第十五話 聖人様
将軍?
悪魔が軍隊を編成しているとは聞いたことがなかった。
たまに現れる中位の悪魔が下位の悪魔を率いることはよくあるが、認識としてはただ一番強い個体に従っているだけだと考えられてきた。
悪魔が軍団を組織している?何のために?率いているのは誰だ?
聞きたいことが山ほどあるアグニータだったが、この悪魔に勝てないことは本能的にわかってしまった。
そして逃げられないことも。
ならば、最後まで戦うのみ。自分のために戦っている者たちのために私が死んでなるものか。
アグニータは覚悟を決め、立ち上がる。
だがその体は先ほどの爆風を間近で受けたために傷だらけだった。
少女を悪魔は嘲笑う。
「彼我の差がわからないとは、愚かだな。ドワーフはイノシシのようだと聞いていたがまさしくその通りよ」
「イノシシの怖さを知らないようですね。恐れを知らず、最後まで敵に立ち向かい戦う私たちは、決して負けません。最後にドワーフが一人立っていれば、それは私たちの勝ちなんです!」
震える心を抑えつけ、気丈に吠える。
そんな王女の心を見透かしたように、悪魔は余裕を崩さない。
「なればこそ、ここで一人も残さず滅してやろうではないか。首と胴が離れれば、地を這うイノシシとて立ってはいられまい」
「やってみなさい!」
悪魔は素手だ。
今ならば勝機があるとアグニータは腰に差していた剣を抜き、バラキエルに一気に切りかかる。
バラキエルは醜悪な笑みを浮かべたまま――
突如何もない空間から大剣を取り出し振るった。
「え!?」
アグニータはとっさに防ぐが、大剣の威力に負け、吹き飛ばされる。
彼女は魔法を見るのは初めてで、何もない空間から巨大なものを取りだす様に驚きを隠せなかった。
悪魔にとっては蝿を払う程度の攻撃。
しかしそれだけでアグニータが持っていた、錬金術で作られた頑丈なはずの剣が根元からひしゃげるように折れていた。
悪魔が使う大剣は錬金術以上の魔法によって鍛えられた業物だった。
さらに悪魔が持つ剣はアグニータの身長を優に超えるほどの大きさ。それほどの大剣であればかなりの重量のはずだが、悪魔は重さを感じていないかのように軽々と振り回している。
「これで終わりか、あっけない」
「ま、まだまだ……ゴフ!」
アグニータは爆発と大剣による衝撃で内臓を痛めたのか、吐血をして膝をつく。
なんとかして立ち上がろうとするが足元はふらつき、頭からは血を流し、葡萄茶色の髪がさらに赤く染まっていた。
高位の悪魔とはここまで強力なのかと、彼女は驚愕した。
なにより大剣を軽々と振るうこの膂力。そんな悪魔がいるとは聞いたことがなかった。
「まさか、聖人?」
「?ふ、ハハハ!これはまたバカげたことを言う!私たち悪魔が聖人になどなるものか!」
アグニータのつぶやきを拾ったのか、悪魔バラキエルは大声をあげて笑う。
何がおかしいのかと彼女が訝しんでいると、バラキエルはその様子すら面白いのかさらに笑う。
ひとしきり笑っても、なおも侮蔑の笑みを浮かべながら言った。
「矮小な人類どもらしい。この世界を何も知らないようだ」
「この世界?」
「わからぬだろうな!自ら私たちをこの世界に招き入れ、滅びに向かおうとする貴様らにはな!」
「な、何を言って……」
悪魔は人と同じ言葉をしゃべっているにも関わらず、アグニータにはバラキエルが何を言っているか、何も理解できなかった。
悪魔は説明する気などないとばかりに、大剣を大上段に振り上げる。
「楽しませてもらったし、もう十分だ。死ね」
バラキエルは膝をつき自分を見上げるアグニータの首に向かって、剣を振り下ろす。
自身の体ほどの大剣が猛烈な勢いで迫り、明確な死が風を切りながら振り下ろされる。
アグニータは目をつぶり、死の瞬間を待った。
――死の瀬戸際で、彼女はなぜか、昔のことを思い出した。
*
「いい?アグニ。私たちドワーフの王族はね。代々聖人様と結婚するのよ」
「聖人さま?聖人さまてどんな人?」
それは、かつて幼き頃に母が寝室で聞かせてくれたお話。
ドワーフ王家は聖人を祖とし、新たな聖人を王家に迎えることで繁栄してきた。
母もそして彼女もいずれは聖人となったものを迎え、結ばれることになる。
母は娘に聖人について語り聞かせる。
「聖人様はね。この国を作った人。私たちドワーフを常に守ってくれる人よ」
「この国を作ったの?お父様が作ったんじゃないの?」
