第5話 面白い存在
皇女と別れ、執務室へと戻ってきた皇帝ーーアルカスは、先ほどの出来事を振り返っては、声を堪えるように笑う。
それは、子どもが新しいおもちゃを貰ったのと同じような感情だった。
「……なにか嬉しいことでも?」
アルカスが声の聞こえたほうを見ると、一人の男が自分を冷めた目で見ている。
この男は、皇帝である自分とは乳兄弟であり、自分の側近でもあるダリウス。
本来ならば、皇帝にこのような態度を取るのは罰則ものだが、皇帝も彼相手には、そのようなことを指摘したりはしない。
むしろ、ダリウスの質問にも機嫌よく答える。
「面白いものに会ってな」
「……先ほどは、皇女殿下に会いに行かれたのでは?」
「ああ、その皇女が実に面白い」
実に機嫌良さそうにそう言いきる主に、ダリウスは少し訝しく思う。
ダリウスも、あまり皇女には会っていない。皇帝が良い顔をしないというのもあるが、ダリウス自身も、あまり皇女のことを好いてはいなかった。
それは、皇女がドゥーエ王国の銀を受け継いでいたからというのが一番大きいだろう。
ソルディノ帝国とドゥーエ王国の間には、決して埋まることのないと言われる深い溝がある。その溝を少しでも埋めようと嫁がされたのが皇后。
だが、幼少の頃からソルディノの悪評しか聞かされなかった皇后がこちらに歩み寄るようなことはせず、友好の架け橋となることはなかった。
その皇后には、ただでさえ好印象に映ることがなかったというのに、その娘……それも、皇后によく似た存在を歓迎するのは、帝国民には難しかった。
むしろ、皇帝があっさりと皇女と認め、皇女としての義務と権利を与えているのが不思議なくらいだ。この国で、皇帝ほどドゥーエを疎ましく思っている者などいないと言われているくらいだというのに。
「……一応聞きますけど、どの辺りがです?」
「この私にすら、刃を隠していたところだ」
「……陛下、皇女殿下と一戦でも交えたんですか?」
アルカスは、何かを自慢したりしたいときは、よくこういう遠回しな言い方をする。
(これは、めんどくさいことになりそうだな)
心の声はうちに秘めながら、ダリウスが呆れたようにそう言うと、アルカスはくすりと笑う。
「ああ、なかなか楽しい交戦だった」
「へぇ~……で、結果は?」
「私の負けだ」
「あぁ、やっぱりーーって、はぁ!?」
てっきり、負けるわけがないとか、そんな答えが返ってくると思っていたダリウスは、反応が遅れてしまった。
乳兄弟として、幼なじみのように育った彼は、アルカスの気質をよく知っていた。
アルカスは、あらゆる面で才能を発揮する。どんなに長くても、剣術も魔法も、もちろん帝王学のような座学も、一ヶ月もあれば教師は要らなくなるというくらいには、身につけるのも、教えられたことを昇華するのも得意な存在だ。
そんなアルカスが、どんなことをしてかはわからないが、敗北をしたーーそれも、皇女にであること、しかも、それを認めることなど、今までなら絶対にあり得ないことだった。
「皇女殿下と何があったんだよ!」
目の前にいるのが皇帝なのも忘れて、つい昔の口調で詰め寄ってしまう。
アルカスは、そんなダリウスに、いつものように冷たい目を向ける。
それを見たダリウスは、久々に背中に悪寒が走ったような気がした。
「あれは、まだ五歳だろう」
「まぁ……生まれてから五年しか経っていませんし」
「あれの賢さは、大人にも引けを取らんかもしれん」
「そこまで……ですか?」
失礼なことだが、ダリウスは、皇女がそんな知恵の回る者だとは思えなかった。
以前までの印象では、常に皇帝や皇后の機嫌を伺うような感じで、兄を憎たらしく思うような、愛に飢えている子どもという印象しかなかった。
可哀想とは思ったが、ダリウスも生粋の帝国人。哀れに思うだけで、手を差し伸べることはなかった。
「あいつは、私が訪ねてきた理由を理解していた」
「それくらいで負けを認めるのですか?」
情報さえあれば、人がなぜそのような行動に移すのかなど、理解することは簡単だ。
