第十四話 脅威
「東の艦隊!悪魔を発見!」
「現在交戦中!」
「巧妙に海中に潜り、攻撃を回避している模様!攻めあぐねております!」
旗艦アラリケに悪魔発見の知らせが鳴り響く。
ブリッジにいたヴァルグリオはすぐに状況を整理し、怒鳴るように指示を出す。
「南北の艦隊に向かわせよ!東には時間稼ぎを優先しつつ本艦に向けて後退!悪魔どもを包囲、殲滅する!」
ヴァルグリオが指示を出す横で、参謀長であるフェアディが海図の上にある船の形をした駒を動かす。今の動きは事前に元帥、参謀長、王女の間で会議を重ね、決めておいたものだった。
海図の上にある駒を見て、戦況を理解した王女アグニータはヴァルグリオの指示が一度落ち着いたのを見計らい、尋ねる。
「ヴァルグリオ、悪魔たちの動きは以前と変わっていませんか?」
「恐らくは。前回も海中から突如として現れ、襲われました。幸い、我がいた海域は近くに島がありましたので、逃れられましたが」
アグニータは海図を見て、整った眉にしわを寄せる。
「今回は厳しそうですね。周囲に陸がありません」
現在は周囲に何もない海域だった。一番近い陸地に着くまで一日はかかる位置だ。
そしてもう一つ、アグニータの気になることがある。
「ウィリアムさんの動きは?」
「いまだ見られませんな。指示を仰がれましたが依然変わらずこちらの指示に従っております。方角が反対方向ですから、動き出すとしてももう少し悪魔と本艦が近づいてからでしょう」
悪魔が現れたのは東の艦隊方面。ウィリアムは旗艦の西側の真横に配置されていた。もしウィリアムが悪魔の動きに合わせて裏切るつもりなら、そのタイミングは絞られる。
「動き出すなら私たちが戦闘に入った後ということですか」
「左様であります。事態は常に最悪を想定します。まあ、ウィリアム殿が裏切らない可能性もあります」
「最悪を想定するのでしょう?ならば裏切ると仮定いたします」
旗艦にいるドワーフたちは全員ウィリアムが裏切ると仮定した。
必ず裏切ると思っているわけではないが、疑わしきは信じずの精神を彼らが持っているためにウィリアムは期せずしてドワーフに嫌われるような形となった。
「ではウィリアムさんの護衛艦は予定通り、この艦の真横に常に配置。本命の悪魔たちは3艦隊で相手をしましょう。残り一艦隊は予備戦力とし、本艦と戦場近くへ移動させます」
「ではそのようにいたしましょう。聞いたな?姫様の指示通りにな」
「はっ!」
アグニータが動き出していた3艦隊の他、残り西の艦隊の扱いも決定する。姫とはいえ王族だ。特に意見に問題がなければ、彼女の指示も艦隊全域に伝えられる。
指示を出し、しばらくするが東の艦隊から特に大きな報告はない。今も戦闘が行われているようだが健闘しているようで悪魔をかなりひきつけているようだった。
届いてくる報告によれば、犠牲も出ているようだが想定よりもかなり少ない。
そしていい知らせが旗艦アラリケに舞い込む。
「南北ともに所定の位置に到着しました!いつでもご指示を!」
「よし!南北ともに連携して悪魔を攻撃しろ!決して逃がすな!東の艦隊とも連絡をとり、包囲、撃滅!」
「はっ!」
これで悪魔包囲網が完成した。あとは殲滅するだけだ。
深く潜航されれば追えないが、ドワーフも手を打たないわけではない。
包囲が完成した時点で海中に機雷を設置し、悪魔が接触すれば爆発するようにした。これでたとえ潜航されても仕留めることができるし、できなくても重傷を与え、居場所が確認でき追撃できると考えていた。
「これで何とかうまくいきそうですね。高位の悪魔といえど、包囲されれば大砲を防ぐので手一杯でしょう」
アグニータがほっと安堵の息を吐く。しかしすぐにヴァルグリオは引き続きの警戒を促す。
「しかし油断は禁物です。高位ともなれば高い知性を持ちます。何かしら手は打ってくるでしょう」
「何かしらの手ですか……ウィリアムさんに変化は?」
「ありませんな。報告を聞いても不気味なほどに静かなままです」
ブリッジから見える隣の護衛艦を見る。
「このままだと明暗分かれませんね。私たちが悪魔を完封すればウィリアムさんは不利と思って動かないのかもしれません」
「監視は付けましょう。この国を出るまで何もなければ杞憂だったということです」
それを聞いて、アグニータは少しだけ嬉しそうな顔を浮かべる。しかしすぐにまた別の問題を思い出し、顔をしかめた。
「そうであると嬉しいですが、そうなると母上はどう出るでしょうか。さすがに結婚はさせませんよね?」
「王妃様はお戯れが過ぎる一面もあります。我からも一言申しましょう」
「ありがとうございます。ヴァルグリオ」
彼女にとってウィリアムは腫れ物のような存在だった。
