第二話 聖人崇拝
俺は猛烈にイライラしていた。
研究に集中できれば。
そんな俺のささやかな期待があっさりと砕かれたからだ。
「ダメだ、認められぬ」
目の前にいる、西部を取り仕切る軍の最高司令官エデルベアグ・グス・ハードヴィー大将が厳かに告げた言葉によって。
今はカーティスと共に、西部の中心地であるリーズバラフォードにある領主館でハードヴィー大将に挨拶をしたところだ。
口元も目もどこもかしこもにしわを寄せて険しい顔をしているハードヴィー大将に挨拶をして、この後にレオエイダンに研究のために渡航すると告げた。
すると先ほどの言葉通り、認めないと言われた。
「なぜですか?すでに手紙で渡るということを伝えていたはずです。何か問題でも起きましたか?」
「問題というのなら昔から存在している。故に問題は起きていない。理由は貴官が聖人であるゆえに」
イライラする理由は他にもある。この大将が武人だからか、いろいろと説明がはしょられすぎて話が進まない。
思い通りに進まないことも、ちゃんと説明しようとしないこの将軍にも、靴の中に入った小石にもイライラしてくる。
俺が聖人なのが原因?その背景をちゃんと話せと心の中で叫ぶ。
「不勉強ゆえに申し訳ありませんが、なぜ私が聖人であることで入国を許可できないのでしょうか。閣下も聖人であらせられますが」
「我は将軍故、立場があり問題が起こることはない。だが貴官は一佐官にすぎぬ。それが問題である」
まじでイライラしてくる。わからねぇよ、その説明じゃあよ。
西部じゃレオエイダンの状況がよくわかるから、端的に告げるだけでわかるのかもしれないが、こっちは西部に初めて来たんだ。
西武は東部とは正反対で、効率が最優先で説明も非常に簡潔だ。
でも俺はレオエイダン含めて西部について詳しくないから、説明されなきゃわかんねぇよ。
バカにされてる気分だ。
俺が必死に沸騰しそうになる頭を冷やしていると、カーティスがうまく補足と整理をしてくれた。
「聖人を欲しているレオエイダンの王族に取り込まれると?」
「然り」
……あー、なるほど、やっとわかった。最初からそう言ってくれよ。
聖人に近い俺の身をレオエイダンが放っておかないということか。
ハードヴィー大将がそういうということは、よほどレオエイダンは聖人を欲しているのか。他国の軍人を王族が取り込もうとするなど、よほどのことだ。
いや、他国の要人を迎え入れるということは、政略結婚としてあるのだからそこまでおかしくはないかもしれない。
これがカーティスが言っていた、聖人を優遇する措置か?
だが問題はそこではなく、王族、つまり国単位で絡んでくることが厄介だ。
王族に取り込まれても困るし、逆に断っても外交関係にひびが入る可能性がある。
だから大将も許可を出せないのか。
静かに深呼吸をして、頭を落ち着かせてから質問をする。
「ですがそれでは飛行船研究ができません。それでは我が隊の目的であるグラノリュース侵攻を果たすことができません」
「技官たちを帰還させる。さすれば我が領で存分に研究をすればよい」
大将のいうことももっともか。
正直、技官たちがどれだけ技術を学べたかわからないし、レオエイダンでしか手に入らないものもあるから、できれば向こうでやりたかったし、個人的にもレオエイダンに行ってみたかった。
とはいえ、大将との関係を悪化させてまで行きたいとも思わない。
「ひとまず、技官と連絡を取り給え。状況を確認し、入国せずに済むならばそのように済ませよ」
「承知しました」
……まったく、何もかも思い通りにいかないな。
*
大将の部屋から退出し、領主館の廊下を歩きながら、ウィリアムはカーティスに尋ねる。
「カーティス、どう考える?」
「かつてのレオエイダンでは考えられん。聖人を欲しているがあくまで正当な手段でだ。他国の人間を無理やり勧誘など聞いたことがない」
正当な手段、それはあくまで自国民であるドワーフが聖人になれるように、手厚い待遇や戦いの場を設けると言った具合だった。
他国の聖人を王族が迎え入れる、それも事前に何のコンタクトもなく行おうとするなんてよほどのことだ。
だがそれがおかしくない場合が一つある。
「東西南北を治める将軍はいわば一国の王といってもいい。南部と交流を深めるというのならば政略結婚もおかしな話ではない。つまり聖人である隊長はレオエイダンにとってそれほど重要になっているわけだ」
