脚の治療
孫が遊びに来たので、公園に付き添うことにしました。初めて見る大型の遊具に孫は喜び、せっせと登って行きましたが、ある場所でぴたりと止まり、動かなくなりました。
「こわい」
思っていたよりも高く、怖くなってしまったようでした。助けてやろうとしましたが、もう足腰も弱く、私自身がそこまで登った上で孫を抱きかかえて、自分の体を支えていられるとはとても思えず途方に暮れていると、近くで自分の子を遊ばせていた若い父親が気が付いて、孫を優しく下ろしてくださりました。孫と二人でお礼を言うと、大したことではないですよ、と彼は言ってまた自分の子の遊び相手に徹するのでした。
「どうして、たかいところはこわいんだろう」
孫にあたたかいココアを買ってやると、孫はそれを飲みながら、そんな事をしみじみと言いました。
「高い所からもしも落ちてしまったら、怪我をしてしまうかもしれないし、死んでしまうかもしれないでしょう。人間も、動物だから、生きるために、危ないものを怖がるようにできているんだよ」
生物の反応の全ては生きるために存在する。それを応用した先に、医学がある、と私は理解しています。
定期健診に行きました。
脚の悪さを指摘されました。
「ただ、年のせいだと思うのですが……」
「自然なことではありますね。ただ、最近はこれも治療する事ができるようになりまして。歩行が出来るというのは重要な事でして、歩行が滞ると外出が減り、筋力の更なる低下、また認知機能の低下にも繋がりますし、そうなれば要介護度もどんどんと上がっていきますので」
「でも、脚のことは、病気というわけではないんですよね」
「病気ではなく老化によるものですが、老化というのは病気を引き起こす原因になるということです」
つまり、お医者様は、老化を止めたいのだということです。そして、現在の医療では、それが可能なのだということです。老化した細胞を再生させる、とかで。
老いないという事は、人はいつ死ぬのでしょうか。
そういえば、このところ、ぱたりと知り合いの訃報を聞きません。最後は、いつだったか……。そう、自分の両親が、最後だったように思いますが、私の年齢からしても、無いに越したことはないけれど、もう少し、もっと何人か、そういうことになっていても不思議ではない頃合いのはずです。
気になって、色々と思いつく限りの知り合いに連絡をしてみたところ、皆、返事が返ってきました。元気にしているようです。
私は、定期健診に行かなくなりました。
行かないでいると、保健所から連絡が来るようになりました。
行きましょう、あなたのご健康のためにも、行きましょう――生きましょう――。
私は、そういうわけで、ロープを用意することにしたのでした。