるんで、米を経済の基本としていた江戸時代なんかと、保護政策の一環で高く買い上げて安く売っているような昭和後半以降では米の価値が決定的に違うはずなんや。
例えば江戸時代の大工の日当は、150文から200文程度やったらしい。
この当時の大工さんが1両の金を手に入れるためには、20日以上を働かなければならないはずや。
今の賃金とは形態が違うだろうけれど、日当一万円でも1両は20万円相当になる。
実際問題として、一両の価値は10万円から35万円と諸説あるようだし、江戸時代も後半になると小判の価値が下がって3万円から5万円程度になっていたらしいけどな。
1567年(永禄10年)のデータに米3石で1両という情報があるらしく、俺にはその数値が妙に頭にこびりついている。(どこで知ったものか覚えてはいないんやが、あるいは出所は郷土史家の先生だったかもしれん。)
単純に言えば米450キロで一両(四千文)ということや。
現在の米価に直せば、5キロ4000円程度なら、1両は36万円、1文は90円程度になるんだよな。
でも、別の説では一文が20円とか、さらに120円程度という説もある。
ぶっちゃけた話、当時の物の価値というのがよく分からんのや。
まぁね、当時の物流は、地域限定やからあまり遠方には物は運ばれない。
そうした流通経路がある程度確保されるのは、秀吉の時代になってからやろう。
ほとんど固定化された消費経済の中では需要と供給というよりも商人の考え方次第で値が決まるし、米の買い占めなんかも起きるわけや。
俺が知っている秀吉の戦いの場面では、種々の買い占めが横行している。
秀吉というよりは、戦国時代当時の地方豪族の生き残りをかけた戦いにおいては、米の買い占めなんぞは常套手段だったに違いない。
但し、それを実行するには多額の金が必要やった。
従って、余程経済的に潤っていなければできない戦法だったとも言えるやろな。
◇◇◇◇
ワイは伊助じゃぁ。
羽柴の若様の子分になったからと言うて、ワイらの喧嘩が無くなっただけで、特段の暮らしに変わりは無かったんじゃが、それから一月ほどして若様から意外な話が持ちかけられた。
田村山に自分達の根城を作ろうと言い出したんじゃ。
山に根城を作ると言っても、ワイらには城を形作れるような代物は何もないぞ。
それにワイらの単なる溜まり場にするにしては、田村山は遠すぎるんじゃねぇか?
「若様よぉ、そんなとこに根城を作って一体何をするんじゃ。」
「田村山に俺らだけが使える根城を作り、そこで色々な稽古事をするんじゃ。
この辺は、今は戦も何とか収まっておるが、やがてここも戦場になるかもしれん。
自分の身を守るには、それなりの武術を身に付けなければ、この先、生きては行けんぞ。
戦が起きると農民が戦に駆り出されておろうが。
俺の手下になったからには、お前らを死なせはせん。
また、お前らのおまんまも俺が出しちゃる。
その代わりに、お前らは俺の旗本になって、俺のために働け。
そのための根城づくりじゃ。
お前たちが俺の企てに加わるなら、飯の保証はしてやるし、根城ができたなら住むところと銭もそれなりにやるぞ。
どうじゃ?」
「どうじゃって・・・。
若様がワイらを食わせるだけの力を持っておるんか?
それに銭をくれるって言うが、そもそも銭を持っておるんか?」
「おお、心配すな。
お前たちを食わせるぐらい造作もないことじゃし、銭もある。
その代わり、人に、特に、大人には言うな。
言えば、俺が銭を持っているとみて、誰ぞから狙われるやもしれん。
俺がそんな手合いにやられるわけもないが、お前たちを人質に取られると面倒じゃ。
じゃから、これは俺たちだけの秘密じゃ。」
なんか、若様の気迫に負けたというか、その場でみんなが頷いてしもうたぜ。
それから左程日を置かずして、田村山での根城づくりが始まったんや。
驚いたことに、若様がほとんど一人で田村山にあった木を切り倒して木材にするのと合わせて、俺らが手伝いで周囲に柵を設け、明確に縄張りをしたんじゃ。
若様の言うことにゃ、領主様の了解ももらっておるんじゃそうな。
その上で、さほど高い山でも無いんじゃが、頂上の平たい部分に小屋を建てよったんじゃ。
それこそ、今思えば全てがあっという間のできごとのようじゃったな。
朝に皆で田村山に移動し、若様に言われた通りに俺らが下草を伐採しておる間に、丘の上に至る道と切り開いた土地ができておったわい。
小屋なんかも、若様の指示通りにワイらが動いておると、何だかよくわからんうちに、できておったな。
いずれにしろ、さほど時を置かずして本当にワイらの根城ができておったぞ。
しかもその小屋というのが、ワイのおっとうとおっかあが住んでおる家よりも見栄えが良い家じゃぁ。
若様は「小屋」と言うちょるが、あれは小屋とは絶対に言わんじゃろう。
ワイらが寝る部屋が八つもある家じゃ。
一部屋に四人ほどが寝られる部屋が、八つじゃぞ。
それと、寝る部屋とは別に集会のできる部屋もあるし、飯を食う場所も別にある。
うん、間違いなくワイらの村長の家よりもデカいと思うぞ。
また、ワイらはいつも肥溜めの上に渡した二枚の板の上で糞をひりだすんじゃが、ここではちゃんとした厠があるんじゃ。
もう一つ、びっくりしたのは丘の上なのに水が出ることじゃな。
普通山の上とか丘の上では、雨が降った時にできる水溜まり以外に水なんぞありゃあせん。
若様曰く、地下から汲み上げた水じゃというんじゃが、ものすごくきれいな水じゃぞ。
何じゃかよくわからん道具の柄を上下させると、ジャバジャバと水が出て来るんじゃ。
こいつは井戸から水をくむよりも楽でエエわいな。
おまけにもう一つ、ワイらの根城には風呂場というものがある。
ワイにはようわからんが、やっぱり地下深くから温かい湯が沸いて出て来るらしい。
その湯が風呂場に誂えた湯船に、常時流れ込んでおるから、ワイらは何時でも風呂に入れるんじゃ。
若様は、ワイらに毎日風呂に入って身体を綺麗にしておけと言うておった。
ワイらの溜まり場が完成したその日は、一旦それぞれの家に戻り、家族に一言云うておくように言われたんじゃ。
翌日からこの田村山で過ごすことになることが本題なんじゃが、その際におっとうやおっかあに渡すよう言われたのが銭じゃった。
若様から渡された銭は、取り敢えず二十文じゃった。
ワイらは、田村山の根城で暮らしながら、色々と稽古をしたり、文字を習ったしていれば、毎日五文の銭がもらえると家族に伝えることになったのじゃ。