「お父さんももちろん聖人よ。でもこの国を作ったのはもっと昔にいた聖人様。そうね、あの話を聞かせてあげるわ」
アグニータの母、フェルナンダは近くにあった絵本を手に取り、アグニータにも見えるように後ろから抱きしめながら読み聞かせる。
聞かせるのは、ドワーフの国、レオエイダンが建国されるまでのお話だった。
*
はるか昔、この世界には悪しきものどもが満ちていた。
悪しきものどもに対抗するため、各地の英雄が立ち上がり結集するも、悪しきものどもを殲滅することができずにいた。
しかし、ある時、神の子を名乗る少女が現れて、状況は一変する。
神の子悪しきものどもを次元の彼方へと送ることでこの世界から悪しきものどもを追い出すことに成功したのだった。
その後、集った英雄たちはかつての故郷に戻り、それぞれの人生を歩み始める。
それは、その戦いに参加したドワーフである、一人の青年も同じだった。
今のレオエイダンがある地。
大陸本島の西に位置する大きな島を故郷とするドワーフの英雄、彼は聖人となり帰ってきた。
かつて彼が最初に救った故郷。今もそこには懐かしい友の姿があるだろうと、胸を躍らせながら。
しかし、彼の故郷には何もなくなっていた。
彼が故郷を救い、世界を救うための旅に出た後に、故郷はまた何かに襲われ滅んでしまったのだ。
ドワーフの英雄たる彼はその事実に嘆き、悲しみ、泣いた。
見るも無残な、何もなくなってしまった故郷の地で、三日三晩泣き続けた。
深く悲しんだ彼は、このままではいられないと、誰かが逃げ延び、どこかの地で同胞たちが生きていると信じ、探すことに決めた。
大きな島をたった一人、同胞たちが生きていることを信じ、彼はひたすら歩き続ける。
長い時を探し続けても、彼は同胞を見つけることができずにいた。彼自身も不屈の思いで探し続けるも、諦めかけていた。
――そんな絶望の淵に沈みかけていたある日、雷鳴鳴り響く明るい夜に、眠る彼の耳に叫ぶ少女の声が聞こえた。
彼は飛び起き、幻聴かと思ったが、それでもいいと、一縷の望みを抱えて声のした方角へ必死に走った。
走って走って、声なんて聞こえるはずもない距離、自分がどこにいるのかもわからない場所に辿り着いたときに、ついに見つけた。
それはボロボロになった少女の姿。
傷だらけになりながらも必死に悪しきものどもから逃げ続ける少女がいた。
悪しきものどもを追い払った英雄である彼は、瞬く間に悪しきものどもを打ち払った。
少女は救われたことを喜び、彼は同胞に会えたことを心から喜んだ。
少女は彼に言う。
「あなたはどこから来たのですか?」
「私はかつてこの地に住んでいたもの。悪しきものどもを討ち払うための旅に出ておりました。あなたはどこから来ましたか?」
少女は近くにある隠れ村に住んでいると答えた。
しかし、隠れ村も悪しきものどもたちに襲われて、少女は村人たちのおかげで命からがら逃げだしたと。
彼は村があることに深く喜び、救うために少女の案内で村の場所へ向かうことにした。
「ここから先は危険だ。君は隠れていなさい」
「いいえ、英雄様。みんなが戦っているのに私一人だけ逃げることなんてできません。どうか連れて行ってください」
彼は悩んだ。
戦う力のない彼女を連れて行き、危険にさらすことになると。だが少女も譲らなかった。
ここで逃げれば、命は助かっても私の心は死んでしまうと。
彼は折れ、自分が少女を守ると誓う。
少女の案内で、彼は村に着く。そこには多くの悪しきものどもに村人たちが襲われていた。
「ここは危険だ。絶対に私から離れないでください」
「いえ、私も戦います。ここは私の村ですから」
彼は少女に下がってもらおうとするが、少女は頑なに引き下がらなかった。
彼は仕方なく、彼女を守りながら悪しきものどもと戦いを繰り広げた。
途端に悪しきものどもの数がみるみると減っていく。
突如現れた英雄に、生き残った村人たちは歓喜に沸いた。
しかし、ほとんどの悪しきものどもを討ち払ったところで、さらに強力な個体が現れる。
「我らが同胞を、これ以上はやらせぬ」
「敗残兵よ、おとなしく次元の彼方へ去るがよい」
悪しきものどもの残党の親玉と戦い、激戦の末、彼はついに打ち倒すことができた。
しかし、その戦いのさなか、少女とはぐれてしまう。
彼は必死に少女を探した。親玉を倒したとはいえ、危険が去ったとは言えない状況だったから。
そしてようやく少女を見つけたとき、彼は大いに驚くことになった。
