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1.「キセ・飼える?」

※別HNで運営中の某自サイトの話を改稿しつつ、UPしていきますが、基本亀更新です※

 

 狭くて、小汚い路地裏で、あたしは泣きながら膝を抱えて丸まっていた。

 薄汚れたあたしがいるのにこれほど相応しい場所もないだろう。

 いつそこに入り込んだのかは覚えていない。

 そこにたどり着くまでに、散々さ迷い歩いたことだけはなんとか記憶にあったが、どうでもいいことだ。

 どうせそのうちそんなことなど忘れてしまう。覚えておく必要も特に無いことだから。

 時間の感覚はとうに曖昧になっていた。

 結構長い時間そこに居た気もするし、そうでない気もした。

 もしかしたら数日そこにいたのかもしれないし、そうではなく数時間、あるいは数十分であったかもしれない。


 ――ひもじくて、寂しい。


 泣いたところで何も解決しないのはわかっている。それなのに涙だけ後から後から湧き出すのはどうしてだろう。

 貴重な水分の浪費は忌避すべきことなのに、あたしはそれをコントロールするだけの意志の力も失っていた。

 失う水分の代わりに泥の混じった水をすすることで渇きに耐えたが、飢えの方はとうに限界だ。

 この前、物を口にしたのはいつのことだったろう?

 そろそろ、何か食べたい。

 でなければ、あたしの足元で既に腐り骨になりつつあったネズミの行く末と、同じ運命を辿ることだろう。

 

(――あたし、死んじゃうのかしら)


 誰にも省みられることがなく。

 狭く暗く汚く寂しい、こんなところで?

 死ぬならせめて、もう少し広く、もう少し明るく、もう少し綺麗な場所で、もう少しいい気分で死にたかった。

 けれど、萎えた足はこれ以上一歩も踏み出せそうに無い。


「これまで、かな・・・」


 短い自分の人生を思って、泣きすぎて枯れた声であたしは呟いた。



 * * *

 


 間もなく終わろうとする人生に運命はお慈悲をくれたのか。

 弱って朦朧としていたあたしの意識を覚醒させたのは、とんでもない美声だった。

「これは、飼えるのか」

 その声の素晴らしいことといったら!

 腰砕けものだった。

 既に立ち上がれないあたしにとってはこれ以上腰の砕けようもなかったが、健康で元気な時のあたしだったらよろめいて足をもつれさせる事くらいはしていたかもしれない。

 ――いい、声だった。

 神を信じない民族出身の(といっても別に神の存在を忌避する立場でもない。どちらかというと無節操にあちらの神様のお祝いに託けたイベントに参加したと思ったら、こんどはこちらの神様のお祭りに参加してみたりと、余り拘りが無いといったほうが正しい)あたしであったが、そのあたしをして「神の贈り物」と評したくなるほどのいい声。

 死ぬ間際にいい夢を見れた。

 いや、聞けた。

 心置きなく、というほどではないが、生を手放すことに少し覚悟をもてた。


 しかし、『これ』とはなんのことだろう? そしてカエル、とは何のことだ? 買える? 変える? 蛙? 替える?――飼える? 


 もはや立ち上がることも、物をよく考えることも出来ないほど弱っていたが、その言葉だけはするりと耳を突いて離れず、気になって仕方が無い。

 恐ろしいほどの倦怠感と戦って、首に力をいれる。するとなんとか顔を上げることができた。

 ――誰かがあたしのことを見ていた。

 とはいっても、何日も食べ物をろくに口にしていなくて、栄養不足のあたしはもう、物を良く見ることができない。

 だからはっきりと確認できたわけではない。

 それでも、じろじろと値踏みするような強い視線が肌を刺しているのは感じられた。

 強い視線には圧力がある。

 「見え」なくても、「感じ」るのだ。何かが、あたしのことを見ているのだと。

 ――どうやら、気のせいでなければ「これ」とはあたしのことを指しているようだ。

 そうであれば、「かえる」とは・・・・・・。



 それでも、やっぱりもしかして、猫か何かがあたしの傍にいて、それのことを言っているのかと思った。

 直ぐにでも地面に蹲りたくなっていたが、気力を振り絞ってあたりを見回した。

 けれど、何度気配を探ってもあたし以外の生き物、特に小動物がいる様子はなかった。

 ここらで見かけた小動物といったら、足元で既にほとんど骨と化した件のネズミくらいである。

 それもそうだ。もし生きている小動物が居たのであればなんとしてでも捕まえて、あたしが食料にしていた。

 何日も食料を口にしていない為、もともと余り多くなかった脂肪をさらに削ぎ、現在骨と皮みたいになっている。

 生きた人体標本に就職できるかもしれない。

 もっとも、実際の人体標本のほうがまだこんなあたしより有用だろう。

 体は汚れきって、おそらく悪臭がたちこめている。

 衛生面から、人体標本の方から丁重にお断りを入れられそうだ。

 生憎と、というべきか。あるいは逆に幸いにも、というべきかあたしの鼻はもう慣れ切ってしまって、匂いなんてわからなかったけれど。


 うん、やっぱり気のせいだ。

 ”あたしを飼う”なんて――そんなはずがない。

 今度こそあたしは体を支える力を失って地面に崩れ落ちた。

 もう、無理だ。これ以上は体を動かせない。

 少し動かそうとしただけで、ぎしぎしと音がしそうだ。

 無理に頭をあげたせいで、最後に残っていた力も使い切ってしまった。

 ぐったりと地に伏し、目を閉じる。


「飼う、ですか・・・?」


 第二声が振ってきたのはそんなときだった。

 しかし、先ほどの美声の持ち主とは明らかに別人の声だ。これはこれで良い声だが、先ほどの声に比べると残念だが劣る。

 どうやら、もう一人いたらしい。

 一度閉じた目をもう一度開く。

 霞がかった視界に、黒い影が二つ確認できた。

 あたしの傍に、二人いる。

 便宜上、初めの人をアレックス、後のほうをベンジャミンと仮に名づけよう。

 仮名といえばAさんとBさんだ。Aから始まる名前とBから始まる名前。

 つまり、アレックス(仮)もベンジャミン(仮)。

 姿かたちははっきりと見ることはできないが、二人とも、わりと大柄な体格なのはわかった。

 それだけ確認して再び瞼を下ろした。

 もう目も開けない。

 代わりに、二人の声に耳を済ませた。

 死の旅立ちを美声で送られるのは、ある意味理想的では無いか。

 たとえ内容がどうであれ、狭く暗く汚く寂しいだけの死では終わらなくなった。

 狭く暗く汚いのは変わらないが、寂しいということはなくなった。

 少なくとも、周りに誰かがいるのだから。

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