1. ゲームの世界に転生したかもしれない。
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人間万事塞翁が馬とはよく言ったもので、人生何があるかは、起きてみるまでわからないものだ。
例えば、ふらっと気まぐれで買った年末ジャ○ボの一等に当たるだとか、それで調子乗って仕事辞めて、夢のゲーム漬けの毎日を送っていたら、栄養失調と積み重なった徹夜のせいで、ほとんど大金に手をつけずに死んでしまうとか。
ほんと、全くどうして人生は思うようにいかないものなのだろう。
「──つまり、俺をこれから異世界に転生させてくれる、と?」
本当に、人生何が起こるかわかったものじゃない。
目の前に輝かんばかりの後光を放つ女神様の言葉を要約して返すと、彼女は鷹揚と肯定した。
曰く、せっかく手にした幸運を、何かに使う間もなく死んでしまったことが忍びないらしく、せめてもの慈悲で、現代日本人なら誰もが憧れる異世界転生を約束してくれると言うことらしい。
俺は彼女の言葉にうーん、と悩む。
正直、異世界に行けるというのはすごく嬉しい。
前の世界で味わえなかった非日常を体験できるのだ、それはとても素晴らしいことのように思える。
だがその一方でリスクが無いわけじゃない。
女神様曰く、転生先の世界は中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界という、いわゆる小説でありがちなテンプレートをなぞった世界だった。
ということはだ。
おそらく文明もそこそこだろうということは、衛生面やら何やらに不安が生まれてくるわけだ。
汚いのは嫌だ。
中世ヨーロッパといえば、道端にうんこを放り投げる文化で有名で、道の端を歩こうものならたちまちクソまみれになること請け合いのクソ世界である。
噂によれば女性が履いているヒールはこの時、地面に落ちているそれを踏まないようにするためにできたらしいじゃないか。
そんな世界に行くのは、剣と魔法が楽しめるとはいえ勘弁願いたい。
「そんなことはありませんが……であれば、田舎の方に転生させましょう。
そこならば、まだ都会よりは綺麗なはずです」
「うぅん……」
「納得いきませんか?」
「……いえ、女神様の計らいは大変嬉しいのですが、一つ問題がありまして」
「問題?」
首を傾げる彼女に、俺は自らの持つ田舎のイメージを口にする。
「ほら、田舎って現代日本だとスローライフのイメージが強いですけど、実際は鎖国的な閉鎖空間の中で、独自の掟に縛られてて窮屈そうじゃないですか。
自分、人付き合いとか苦手なので……その辺何とかなりませんか?」
何を隠そう俺はコミュニケーションがあまり得意ではない方だ。
小学生の頃はそれなりに友達がいたが、中学生に上がる頃にはほぼボッチだったし、高校に至っては完璧にボッチだった。
おかげで誰かと話そうとすると緊張でお腹が痛くなってしまう病にかかり、大学を卒業して入社しても、コミュニケーション能力に難があることなどが祟って何度も自己都合退職に追いやられた。
そんな俺が田舎で生活なんかしてみろ。
即村八分だぞ。
今こうやって普通に女神様と対話できているのが不思議なくらいだが、多分女神様パワーでコミュ力を上げてくれているのだろう。
「ならば、一人暮らしでも問題のない山奥に送りましょう。
そこでなら、安心して日常を送れるでしょう」
「ありがとうございます、女神様!」
こうして俺は、異世界に転生することになった。
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目が覚めると、見知った天井が目に飛び込んできた。
天蓋付きベッドの天井である。
「……見覚えのある天井だ」
別に、俺があの大金をはたいて狭いワンルームに天蓋付きベッドを購入していたと言う話ではない。
俺があの大金を元手にゲーム三昧で遊んでいた、あのフルダイブ型VRMMOの自分の拠点、その寝室に置いてあるベッドのそれによく似ていたのである。
「もしかして寝落ちしてた?」
そりゃ五徹もすれば奇妙な夢も見るだろう。
たしか最後の記憶は魔王戦で……そうだ、後少しで倒せるってところでMPが尽きたんだ。
そこに即死技くらって……そのまま寝落ちしたなら、HPなくなってセーブポイントまで戻されたということで納得がいく。
いや、でもセーブポイントって直前に寄った街で更新されてるはずだよな?
なんでホームに?
