第三話 両親の願い、子の想い
予想外のエルフの登場に驚きつつも平静を装い挨拶をする。
「私はウィリアム・アーサーです。南部軍所属特務隊隊長で准将です。以後お見知りおきを」
「ただいま帰りました。お父さん、お母さん」
感触的には物腰柔らかな常識人といった感じの両親で、少しだけホッとした。
アイリスも実家だからか、砕けた態度で接する。
俺の隣にアイリスがいて彼女の両親と向かい合っているこの構図は、なんだか結婚相手の両親に挨拶に来たみたい――
「それで?アーサー准将は娘とどういったご関係で?」
「え?」
ちょっと一瞬呆けてしまった。
心の中で結婚相手の両親へのあいさつのようだと思っていたら、父親からの質問も似たような感じで少し驚いた。
間抜けな声を出してしまったが、すぐに気を取り直して答える。
「彼女が所属しているのは特務隊。私はそこで隊長をしているので部下と上司といった関係です」
「ほう?上司という立場を利用して変な命令をしていないだろうな?」
「ちょっとお父さん!?」
「ご安心ください。決して職務を超えるような命令や発言はしてません」
「本当か?アイリス」
「本当だよ!恥ずかしいからやめてよ」
なんとなくわかった。
この父親はかなりの親バカなんだろう。確かに彼女も親バカの気があると言っていたが、ここまでとは思わなかった。
大事に育てられてきたんだろう。
アイリスが父を止めていると、咳ばらいをして場を静かにさせたアイリスの母がこちらを見て質問をしてくる。
「アーサーさん。失礼ですがその仮面は?」
「この仮面は顔を隠すためのものです。身分を隠したいといった後ろ暗いわけではなく、ひとえに顔を見せたくないためです」
「……そうですか。軍人さんですものね」
勘違いをした母親が納得してくれる。軍人だから顔に傷があると思ったのだろう。傷が全くないわけじゃないが、いちいちそんなの気にしてない。
都合はいいので誤解は解かないが。
「それで本日はどのようなご用向きで?」
「はい、この度はユベールへの渡航を許していただくために、こうして罷り越しました」
ユベールへの渡航。
そう告げるとライノアの眉がピクリと動いた。
そして脅すように、先ほどよりも低く、ゆっくり話し出す。
「それはできない。いや、アーサー殿だけなら許可しよう」
「なぜアイリスはだめなのですか?」
「アイリスは私の娘。決めるのは私だ」
「いえ、軍です。アイリスは軍属、その行動を邪魔しようというなら場合によっては犯罪ととられます。娘だからという理由だけで阻害することはできません」
当然だ。国の機関である軍の邪魔をするなら最悪反逆罪に問われる。勝手な理由でこんなことを行ってはいけない。
だが俺の言葉にライノアは少しだけ笑った。
「アーサー殿は南部軍所属といったな。東部のことはよく知らないらしい」
「といいますと?」
「この東部は交易によって栄えた町。その恩恵を受けるのは何も一般人のみではない。軍もだ。東部軍も私たちの日々の活動無くして動くことはできない……アーサー殿は南部以外に赴いたことは?」
「ついこの間まではレオエイダンに。西にはその際にしばらく滞在しました」
「西部はどうだった?」
とても漠然とした質問だったが、先ほどの東部の説明からつなげると聞きたいことはわかった。
「西部はこことは違い、工業都市でした。交易ありきで軍がある東部とは真逆、軍があるためにレオエイダンから錬金術を学んでいる。軍がなければ西部はあそこまで発展しなかったでしょう」
東部と西部の違いはそこだ。
発展の仕方、すなわち歴史が違うのだ。
西部は軍が錬金術をレオエイダンから学びたかったために発展した。
しかし東部はすでにユベールとの交易で発展していたところに軍が来た。確かにこれでは軍と商家の力関係が逆転しているのは当然だ。
「そうだろうとも。私たちはここに軍が派遣される前からエルフたちとつながっていた。本来エルフは閉鎖的だが私たちルチナベルタ家とは交易を行ってくれていた。だからこそルチナベルタ家は東部で屈指の名家に上り詰めたのだ」
「私たちエルフもかつては数を減らし、敵の攻撃にさらされていたところをルチナベルタ家の初代様が助けてくれたのです。それからエルフはルチナベルタ家を信頼し、交易をすることを決めました。今でもルチナベルタ家としか行っておりません」
「なるほど、名家と呼ばれるわけですね。国家のやりとりを一つの家が独占しているわけですから」
まだ詳しくは知らないが、この世界でも国家間の交易はとんでもない額が動く。
その交易をルチナベルタ家のみがすべて握っているなら、通行料だけでとんでもない収益となる。
ただユベールから入ってくるものは基本的に文化だ。それは本や工芸品といったものが中心で、レオエイダンの鉱物や金属とは違い、大量のものを運ぶわけではない。
軍にとってはそれだけが救いだろう。
