2.「キセ・飼える」
大柄な二人の声はよく通った。
大きな声を出さずとも、くっきりとよく聞き取れる。
こんな風になったあたしでも、何と言っているかを聞くのは難しくないことだった。
もっとも、その意味を完全に理解することができるかは、また別の話になるのだが。
「生き物ですから、そりゃあ飼えないことはないかと思いますが。飼うんですか?」
こんな小汚いものを、とベンジャミン(仮)がアレックス(仮)に言った。
嫌悪を隠さない声。おそらく、それはわざとなのだろう。
しかし、アレックス(仮)はベンジャミン(仮)のそんな様子など知らぬ風に、
「そうだ。飼えるか飼えないかどちらか聞いている。――――飼えるんだな?」
「ええ、恐らく」
わざとらしく、ベンジャミン(仮)は大きなため息をついてみせた。
しかし、アレックス(仮)はやはりそれもまた気づかぬ様子で――故意か無意識かはあたしには判断できなかった――言葉を続けた。
「では、連れてかえる」
このとき、既に薄ぼんやりどころではないほど朦朧としているあたしには、言葉が耳に入れど、意味はまったく理解できなかった。
頭上で繰り広げられる理解不能の会話は、時折あたしに向けられているとしか思えない(おもにベンジャミン(仮)の方向からの、刺し殺されそうなほどの鋭い)視線により、その会話の指し示す対象がどうやら自分なことらしいのはわかるのだが、内容と自分をうまく繋げることができないのだ。
(かえる? かえるがどうしたっていうの?)
「・・・気に入ったんですか?」
「気に入った。・・・・うちのアレに似ている」
「・・・アレですか」
ベンジャミン(仮)は呆れたような声をあげた。
美声男アレックス(仮)は「勿論」と短く肯定した。
(アレってなんのこと? それにかえるは・・・・・・?)
ぼーっとする頭で考えていると、急に持ち上げられた。
やせ細って軽くなったあたしの体だが、重力すら感じさせずに体が地面から離れたのには流石に驚いた。まるでシャボン玉みたいだ。
いくらなんでもそんなに軽くはなっていないはずだ。
驚いて目を開けた。
視界が急に高くなっている。
先ほどまでは立ち上がれすらしなかったのにどういうことだろう。
いや、今でも立ち上がることはできていない。
それどころか、自分の意志で身動きすることもできない。
ぴくりとも動かないあたしの体は、今、宙に浮いていた。
不思議な事に、あたしの体を支えるものは何もない。
持ち上げられているのは事実なのに――1m以上地面とは離れていると思う――あたしの体にふれるものは何もなかった。
(浮いてる・・・?)
そうとしか考えられない。
何しろ、あたしの体は「立ち上がっていない」のに、あたしが立ち上がった時よりも、高い位置に顔があるのだ。体制は地に伏した姿勢のまま。
信じられない光景だ。現実的に考えて、これは夢をみているか・・・あるいは飢えに耐えかねてあたしは既に死んでしまったか、そのどちらかだと思う。
けれど、第三の選択肢がふいにあたしの頭を掠めた。
【魔族】
姿かたちは人間に似た体をもつものもいるが、基本的に人間とは異なる種族。
(まさか・・・・・・嘘でしょう?)
はっきりと姿を見て取ることができないのが悔しかった。
魔族であるか否か確認することができない。
噂に聞く魔族は、恐ろしいほどの美貌か、あるいは怪異な体を持つ異形であるという。
人間離れした、という表現がまさに言葉どおり当てはまる存在なのだという。
「よし、では帰るか。・・・飼う場合は名前をつけるんだったか?」
「いえ、それは人間ですから名前は元からついているでしょう。貴方がつけたいなら別ですが」
「考えるのは面倒だ」
「ならば、お尋ねになってはいかがですか?」
「そうしよう――お前、名前は?」
ぐい、と顎を持ち上げられた。
重ねて「名を」と問われる。
「名前がいえたら、帰り次第餌をやろう」
餌、という言葉が耳に飛び込んできた。
飢えに飢えきったあたしはすかさず反応した。餌――ごはんだ。
話の流れは理解できていなかったが、ごはんだけは理解できる。
これは生存本能がなせる業なのか。単にあたしの食い意地が張っているだけなのか。
いずれにせよ、あたしは反射的に口を開いていた。
問われるままに自分の名を答えた。
「・・・キセ。キセよ」
「キセ、か」
満足そうな美声がそれを繰り返した。
「よしよし、キセ。帰るぞ」
よくできた、というように頭を軽くぽんぽんと叩かれた。
まるきり犬猫に対するような反応だったけれど、今のあたしにはとがめだてすることはできなかった。
不思議な力で体が浮いているという事体が、現実と夢の境を曖昧にしていたし、もともと飢えで意識が朦朧としていた。
第一、体を自分で思い通りに動かす事が出来なかった。
「暫くよい子にしていろよ。では、帰るぞ、キセ――魔界へ」
魔界。その単語を耳で捕らえた時には、既にあたしの体は闇に包まれていて、それに引きずられるように、意識の方も闇へと落ちていった。