「とりあえずログ確認するか」
メニューウィンドウを開く──が、何も起こらない。
「あれ、不具合?」
何度か試すが、しかし何も起こらない。
これでは装備を取り出すことも、いや、そもそもログアウトすら──と、そこで不意に、先程の夢の記憶が蘇った。
「転生……まさか」
ゲームの世界に転生する。
その手の話は何度も読んだ。
しかしまさか、自分の身に起こるなんて──。
そこで、そういえば先ほどから自分の声が明らかに立体的というか、いつもの電子的な感じがしないことに気がついた。
「まさかまさかまさかっ!」
ゲーム内での声は、あらかじめ登録されていた合成音声を使う。
そのせいで若干カクカクしていると言うか、調教の甘いボカロのような機械音声になっている。
しかし今の声は違う。
リアルで聞くような肉声と大差がない。
そういえばこのベッドのグラフィックもかなり精細な気が──というか、リアリティが高すぎてまるで実物に触れているようだ。
それに、このポリゴンの塊とは思えない布の質感は、ゲームで再現できるレベルを超えているような──?
急いでベッドを抜け出し、寝室の壁側に設置されている洗面台の前に駆け寄る。
するとそこには、長い銀髪の幼い少女の姿があった。
男性アバターだと装備のデザインがダサいからと言う理由で作った女性アバター、マーリン。
自分の趣味全開にして組み上げた、幼い容姿の、しかし力強い蒼い瞳が特徴的なその姿は、紛れもなく俺が直前までプレイしていたゲーム『シュヴァルツ・シュヴァリエ・オンライン』のキャラそのものだった。
……いや、ゲームの方はもっとアニメチックにデフォルメされている。
しかしこの顔はどちらかと問われるまでもなくリアルな人間の少女の顔だ。
それが、ゲームの頃のアニメチックなそれを完全再現させたみたいな感じで、そこに顕現している。
まるで精度の高いコスプレを見ているような気分だ。
「……まじかよ」
CG感のない滑らかな髪の毛の動きに、俺は確信した。
この世界は、もうゲームじゃない。
現実なんだ──。
***
こうなった時、まずすべきなのは状況確認だ。
この世界や諸々のことがちゃんとゲーム通りなのか、ゲームとの違いはなんなのかをきちんと調べて把握しておく必要がある。
「まず、メニューが開けなかったのが1つ。
察するに、ゲームチックな設定だけが除外されているんだろうなぁ」
寝起きの白いブラウス姿のまま家の中を歩き回りながら、設備そのものや収納しているアイテムに変化がないことを確認しつつ考察を進める。
ちなみにこの家はシュヴァルツ・シュヴァリエ・オンライン──通称SSOの、メイン要素としてあるストーリークエストとは別の、おまけ的なやり込み要素の1つだ。
商人から購入した異空間の土地を自分で開拓し、購入した建材や家具を使って自分好みの家を建てる。
メニュー画面から『ホームへ行く』のボタンを押してしか移動できないことから、通称ホームと呼ばれるこの家は、SSOが『なんでもできるVRMMO』を謳い文句にしている理由の一つだった。
ちなみに、俺はちょっとしたお城を建造している。
部屋の位置や廊下の長さ、さまざまな要素を自在に設定できるこのゲームで、俺は『実際に暮らせる』ことをテーマに設計した。
このためにいろんなお屋敷や城の間取り図を参考にしたのが懐かしい。
「うん、キッチンの水道も問題なし。
発電用の水車もいつも通り稼働してたし、鍛冶場も普通に使えそうな感じだった。
魔術開発室もちゃんと魔力が通ってた。
ストックしてたスクロールにも変化はなかったが、ゲーム通りの方法でのスクロールの使用はできなかった……。
やっぱり、ゲームルールだけが除外されてる気がする」
ということは、今後スキルを新しく覚えようとした場合、スキルブックをパラパラめくるだけでは覚えられないということなのだろう。
現実的な鍛錬が必要になってくるのか、ちょっとめんどくさいな……。
「ん?
