プロローグ
命を燃やし、友を救いて家族を守る
わが生涯を賭せることのなんと尊きことか、ありがたきことか。
我が祖国、我が同胞を誇りに思おう
ヴァルグリオ・ギロ・ギレスブイグ
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春が近づき、暖かな日差しがアクセルベルクの王城の一室に差し込む。
十人程度が入ってきても余裕のあるほどの広さ、そして程よく調度品が揃えられた、立場のある人間が使うような立派な部屋。
その部屋にいるのは竜を模した仮面をつけた黒髪の男、ウィリアム。そしてその部下たちだった。
ウィリアムがこの世界にきて、もう3年、アクセルベルクに来てからは1年ほどが経過しようとしていた。
ウィリアムもアクセルベルクでの生活に慣れてきたが、いまだに元の世界に帰る明確な方法はわかっていない。実在するかも確かではない。
焦りを感じているが、現状でもできることは常にやっていた。
現在、ウィリアムを始めとした南部軍所属の特務隊は、二つに分かれて行動をしている。
一つはウィリアム、ウィルベル、マリナの3人に、新たな人員としてカーティス・グリゴラード、アイリス・ミラ・ルチナベルタを始めとした、武官と事務的業務等を行う文官がアクセルベルク首都の王城の片隅に滞在している。
アクセルベルクの王城は星型の形をして、周りを堀で囲われており、かなり広大で兵舎も存在している。最も敵からの攻撃に強いとされる形をしていて、いざというとき、市民の避難所としての機能も備えている。
ウィリアムたちと別行動をとっているのは、ヴェルナー、シャルロッテ、ライナーたち錬金術師。追加の人員としてカーティス、アイリスと同時期に技官が十数名、レオエイダンに向かった。
彼らはそこでグラノリュース侵攻に必要な飛行船の研究開発を行っている。
レオエイダンに行っているのは、そこが錬金術や鍛冶、工業の総本山でアクセルベルクには入ってこない技術を学びに行っているからだった。
ウィリアム自身が魔法の研究や鍛錬ができていないことを除けば、特務隊は順調に活動していた。
そんななか、技官たちからウィリアムの元へ、研究は順調ではあるが一度相談がしたいとの手紙が届く。
同時に東部軍の大将であるクローヴィス・デア・コードフリードからも誘いの手紙が届いていた。
「さて、東部の大将に手紙を書くか。アイリス、手伝ってくれ」
届いた手紙の内、東部軍への手紙の返事を書こうと、新たな副官に声を掛ける。
反応したのは、豊かにたなびく金髪を背中まで伸ばした、スタイル抜群の青眼の美女。
東部軍出身の中佐であるアイリス・ミラ・ルチナベルタだった。
「了解、隊長。それにしても意外だったな。隊長は書類仕事が得意だと思ったのに手紙は苦手なんだね」
略式の敬礼をして、フレンドリーにアイリスがウィリアムに話しかける。
上官と部下という関係ではあるものの、あまり堅苦しい会話を好まないウィリアムは、公的な場ではないならと、砕けた口調を許していた。
ウィリアムはアイリスの言葉に、うんざりしたように答える。
「報告書と手紙は別物だろうよ。あったことを書くだけの報告書と違って、手紙は季節の挨拶やらで相手の機嫌を伺わなきゃならないなんて面倒くさいことこの上ない」
ウィリアムの言い分に、アイリスは苦笑する。
「西部や北部はもう少し簡素で報告書に近いんだけどね。東部はエルフが礼儀礼節にこだわるから優雅になって手紙も煩雑なんだよ。コードフリード大将もその辺は理解しているはずだから細かく言わないはずさ」
アイリスは東部の名門の出で、こういった挨拶にはなじみがある。
この世界の手紙の書き方に慣れていないウィリアムは、手紙を書く際にアイリスに手伝ってもらっていた。
コードフリード大将への返事を書いていると、銀髪で瑠璃色の瞳を持つ魔法使いの格好をした少女ウィルベルが、これからの予定を詳しく尋ねる。
「んで、これから具体的にどうするの。いつごろに向かうの?」
「もうじき執行院の年度が替わる。そのタイミングで俺たちは抜ける。ただしレオエイダンに行くものと東部に行くものに分ける。俺とカーティスはレオエイダン、アイリスとベル、マリナは東部だ。俺の代理としていってもらえば向こうも納得するだろう」
ウィリアムの指示に、カーティスと呼ばれた、眼鏡をかけ、くすんだ銀髪、口ひげを蓄えた男が口元を抑えながら頷く。
「妥当なところだな。だが東部へ行ってどうする?挨拶だけというわけではあるまい。そうなれば新参の我々では向こうは満足しない」
カーティスの意見に、ウィリアムは少し困ったように、仮面から唯一覗く目を険しくする。
「だからといって飛行船開発をおろそかにするわけにはいかない。ベルとマリナがいればある程度技術の説明はできる。飛行船が落ち着いたら向かうからそれで納得してもらうしかないな。2人は向こうに着いたら大将の相手とユベールについて調べてもらう。アイリスは引率だ」
ウィリアムが副官2人に今後の行動を伝えると、2人は了解の意味を持つ敬礼の動作をする。そして今言った旨を部隊に伝えてもらうために退出した。
部屋にはウィリアムとウィルベルだけが残った。
先ほどの会話を聞いて、ウィルベルは眉をしかめて唇を尖らせる。
「あたしとあの人が一緒に行くの?」
「不満か?」
「不満ていうかなんというか……ユベールに行くのはいいんだけど」
ウィルベルはユベールに最近はとても行きたがっていた。
理由としては、最近は魔法の調子がかなり上がってきており、威力も精密さも実感できるほどに上がったからだ。
モチベーションも上がったことで、以前よりも魔法の修練に一層身が入り、ユベールの図書館で勉強したいと最近はよくウィリアムに相談していた。
そんなウィルベルが、アイリスと一緒なことには思うところがあるそぶりを見せる。
しかし、ウィリアムには言いづらいのか、はっきり言う彼女には珍しく言葉を濁す。その視線は自身の体を見下ろすように、下を向いていた。
ウィリアムは彼女が自分の身体を見ている理由を察したからか、彼女をからかいたくなり、余計なことを言った。
「ああ、ベルにないもの全部持ってるからな。隣に立つのが嫌になったのか」
「ちょっと!それどういう意味!?この変態!」
「何が変態だ。俺は身長と落ち着きについて言っただけだ。それの何が変態なんだ?」
「うっさい!そんなこと言ってどうせあの人の身体見てたんでしょ!?変態!マリナに言いつけてやるんだから!」
ウィルベルが怒りながら部屋を出ていくのを、からからと笑いながらウィリアムは見送る。
アイリスは美人で長身、町行く男たちが振り返るほどの美貌とスタイルの持ち主。一方で、ウィルベルも美人だが、まだ幼い印象を与える容姿で、身体も発育がいいというほどではない。
ウィリアムはからかうのが楽しいだけで、この世界の女性と深い関係になる気はないから、興味がない。
アイリス含め女性の体に対して何の気にも留めていなかったが、ウィルベル本人は、目に見えるほど成長しているマリナよりも幼く見えることを気にしているようだった。
騒がしい少女もいなくなり、静かになった部屋で、ウィリアムは一人ごちる。
「次はレオエイダン。何事もなければいいがな」
言いながら、手紙を書き終えたウィリアムは窓の方を向く。見れば大きな鷲がちょうど飛び立っていた。
彼には、それが不吉の予兆に思えてならなかった。
次回、「勇敢なるドワーフ」