第十話 空を飛ぶ雛鳥
飛行船の雛形をみんなに見せるために、研究室から外に出た。
外に出るとヴェルナーがすでに準備をしていた。
そこにあったのは直方体の形をした空気の入ったバルーンだ。それとエンジンが付いた椅子が、幾十もの頑丈なロープで結ばれている。
「ヴェルナー、これはなんだ?」
「さっき言ったろが。飛行船の雛形だ。飛行船が飛ぶ原理はこれと一緒だ」
「これが飛ぶとはとても思えませんが」
「まあまずは見てみろよ」
その雛形をいじっているヴェルナーの手元を、シャルロッテとライナーが覗き込んでいろいろ質問している。
こうしてみると3人はただの友人に見えるな。揃いの軍服を着ているから学生みたいだ。
ちなみにこの軍服だが、以前買った礼装と似ているがより頑丈で、フードもついているから雨の日も安心だ。
ヴェルナーが準備できたようなので、俺が乗り込む。考案したのは俺だし、もし何か事故があっても、俺なら無事に帰ってこれる。
「準備はいいか?隊長さんよぉ」
「ああ、離れていろよ」
全員が離れたのを確認してから、エンジンを始動させる。このエンジンは出力が弱めで時速40km程度までしか出ない。ただその分、調整が容易で試験機としては十分だ。ただロケットエンジンなので少々危ない。
昨日飛んだが、ヴェルナーと二人だけだったから他の人は実際に飛ぶところを見ていない。
準備ができた、さあやろうというところで、ベルが近づいて話しかけてきた。
「ねぇねぇ」
「なんだよ」
「あたしも飛んでいい?」
「……まあいいか、好きにしろよ」
ベルがうずうずしていた。そういえば、こっちに来てから彼女はずっと飛んでいない。
魔法は秘密とあって、人目のある南部では飛ぶことができないから、飛びたかったんだな。
まあ、今はこうして飛行船の雛形がある。何も知らない人からすればどっちも魔法と変わらないだろう。それなら雛形と一緒に飛べばいくらでもごまかせるだろうと思って、許可することにした。
そしてエンジンを始動させる。わずかな振動。でも俺の背後からは炎と風が発生し、熱く、布を強風にさらしたような、空気を叩く大きな音が伝わってくる。
徐々に速度が上がる。
向かい風によってバルーンが膨らみ頭上に広がる。
そしてあるときふわりと、体の内から浮き上がるような、強い浮遊感に襲われる。
足が地面から離れる。
この感覚は、たまらないな!
「ウィル!ウィル!浮いてる!飛んでるわ!」
横を箒で並走していたベルが興奮したように叫ぶ。
俺も心の底から湧きあがる感情をそのままに叫ぶ。
「はっはっ!もっと上がるぞ!」
――そして俺たちは大空に飛び立った。
地上の建物がまるでジオラマのように小さく見える。空を飛んでいる鳥たちが、すぐそば、触れられるほど近くを、鳴きながら飛んでいる。
広大な南部の風景を一望できる絶景に、思わず息をのむ。
地上を見下ろせば、4人がこちらを見上げているのが見える。みんな口を開けて間抜けな面をさらしてこちらを見上げている。ただその目は爛々と輝いていた。
特にライナーとシャルロッテは遠く離れていても興奮が伝わってくるほどに、徐々に顔に笑いが浮かび上がって、体が震えている。
俺だって同じだ。自分が作ったものがこうして空を飛んで、そしてそれを見た人が興奮している。
それが、否応なく忘れかけていた元の世界での夢を思い出させる。鳥肌が立ってる。
そうだ、俺は物を作って、人を笑顔にしたかったんだ。
俺が作ったものが、人の心を打っている。
……世界が変わっても、やっぱりいいもんだな。
さて、今乗っているのは、簡単に言えばモーターパラグライダーだ。モーターがなかったので弱いロケットエンジンで代用した。
モーターが作れないかと思って、今は電気を利用した研究も行っている。簡単なモーターならすでに完成しているが、飛行船にも使えるような大型となればもっと研究が必要だ。
横を飛んでいるベルがパラグライダー以上に空を自在に飛び回りながら、楽しそうに言った。
「これでウィルも魔法使いの一員ね!空を飛んだもの!」
「箒じゃないけど、いいのか!」
「なんだっていいのよ!あたしは箒だけどね!ウィルが作ったそれも魔法みたいだもの!」
空を飛んでいて、エンジン音やら風の音で声を張り上げなければ聞こえない。それでもベルのいうことはしっかり聞こえたし、とても嬉しかった。
「みんなのおかげだ!俺一人じゃ出来ねぇよ!」
「じゃあみんなで作った魔法ね!」
そうやって二人で遊覧飛行をしながら、笑いあった。
*
ぐるっと上空を旋回して帰ってくると4人は興奮冷めやらぬといった感じだ。ヴェルナーは一度見たが何度見ても高ぶるようだ。
