第16話 恵まれない皇女
皇女が、嫌いだった。いつからかはわからないが、気づけば嫌いになっていた。でも、最初から嫌いだったわけではない。
銀髪を持った皇女
最初の頃は、これくらいの印象しかなかった。クレイルは、周りの影響から、銀髪は異端視しているところはあったが、だからといって嫌いになってはいなかった。むしろ、同情している部分もあった。
銀髪さえ持たなければーーと、何度も思った。
それが、明確に憎むようになったのは、皇太子としての勉強を始めた頃だろう。
年が一つしか離れていないからか、自分の勉強が始まると同時に、皇女にも教育がなされた。それ自体は、特に何か思ったりはしなかった。自分よりも幼いのに、自分と同じ勉強をするのかと、少し同情に近いような、そんな感覚があっただけだ。
気にするようになったのは、クレイルが五歳になり、勉強を始めてから一週間くらい経った頃だった。
自分のペースに合わせて教えてくれていた教師陣が、何かに取り憑かれたように、ペースを早めてきた。なんとかついていこうと思ったが、ついていくのが難しくなり、クレイルは、なぜ急に早めるのかと問い詰めた。
『皇女殿下が思ったよりも進んでいるのを耳にしまして……皇太子殿下を追いつかせようと……』
そこで、皇女と自分の勉強を教えている教師は、同じではないことをクレイルは知った。だが、そんなのは些細なことだった。
どの教師も、同じようなことを言ったのだ。
神学、歴史、作法……皇女と共通している科目は、すべて皇女が上をいく。
わずか一つの違いしかなく、同じ時期に始めたとはいえ、皇女のほうが圧倒的に優秀だった。
自分が苦戦していた部分も、皇女は意にも介さず理解して終えたそうだ。当時はさすがにやっていなかったが、今では、学者が読むような書物を読んだりもしているらしい。
そして、勉強だけでなく、魔力の強さも、魔法の使い方も皇女が上。
それを知った時、クレイルには、猛烈な嫉妬心が生まれた。
自分が皇太子なのだから、自分のほうが優秀でなければならない。それなのに、何もかも負けている。自分が勝っていることなど、身分しかなかった。
そんな自分が、惨めで仕方なかった。その日は、皇女が自分を嘲笑っている夢を見た。
それから、皇女のやることが何もかも気に入らなかった。近くを通った時、自分を見てくるのも、見下しているように見えた。
お兄さまと呼んできた時なんて、虫酸が走った。大声で、「兄と呼ぶな!!」と怒鳴ったくらいには腹が立った。
その時に、真っ青になって謝ってきた時は、とても気分が良かった。
そんなある日、皇女が皇后に会いに行ったことを聞いた。自分が邪険に扱いだしたから、皇后でも味方につけようとしているのかと、最初は思った。
だが、父はそれが気になったようで、皇女に会いに行った。
皇帝と皇后の不仲の話は、クレイルもよく耳にしていたから、皇后につくつもりなのか確認するつもりで向かったのはわかっていた。
でも、不安は拭えなかった。
皇后に接触したのは、父の興味を引くためなのでは?そう思えて仕方なかった。
いつかに芽生えた、皇女への憎しみから生まれた疑心暗鬼は、いまだに消えていなかった。
どうしても気になって、後日に父に訪ねた理由を聞いたが、適当にあしらわれてしまった。
その時の父の顔は、自分によく向けている笑みだった。
クレイルの疑いが、確信に変わった瞬間だった。
我慢できずに皇女に問いただしたが、皇女は、生意気にも自分に言い返してきた。決して目をそらさず、その瞳に、怒りのようなものを灯しているように見えた。
それはクレイルの劣等感を刺激するには充分だった。
皇女が、あの銀髪の卑しい女が、自分に逆らった。
そんな憎しみが頭を支配していたが、皇女の言葉は何もかもが正論で、言い返す余地が見当たらず、逃げるように自分の宮へと戻った。
その後に、再び父に聞けば、皇女宮で不正が行われていたことを知った。
その時に、少し、ほんの少しだけだが、皇女に同情した。皇女の必死の訴えを、汚れた目で見たことを後悔した。
『わざわざ半年も空けて言うとは、皇女は賢いところがあるみたいだ』
父の、こんな言葉を聞くまでは。
やはり、皇女は父の興味を引くために、わざわざ時間を置いて報告したのだ。
(この私から、父すらも奪うのか)
そんな思いで、クレイルは再び皇女宮を訪れた。
父から聞いた不正のことを伝えて、クレイルは、感情のままに責めた。
どんなに謝罪しようが、泣きわめこうが、許すつもりなどなかった。今回こそ、立場を弁えさせようと。
常に自分の上に立っていた存在に、父までも奪われてなるものか。
そんな思いしかなかった。
その後に返された言葉は、クレイルにとって衝撃だった。
『私のような立場の者の声は、上にまで届かないと思いましたので』
何を言おうが、許すつもりなど、なかった。なかった……と、いうのに。
クレイルは、何も言えなかった。
皇女は、自分の立場を、はっきりと理解していた。だから、不正が発覚しても、すぐに報告などできなかった。
皇女の言葉なんて、心から皇帝に伝えようと思う者なんて、きっといないだろう。伝えなかったところで、きっと誰にもバレないのだから。
むしろ、皇帝の機嫌を損ねてしまうと考えたら、余計に。
だからこそ、もう隠蔽なんてできないくらい事が大きくなってから報告したんじゃないか。
そう思ってしまうと、目の前の少女を責める言葉を、出すことなんてできなかった。
皇女は、確かに賢い。昔からわかっていたことだ。でも、今回だけは……腹が立たなかった。
賢い皇女は、自分がここに来た理由も把握していたのだろう。自分が俯いていて腹が立ったのか、今度は皇女が追い出すような形で、皇女宮を出ることになった。
クレイルは、私室に戻ってから、今までのことを後悔し始めた。
皇女は、才能には恵まれても……人には恵まれなかった。両親には疎まれて、気軽に話すことなどできず、兄は妹を憎んでいる。
使用人にすら見下され、皇女としての威厳など、欠片もなかった。
そう考えると、自分は本当に贅沢者だと。
人に恵まれておきながら、才能にまで恵まれたいと、欲を出した。皇女が唯一、持っていた物を奪おうとして、奪えなかったら、皇女を逆恨みした。
もし、皇女が、才能すらも持っていなかったら。皇女の強みは何もなくなってしまう。それなら、あの銀嫌いの父のことだ。すぐにでも処分しようとするだろう。
もしかしたら、皇女は必死だったのかもしれない。自分が捨てられないように。
それなのに……自分は。
(今からでも……遅くないだろうか)
皇女に……妹に、味方がいないのならば、自分がなってあげたい。ドゥーエの銀を持っていようが、関係ない。クレイルにとって、皇女は、アンジーナは……たった一人の妹だ。
その結果、父に疎まれるかもしれない。今さら手のひらを返すようなことをする自分を、アンジーナは軽蔑するかもしれない。
それでも、クレイルは、また兄妹として、アンジーナとやり直したかった。アンジーナが望むなら、土下座でもなんでもするくらいの覚悟があった。
クレイルは、机に向かい、手紙を書く。そして、侍女を呼び、皇女の元へと届けるように指示をした。