悪魔の仲間であれば国の敵、そうでなくとも王妃によって結婚相手とされているからだ。
彼女も王族、そして強く尊敬の対象である聖人と結婚するのは覚悟ができていたし、むしろ聖人との結婚は夢でもあった。
しかし、ウィリアムは仮面をつけて顔も見せず、悪魔の味方という嫌疑もかけられている。最初の謁見の際の印象もいいとは言えなかった。
そのために彼女はウィリアムとの結婚の話には後ろ向きになっていた。
ヴァルグリオも疑いのあるウィリアムを王族にすることは反対で、アグニータを助けるつもりだった。
しかし、ここで今後のことを考えていた二人に凶報が舞い込む。
「東から連絡!いえ、これは……違います!東側の本艦護衛艦より連絡!本艦左方に巨大な魔物の影!」
「何!?護衛艦ということはすぐそこか!?包囲は破られたのか!?」
「いえ!依然三艦隊は交戦中!悪魔の別動隊です!」
「なんだと!?」
遠方だと思われた悪魔の部隊がすぐそこにいる。
この報告を受けてアラリケのブリッジは一気に混乱にも似た声が飛び交う。
そして次の瞬間、近くの海から、天にも届かんばかりの巨大な水柱が出現した。
彼らの船が大きく揺れる。
態勢を立て直し、水柱が発生した場所を確認すると、すでに水は落ち切っていた。代わりにいたのは、遠目にも見上げなければならないほどの巨大な物体。
それは――
「あれは、海竜!?あんなものを使役していたのか!?」
鋭い鱗に覆われた、超巨大な海の竜。
陸上の竜種とは一線を画す巨体を誇る、海の生態系の頂点に立つ存在だった。
そして更なる凶報がブリッジに舞い込む。
「海竜を悪魔の軍勢と確認!海竜の背に大量の悪魔の姿が見えます!」
最悪の悪魔と最凶の魔物が手を組んだ。
すぐにヴァルグリオは各艦に指示を出す。
「左方護衛艦に攻撃命令!本艦も援護射撃!右方護衛艦、ウィリアム殿から連絡は!?」
「本艦に阻害されて砲撃できないとのこと!位置の転換願いが出ております!」
ウィリアムも東側から魔物が現れたことに気づき対応しようとしていたが、ヴァルグリオとアグニータがウィリアムを疑い、すぐにでも撃沈できるように旗艦の横に配置していたために、側面にある大砲で攻撃できないという事態に陥っていた。
そのため、ウィリアムは攻撃するために移動したいとの連絡をアラリケに届けていた。ヴァルグリオがその案を飲もうとしたところでさらに事態が動く。
「ヴァルグリオ!護衛艦が!」
「っ!なんと……!」
海竜に襲われた護衛艦が、振り下ろされた海竜の腕をよけられず直撃。
――何もできずに、真っ二つに分かれて轟沈した。
「たったの一撃で……」
「ウィリアム殿に護衛艦は前に出るなと連絡!本艦が前に出る!西艦隊に連絡して挟撃する!ウィリアム殿を本国に戻らせ、このことを知らさせい!」
ヴァルグリオは護衛艦ではあの海竜に太刀打ちできないと考え、無用な犠牲を出さないためにウィリアムの意見を却下した。
最大級の規模を誇るアラリケでなければ海竜の攻撃に耐えられないと。
しかしその指示にアグニータが意見した。
「ですがヴァルグリオ、ウィリアムさんは!」
「姫様、恐らくウィリアム殿は悪魔の手先ではありません!あれほどの魔物を利用できるのであれば、そのような小細工など必要はありません!」
ヴァルグリオはこの状況を見てウィリアムは敵ではないと判断する。
あのような魔物がいれば、密偵など送らずとも自分たちを殲滅できる。
東に現れた悪魔の部隊は陽動で、先に頭を潰そうと潜航してきたのだ。さすがは高位の悪魔だとヴァルグリオは内心舌を巻く。
「姫様は今すぐ、ウィリアム殿の船に避難してください!ここにいては危険です!」
「ですがあなたは!」
「我らは生粋の軍人!覚悟はできております。なによりこの身は聖人であります。この程度、何の問題もありませぬ!しかし御身は我らの至宝!ここで失うわけにはいきませぬ!経験を積み、国を導いてもらわねば!」
有無を言わさぬその口調に、アグニータは唇を噛む。
「……ごめんなさい。力になれなくて……ごめんなさい」
アグニータは涙を浮かべながら、兵士に連れられてブリッジを後にする。ヴァルグリオはその後ろ姿を見ながら覚悟を決める。
ヴァルグリオがアグニータの相手をしている間、指揮を執っていた参謀長が言った。
その顔は危機的状況であるにもかかわらず、笑っていた。
「善き御仁になられましたな」
「そうだな。あのような姫様だからこそ、我らは戦えるのだ……さあ諸君、覚悟はできたかな」
ヴァルグリオがブリッジを見渡す。
通信兵や観測員たちは席を立ち、中心にいるヴァルグリオを見る。その顔はみんな覚悟を決めたいい顔をしていた。
心底誇らしげに、ヴァルグリオは頷いた。