「ヴェルナー!あれはどうやって飛んでいるんだ!上についてるのはバルーンか?でもはじめは全く浮かんでいなかったぞ!」
「あんなのどう思いついたんですか!?見たところで理解できない!」
てんやわんやだった。ライナーとシャルロッテはヴェルナーの肩やらを掴んで揺さぶっている。あまりの食いつきにヴェルナーが鬱陶しそうにしていた。
「作ったのはオレだが、考案したのは隊長だ。どう思いついたかなんざ隊長に聞けや」
「アーサー隊長!ぜひ教えていただきたい!」
「あれはどういう原理なんですか!?というかどうやって思いついたんですか!?」
「うるせぇうるせぇ!わかったから一度、研究室に入るぞ」
興奮している二人をうっとうしく思うが、こうして自分が作ったものが人の心を打つということはいいものだ。
パラグライダーを持って倉庫に直結している研究室に入る。
ここは俺たちが研究するための部屋で実験や製作を行っている場所だ。図面や実験器具、素材が散らばっている。
2人が来ることは前もって知っていたので席を作ってある。
全員が席に着いたのを確認してから、ホワイトボードもどきの前に立ってパラグライダーの原理について説明する。
見せる前にヴェルナーが見せた紙飛行機との違いも一緒にしておこう。
「空へ飛ぶのに必要なのは、とにかく横への推進力だ。つまりエンジンだ。今までは速度を出すエンジンなんて存在しなかったから、必然的にヴェルナーの考案するロケットエンジンを使うことになる」
「なぜ上ではなく横に必要なのですか?」
「飛ぶ理屈が気球とは根本的に異なるんだ。気球は気体の性質を利用して飛んでいたが、飛行船は空気の流れを利用する。こんな風にな」
そういってホワイトボードもどきに図を描く。
もどきと言っているのは、これがマーカーといったものを使っておらず、ただの白く塗った鉄の板だからだ。鉄の板の上に砂鉄をばらまいて、魔法で電気を流すことで自在に図を描くことができる。
これは一か月の研究の成果の一つで、これのおかげで伝えるのがスピーディになった。尤も俺かベルにしか使えない。
ベルも練習して電気の魔法を修得した。ここ一か月で俺が電気でいろいろな現象を起こしているのを見て便利だと思ったのか、いろいろ試している。
話は逸れたが、飛行機が飛ぶのは空気がぶつかったときに、上よりも下に潜り込む量が多いからだ。そのため揚力が発生して浮く。
だから形状さえ気を付ければ、あと必要なのは横方向の推進力だ。これさえあれば、あとはひたすら効率的な形状を模索するための試験だ。
「浮かすというより空気に乗るんだ。だから形状は効率に差はあれど簡単に決まる。だがやはり試行錯誤はつきものだ。それには当然元手がいる」
「予算がないということですか。貧乏ですね」
「その通りだ、ライナー。そこでシャルロッテに最初の任務を与える」
「はっ!何でありましょう!」
「空を飛んで中将から予算を引き出してこい」
「はい!了解えええええ!」
勢いで口は喋ったが途中で脳が理解したようで叫んだ。うるせぇ。
とはいえそりゃ嫌がるだろうな。着任初日にあんなものに乗せられて南部の最高司令官に金をせびりに行けなんて普通断る。
でも彼女は了解といった。ならいってもらおう。
「し、質問よろしいでしょうか?」
「許す」
「なぜ私なのでしょうか?中将閣下とは面識がなく、あの飛行船に乗ったことも理解も追いついてないのに……」
「お前は頭が固い。その硬い頭を常識はずれなこれに乗って少しは柔らかくしてこい。それに貴官はこの試作品の製作にかかわっていないから客観的な評価ができるだろう。ライナーは口が悪くてもその分ちゃんと評価できるが、今回はお留守番だ」
「予算を引き出すからですか?」
「そうだ。ライナーの口の悪さも普段は腹立つが役には立つ。今回向いているのがシャルロッテだっただけだ」
「わ、わかりました。でも閣下を説得できるでしょうか」
「ダメだったからと言って減額されることはない。気楽に行け」
そう言って彼女に乗り方を教えて練習させた後に、中将の屋敷の近くまで資料を持たせて飛んで向かってもらった。彼女の慣習や順序にとらわれる硬い頭もこれで少しはましになって広い視野で見てほしい。
中将から予算を引き出すというより文官を説得するほうが難しいだろうが、彼女にとっては中将が納得すればいいと考えているだろう。まあ文官も話が分からないわけではないし、南部が発展するようなものが喉から手が出るほど欲しいはずだから、それも難しくはない。
あのディアークから伝わるこの南部の緩い雰囲気は、シャルロッテには案外いい薬になるかもしれないな。
次回、「研究成果」