第32話 兄は思い悩む
遅くなりました。
クレイルは、自室でうちひしがれていた。
一体、一体どうして、こんなことになっているのか。
(アンジーナは、何もしていないのに……!)
パーティーが終わって数日後、クレイルは、アンジーナが父に呼び出されたのを使用人から聞いた。きっと、パーティーでのあの一件が理由だろうと、そのことは大して気にもしなかった。
むしろ、アンジーナに少しでも追いつこうと、勉学に必死になって、頭から抜けていたくらいだ。自分も、アンジーナが呼ばれる前日に呼ばれて話をさせられていたというのもあったが。
そんなクレイルが、その記憶を再び思い起こしたのは、父からの使者による伝言だった。
『アンジーナ皇女は、皇太子殿下の暗殺未遂の容疑者のため、自室にて謹慎している。そのため、皇太子殿下との接触を禁止する』というものだった。
クレイルは、何を言われたのかわからなかった。頭の理解が追いつかなかった……いや、理解しようとしていなかった。
現実を受け入れたのは、使者が去ってずいぶん後だった。
(どうして!どうしてだ!)
アンジーナが何もしていないのは、クレイルが一番わかっている。
だって、飲み物は自分が適当な侍従の者から、勝手に持ってきただけで、アンジーナは、視線を交わしてすらもいなかったはずだ。
クレイルの渡したグラスを嬉しそうに受け取り、自分から飲んだ。
本当にクレイルを害しようとしたのならば、自ら毒味のような真似はしないし、なんとか口に含ませようとしてくるはずである。
だが、皇女は一口飲んだ瞬間に、すぐさま父の元に向かい、毒が混入していることを明かした。それも、クレイルが狙われたことを、包み隠さずに。
自作自演だとするなら、パーティーの場で騒いでいたことだろう。わざわざ皇帝にだけ報告することはない。
そんなこと、賢い父ならわかりそうなものだが、結果はこの有り様だ。
(父上は、何を考えているんだ……?)
アンジーナが本当に毒を盛ったと思っているのか、はたまた別の思惑があるのか。クレイルにはそれすらもわからない。
アンジーナか父に直接話を聞ければ早いのだが、それを見越してか、クレイルの周りには護衛という名の監視が多くいる。彼らの目を掻い潜って会いに行くのは不可能だろう。
できたとしても、会ってくれるかどうかわからない。
だが、手がないわけではない。
(母上に会ってみよう)
父やアンジーナは無理でも、もしかしたら皇后は会って貰えるかもしれない。皇帝と皇后の不仲は有名だ。父の命令に素直に従ったりはしないだろう。
皇后には会うなと言われていないので、報告されても問題はない。
クレイルは、ドアを少し開けて、護衛に声をかける。
「母上にお会いしたいと伝えてきてくれ」
「かしこまりました」
伝言を託したクレイルは深くため息をつく。伝言は無事に託すことができたが、果たして皇后は自分に会ってくれるのだろうか。この国で最も嫌っていると言っても過言ではない皇帝の生き写しの自分なんて、視界にも入れたくないことだろう。
だが、他に手がない以上、了承してくれるのを信じるしかない。
そんなクレイルの思いとは裏腹に、翌日には皇后から面談の許可が届いた。返事にはいくつかの日程が書かれており、この日時のどこかで訪ねてこいという意味だというのは、クレイルもすぐに理解した。
(今すぐ行くに決まっているのに)
クレイルは、最も近い日時である三日後に皇后を訪ねた。
事前に知らせてはいるものの、皇后の私室の前に着いても、なかなかノックができない。
だが、アンジーナのためならばと、勇気を振り絞り、ドアをノックする。
「クレイルです」
「お入りなさい」
クレイルは、静かにドアを開けて中に入る。そこには、客人の応対のためのソファに腰かけている皇后と、側に一人の侍女が控えていた。
「そこに掛けなさい」
「失礼いたします」
クレイルが皇后の向かい側に座ると、クレイルの前にお茶が置かれる。
その直後に皇后がハンドサインを示して侍女を退出させたことで、この部屋には皇后とクレイルの二人きりとなった。
「話とは何かしら?」
「……アンジーナのことについて、何かご存じではないかと思いお伺いしました」
「知ってどうするというのかしら?」
「父上……いえ、皇帝陛下と話がしたいのです。アンジーナのためにも」
一体、どのような思惑でアンジーナを容疑者としたのか。その理由によっては、父をすぐにでも問いつめなければ。
これ以上、アンジーナの悪評が広まることのないように。
「私も詳しい事情は存じ上げませんが……この一件は、皇女も了承したことだと聞いておりますわ」
「アンジーナが……ですか?」
一体、どういうことだろうか。なぜ、アンジーナは無実の罪を被ろうとしているのだろう。あの日に言っていたように、自分の言葉は届かないと思って、何もかも諦めているのだろうか。
もし、そうだというのなら……どうして、話してくれないのだろう。自分だったら、アンジーナの話を疑ったりしない。妹は、自分に嘘をついたことはない。自分が惨めになるようなことでも、正直に話してしまう妹だ。
(まだ……信用されていないのか?)
まだ、悩みを打ち明けられるような関係ではないという事実に、クレイルは胸を痛める。だが、それを不満に思うことは許されない。当然のことだから。だから、アンジーナが話してくれないのは、寂しくはあっても仕方ないと思える。
だが、皇帝は?父は、どうして自分には話してくれないのだろうか。以前までなら、アンジーナのことが気に入らないから悪評を広めようとしているのかと思ったが、最近はアンジーナのことを気にかけているように見える。
それは、自分の勘違いだったのだろうか?
「わかりました。お聞かせくださり感謝いたします」
「ええ。くれぐれもお気をつけて」
そんな含みのある言葉を投げかけながら見送られる。
(まさか、皇后が……?)
もう、何を信じていいのかわからない。クレイルは、重い足取りで皇子宮へと戻っていった。