そう、カーティスが言う通り、その相手がよほどの傑物とか重要な立場の人間である場合だ。
領主館の一室、2人に与えられた部屋に入ると、ウィリアムが大きな声を出す。
「そりゃいいな!楽して次の国王候補だ。よその人間に国を任せられるなんざ、ドワーフはよほど自信家なようだ!」
ウィリアムが愉快そうに笑う。
だが口調とは逆に仮面の奥の目は笑っていなかった。
「そう腹を立てるな。ハードヴィーという人間は異常なほどに他人に影響を受けやすい人間だ。どうやら最近はドワーフとの面談が多かったのだろう。口調が移っていた」
「はぁ?まさかあの口調はドワーフの影響ってことか?ドワーフはあんなまだるっこしいしゃべり方か」
「その傾向は多い」
「なら行かないほうがいいかもな。頭の血管が切れそうだ」
ウィリアムにとってハードヴィー大将の口調や話は苦痛のようで、それがドワーフの影響だとわかれば行く気が失せたようだ。
だが一方で、カーティスはレオエイダンにて直接研究開発に携わりたがっていた。
「慣れればどうということはない。相手のいうことがわかれば最低限の会話で済むのだから実に効率的だ」
「慣れる気がしねぇな。血管切れるほうが早そうだ」
イライラしたウィリアムは頑丈そうな椅子に乱暴に腰を下ろす。
カーティスは特に気にすることもなく、煙草を取り出し火をつける。
しばし沈黙が落ちる。
カーティスが紫煙を吐く。
「今後はどうするつもりだ」
「さっきの会話通りだ。とかくあいつらと連絡を取る。研究進捗と飛行船建造の見通しを聞いて、こちらで出来そうなら帰国してもらう」
「うまくいけばよいがな」
「願うしかねぇだろうな」
2人は無事にこのまま研究が進むとは考えていなかった。
その理由は、特務隊の公開情報。
公開情報といってもあくまで軍部内で照会できるということで、誰でも知れるわけではない。
だが問題はレオエイダンとの同盟内容だ。
「そもそも特務隊の隊長が聖人ということは簡単に知れる。アイリスもそれで志願したくらいだ。レオエイダンは軍事同盟を結んでいるから公開情報くらいなら知る権利はある」
そう、レオエイダンとアクセルベルクは軍事同盟を結んでいる。アクセルベルクは多くの資金を払い、レオエイダンは兵と武具を提供している。
特に西部は、レオエイダンとの間の海域において、保安のために連合軍を結成している。
そのためレオエイダンには、アクセルベルクの軍の情報を知る権利があった。
公開情報があるのは部隊が移動する際に調べやすくするためだ。
隊員の経歴や戦歴、部隊規模や役割を把握すれば、受け入れ態勢を整えるのも楽になり、連携も取れるようになる。それは特務隊とて例外ではない。アイリスは特務隊が人を募集していることを知り、そこから特務隊を調べ、興味を持ったために転属願を提出した。
興味を持った理由は隊員たちの情報が伏せられていたがゆえに精鋭だと感じたからだ。
精鋭だと思った理由にはもう一つある。
それは隊長が聖人ということだけは明かされていたこと。聖人は珍しい。それもたった一つの部隊しか任されていない聖人は現状いないため、特務隊1つで領主を務めることのある聖人の仕事に匹敵すると考えたからだった。
このように聖人であることを明かして、優秀な人材を集めようというアインハード中将の目論見は達成されたが、思わぬところで足枷になってしまっていた。
「技官を派遣するとなった時点で特務隊の存在は明らかになっている。調べるくらいはするだろう」
「となればあの手この手使ってきそうだ。それこそ大将に手紙の一つでも寄こしてそうだ。むしろもうしていたかもな。だから許可が出せない」
ウィリアムが額に手を当てて、考え事をするために目を閉じる。
カーティスは紫煙を天井に向けて吐き出した。
カーティスやアイリスといった優秀な人材が来たために、アインハード中将を責めることもできない。
「中将は南部の人間だからな。レオエイダンがどれほど聖人を欲しているのか知らなかったんだろうな」
「中将ともあろう人間が他国のことを知らんとはな」
「聞いた話じゃ、中将は半聖人になってからレオエイダンに行ったことがないらしいからな。レオエイダンに聖人として扱われることもなかったから、忘れていたんだろうさ」
アインハード中将とて想像のできない人間ではない。
特務隊の隊長が聖人ということは明かしているがちゃんと理由はあった。
