5-4.「着せ替える」
* * *
本日何十着目かの衣装を着せられた時に、あたしはついに自分の体力の限界がやってきたことを悟った。
これでもう何着きたのだろう。あたしは自分が来ている衣装を見下ろした。
これもふりふり。何枚も重ね着するタイプの服で、着せてもらうにも時間がかかる。ご主人様の細くて綺麗な指は器用に動くけれど、それでも結構かかる。
今日はそろそろ勘弁して欲しい。
着せ替えられる対象がどんな扱いをしても文句をいわない人形と違い、あたしは生身の人間だ。
意外に着替えというのは体力を消耗するものだというのを、ここに連れてこられてからあたしは初めて知った。
勿論、一着や二着ならたいした事はない。
しかし、単位が一桁違う場合、それは結構な運動になる。腕をあげて下げて、足を上げて、下ろして。
何度も繰り返すと、体力のないあたしはすぐにへとへとになってしまう。
しかも、自分で好きに着脱をするのではなく、お人形さんのように、相手のしたいままにさせるというのは結構辛いものがあった。
何しろ、着せ替えられる側が寒かろうが、暑かろうが関係ないのだ。ご主人様が満足するか否かにかかっている。
加えて、あたしは幼児ではないから羞恥心というものがある。いや、あった、と過去形で言うべきだろうか。
度重なるご主人様の「遊び」により、あたしは羞恥心というものを意識から切り離す事に慣れてしまった。
毎回恥ずかしがっていては神経がもたないのだ。
あたしは顔立ちは幼いといわれるほうだし、ろくに食べていなかったせいで、体の発育は微妙なラインだったのだが、中身の方は少女よりは女の年齢に近かった。
その上、体は成長の一途を辿り、中身に体が追いついてきた。
成人男性に脱がされて羞恥心を覚えないほど、幼くはない。
ところが、ご主人様はそんなことを頓着もせず、人を人形サイズにした後は、彼が心行くまであたしで遊ぶ。
ド変態、と罵ったらすっきりするかもしれないが、命と秤にかける気にはなれない。
我慢してご主人様に付き合ううち、羞恥心からくる精神的な疲労はわずかに軽減したが、体力的な疲労は相変わらずだった。
「疲れたか」
ぐったりとしていると、漸くご主人様はあたしの疲労に気づいてくれたらしい。
もっと前に気づいて欲しかった、というのは贅沢だろうか。
「ええ、少し」
答えた後で、物凄く、と言えばよかったかとちらりと思った。
だが結局そうは言わず、
「少し、疲れたかも」
「そうか」
「ええ」
ご主人様はあたしが頷くのを確認して、「そうか」と頷き返すと、あたしをそっと持ち上げた。
あたしを持ち上げていないほうの手で、ご主人様はパチリと指を鳴らした。
すると大量の服が消えた。
どうやら今日はこれで解放してくれるらしい。
一室に放り込まれて、人間サイズに戻してもらった。
やれやれ。
* * *
着せ替え人形にされるのも疲れるが、かといって飽きられて殺されたり捨てられたりするのもイヤだ。
一体どうすればいいのだろう?
あたしはご主人様の遊びが終わると毎日のように考える。
そして、考えにふけるうちに、いつの間にか眠りの海でまどろんでいるのだ。
揺り起こされて、また同じことを繰り返してしまったことに気づく、というパターンだ。
キセが起きると食事のいい匂いがする。
「餌の時間だ、キセ」
こんな生活じゃ肉が付くのも無理はないと思った。