「これより我らは海竜と悪魔どもを討つ!こざかしき悪魔の浅知恵など、我らドワーフの叡智の前に何の障害にもならず!我らが勇気、我らが雄姿。姫様に背中で示し、悪魔に刃とともに刻み付けようぞ!!」
「「「応!」」」
「全員!出撃せよ!!」
ヴァルグリオが艦内全域にも聞こえるような大声を出し、船員たちも船を振るわすほどの大歓声を上げる。
この旗艦に乗るものは皆精鋭で戦える。
聖人であるヴァルグリオがいれば、海竜に一撃を食らわせることも可能だと。
誰もが希望を持ち、勇気の炎を燃やし、立ち向かう。
そしてそれは実際に可能だっただろう。彼らがいれば海竜は倒せた。
――だがそれは魔法を使う、高位の悪魔がいなければの話であった。
*
「ヴァルグリオ、フェアディ、皆さん、ごめんなさい。どうか、生きて」
辺りから聞こえてくる船を震わすほどの大歓声を、小さなその身に受けながら。
アグニータは残ったもの達を想いながら脱出艇に急ぐ。彼女の身体は大歓声を受けて、高揚ではない別の理由で震えていた。
「姫様、どうかお急ぎを。ウィリアム殿には伝えてあります。どうかご武運を」
「それは私の台詞でしょう。無力な私を恨んでもいい、どうか生きて」
「それは無理な話です。我ら一同、姫様のために最後まで戦うのみ」
「馬鹿……っ!」
ただひたすら駆ける。
しかし次の瞬間、轟音が聞こえ、船が大きく揺れた。
唐突に起きたその異変に立っていられなくなり、その足は止められることになった。
爆発音に訓練を受けたアグニータと案内していたドワーフは反射的に地に伏せる。
揺れが収まり、アグニータが顔を上げると、息を飲んだ。
先ほどまでいたブリッジが煙に包まれていた。それどころか、ブリッジのあった部屋が崩れ、瓦礫が甲板の上に降り注ぐ。
ヴァルグリオたちがどうなっているか、煙が濃く、見えない。
「どうなっているの?海竜は火なんて吹けないはず!」
あんな爆発を起こせるはずがない――
その疑問に案内していたドワーフが答える。
「恐らく悪魔のせいです。奴らは魔法を使います。爆発とて起こせるでしょう」
「そんな、ヴァルグリオ!」
思わずアグニータはブリッジに戻ろうとした。だがまたすぐにその足は止まる。
広い海、その水平線までも届こうかという野太く力強い大声が響きわたったから。
「我はレオエイダン海軍元帥!ヴァルグリオ・ギロ・ギレスブイグ!我が意志を砕かぬ限り、この船を落とすことは不可能と知るがいい!」
煙が晴れるとそこにはいまだ無事なヴァルグリオ達の姿が見えた。
ブリッジを始めとした、船全体に淡い赤い光が漂う。
聖人であるヴァルグリオが発する加護の光だった。
「これが、加護……」
「姫様、ご安心ください。聖人である元帥の加護です。これがある限り、我らは沈みません。何時間でも何日でも耐えて見せます。だから安心してお逃げください」
聖人は身体の膂力が増し頑強になるという特徴ともう一つ、大きな恩恵がある。それは発動する加護の力が強大になるというものだ。
もともと聖人になるほどの強き意志を持つ人間が完成した聖人となり、より強大な加護を発動すれば生半可なものでは傷一つ付けられない。それこそ同じ聖人くらいのものだ。
ヴァルグリオの加護は守護。この船を守るという意志が浮沈艦足らしめている。
初めて見る加護にアグニータは驚くも、これならと希望を抱く。
「わかりました。すぐに本国に戻り、応援を呼びます」
「お気を付けください、我らは――!?」
大丈夫だと、脱出艇に向かおうとした瞬間――
案内していたドワーフが突如爆発に巻き込まれ吹き飛んだ。
アグニータも爆風を受け、吹き飛び、甲板の上を転がる。
「ゲフッ……い、いったい、何が?」
傷だらけになりながら爆発の原因を見る。
目を見開いた。
そこにいたのは醜悪な顔をした異形の存在。
「あ、悪魔」
震える小さな口で、その名を呼んだ。
「ほう、まだ生きているものがいたか。どうやらこの加護、船自体を守るもので船員たちを守る力はそこまで強くないのだな。これならば私がいれば落とせそうだな」
まるで人間のように1人喋る悪魔。
アグニータはここまで流暢にしゃべる悪魔を見たことがなかった。
悪魔は基本異形であり、のどの形もおかしいのかうまく発声ができない。だがこの悪魔は人類と変わらぬほどしっかり喋っている。
この悪魔が今回の騒動の原因だとアグニータは直感で理解した。
「高位の悪魔……」
アグニータの呟きを拾った悪魔は、醜悪な顔をさらに歪める。
「如何にも。人間どもから高位とされているものだ。実際の名は違うがな」
「実際の名?」
手を広げ、笑う。
「我が名はバラキエル。我らが神から大地と生物を統べる力を与えられたもの、悪魔の将軍の一人なり。貴様らに神罰を下すものなり」
次回、「聖人様」