第24話 兄の葛藤
急に不満を漏らしてしまったお陰で、アンジーナはクレイルから視線をそらしている。ただ目を合わせにくいだけなのだろうが、悪意があるのかと勘繰ってしまう。
こんな自分とは、目も合わせる価値がないと。
(だが、私に責める資格はない……)
たとえアンジーナがクレイルを疎ましく思っていたのだとしても、それは仕方のないことだ。クレイルは、それだけの行いをしてきた。
そもそも、自分のことはまともに相手をされなくても仕方のないくらいなのに、アンジーナは立場というのを除いても、ずっと付き合ってくれている。
クレイルも、それは自覚していたから、アンジーナが自分を邪険にしようが、攻撃してこようが、怒ることはなかった。
……兄という言葉も、アンジーナのほうから呼んでくれるのを待とうと思った。だが、いつまで経っても呼んではくれない。それはそうだ。アンジーナが以前に呼んだ時に、クレイルは不機嫌になって怒鳴ったのだから。
アンジーナが呼んでくれるわけはない。でも、自分から呼んで欲しいとも言えない。でも呼んで欲しい。
クレイルは、これからきらびやかなパーティーに行くというのに、そんな葛藤を抱えていた。
「……殿下」
「な、なんだ?」
急にアンジーナに声をかけられて、クレイルは焦ってしまう。
「私が送った資料は覚えていただけましたか?」
「あ、ああ。関わりを持つべき貴族ならなんとか……」
パーティーの二週間ほど前に、ダリウスから貴族の名簿を貰っていた。
父から話は聞いていたので、大して驚きはしなかったが、そこに書かれていたことに驚いた。
それは、父が選別したのとほとんど一致していたからだ。
それだけでなく、なぜ関わらないほうがいいのか、逆に、なぜ関わるべきなのかの一言が添えられている。
『皇女ならほぼ同じものを作れるだろう』
貴族の名簿を貰った時に、父はそう言っていた。
それは、アンジーナに期待しているということだ。
以前までは、アンジーナのことをゴミでも見るかのような目をしていたのに、今は新しく手に入れたおもちゃにはまっている子どものようだった。
そんな父の予想を、アンジーナは越えてきた。
一言だけでも添えてくれていることで、クレイルは深く理解することができた。一致していないところは、一応、父のほうを優先してみたが、話して決めることにしている。
「では、会場まで時間がかかりますし、復習でもしてみますか?」
「復習……?」
「今から私が貴族の名前を言いますので、関わるべきか、そうでないかをお答えくださいますか?」
「あ、ああ。なんでも来い!」
正解できるような自信はあまりなかったが、アンジーナと会話できそうな状況を断ることなどできるはずもない。
「では、ウェルスナー子爵は?」
「関わ……る?」
「はい。皇家御用達のワインが子爵の領地の特産品ですから、なるべく好印象を持って貰ったほうがいいですね」
資料に書いてあったのと同じことをわざわざ説明してくれる。
その後も、いろいろな貴族の名前を言われたが、クレイルが正解したのは、半分くらいだった。
公爵や侯爵などの、高位な貴族なら答えられたのだが、あまりこれといった印象を持たない貴族は正解できなかった。
だが、クレイルは、そこはあまり気にならなかった。気になったのは、そんな低位の貴族のことまできっちりと解説できるアンジーナのことのほうが気になった。
次の貴族の名前でも言おうとしているのか、ぶつぶつと言いながら天井を見ているアンジーナに、クレイルは疑問を投げかける。
「アンジーナは……すべて覚えているのか?」
「……えっ、ああ、そうですね。だいたいは」
急に声をかけられたか、少し反応は遅れたものの、アンジーナはクレイルの言葉に肯定した。
「そうなのか……」
クレイルは、すごいと言いたかったのに、なぜか言葉にできない。
それを言葉にしようとすると、心にもやが広がる感覚がある。
「……あ、あの、あくまでもだいたいですし、選別するために何度も読みましたし……二週間で半分も覚えられた殿下のほうがすごいですよ」
アンジーナは、言い訳するかのように、自分を卑下する。
それを聞くと、クレイルのもやが晴れるような気配を感じた。
「そ、そうか。そうだな……」
クレイルは、アンジーナの言葉に嬉しさを感じたところではっとなる。
アンジーナが、自分を卑下する様子を見て、自分は喜んでしまっている。自分のほうが上だと感じてしまってーー
(こんなのでは、いつまで経っても兄と呼ばれることなどないのに……)
アンジーナと、兄妹として仲良くしたいと思っているはずなのに、アンジーナが自分が下のように振る舞うことに喜んでしまっている自分がいる。
心から兄として接するには、そんな嫉妬の心など失くさなければならないというのに、まだ消えてはくれない。
(私は、ダメな兄だな)
クレイルは、アンジーナに気づかれないくらいに、小さくため息をついた。