第二十二話 あなたが愛した故郷を
城の一室。
王家にふさわしい装飾が施された部屋に王女アグニータとウィリアムがいた。
「それで、王女が俺と結婚する理由は?王女は俺のことが別段好きでもないんだから、迷惑な話だろうに」
「そんなことはありません!」
「え?」
ウィリアムは王女に好かれているとは思っていないのか、この結婚話が王妃と王の独断であると判断していた。悪魔がいなくなったとはいえ、この国での聖人の価値は変わらず高い。
王は代々聖人であるというなら納得も行くが、だからと言ってこんなあっさり決まるということは王族の意志が介在しているということだからだ。
だというのにウィリアムは王女が強く否定してきたことに驚いていた。
「私はこの国の王女ですから、聖人の方と結婚することは幼いことから理解していました。私はそれを、別段嫌だとは思っていません」
「だからといって好きでもない相手と結ばれたいとも思わないだろ?」
「そうですね。確かに嫌ではなくても結ばれたいとも思いません。あなたを初めて見たときも嫌だとも結ばれたいとも思いませんでした」
「そうだろうな。で、それでどうしてこんな話になったんだ」
「それは……」
アグニータが言いづらそうにする。
その様子をみてウィリアムも察したのか、少し申し訳なさそうに訂正した。
「そういうことか。不躾な質問をしたな」
「いえ、ちゃんと言わなきゃいけないことですから」
ウィリアムが理解したとわかり、アグニータの覚悟も決まった。
彼女はウィリアムを見上げ、仮面の奥の目をまっすぐに見て伝える。
「私はウィリアムさんが好きです。だから私と結婚してほしいんです」
何の偽りも企みもない、純粋な好意。
アグニータの想いを聞いて、ウィリアムは困惑したように眉をしかめる。
「段階をかなりすっ飛ばしていると思うんだが?」
「そうかもしれません。でも王族に生まれた私に選択権なんてありません。いつか必ず聖人と結婚することになります」
レオエイダンの王族に生まれたからには結婚相手はかなり厳しくなる。
聖人であれば、平民とでも結婚するということは逆を言えばそれだけ聖人が少ないということでもある。
つまり、聖人がいれば、彼女は否応なく結婚する羽目になる。
彼女は王族、責務を果たす義務がある。だからこそ王族は国民の税によって裕福な暮らしをしているのだから、それを断ることなんてできない。
だから彼女は今、心惹かれた聖人であるウィリアムに出会えて、必死になっていた。
ここで結婚できなければ、次に会う聖人は好きでもない人と結婚することになるかもしれないからだ。
ウィリアムは彼女の心情を頭ではわかってはいても、応える気は微塵もなかった。
「俺たちは知り合ってまだ数日だ。会話なんて碌にしてない。酷い言い方をするが、その程度で好きになるなら、次に会う聖人にだって同じような気持ちを抱くことも十分ある」
「確かにあるかもしれません。私は父とヴァルグリオ以外の聖人には、ウィリアムさんとしか会っていません。ですがたとえ聖人であってもあの悪魔に立ち向かい、勝てる人は多くありません。ヴァルグリオでも厳しかったでしょう」
「どうだろうな。やってないのだからわからない」
「いいえ、ヴァルグリオではあの悪魔の爆発を防ぐので精一杯、私を守りながら戦い勝つことはできなかったでしょう」
ヴァルグリオについてはウィリアムよりもアグニータの方がよく知っている。
その彼女がここまで言うのだから本当にそうかもしれないとウィリアムは思った。
だが、ただ強いだけで好きなどと言われても別に嬉しくもなんともない。
ウィリアムにとってこの力は望んで得たというよりも、必要だったから身に着けただけの力。
なぜ自分が聖人なのかもわかっていない。
それを誇る気には到底なれなかった。
くだらなそうに、ウィリアムはアグニータの想いを否定する。
