第五話 南部の風景
王都から南部までは三日かかる。
長い時間かかったが、旅の途中は魔法の研究をしたり、マリナに勉強を教えたりしていたら、なんだかんだあっという間だった。
そうしてロイヒトゥルムに着いた。
「ううーん、やっと着いたわね!早く魔法ぶっ放したいわ!」
馬車から一足先に降りたベルが伸びをした。
ここでふと、魔が差した。
「そういえば、ベルたちの扱いはどうなるんだろうな。俺は軍入りだが二人は違うだろ」
「え?あたしたちも軍に入るんじゃないの?」
「あの時聞かれたのは俺だけだったろ、2人は別口だろ」
「え!」
大した心配はいらないと思うが、うろたえるベルを見るのは面白いので不安を煽るだけ煽る。
仮面の奥でばれないだろうと笑っていると、マリナにばれた。
「ウィル……ベルをからかって楽しんでる」
「マリナ、それどういうこと?さっき言ったことは嘘ってこと?」
「わからない……けど、ウィルは何か知ってると思う」
そういうとベルに睨まれた。マリナ、なぜわかった。
「知ってるって程じゃないけどさ。2人と俺が離れるようなことをしないだろ。もししたらその時は除隊するしな」
「そんな簡単に除隊できるの?」
「話聞いてたか?仮入隊だよ。一か月やって合わなかったらやめていいんだよ」
「なんだ、それなら安心じゃない。心配して損したわ」
「つーか、そろそろ誰か迎えに来てもいいころじゃないか?」
出発前に、ロイヒトゥルムに着いたら案内が来るから待っていろと言われた。
だから基地の馬車乗り場で待っているのだが、誰も来ない。
勝手に基地のほうへ行ってしまおうかと思っていると、後ろからデカく陽気な声が掛けられる。
「三日ぶりだな!ウィリアム卿!」
振り返るとそこには王都の会議にいた南部の将軍がいた。
名前は後から聞いた。確かディアーク・レン・アインハード中将だ。浅黒い肌に鍛えられた体、野性味あふれる顔に逆立った黒短髪で、いかにも軍人といった男だ。年のころは40を少し超えたくらいだろうか。
「これはこれはアインハード中将。ご機嫌麗しゅう」
「よせ、そんな堅苦しいしゃべりは南部には合わん」
「あぁそ、じゃあいつも通りで。これからどうするんだ」
「まずは南部について学んでもらおう」
ディアークについていくと、そこは基地ではなく、少し離れたところにある立派な屋敷だった。
周囲には一般市民が暮らす街があり、屋台も出ていて活気があるように見える。
通りには空腹を誘う良い香りが漂っており、歩く人の食欲を掻き立てる。
走り回る子供たち、子連れの家族、恋人同士といった様々な人。その誰もが笑顔を浮かべ、汗を流している。
治安もいいようだ。
「グラノリュースとは、大違いだな……」
比べてはいけないと思うが、それでも思ってしまう。
上層はともかく、中層でもこんな光景はついぞ見なかった。下層なんてもってのほかだ。
歩いていける距離なのに、どうしてこんなにも差があるのか。この国に呼ばれていれば、俺も違ったのかもしれない。
いや、変わらないか。
「あの国とは、全然違う……」
マリナも思ったようだ。その顔には嫉妬か、羨望か……辛そう顔をしていた。
家族も住む場所も何もなかった彼女にはつらい光景だったのかもしれない。
……特に何かを思ったわけじゃない。
気づけば彼女の背中をそっと叩いていた。彼女は呆けた顔でこちらを見て、そして手を繋いできた。
……子供の手を繋ぐくらい、いいか。
屋敷に入ると、使用人もいる。みんないい顔で働いている。
「さあ、ここが諸君らがしばらく過ごす部屋だ。ひとまず荷物を置いたらまた出てきてくれ」
屋敷内で案内された部屋は一人部屋で、家具がひとしきりそろっており、十分すぎるほどだ。
荷物を置いて部屋を出る。マリナの荷物はベルが持っているから少し時間がかかる。その間にディアークが小声で話しかけてくる。
「あのマリナ殿は苦労したのか?」
「……生きてるのがおかしいくらいな」
その声色に見えるのは慈しみとわずかな怒り。
「そうか、ここにいるということはその子を戦いに巻き込もうというのか」
「さあ」
「お前、心は痛まないのか」
「……いざそうなれば痛むかもな、でも精々それくらいだ」
「人の心はないのか」
「彼女が言った。自分も行くと。やめてもいいといったにもかかわらず」
「止めるのも優しさだ」
「そんなものを俺に求めるな。俺にだって目的がある。そのためにはなんだってする」
「……俺は彼女もそうだが、お前も心配だよ」
俺?俺のどこに心配する要素がある?するならマリナかベルだろうに。
マリナはおろか、俺の心配までするこの人は人が良すぎる。
だから慕われて、こうして領を発達させられるのかもしれない。
各四方を任される将軍は人格者という話だが、納得だ。
まあ、俺はこの世界では甘さは捨てる気でいるから、どうでもいいか。
2人が出てくると移動して、教室のような広い部屋に通された。
