治験者000001
───という、世界初の術式を行った患者が、その後順調な経過を辿り退院したとの事です。この技術は───。
珈琲の香りと共に漂う、朝のニュース番組の声である。晴れやかな声で伝えられるそのニュースは、今朝の曇り空と些か不釣り合いだが、曇天による何となくの怠さを多少晴らしてくれる様な気もする。
今日はデートをする。昨日の夜はいつもより丁寧に肌と髪の手入れをした。やはりそうすると調子は良い。調子を整えた肌の上に、さらにクリームを塗って粉を乗せて、化粧をしていく。粉のものを全て使ったところで、先に着替えておく。口紅をつけた後に服をかぶるのも嫌だが、出かける服に化粧中に粉が落ちても嫌なのだ。だから粉が終わったら服を着替え、その後に口紅をつける。そうしたら髪を梳いて軽く結う。
今日はデートをする。相手の彼は大変に優しく暖かく人情深い人だ。彼といつまでも一緒にいられたらどんなに良いかと思うし、彼もまたその様に話してくれる。しかし、そうもいかない。いつまでも一緒に……というのは、幾つかの意味が想定される訳だが、彼の言う所のそれはつまり、暗に結婚を示している。勿論それは嬉しい事で、このデートを控えた娘も彼との結婚を心から望んでいる。が、娘の方は、また違う意味でいつまでも一緒に、と願っている。本当に、別れたくない。別れというのは、交際解消という事ではなく、デートの終わりが来て欲しくない、ということだ。デートとデートの間には、彼と一緒ではない時間が存在する。彼女にはそれが耐えられないのである。無論、待てばまた次のデートが来るのもわかっているし、そういう期間を経て、色々と準備が整えば、そのうち結婚ができるわけで、そうすれば、デートとデートの間の寂しい時間も無くなることも彼女にはわかっている。しかし、わかっていても、耐え難いものであることに変わりはない。
そもそも、彼女にとって生きている事が苦行なのである。それを忘れさせてくれるのが彼であり、彼がいなければ、それを忘れる事はできない。今日までは、耐えてきた。そして、今日、デートをする。
今日はデートをする。明日は日常が待っている。日常とは水中に潜る様なものだ。デートは、息継ぎだ。
ならば、息継ぎのために水上に出たら、再び水中に潜らなければ良いのだ。
故に彼女は今日、自殺をする計画である。彼には明かさず、ただ幸せなデートの時間を堪能して、その後、自殺をする。
首吊り自殺を行って死に至らなかった場合、脳への血流、即ち酸素供給不足により脳細胞の壊死が起こり、それに伴う各機能障害という後遺症が遺ることとなる。