表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

第一章 流浪の踊り子

 その男、ひょろりとした体躯の流浪者であった。継ぎ接いだ襤褸ボロを着て、全身煤すすけた身なりであったが、大きな荷物を背負っているせいか、存在感がある。その為、往来を行き交う人々は迷惑げに、男を避けて通っていた。

 時折、舌打ちする音が聞こえてくる。

 男を迷惑げにやり過ごした人々の中からではない。男自身が通る人の多さに辟易して、そのカサついた唇から漏らしているのだ。どうにも気性が荒いらしい。

 舌打ち以外にも、やれこの暑さは異常だだの、腹が減るのは国のせいだなどと、悪態ばかりが舌打ちの合間に漏れ聞こえている。

「どこが何もない田舎町だ」

 背負った荷物は大きいが、それ程重そうではない。軽々と背負っていたように見えていたそれは、しかしドサリと地面に置いた音を聞くと、見た目ほどには軽くないらしかった。

 穀物用の布袋をただ縛っただけの荷物である。ガサガサと雑多な中身を漁りだし、やっとのことでくしゃくしゃになった封筒を引っ張り出した。そしてその中から、それ以上に皺だらけの手紙らしきもの引っ張り出すと、重ねて悪態をついた。

「マダムローラン。…潰れてるんじゃないだろうな」

 人通りを避け、狭い路地に入ってしゃがみこんだ。

 道中、親切な人が、封筒に直接地図を描いてくれたが、それも決して分かりやすいものではなく、すでに進むべき道を見失ってしまっていた。

「失礼なやつね」

 キツかった陽射しが突如遮られて、頭上から濁声が降ってくる。

 難解な地図に目を細めていた男は、濁声の主を仰ぎ見て、その瞬間に大きく表情を変えた。

「狭い道でしゃがみ込むんじゃないよ」

 大きな酒樽を抱えた、これまた大きな男だった。口調と服装は女性的だが、野性味溢れる外見は、けして女性に見間違えようがない。黒いタイトなワンピースドレスから溢れ出た軍人のような威圧感と筋肉に、しかし男は気圧されたわけではなかった。

「フレデリカ!」

「まぁ、フレデリカのお友達?」

 先程の、威嚇のような濁声とはガラリと声を変える。

「似ているかもしれないけれど、私は甥っ子のローランよ」

 ローランと名乗った男は、問いかける視線を相手に向けた。

「ウィリス」

 ウィリスと名乗った青年は、しかしポカンと口を開けたままだ。

「あんた達の家系はみんなそうなのか?」

 狭い路地を塞いだまま、見上げた姿でウィリスは独りごちる。

「そうとは?」

 一瞬、ローランの瞳に剣呑な光が宿った。

 これまでの人生、差別的な扱いには慣れている。とはいえ、毎度気分のいいものではないのも事実だ。

「筋肉の付き方が全く一緒なんだな」

 性別と格好の乖離を揶揄したのかと無意識に警戒したローランだったが、予想外の反応に拍子抜けした。自慢の筋肉に這うような視線を向けられた後、羨望の眼差しが込められていることを感じて、顔が綻ぶ。

「で?なぜ、マダムローランを探していたのかしら?」

「あぁ!ここで会えて良かった。フレデリカから、あんたを紹介してもらったんだ」

 そう言って、手に持っていた手紙をそのまま、ローランに押し付けるように渡した。

 しかし受け取ったその手紙には、文章一つ書かれておらず、代わりに赤いインクのようなものがべったりと貼り付いているだけである。

「間違いなく、フレデリカからの紹介状のようね」

 ローランはため息混じりに、手渡されたそれ、キスマークが付いた、ただの紙切れをヒラヒラとさせて、苦笑いした。

「その身なりどうにかならないかしら?これでもウチはご貴族様も通う高級劇場を謳っているのよ」

「着せ替え人形が欲しかったんだろ?着飾れっていうなら、あんたのお望み通りに」

 まさか6つだった頃、フレデリカにねだった着せ替え人形の話しをさせるとは。

 フレデリカとはどういう知り合いだったのか。随分と気に入られていたようだと、ローランは驚きを隠せなかった。あの偏屈な人間が、ただの知り合いを身内に紹介しないと知っている。しかしながら、品定めをするように見た男の、棒切れ人形のような姿に、ローランはどうしたものかとため息をつくしかなかった。

「ついて来なさいな。店はすぐそこだから」

 ローランの言うように、市街地のすぐそば。マダムローランのお店はあった。正午を少し過ぎた時間であるのに、健康的な香りのしない門構え。店名のネオンは消え、劇場と銘打ってあるそこは、売っている中身程にはケバケバしい外観ではなかった。

