第五話 東の海
仕切り直して、アイリス一家と夕食を共にすることになった。
断ろうかと思ったが、まだ聞くことが残っていたので、ご一緒させてもらうことにした。
「ライノアさん。渡航制限があるのはなぜ?」
「隊長、今は仕事の話は……」
「いいや構わん、アイリス。昼間も聞きたかったのに私たちがはしゃいでしまったからな。私も彼に聞きたいことがあるしちょうどいい」
言葉と共に睨みつけるような視線を俺に投げつけてきた。
まだアイリスとの仲を疑っているのか?勘弁してほしい。
睨みながらもライノアは詳細に教えてくれた。
「渡航制限を設けたのは最近になって危険な魔物が現れるようになったからだ。いくつかの商船が行方不明となっている。どんな魔物か確認はできていないために、安全になるまでは一般船には制限をかけている」
「そんな!どうして教えてくれなかったの!?」
アイリスが椅子から腰を浮かして声を荒げる。
一方でライノアはその反応を見越していたかのように肩をすくめる。
「お前に教えれば、止めても無理をして向かおうとするだろう。危険だと思って教えなかった」
「だからといって……」
「理解してやれ、今はこうして教えてくれたんだ。……しかしそれで軍艦は通していると。だとすればおかしいですね」
「?何がおかしい?筋は通っていると思うが」
「おかしいのはルチナベルタ家ではなく、軍です。アイリス、軍に調査をしてもらった結果は?」
「異常なしって言われたね。確かにこれはおかしいね。こういう事情があるならそんなことは言わないはず。つまり軍が嘘をついているってこと?」
「問題はどう嘘をついているかだ」
軍が異常なしと公にしているなら、ルチナベルタ家も制限を解いて商船も通れるようにするだろう。だがしていないということはいまだに異常があるか、もしくは軍が知らせていないかだ。
「軍から何か報告はありましたか?」
「いや、何もない。いまだ調査中とだけだ。海は広いからおかしな話ではない。ここ数ヶ月はずっと制限をかけたままだ」
「……その間、エルフとの交易は?」
「軍に一任している。その場合も襲われる恐れがあるし、私たちとしても早く討伐してほしいからね。普段よりも安く許可を出しているよ」
ライノアも彼なりにこの事態を憂慮しているし、軍が冒す危険を理解している。だから通行料を格安にすることで協力している。交易すらも軍に任せているようだ。
「それで海に出る軍艦は多いの?」
「ああ、かなり力を入れてくれているみたいでな。多くの軍艦が出ているよ。ただ見つからないみたいでね。もうすぐ半年近く経つが正体が掴めないらしい」
「半年も?もういないのでは?」
「そう思って私たちも何隻か出してみたんだがね。しかし、海に異常を確認したという報告がある。軍の艦もその周辺にいたらしく、まだしばらくはかかりそうだ」
半年というと、俺がレオエイダンに向かったときか。確かあの時にコードフリード大将からの手紙が届いた。
何か関係があるような気がする。もしかしてそれが原因で特務隊の技術が欲しかったのか?
「異常があると確認できているのなら、正体もわかりそうなものですが」
「さてな、軍は何も答えない。まだ制限を続けろとだけだ。軍港があるから彼らは好きに海に出られるが私たちは出られない状況だ。商工会から文句が相次いでいて困る。このままでは私たちが損する一方だ」
まだわからないことが多いな。ルチナベルタ家が制限をする理由やアイリスを止める理由もわかった。
次は軍が異常なしと言っている理由だ。これは東部軍に聞くしかないな。
「アイリス。次は軍に聞きに行くぞ。下っ端じゃなくてそれなりの立場にいるやつにな」
「わかったよ。じゃあ今はすることは終わり?」
「終わりだな」
「じゃあ早く食べようよ。いただきます」
そうだ、今は食事の席だ。
仕事の話は終わりだが、東部地方については知らないことが多い。その辺りを聞いてみようか――
「で、ウィリアム殿はアイリスとどういった関係かな?」
「ゲフン」
危うく食事をのどに詰まらせるところだった。
食事中も仮面はつけているから、もし口から食べ物を吐き出せば仮面の裏側にこびり付くことになるので絶対に吐けない。
水を飲んで落ち着いたところで、ゆっくり答える。
「何もありません。お会いしたときに言ったようにただの上司と部下の関係ですよ」