待てよ? ということは俺の今まで覚えたスキルはどうなってるんだ?」
ゲーム時代、俺のレベルは350。
魔導具による魔法系スキルの補助を使いながら剣で戦う、SSOでは魔剣使いと呼ばれる戦闘スタイルだった。
もし魔法が使えなかったら、俺はただの剣術スキルしか使えなくなるし、剣術スキルだって中盤以降は魔法込みのものがほとんどを占める。
「これは、実際に魔物と戦う前に調べておいた方が良さそうだな……」
というわけで倉庫から適当な装備を漁って外に出ることにする。
目が覚めた時は下着姿で、生前身につけていた一軍装備はどこかに行ってしまったので仕方ない。
あの装備を作るのに苦労したんだが……ここまで再現するならせめてあの装備は返して欲しかった。
「まさか、即死魔法のせいで装備が破壊された?」
魔王の使う即死魔法は、攻略情報によると低確率で装備破壊が発生するとのことだった。
その対処としてアンチブロークという一種の死亡保険魔法をかけておく必要があったのだが──そういえばあの時MP切れで、対処する暇がなかったんだよなぁ……。
それで全損は流石に痛い……。
とはいえ、二軍装備でもそこそこいいものは持ってる。
筋力補正が50%までかかる『竜王の外装V』と呼ばれる、湾曲した2本の白いツノと、鱗に覆われた竜の尾の装飾品系装備。
魔力補正が75%までかかる『エルフの耳VII』という、耳が長くなる装飾品系装備。
この2つは特に見た目がいいからいくつも持っている。
一軍装備はこれを完全に強化させた『竜王の外装XX』と『エルフの耳XX』に加えて、頭装備に『覇者の王冠XX』と呼ばれる、全状態異常無効の効果が得られる王冠型の頭装備があるのだが……今は遠きあの日の即死攻撃で絶ってしまったので仕方ない。
「よし」
上記2つの装備に加えて、シルヴァリックオーガからドロップしたまま何も改造していない『銀鬼の胸鎧』と妖精型の魔物からドロップする『妖精のローブ』を身につけ、腰には湾刀カテゴリーの武器『シルヴァリックファング』と魔導具の『ライトフェザー』を装備し、城門に向かう。
外見はさながら、白銀の騎士だ。
総補正ステータスは筋力補正65%、体力補正88%、敏捷力補正10%、魔力補正80%である。
SSOではかなり高いステータス補正力で、これだけあればレベルが10くらい離れていても、スキル回しによっては対等に渡り合える。
「ちょっと外に出るだけでこの装備はやりすぎかと思うけど……まぁ、万が一強敵に遭遇して死んだりしたらシャレにならないしね……」
家の外は窓から見えていた通り鬱蒼とした森の中で、どうやら女神様は約束通り、人気のない山奥にこのホームを持ってきてくれたようだった。
人気がないってことは、魔物もわんさか近くにいる可能性があるってことなんだけど……大丈夫だよな?
わずかに開いた門の隙間から外の様子を伺う──と、城を囲う城壁に、無謀な頭突きを繰り返している動物の姿が見えた。
ツノが生えたウサギ、アルミラージだ。
(ゲーム的なシステムが除外されてるってことは、レベルシステムとかも無くなってる可能性があるんだよなぁ……)
ゲーム時代ではクソ雑魚だったアルミラージだが、初心者にはすばしっこい動きで回避と突進を繰り返す難敵である。
その動きに慣れるまで何度串刺しになったことか、もはや数え切れないだろう。
とりあえず、レベルと装備による攻撃力補正がちゃんと働いてれば一撃で倒せるはず。
それ如何で補正の有無を測ることにしよう。
俺は湾刀を抜くとおもむろに近づき、気付いたアルミラージが突進してくるタイミングに合わせてひらりと躱しつつ、その首に剣を突き刺した。
「ふっ!」
「ピギィ!」
首を狙ったつもりだったが、剣先は赤い目玉を貫通。
アルミラージは甲高い悲鳴をあげて、動きを止めた。
「……そりゃ、頭貫通すればどんな生き物でも死ぬよな……」
参考にならなさすぎる。
これは、果たしてレベルや装備による補正なのだろうか、それとも現実的な問題として『そりゃ死ぬだろ』という展開なのだろうか。
わ、わからない……。
でももしかすると補正は効いているのかもしれない。
俺はいまいち手応えのない成果に難しい顔をすると、とりあえず今日の食糧ということで、インベントリに収納──しようとして、それが使えないことを思い出した。
「……まずは、血抜きするかぁ」