そのほかウィリアムの経歴やウィルベル、マリナの情報は伏せられている。精霊術もとい魔法が使えるということも。
「結局、また研究に専念できないわけか」
最近増えた溜息を吐きながら、部屋の椅子にだらしなく座り目を閉じる。
この日はこの後に技官たちに連絡をとって終わった。
*
数日後、領主館に滞在していたウィリアムのもとにヴェルナーたちから連絡が来た。
内容は研究に関することと、レオエイダンから出国できないこと。
出国できない理由については、現在研究している内容がドワーフにとっても興味深いことから、共同開発をもちかけらており、レオエイダン国内で行いたいと言われているらしい。
手紙の内容をハードヴィー大将に伝えに行ったカーティスが、ウィリアムと利用している一室に帰ってきた。
「ハードヴィー大将も渋々と言った体でレオエイダンへの入国を認めた。その際には大将直筆のこの書類を必ず持って行けとのことだ」
ウィリアムがカーティスがもらってきた書類を受け取り、確認する。
その書類は、ウィリアムがアクセルベルク所属であることと後ろ盾に南部と西部の将軍がいるということを証明するものだった。
「なるほど、これがあれば、王族に無茶なことを言われても、二人が後ろ盾になってくれるってことか」
「つまりそれだけ重要ということだ。下手なことすれば2つの領の将軍の顔に泥を塗ることになる」
「研究したいだけなのにな。ちょっかいかけてくれなきゃ、こっちも失礼をしないのにな」
ウィリアムとしてはただ飛行船の研究をしたいだけなのに、勝手な事情でちょっかいを出されて邪魔をされることがたまらなかった。
西部に来てから彼はずっとイライラしていた。
「あの小娘2人に会えないくらいで苛立つな。人を率いる立場の人間がそんな感情を表に出してはいかん」
「そんな理由で腹立つ訳ねぇだろ。イライラするのは西側全体にだ。口調も手出ししてくる理由も全部身勝手な理由からだ。こっちの都合は無視だ。そういうのはむかつく」
彼がここまで腹を立てるのは、グラノリュースにて受けた仕打ちが大きい。
カーティスはウィリアムがなぜグラノリュース侵攻の隊長なのか、なぜ恨んでいるのかという事情を知らないから気づきようがなかった。
ウィリアムはかつてグラノリュース国王に自分勝手な理由ですべてを奪われ、いいように利用されていた。その時の感情をほんのわずかだが、逆なでするようなレオエイダンの対応にイラついていた。
しばらくイラついていたが、時間とともに落ち着いたのを見計らい、カーティスが再度、ウィリアムに尋ねる。
「それでレオエイダンに入り、最初に行うことはなんだ?」
「まず技官たちと合流する。面倒ごとはごめんだ。とっとと飛行船開発の目途を立てたらすぐに国を出る。ヴェルナーたちにはレオエイダンで学ぶ必要がなくなり次第、アクセルベルクに帰国させる」
少し前まではレオエイダンに行ってみたい気持ちがあったが、今となってはすっかりその想いも無くなってしまっていた。
「王族への対処は?」
「必要あるか?どう手を出してくるかわからないんだ。今考えるだけ無駄だ。呼び出しを受けたら理由をつけて断る。断れなかったとして勧誘か何かを受けてもさっきの書類を見せればいい」
「そううまくいくものか。レオエイダンの王族とて手練手管は持っている。書類一つで引き下がるほど甘くはない」
「正直そんな国とどうしてここまでうまくいってきたのか不思議だね。こんな強引に人を取ろうとするなんて外交問題になってもおかしくない……なんにしろ、困ったことがあれば無茶な条件を付けて諦めてもらうか、時間を稼いでハードヴィー大将に助力を願う」
他力本願な部分や見通しが甘い点があることに、カーティスは不安を感じる。
しかしウィリアムがこの手のことに疎いのは仕方がないことだった。元の世界ではもともと王政ではなかったし、政治に直接かかわることもなかった。
だが彼のいうことも間違ってはいない。王国がどうでるかわからない以上、具体的な方策を立てるにも限界がある。臨機応変に対応する必要があるが、そういった交渉の場数を踏んでいない上、頭に血が上ったウィリアムには荷が重い。
「やれやれ、世話の焼ける隊長殿だ」
「何か言ったか?」
「たいしたことではない」
独り言を目ざとく拾うウィリアムを見て、今度はカーティスがばれないように小さな溜息を吐くのだった。
次回、「海洋の異変」