「先ほどの光景をみて信じろと?では先ほどのはいったいどういうことかな」
「少しアイリスの戯れが過ぎたもので、やめさせようとしたところです」
「ほう、アイリスの口を物理的に塞ごうとしたのか。なるほど、そういう関係か」
「どんな関係ですかそれ、違いますよ。アイリス、お前からもなんとかいえ」
「唇を奪われそうになりました」
「お前マジ本当に何言ってくれてんだ。見ろお前の父の顔を!凄い顔になってるぞ!」
「だって本当のことじゃないか!ボクがセクハラしたからって限度があるよ」
「別に本当にしたわけじゃないんだからいいだろうが。もともとする気なんてなかったんだ」
アイリスは止める気がない。むしろ煽ってきやがるし、そのたびにライノアの全身の毛が逆立ち、怒気が立ち上がっているように見える。
どうしたものかと頭を回していると、母親のイリアスの方が援護してくれた。
「まあまあ、落ち着いて。本当にキスしたわけではないようですし、それにあなたはアイリスが子供じゃないと言ったではないですか。キスぐらいしてもおかしくないでしょう」
「確かにそうだがそれとこれとは違う!」
「それはそうとウィリアムさん、聞きたいことがあるのですが」
「なんでしょう」
助かった。イリアスのおかげで父親の怒りが少し収まった。お返しとして答えられることなら答えよう。
それにしても居づらいな。さっさと食って終わりにしたいな。
そう思って料理を口に運び――
「レオエイダンの姫様とはどこまで行ったんですか?」
「ンッ……」
また吐きそうになった。
子が子なら親も親だ。母親もアイリス同様そこが気になるのか。女とは世界共通で恋バナ好きか。
「どこにもいってません。深い関係になんてなっていませんよ」
「そうなんですか?唄では王女を救うために戦ってお互い恋に落ちたと聞いたのですが、あれは脚色されたんですかね」
「そうですね。恋になんて落ちていません」
「でも姫様は落ちたんだよね」
「おい!」
「まあ」
「ほう」
お互いに恋に落ちたなんて出鱈目だ。
だから否定したのにアイリスが余計なことを言った。そのせいで母の目は輝き、父の眼は鋭くなった。
イリアスはエルフの女性で、詩や物語には目がないのだろうし、父は娘に尻軽男が寄ってきたとでも思ったのだろう。
なんとか弁解しなければ。
「これでも聖人ですから、レオエイダンにとっては政略結婚のようなものですよ」
「でも王女様から無理やりキスされたらしいよ」
「まあ!」
「お前いい加減にしろよ!恨みでもあるのか!」
「いや、面白いだけ」
落ち着いたらアイリスは減給処分だ。隊員への給料の管理は俺がやっている。横領すれば一発でばれるので不正はできないが、隊長への命令違反ということで処理してやる。
「落ち着いたら覚えておけよ」
「あ、またキスする気だね!もう騙されないからね、今度はボクから行ってあげるよ」
「お前もう黙れ!両親の前でよくそんなこと言えるな!この場で謹慎処分にしてやる!」
隣に座るアイリスを睨みつけると、彼女は舌を出しておちょくってくる。
この野郎、こうなったら仕方ない。
少し卑怯だが、ここは彼女のホームで俺はアウェー。勝つにはこれしかない。くらえ、俺の電撃。
「あばばっ!」
「っ!?どうしたアイリス?」
突如アイリスが痙攣し変な声を上げる。
いやぁ、楽しいなぁ。
調子に乗った部下を叱るのも上司の役目だ。アイリス、君なら理解してくれると信じてるよ。
仮面の奥で、腹から湧き上がる笑いをかみ殺す。
ただ急に痺れて変な声を出したアイリスに両親の方はかなり驚いたようで、父は声を上げて心配し、母は目を見開いて驚いている。
「どうした!大丈夫か?」
「な、なんでもないよ、あはは」
「そうか?ならいいが……」
アイリスも言ってはいけないと理解しているようで誤魔化す。
魔法については原則秘密にしている。家族であろうと例外じゃない。魔法を知っているのは特務隊だけだ。アグニも見たから知っているが、口止めはした。
ただ言えなくともやり返したいのか、アイリスが俺の足を踏んでくる。隣にいるし、彼女は足が長いから余裕で届く。俺も踏み返す。
テーブルの下で静かな攻防が始まった。
ただそれ以外は穏やかな食事の時間。
平凡な雑談に唄の話やアイリスの仕事中の様子、東部の話、なんてことない家族の団欒。
……心に多少のダメージを負ったが、まあ、たまにはこういうのもいいだろう。
次回、「再びの悪魔」