第四話 英雄の詩
思った以上にあっさりと、アイリスの渡航の許可が降りそうだった。
だけどまだ疑問が残っている。
うまくいきそうな雰囲気が漂ってきたので次の話題に早く行きたいなと、家族のいい雰囲気を邪魔するようなことを思ってしまった。
もちろん口には出さないが。
ただアイリスは別の、少し余計なことを言った。
「心配しなくても大丈夫!ボクの隊長はとっても強いんだから!実力も知識も将軍級なんだ!」
「何!?」
「本当なの?」
アイリスの一人称がボクに戻り、いつもの調子を取り戻していった。
俺の話はいいから、次の話題に移らせてくれないかな。
完全にもう家族内の会話だ。俺が居づらい。だからそんな調子で俺に振らないでほしい。
「どうでしょうね。経験がないのでなんとも」
「そうなのか。それは残念だな。本当に将軍級ならアイリスを安心して任せられるのにな」
「そうですね……ん?ウィリアム・アーサー?仮面?」
「どうしたの?お母さん」
期待したのか、肩を落としたライノアと何か引っかかっている様子のイリアス。気になったアイリスが母イリアスに尋ねると、イリアスが俺に確認をしてくる。
「アーサーさん。レオエイダンに行ったんですよね?そこではいったい何を?」
どう答えたものか。
軍のことだからアイリスの家族とはいえ、しゃべるわけにはいかない。話してもいい内容だけ答えるのも少し面倒だ。
「軍用の乗り物の開発を行っておりました。現在は一段落ついたので部下の技官に任せてきました。あとは……レオエイダンの海軍と協力して悪魔を倒したくらいですね」
「……あなた、もしかして……」
「ん?……は!確かにそうかもしれないな」
こそこそと二人で話をしている。そして俺を見る目にだんだんと期待の色が見える。
一体何を言われるんだと身構えると、イリアスから見えない角度から驚きの言葉が出た。
「あの詩にもなっている聖ウィリアムですよね!高位の悪魔と海竜を討ち果たしたという!」
……はっ?
「言ってくれればいいのに!アーサーと名乗るからわからなかったじゃないか!いやしかし、そんな英雄がアイリスの上司とは心強い!」
「ちょっと待って下さい、詩?なんですかそれは?」
思わず机に身を乗り出し、聞き返す。
詩になっているなんて聞いてない!
「なんだ、まだ聞いていないのか?最近伝わってきたレオエイダンの話を東部の詩人たちが詩にしてな。これが流行ったのだ。最近は事実をもとにした詩は華のあるものが少なかったからな」
「私たちも会ってみたいという話をしていたんです。まさかアイリスの隊長だったなんて。アイリスはずっと東部にいたから関係ないとばかりに」
さすがは文化と芸術の町。西部から伝わる無骨な話も優雅に詩にするとは、侮りがたし。
おかげで思わぬ精神的ダメージだ。
「しかし、詩人たちは誇張するからな。ぜひとも真実のほどを聞かせていただきたい!」
「長くなりそうですし、今日は泊っていってくださいな!食事の準備も致します!」
「ああ、いえ、あの結構です。こっちは後聞きたいことが少しあるだけ……あぁ、行っちまった」
止める間もなく、2人は勝手に食事の準備のために部屋から出て行ってしまった。
2人は屋敷内では偉いのだから、使用人にやらせればいいのに。年齢の割に落ち着きのない。
俺が溜息をつきながら椅子に座りなおすと、アイリスが申し訳なさそうに謝ってくる。
「ごめんね。隊長。両親がはしゃいじゃって」
「まったくだ。おかげで聞きたいことが聞けなかった……まあでも、いい両親じゃないか」
「うん、自慢の家族だよ」
あんな恥ずかしいセリフを面と向かって言えるような家族だ。いい家族だろう。
世界が違うし、文化も違う。舞台や物語、詩もある東部じゃ、あのくらいの恥ずかしいことをいうのが自然なのかもしれないな。
「アイリスは知ってたか?詩のこと」
「知ってたよ。最近になって入ってきた詩だけど、一気に流行って町中で歌ってるよ。ボクも聞きたかったんだけど、どこまで本当なの?」
「詩を聞いてないからわからん」
「じゃあ、レオエイダンの王女様とキスしたっていうのは?」
「っ……」
「え?本当なの?一番無いと思ってたんだけど?」
「うん、無い。そんなことはなかった。王女とは何もない」
まさか一番知られたくないことが伝わっているとは思わなかった。