それを子どもがやったのはすごいことかもしれないが、それだけとは思えなかった。
「さすがに、それだけでは認めん。だが、あいつは、私の質問に最低限しか答えなかった。自分の行動を話しても、理由までは尋ねるまで述べなかった。それの意味がわかるか」
「……皇后との差異を失くそうと……?」
普通、何かを疑われているのではと思っていたら、自分の無実を証明するためにも、聞いてもいないことまでべらべらと話すものだ。
それが、子どもならなおさらである。それを、最低限だけ答えたとなると、話は変わってくる。
最低限しか答えないということは、皇女はアルカスがある程度の情報を得ていることを知っていた、または予測していた可能性がある。
アルカスは、最初に皇后に事情を聞いていた。それで、どこか一つでもちがうところがあれば、アルカスの性格だ。皇帝に虚偽を伸べたとして、処罰を下しかねない。
それを事前に危惧していて、そのような行動に出たのであれば、確かに賢いかもしれない。
「ですが、偶然かもしれません。陛下を恐れて、必要以上に話せなかった可能性も……」
ダリウスの意見に、アルカスはふっと笑いながら否定する。
「私を利用しようとしている奴が、私を恐れるなどあるはずがないだろう」
「陛下を利用……ですか!?」
まず驚いた。皇帝を利用できるほどの賢さもそうだが、以前の皇女に、それをやろうとする度胸のようなものは、まるで感じられなかったからだ。
皇后と接触するようになってから、皇女は変わった。
ダリウスは、そう思わざるを得なくなった。
「そうだ。あいつは、私の性格をよく把握している。その上で、私の立場を利用しようとしてきた」
「それは、どういう意味で……?」
皇女に興味を引かれ始めたダリウスは、早く話せと思いながらも、そう尋ねる。
「あいつが皇后を訪ねた理由は、ドレスの新調だそうだ」
「えっ……?ですが、皇女殿下のドレスは、先月末にーー」
購入されていたのではと続けようとしたが、次のアルカスの言葉によって遮られる。
「購入されていなかった。それを、あいつは遠回しに伝えてきた」
「……それを、陛下に解決させようと……?」
「そうだ」
ドレスが購入されていないということは、その過程で中抜きが行われたということだ。
そのことを指摘して、自分で処分することだって可能だ。皇女は、その権利が皇帝から与えられている。
だが、わざわざ皇帝に解決させようとしている。それの狙いなど、一つしかない。
「陛下にお目にかけてもらっているというのを、外に示そうとしているということですか……」
「そうだ。私の性格上、皇女宮で横領があれば、間違いなく処分する。皇帝が直接処分するとなると、周りは私が皇女を気にかけていると思われるだろう。理由が横領ともなればなおさらだ。それを計算した上でのあの行動だとするなら、化け物以外にないだろう」
くっくっくと面白がっている皇帝に、ダリウスは引き始めていた。
(この親子怖ぇ……)
確かに、皇女がすべて計算ずくでやっていたのなら、神童と言われてもおかしくないだろうが、それに当たり前のように気づいて乗っかる真似をする皇帝も、充分に恐怖する対象だった。
「私の予想が正しければ、あいつは再び皇后に会おうとするはずだ」
「皇后の機嫌を取るために……ってことですね」
皇帝に目をかけられているなどという話が広まれば、皇后からの印象は悪くなる。それを阻止しに動くだろう。
「ああ。だから、確かめてこい」
「……はい?」
ダリウスが聞き返すと、「聞こえなかったか?」と再び繰り返した。
「皇女の行動を確かめてこい」
「な、なぜ私なんですか!?」
「皇女が皇后に会いに行くとき事前の通達を行わなかったのは、使用人が信用できないかららしくてな。私が人を送る約束をしたから行ってこい」
断るのは許さないという笑みを向けられたダリウスは、静かに「失礼します」と言って出ていった。
(さて、皇女……お前は皇后をどうする?)
一人部屋に残った皇帝は、それからしばらく思い出し笑いをしていた。