「あの戦いの中で、それなりに劇的な状況だったんだ。一時的にそんな感情を抱いてもおかしくない。でもそれは紛いものだ。時間が経てば冷める恋だ」
「いえ、そんなことはありません。たとえすぐ冷める恋だったとしても、この気持ちだけは決して紛い物なんかじゃありません!」
「どうやって証明する。気持ちが本当かどうかなんて本人ですらわかっていない。だから加護なんてものはうまく発動しないんだ」
アグニータは断言する。
「証明ならできます。あの時、私の加護が証明してくれました」
悪魔バラキエルと戦っていた時、最後にウィリアムの身体は淡い光に覆われた。
ウィリアム自身もあの光のおかげで十二分に力を出すことができ、悪魔に打ち勝つことができたと自覚している。
そしてそれがアグニータから出ていたことも、彼女以外にはウィリアムにしか効果を発揮していなかったことも。
ウィリアムは感情の問題を盾に彼女にどうにか諦めてもらおうと考えていたが、それは難しいと判断し、溜息を吐く。
「ウィリアムさん、今すぐでなくとも構いません。どうか考えてはもらえないでしょうか」
どこまでも愚直なアグニータに、ウィリアムははぐらかすのをやめ、正直に答えることにした。
「……悪いがそれはできない。俺にはやらなきゃいけないことがある」
ウィリアムは自分の目的、故郷に帰ることを話した。その故郷へ帰るには特殊な方法じゃないといけないこと、他の人間は帰れないことも告げた。
もちろん話せない内容は伏せたまま。
「だから、俺はお前とはいられない。いつか必ず別れなければならないから、結婚なんてする気はない」
「……」
ウィリアムの話を聞き、アグニータは沈黙する。
ずっと故郷にいて家族と過ごしている彼女には、ウィリアムの気持ちが理解できなかった。
彼女には想像できなかった。
しかし、だからこそ思う。
ウィリアムの力になりたいと。
彼女が母から聞いた、聖人と少女の物語。
その聖人は、故郷のために戦いに出て、世界を救い、故郷に帰る。しかし故郷はすでに滅んでしまっていた。そして家族を失い、友を失い、聖人は深く悲しんだ。
ウィリアムはまるでかの聖人の人生を、期せずしてなぞってしまっているようだった。
だから彼女は、ウィリアムを放っておくことができなかった。
母が物語の最後に、アグニータに伝えたかったこと。
彼女の心の奥にその言葉は深く焼き付いて、今では彼女の加護となり、意思、夢となった。
「ウィリアムさん」
「なんだ」
「私は昔、母からこの国の成り立ちの話を聞きました。レオエイダンでは子供でも知っているお話です」
今度はアグニータが、ウィリアムに話をする番だった。
かつての聖人と少女の話をウィリアムにも聞かせる。
それがウィリアムに重なっているとも。
しかしウィリアムには響かなかった。自分を勝手に物語の登場人物と重ねられて、アグニータが少女になりきって自己陶酔に陥っていると感じて、むしろ不快に感じた。
「俺は物語の聖人じゃない。レオエイダンじゃない」
先ほどとは一転して、苛立った声。
「知っています。でも――」
「でもも何もない。そんな目で俺を見るな。俺はこの世界の人間を同胞だとは思わない。だからこの世界の人間のために戦おうなんて、毛ほども思わない」
アグニータの想いを無碍もなく否定した。
ウィリアムはこの世界にすべて奪われた。多少この世界の人間と仲良くなったところで、その恨みも憎しみも消えはしない。
この世界の何を犠牲にしても、元の世界に帰る。その覚悟を持って、彼はこうして戦っている。
この世界がどうなろうが関係ない。
この世界の人間のために戦うのではなく、ただひたすら自分のために。
特務隊と行動を共にしているのは、あくまで自分の目的を果たすために必要だからというだけ。
ウィリアムが強く言うと、アグニータは黙る。
……でもそれは彼女が折れたわけではなかった。