というかなんで伝わってるんだ?一体だれが伝えたんだ。ぶち殺してやるぞ。
一応、否定するがアイリスは笑いながら俺の顔を覗いてくる。
仮面をしていてよかったと思うが、目元は見えているから表情は少し伝わってしまうかもしれない。
ポーカーフェイスの練習をしよう、そうしよう。
新たな決意をしていると、アイリスがニヤニヤしながら聞いてくる。その声音はとても楽しそうだった。
「へぇー。じゃあもしかしたらボクらの隊長はレオエイダンの王様になるかもしれないんだね」
「それはない。そんなもんになる気はないからな」
「あ、キスしたって認めたね!王女と何かあったんだね!」
「謀ったな!」
「隊長、こういうのに弱いんだね。普段は落ち着いているからなんか新鮮」
攻められる一方なので、話を逸らす。
「それよりもお前のその一人称はなんだ?さっきは私って言ってたじゃないか」
「逃げたね……まあどうせあとでまた聞くけどさ。一人称は軍に入るときになめられないようにと思ってね。俺っていうのはさすがにと思ってボクにしたんだ」
「その見た目じゃ一人称くらいじゃ変わらねぇよ」
「それはボクが頼りないってこと?これでも結構鍛えてるんだけど」
「そういう意味じゃない。鍛えているのも多少腕があるのもわかる。単に造詣が女性らしすぎる」
「そっか。じゃあ、一人称は戻したほうがいいかな?隊長は私とボクどっちがいい?」
「どっちでもいいよ。言いやすい方にしろ」
「今更どっちも変わらないよ。隊長だって一人称使い分けるでしょ」
ボクも私もどっちにも慣れてしまったから違和感はない。女性らしさにあふれているんだから、いっそそれを伸ばしてしまえばいいと思う
短所を補うより長所を伸ばせの精神だ。短所って程でもないが。
「じゃあ、慣れちゃったしボクでいこうかな。それで王女様とはどんなキスをしたの?やっぱり船上で?」
「まだその話するのかよ。そんな面白くないだろう」
「何言ってるのさ。普段仮面をつけてる隊長がどうやってキスしたのか気になるじゃないか。外したの?」
「まさか。外すわけない。無理やりだ」
「仮面の上から無理やりキスしたの!?」
いかん、これ以上喋ってはいけない。うまくごまかせずに墓穴を掘る一方だ。だがこのままだと俺が王女に仮面の上から無理やりキスしたみたいでいやだ。
「もういい、誤解を生むから喋るな」
「じゃあ誤解がとけるように詳しく説明してよ。気になるじゃないか」
「それ以上言ったら、お前の口を使って再現してやるぞ」
「わお、驚いた。隊長もそういうこと言うんだね。セクハラだよ?」
「今まさに俺にセクハラしてるやつが言うな。セクハラが嫌ならこの話は終わりだ」
よし、これで自分がしていることの意味が分かっただろう。アイリスなら気を使ってやめてくれる。
そう思って安堵しているとアイリスは俺の予想を上回ってきた。
「嫌じゃないよ?隊長に言われるなら悪い気はしないかな。さあ、どうぞ。私で再現してみてよ」
ギョッとして思わずアイリスを見ると、彼女は笑顔でこちらを見ていた。おちょくってるのか。
仕方ない。やりたくないが彼女には一度痛い目を見せなくてはいけない。
悪ふざけが過ぎるとどうなるか、教えてやる。
「え、隊長?ちょっと待って!」
俺が立ち上がり、彼女に近づくとさすがに焦ったのか、アイリスが慌てる。
俺だってもう大人の男だ。キスの1つや2つ、平然とできる。
アグニータのときと違って不意打ちじゃないから、余裕だ。
仮面の口を開け、顔を近づける。
するとアイリスは観念したのか、顔を赤くして目をぎゅっとつぶった。
……まあこんだけ脅せば十分だろう。
そう思い止めようとしたところで――
甲高い、何かが割れる音がした。
ハッとして音のしたほうを見る。
そこにいたのは、アイリスの父ライノア。足元には割れたグラス。
後ろにはイリアスが開いた口を手で押さえていた。
あ、やべっ。
「いや、違うんです。これは――」
「ア,アアアアイリス!?どういうことだ!?ただの上司と部下ではなかったのか!?」
「アイリスもいい人を捕まえたわね!あなた、予定変更よ!もっと豪華に!」
「そんなわけあるか!英雄とはいえ許さん!この手で必ず思い知らせてやる!」
この後は大変だった。
暴れる父を取り押さえながら、勘違いする母に釈明する。
結局、最後の最後までアイリス一家に振り回されてばかりだった。
次回、「東の海」