6-1.「キセ・返す」
ご主人様があたしを拾った時にもう一人、美声男が傍にいた。
その彼、ベンジャミン(仮)の名前を漸く知ることができたのは本日――――この魔界に来てから間もなく七ヶ月経とうとする頃である。
紅階景の月も今は末。
いまや炎樹の盛り、城のどこからでも一面の紅を望むことができるようになった。
明々後日からは招枯季の月に入る。人界でいうなら10月。
時間の経過を考えれば、かなりかなり、遅い。
でも、これには理由があった。とはいっても、理由は単純。
彼の名前を今まで知ることがなかったのは――――単に彼とはタイミングが合わなかったのだ。
ご主人様の名前の場合――――名前を聞いても「ご主人様と呼べ」としか答えない――――とは違い、ベンジャミン(仮)とは初めにあった時以来、ロクに会話を交わすことはなかったのだ。
ご主人様の愛玩物たる私は遠出をしない。
それは、城の外に、というだけでなく、城の中とて自室として与えられた部屋と、その周囲数部屋。それと、ご主人様があたしを連れていった場所。
あたしの行動範囲はその程度のものといえばどれだけ狭い世界で生きているかお分かり頂けると思う。必然、ご主人様以外のひととの接触も少ないのだ。
ゆえに、私の中で彼はずっとベンジャミン(仮)のままだった。これで漸く「仮称」を取り外す事が出来る。
本名はベンジャミン(仮)よりもインパクトの強い名前だった。覚えやすくて結構な事である。
ナムエ=タクェというらしい。
あたしが人間界にいた時に、そんなキノコがあったなと思い出す。
思わず噴出しかけたらギロリと睨まれた。
あたしは平凡な人間だから、殺気などに敏感には出来ていない。
そんなあたしでも分かるほど、この時の彼は強い殺意を撒き散らしていたのだから、彼はよほど名前に強いコンプレックスがあるらしい。
どうもあたしは触れてはいけない所に触れてしまったようだった。
何か過去に嫌な事でもあったのだろうか。
余りに強い眼光に、問いただすこともできない。
ぶるぶると身を震わせるだけだ。
怯えたウサギのごとくぷるぷる震えていると、じっとあたしを睨みつけていたナムエの目の光が突然ふっと揺らいだ。
何かが彼の注意を引いたらしい。
彼はたくさん瞬きすると、下の方へ視線は降ろしていった。
(何?なんなの?)
居心地が悪い。なんかの品定め?
身動ぎするあたしの顔から下へ下へ。丁度、あたしの胸のある位置で止まった。
そして一言放つ。
「それ、何か入ってるんですか」
彼の言葉と共に、あたしの時も止まった。
一瞬何を言われたのかわからなかったが――――つまり、要するに、彼は、彼が興味を向けたのは、あたしの乳。そういうこと、らしい。
(――――そう。揺れた、揺れたのね、あたしの乳・・・・・・!)
ぷるんぷるんと揺れるその様を、彼は目撃したのだろう。
最近、たわわという形容詞が似合うようになってしまったソレは、柔らかい布地で出来たこの服ではそのラインを隠しきれて居なかった。
潔癖そうな顔をしていて意外に助平らしい、この男。
彼への認識をあたしは改めた。
思い返せば彼には出会ったばかりの頃、会話を交わすことができた僅かな機会にはガリガリの小汚い小娘だの、貧弱な小娘だのえぐれ胸だの、散々言われていた。
ひょっとすると巨乳崇拝者だった故の発言だったのだろうか。
女の価値は胸の大きさという判断基準の持ち主なのかもしれない。
そんな奴、滅びてしまえばいい。寧ろこの手で滅ぼしてやりたい。
叶うことならば、だが。
残念ながら、彼はあたしのご主人様の側近らしい。あたしのご主人様はちょっとアレな御趣味をお持ちの方だが、魔界では結構な地位にある。ナムエ=タクェはあんなに笑える名前だし、女の敵だが、仮にもそのご主人様の側近なのだ。その側近というからには彼もかなり偉い地位にある。
魔界では有名無実な地位はない。
直接敵に回すには相手が悪かった。
だからにっこり笑って、
「贅肉よ」
そう返すのがあたしにできる精一杯の意趣返し。
夢も希望も壊れるような現実的な発言を返してやるのがせめてもの反撃だ。
間違いなくこれは100%肉だから間違っていない。にっくにく。上げ底なんてものはしていない。
これのお陰でご主人様に捨てられるかもしれない危機が近づいてきているのだが、残念ながらあたしは胸は一番最後に痩せる体質のようで、自分の自由にはならなかった。
そろそろ成長が止まって欲しい。
だが、とっくの昔に止まってしまった身長と違い、未だ成長期の只中らしい。
ご主人様には食事を減らす事を何度か申し入れてみたのだが、残念ながら全て却下されてしまった。
唯一の救いは、こんな体型(といっても、メリハリの利いた女性としては望ましいラインなのだが…あたしがそっくりだと言われていたご主人様最愛の着せ替え人形はとてもスレンダーな体つきで、良く似た姉妹程度にしか類似点がなくなってきてしまったのが問題なのだ)になっても、ご主人様はあたしを可愛がってくれる事だろうか。それも何時まで続くか分からないが。
飽きられたら終わり。
その日ができるだけ遠いことを願っている。