「この部屋がこれから諸君がこの南部を始めとした世界のことを学ぶ場だ。毎日午前はここにきて学んでもらう。午後は日によるが自由にしてもらって構わない。ただし外に出るときは申告するように」
つまり本当に教室というわけだ。この後も屋敷内を案内され、その日は終わった。
その日の晩、夕食を取り、シャワーを浴びて自室に戻り休む。
いつもの日課の魔法の練習をする。水や土、火は屋内でやれないため、電気と風だ。
ほかには最近になってベルがやっていたように、箒を浮かせる念力魔法の練習をする。箒がないので盾で練習するがまだうまく動かない。がたがた言うだけだ。
ベル曰く、材料でも影響するらしいから、今度何か作ってみるのもいいかもしれない。
盾をガタガタ鳴らしていると扉がコンコンと鳴った。
誰だと思って戸を開けると、マリナがいた。
「どうした?」
「ベルは先に寝ちゃった……少しお話がしたい」
「……少しだけな」
マリナが部屋に入り、ベッドの上に座る。
普段なら夜に人を部屋に入れないが、まだ寝る気はないし、話をするだけならいいか。
「ウィルは……家族はいるの?」
「いたよ。大切な家族がな。今はいないけどね」
なにを話すのかと思ったら、彼女は家族の話をしてきた。 昼間に見た光景を見て、改めて自分と比べてしまったのかもしれない。
真剣な話だったから、答えながらマリナの隣に座る。
「そうなんだ。私には家族がいたのかもわからない……気づいたら、一人だった」
自分もこの世界にきて、本当の意味で、家族のありがたみを思い知った。
彼女の生い立ちは出会ったときに聞いている。
物心ついたときから一人で、下層のごみを拾って生きていた。軍の暴力にあい、真冬の寒さに晒され、飢えに苦しみながらも一人で必死に生きていた。
俺だったらきっと死んでいる。
「あの時は、なんで生きてるんだろうって何度も思った……死のうとも何度も思った」
「……」
「でも死にたくなかった。生きたかった」
「強いな」
彼女は本当に強いと思う。
そういうと彼女は首を横に振った。
「ウィルは、もっと強い。私にはもともと何もなかった……でもウィルは、それを失っても立ち上がろうとしてる。それはきっと私にはできない」
「お互い様だ。俺なら何もないときにそんな風に生きようとは思えない」
俺を今突き動かすのは生きたいというより、許せないからだ。ただの私怨だ。
それを強いとは、とても思えない。
マリナは俯いて、脚上に組まれた手に目を落とす。
「……私はね、今の生活が本当に夢みたいで……本当はあの時に死んでるんじゃないかって、今でも思うの……この生活を失うのが本当に怖いの」
「俺と別れれば、もっと穏やかでいい生活ができる。危険なこともしなくていいんだぞ」
昼間に見たはずだ。幸せに生きている争いとは無縁の人間たち。
あんなふうに普通に暮らすのが一番幸せだと思う。
だけど彼女は首を振った。
「ううん。どんなに安全でも別れたくない……私にとって、二人は家族なの。どんなに危険な時だって一緒だよ」
……何を馬鹿なことを。
俺たちはまだ知り合って数か月だ。もうそんなに経ったのかと思うほどに目まぐるしい日々だったが、それだけだ。
家族といえるほど一緒にいないし、お互いのことも知らない。知られたくない。
「俺たちはあってまだ数か月しか経ってない。そんなのを家族と呼んで、命を懸けるなんて馬鹿だ。たった数か月とこれからの人生を天秤にかけるべきじゃない」
「でもこの二か月で私の人生は大きく変わった……この二か月がなかったら、残りの人生はきっと、あのつらい日の繰り返し……ベルの言葉じゃないけどね、私の運命の人はウィルだよ。だから私にとって、2人は家族。それとも私と家族は嫌?」
少しだけ口ごもる。
何故かはわからないけど、言葉に詰まってしまった。
俺の家族は前の世界の人たちだけだ。無条件に愛してくれた、両親と兄妹だけだ。
友人と呼べるのも前の世界の人間だけだ。
この世界の人間は嫌いだ。
そういえばいい。彼女に嫌いだと言えばいい。
なのにその言葉が、どうしても喉から出てこなかった。
「私と家族になってほしい……」
そう言ってくる彼女に返事ができなかった。
どう答えればいいのか、わからなかった。
「マリナ、お前は……マリナ?」
それでも何か話そうとしたら、マリナが肩に頭を乗せてきた。
隣から小さく規則的な呼吸が聞こえる。
……寝てしまったみたいだ。
自分でもよくわからないため息を吐く。
とにかく彼女を移動させないと。ああ、でもベルはもう寝たんだったな。
寝ている女の部屋に入るのも嫌だな……。
仕方ない。
彼女をベッドに寝かせて、自分も距離を開けてベッドに入る。
それでも、無意識かただの寝返りか、彼女が体を寄せてくる。
また溜息を吐いて、腕を貸して目を瞑る。
――この日はいつもより深く眠れた。そしてそれが、何よりも怖かった。
次回、「飛行船」