「フレデリカのところでも働いていたのかしら?」

「いや…」

 これまでの威勢はどこえやら、何やら煮えきらない返答である。

 初めてこの世界へ足を踏み入れる躊躇いかとローランは勝手に判断した。

 フレデリカが紹介状を持たせるくらいだ。身なりはコレでも少しはと、勝手に期待をしかけていた自分にローランは落胆する。

「年齢も以外に若そうだし、まぁどうにかなるかしらね。とりあえずはその見た目をどうにかしないと」

 自らに言い聞かせるようにウィリスを品定めしながら、店の奥へと進んで行く。正面玄関ではない従業員用の扉をくぐり、多くの雑多な荷物が積み上がった廊下を進んで、控え室と思しき場所に通した。

 ローランがまずはシャワー室へと案内しようとする前に、男は姿見そばに置いてあった椅子を勝手に引き寄せて腰掛けると、ねだるような視線をやった。

「それよりお腹が空いた」

「下っ端に選択権はないのよ。…まぁでもぶっ倒れられても面倒だから、待ってなさい」

 ローランは「確かここに…」何て呟きながら雑多に積み上げられた箱の中を漁った。

 少し潰れた豪奢な箱。一級品のチョコレート菓子だが、誰も手をつけなかったのだろう。良く見るとそういったものがそこかしこに捨て置かれていた。

「コレでも食べて、少しは太りなさい」

 文句でも言うかと思いきや、ウィリスは物言わず豪快に包装を破り開くと2,3個まとめて口に放り込んだ。そしてあっという間に全て食べ終える。その食べっぷりに、ローランは他にも食べれそうな箱を見繕っては、ウィリスに与えた。

「何だか雛鳥に餌を与えている気分ね」

 その見事な食べっぷりに驚嘆したローランは、甘味類を全て食べきった男をシャワー室に放り込んだ。

「今日から、働いてもらうわよ。客前に出れる程キレイに洗わないと、早速クビにするからね」

 ローランは、告げてその場を離れたのだった。


 マッチ棒のようだと思っていた。


 しかし、ウィリスの身体は以外にも、しっかりと筋肉が付いていて、ローランをいい意味で裏切った。

 ローランとは違うしなやかなそれは、痩せているのがわかるものの、貧相には感じない。無造作に立っているだけであるようだが、姿勢が良いのだろう。素っ裸であるにも関わらず、堂々とした立ち姿は、舞台慣れしているようにも思えた。


 ローランはゲイであると自他ともに公言している。もちろんこんな店を経営しているのだ。フレデリカからも聞いているだろうに、そんな男の前でこうも堂々と、素っ裸で立っていられるものなのか。ある意味大物かもしれない。同じゲイなら何かしらの反応は見せるだろうし、ノン気なら尚更、ビビって萎縮する男がほとんどであった。


 どう判断したものか、ローランは思案する。

「舞台に立ったことがありそうね」

 思わず、声量やトーンが男のそれとなる。

「⋯こういう店は初めてだ」

 嘘ではないとわかった。筋肉の付き方である程度、その人間の職種がわかると自負しているローランは、男のしなやかな肢体を見て、確信を得ていた。

「どれだけ踊れるかを見させてもらうわ。私を納得させることができたら、お給金は弾んであげるから」


 ローランはその言葉を、後悔することになった。


「マダム、あれはなんだい?」


 毎夜、開かれるこの宴の席に、週に1度は訪れてくれる、ドレイクフル伯爵が、ローランを捕まえて開口一番に尋ねた。

 彼は好々爺とした紳士である。一世紀も前に現役を引退して家督を息子婿に譲ったなどと言って、今は「マダムローラン」のパトロンと公言する、貴族社会では非常に変わり者の御人である。

 目も舌も肥えた伯爵は、常日頃、あまり驚きを表情に出したりはしないのだが、今日の彼の表情はあまりに雄弁だった。


「ウィリスと言います、伯爵。私の叔父の紹介で今日から入ったんですのよ」

 この業界、本名を名乗る人間はかなり少ない。そもそもウィリスが本名かどうかも知らないが、彼の源氏名は本人の希望でそのままとなっていた。

「ほぉ」

 敢えて一人を取り立て、称賛することなどこれまでなかった伯爵が、手放しでウィリスを称えた。


 ローランもそれには同感で、本当にこれはどういう経緯でここにやって来たのかと、珍しく詮索したくなった程である。

 自らの店を卑下しているわけではなかったが、ウィリスはこの店では勿体ないほどの踊り手であった。


 昼間の襤褸を着た、お腹を空かせた青年は影も形もない。淑女のような貴婦人を演じたかと思うと、夜の蝶が孵化するような妖艶さで二面性を演じわける。その姿は、主役を喰ってしまう艶やかさがあった。

 何しろ喜劇だった演目が、趣向を変えてしうほどだ。

 一夜にして客を虜にする技術は、昼間見たウィリスの姿を知っているだけに、ローランは伯爵以上にその変貌ぶりに驚いていた。


 この先、ウィリスの踊りは、瞬く間に話題になることだろう。「マダムローラン」が有名になることは、火を見るよりも明らかで、しかしなぜだか、ローランは嬉しいよりも一抹の不安を抱いていた。