「それだけでなく、東部で有数の名家はどれも軍では扱わないものばかりを扱っている。家具や調度品、絵画や音楽。それらを扱う家は軍よりも影響力を持っていることが多い。この領では軍人は野蛮扱いされることもある」
「つまり、我々は野蛮人の集まりだと軽んじられている。アイリスを渡航させないのはそこが関係しているのですか?娘を野蛮扱いさせないために?」
たしかにそれではほかの領とは違って、軍が比較的軽視されるのは仕方ないのかもしれない。
立派すぎる屋敷を持たなければいけないほどに外聞を気にするほどだ。娘が野蛮人扱いは嫌なのかもしれない。
だがそれでないがしろにしていいはずもない。
この世界は戦いにあふれる危険な世界だ。軍を軽んじれば、いずれそのツケは彼らの命で払うことになる。
軍人を軽んじているのかと俺が問う。
すると意外にも、ライノア、そしてイリアスも首を横に振った。
――そんなことを言う人間を気にすることはない、と。
ライノアは語った。
アイリスを渡航させない本当の理由を。
「……軍人とは過酷だ。たくさんの人間の死を目の当たりにすることになる。どんなに研鑽を積んでも救えぬ命がある。なによりアイリス自身の命も……心優しい彼女にそれを目の当たりにするのはさぞ辛かろう。たとえ命が助かっても、失われる命を目にしてアイリスの心が死ぬ。そんなことに私は耐えられない」
――吐き出された言葉は、ルチナベルタ家の当主としての言葉ではない。
ただの1人の娘を想う父の言葉。
「私たちは決して軍人を軽んじているわけではありません。野蛮だと罵ることもありません。ただ私たちが耐えられないのです。アイリスを失うことに耐えられないのです」
俺は言葉を飲み込んだ。
少しだけ視線を伏せながら話す2人を見て、弱いなんて言えなかった。
最愛の娘を失いたくない親を、嗤うなんてできるはずがない。
「軍人として以外にもこの家を継げばそれだけで多くの人を守ることにつながる。それではダメか?……誰かが戦わなければいけないことは理解している。だがそれをアイリスにしてほしくない……そう思うのはおかしいことか?人として世界のために戦うのではなく、父として娘に平穏に幸せに生きてほしいという願いは間違っているだろうか?」
静かに響く父の声。悲痛で切実な思いのこもったその言葉に、部屋が沈黙で包まれた。
ライノアとイリアス、二人の想いを、俺は理解できてしまう。
俺だって、今は会えない、元の世界にいる家族に会いたくて、こうして抗っているんだから。
家族を失いたくない二人の気持ちは痛いほどわかる。
無事に生きていてほしいと思う願いは間違っていない。
でももう一つ、わかる気持ちがある。
「お二人の家族を失いたくない気持ちはお察しします。……ですが、お二人はアイリスが軍人になった理由をご存じですか?」
「……多くの人を守りたいと言っていた。だがアイリスより強いものはたくさんいる。その人たちに任せればいいではないか。この世界には人類よりも強大な力を持つ悪魔が蠢いている。アイリスでは戦えないのではないか?ほかにも人々の役に立つ道はいくらでもある」
アイリスがどれほどの実力なのか俺は知らない。
特務隊に来る前は高い実力を買われて中佐まで上り詰めたと聞いている。
争いの少ない東部だから、もしかしたら周りが低かったのかもしれないが、特務隊に入ってからは戦闘以外で彼女は有能だった。
アイリスと目を合わせて頷く。
ぽつぽつと語りだす。
「お父さん、お母さん。ありがとう。心配かけてごめんなさい。それでもね、私はこの町の、この国の人々を護りたい。この手で多くの人を救いたい。たとえ、力が及ばないことがあっても……もし、道半ばで倒れたとしても。できることがあるなら私はそれをしたい。一緒に戦えるならともに戦いたい。それが私の決めた生き方。だから私は絶対に軍人をやめないよ」
「騎士になる手もある。騎士だって多くの人々を護っている。それではダメか?」
「それも悪くないかもしれない。でも私はこの町だけじゃない、命を脅かす悪魔からみんなを護りたいから。お父さんとお母さんが私を護ろうとしてくれるように」
皮肉、というべきか。
彼女が軍人を目指したのは、両親が心から彼女を愛しているから。
両親の愛を一身に受けた彼女は、だからこそ暖かい家族を、人々を護りたいと願うようになった。
彼女の言葉を聞いて両親2人は涙ぐんでしまった。アイリスも瞳に涙を浮かべている。
初めて互いの胸の内を明かして、感極まったのかもしれない。
やがてライノアが観念したような声音で言った。
「……私はお前をいつまでも小さな子供だと思ってしまったようだな」
「立派になったね。アイリス」
「はい、2人のおかげです」
「お前を認める。ただし、絶対に死ぬんじゃないぞ。親より先に死ぬなんて親不孝者に育てた覚えはないからな!」
吹っ切れた様子の父親を見て、アイリスはくすくすと笑う。
それを見た彼女の両親もまた、その顔に晴れやかな笑顔を浮かべていた。
次回、「英雄の詩」