「私はウィリアムさんが、決して世界のために戦っているから似ていると思ったわけではないのです」
「ならなんだ」
「あなたが故郷を、家族をこよなく愛しているからです」
アグニータの言葉にウィリアムは思わず、言葉に詰まる。
ぎちぎちと、拳から音が鳴るほどに強く握りしめる。
「だから、なんだ。お前に何がわかる。友人も、家族も、故郷も失っていないお前に俺の何がわかる。すべて奪われたんだ。さぞ滑稽だろうな」
腹から這い出るような低い声。
ウィリアムは苛立った。確かに自分が戦うのは、元の世界に帰りたいから。家族や友人たちに会いたいから。
だがそれをアグニータが、自分の心情や境遇を理解したつもりでいられることに、自分の心に土足で踏みいろうとしてくることに苛立ちを隠せなかった。
故郷も何も失っていない、暖かな家族と故郷に囲まれて幸せに生きて、ただの一時の色恋に身を任せようとしている王女なんかに、と。
さらに、嫌っているにもかかわらず、今回の件で結果的にこの世界のために動いてしまったこと、レオエイダンの窮地を救ってしまったことが、まるで自分が道化であるかのようで。
それをウィリアムは自嘲して笑う。
それでもなお、アグニータはウィリアムの目を見つめ続ける。
怒りに満ちたウィリアムの想いを、一部とも理解できなくても、せめて受け止めようと。
「私のことを信じられないのも知ってます。確かに私はいつだって、故郷と家族に囲まれていました。この国から出たこともありません」
奪われる苦しみを知らない。
「本も読みたい。両親と話もしたい……私の家ですもの。故郷です」
でも失ったものの大切さだけはわかるから――
「でもあなたにはない……だからそばにいたい。あなたが愛した故郷を、取り戻す力になりたい」
アグニータはこのとき、母が最期に伝えてくれたことを真に理解することができた。
母はあの時、こういった。
――私たちの運命はね。世界を救う聖人様の、隣で一緒に戦うことよ。
王妃フェルナンダは、母はあの時、確かにそういった。定めではない。運命だ。
アグニータは思う。
ウィリアムが仮面を外さないのは、彼が常に戦っているからだと。
結婚なんてどうでもいいから、彼の隣で、故郷のために戦いたいと。
ウィリアムはアグニータの話を聞いて黙り込む。
言葉の節々から、彼女が本気だと否が応にも理解してしまった。
「結婚しなくとも構いません。此度のこと、私は決して忘れません。あなたの故郷を取り戻すために、私は、私たちレオエイダンは一丸となって力になると誓いましょう」
最初のような単なる恋慕だけではない、真摯な想いを受けて、ウィリアムは彼女から視線を逸らす。
「はぁ……力になってもらえても、俺は何も返せない。損するだけだぞ」
「もうすでに十分すぎるものをいただきました。私たちは本来あの場所で終わっていました。それを救っていただけたなら、残りの生をあなたに捧げます」
「そんなもんはいらん。お前はお前の人生を生きろ。人生なんて他人に捧げるもんじゃない」
その言葉からウィリアムが納得したのだと感じたアグニータは、真剣な顔を崩して、顔にパッと笑顔を咲かせる。
「わかりました。では好きに生きさせていただきます。それなら私がウィリアムさんの隣にいてもいいですよね?」
「お前は王女だろ。そんな自由にできるもんか」
「これから頑張ります!」
ウィリアムは頑ななアグニータを見て再度溜息を吐く。ただその仮面の奥の目は笑っているようにも見えた。
呆れ笑いを含めた声でウィリアムは言った。
「ドワーフは頑固だと聞いていたが、その通りだったな」
屈託なくアグニータは笑う。
「その姫ですから!」
その言葉を聞いて、初めてウィリアムは、アグニータの前で声を上げて笑った。
アグニータはそんなウィリアムを見て驚くも、つられるように一緒になって笑いあった。
次回、「エピローグ~赤く染まる~」