 少し時間を遡って、開演直前である。


「マダムローラン」ではいつにないことが、立て続けに起きていた。


 古参のスタッフ達が出勤してくると、すぐにウィリスと揉めだしたのだ。

 理由は単純。自らの出番を突如削られ、今日入ったと紹介されたばかりのウィリスに出番が与えられたのである。さらには異例のソロパートがウィリスに与えられていた。これに古参の人間は面白いはずもなく、更には追い打ちをかけるようにウィリスの謙虚さの欠片もない態度が火に油を注いでいた。

「下手な人間に文句を言う資格はないよ」

 こう宣い、後は喧々囂々の罵り合いである。身体が商売道具であるのはお互い承知している為、殴りあったりはしないのだが、元は男。ドスが効いていながらもヒステリックな叫びにはローランも辟易した。

 勿論と言おうか、ウィリスはどこ吹く風で、いつの間にやら当事者のくせに、喧々囂々の罵り合いから一人外れて練習を始めるのだった。そんなものだから、舞台に一体感など望めるものではなく、いつになく「マダムローラン」はギスギスした雰囲気を抱えていた。


 他にもいつにないことはあった。

 

 ウィリス宛に大輪の花束が届いたのだ。


 上得意客でもいるのかと尋ねたローランだったが、ここに移ったことはフレデリカしか知らないという。

「いつもなんだよな。どうやって調べるのか、このストーカーは、俺の行く先々に花を贈って来るんだ」

 慣れているのだろう。花に一瞥もくれないでウィリスは舞台に上がる仕度を始める。

 ウィリスの話しが本当なら、かなり不気味な話しである。

「マダムローランでの初舞台おめでとう。見に行けなくて残念だ。Gより心をこめて」と書かれたメッセージカード。Gという送り主にウィリスは覚えがないというのが、更に気味が悪い。花を届けに来た青年に聞いても、送り主はわからないとのことだった。

「知っている人間なの?」

「さぁ。誰か知らないけど、マメな奴だよな」

「この文面は、男?かしら?」

「知らない。何度か花屋を調べたけど、初老の紳士が注文してきたって言われたこともあったし、10歳の少女だったこともあった。花を贈る為だけに間に何人も雇うなんて、それだけでクレイジーだ」

 本当に思い当たらないのか、すでに調べることも諦めたウィリスは、仕度の手を全く止めない。

 ウィリスがこの街に来て、ここで働くことになったのは、今日の今日である。知人以外には普通考えられない。

「紹介してくれたって言う、フレデリカからじゃないの?」

 唯一、この店でウィリスを気にして構ってくれていた、ウィリスの3倍はありそうな体格のエリザベスが花の送り主を推察する。

「ありえない」

 答えたのは、何故かウィリスとローラン同時だった。

「フレデリカはそんなこと絶対にしない」

「私も同意見ね」

 身内の欠点など大声で言いたくはないけれど、フレデリカは身内の中でもケチで有名である。

 ローランは断言できた。

「花が嫌いなんだ。特に切り花は」

 ウィリスの言葉に、それもあったと、ローランも思い当たる。

「そういえば、そうだったわね。枯れる花を愛でる趣味はない、だったかしら」

「花と自分を重ねて、時間の流れに恐怖を感じるそうだ。いっそ今のうちに死なせてやった方が幸せだろうよ」

 あまりのウィリスの言葉に、ここにいないフレデリカを不憫に思う。また自分に似ているであろう、叔父の葛藤にローランでさえ複雑な気分になった。

「フレデリカだけじゃないわ。ウィリス。私らにとって、老いはとても怖いのよ。身体一つでここまでやってきた人間はね、それが出来なくなることはイコール死を意味するわ。あんたもきっと怖くなる日が来る。その時、自分の言葉を思い出しなさい」

 ローランは年長者として、嗜めるように伝えた。それがウィリスに正しく伝わるかはわからなかったが。

「…毒ね」

 ウィリスと歳もそう変わらない、エリザベスがポツリと言った。

「あなたに触れると毒がまわりそう。それで自分を守っている気でいるなら、その毒はいつか自分にもまわってしまうわよ」

 エリザベスの言葉をウィリスがどう思ったのか、苦虫を噛み潰したような顔を一瞬エリザベスに向けたかと思うと、また黙々と今度は身体を伸ばす動作に入るのだった。


 エリザベスの生立ちを知っているローランは何も言わなかった。

 ここに居るのは多かれ少なかれ、暗い過去や重い事情を普通の人以上に背負っている人間ばかりだ。だからこそ、人に優しくできているのかもしれないとローランは思っている。それに比べると、ウィリスはやはり異質であると言えるかもしれない。


 そこで、花束の贈り主についての話しは終いになった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