「英雄様、私も戦えました。悪しきものどもを打ち取りましたよ」
少女の前には倒れた悪しきものどもの姿があった。
浅くはない怪我を負いつつも、少女が討ったのだ。
傷ついても、それでも誇らしげに、笑う少女を見て。
彼は自分が少女を見誤っていたと悟った。
「そなたを見誤っていたようだ。どうか謝罪をさせてくれ」
「構いません。英雄様に比べれば私はとても小さきものです」
「そんなことはない。小さき身、弱き力であったとしても、そなたの心は気高く強い。そのような方を小さきものとは、私にはとても言えません」
こうして2人は互いに認め合い、惹かれ合うようになった。
悪しきものどもを討ち払うことに成功した村人たちは喜び、世界を救った英雄の帰還を盛大に祝った。
彼は少女の住むこの隠れ村で生きることとなる。
やがて彼は少女と結ばれ、この村の長になる。
そして悪しきものを払い、安全となったこの島で、聖人である彼は長い時間をかけてドワーフを大いに繁栄させることとなった。
愛すべき故郷、多くの友、家族に囲まれて。
少女も、そして英雄となった彼も幸せな人生を送り、少女を見送った後も末永く彼女を想い続けたという。
*
「この時の隠れ村が、今私たちが住んでいる城の元となったのよ。この地で英雄である聖人様は新たな人生を歩まれたの」
そう締めくくるフェルナンダ。
幼き日に母が語ってくれたレオエイダン建国の物語。一人の英雄と少女の話。
「その聖人様のお名前は?」
少しずつ眠くなってきたアグニータは、それでも話が聞きたいと母譲りの黄褐色の瞳をこすりながら尋ねた。
「聖人様の名前はレオエイダン。この国の名前は聖人様から頂いたのよ」
アグニータの頭を撫でながら、フェルナンダは優しく微笑む。
「そして少女の名前はアグニ。聖人様を支えた気高い心を持つ人。あなたの名前も彼女からもらったものよ。アグニータ」
「本当?じゃあ、私のことを守ってくれる聖人様が現れるかな?」
アグニータは華のようにぱっと笑顔を咲かせる。
「ええ、きっと現れるわ。でもその時が来たら、あなたのすべきことをしなければならないわ」
「しなければ、ならないこと?」
「それはね」
それは彼女にとって、王族にとって、とても大事なこと。
王女としての役割と心を教えてくれるものだった。
ただ眠くなってきたのか、アグニータはうとうとし始めてしまった。それでも彼女は自分がどうしなければいけないか聞きたくて眠気に耐える。
そして母は、自分と同じ髪を持つ娘をなでながら、教えてくれた。
聖人は少女を助ける。では少女はその後どうするべきか。
「私たちはね、その聖人様の―――」
アグニータは心地よい母の手のぬくもりを感じながら、穏やかに眠りについた。
*
死の間際、昔のことを思い出す自分がおかしくて、アグニータは絶望的な状況なのに笑ってしまう。
(結局、私には助けてくれる聖人様は現れなかったわ。私が強くないからかしら)
子供のころに憧れた、自分を助けてくれる聖人に夢を持たなくなったのはいつからだろう。
大人になって夢物語だと知ったからだろうか。
知ってしまったから聖人様は助けてくれないのだろうか。
(ヴァルグリオ、ごめんなさい。父上、母上、別れも言えない親不孝者の娘で本当にごめんなさい。お兄様は泣いてくれるかな?)
アグニータは最後に家族のことを思い浮かべ、最後の瞬間が来るのを待った。
その時間は彼女にとって永遠にも感じるほど長かった。
……だがいつまで経っても最後の瞬間が訪れることはなかった。
代わりに彼女に訪れたのは、驚愕に満ちた悪魔の声。
「なんだ!これは!?」
アグニータはうっすらと目を開ける。しかし直ぐにその目を大きく見開いた。
――そこには悪魔の大剣を防ぐ、淡く輝く盾があった。
「女!貴様の仕業か!?」
何が起きたのかわかっていないアグニータに悪魔が問うも、彼女には答えることができなかった。
悪魔はその様子に苛立ち、もう一度アグニータに向かって大剣を振り下ろそうとする。
次の瞬間、悪魔に向かって何かが飛び込み、吹っ飛ばした。
「ぬおおお!」
声を上げながら吹き飛ばされていく悪魔。
思わず目を背けたアグニータは、悪魔が吹き飛ばされたのを察してすぐに視線を戻す。
滲む視界、その直前に飛び込んできたのは――
空を駆ける竜の紋。
「ウィリアム、さんッ……」
一度だけ見かけた、忘れられそうにない男の姿だった。
次回、「参戦」