第四話 少女の決意
会議のあった夜、寝着いたと思ったがすぐに目が覚めてしまった。
その後も寝ようとしばらく横になっていたが眠れない。
疲れてると思ったのにな。
気分を変えて、ロビーに行って水を飲もうと部屋を出る。
ロビーに出るとそこにはマリナが明かりもつけずに座っていた。
すこし驚いた。
「寝れないのか?」
「……はい」
同じようだったので水を汲んで椅子に座る。昼間同様にしばらく無言の時間が流れた。
寝なおすかと思って立とうとしたところで、マリナが朴訥に話し出した。
「あなたは……どうして私を連れてきてくれたの?」
眠たげな瞳をこちらに向ける。
どうして、か……
「……最初は、お前の身体からわずかに発する神気が気になった」
彼女はここまで俺の事情をほとんど知らずに来た。山登りのときはそんな余裕はなかったし、アクセルベルクについてからも勉強を頑張っていた。
そんな頑張っている彼女を、俺の戦いに無理に連れていくことはできない。
そんなことをすれば、俺はグラノリュースの連中と同じになる。それは嫌だ。
だから少し距離を開けて正直に話す。
「俺はまだ加護や神気についてよく知らない。だからお前を通して知ろうと思った。襲われていたのを助けたのはそれが理由だ」
「もし私にそれがなかったら?」
「見捨てていたよ。俺たちも余裕があったわけじゃない。見ず知らずの子を助ける理由なんかない」
変な優しさを見せてはいけない。見捨てようとしたのは事実だし、彼女が情に流されて後悔する羽目になる。
それにこうして連れてきても、行く先が地獄じゃないとは限らない。
いつか必ず戦うことになる。それならここにいてもあそこにいたままでも一緒だ。
「お前に聖人としての力が少ないが備わっている。だから俺の戦いにもしかしたら役に立つと思ってここまで連れてきた」
「……じゃあ、私がここで戦いたくないっていったら?」
「……止めないよ。一人で生きていけるようになったら自由にしていいというつもりだった。あの時もそう言った」
思い出すのは彼女に名前を付けたあの日。
彼女にはスラムで生きるか危険な旅について来るか聞いた。彼女は行くと答えたが、そもそも彼女は極限状態だった。選択肢なんてあってないようなものだ。
「もう一度言うよ。これから俺が行く道は危険だ。ここで別れて自分で生きる道を探してもいい。一人で生きられるようになるまでは責任をもって見る」
「……聞かせてほしい。あなたは私をどう思ってる?責任感と利用価値だけで面倒をみようとしてる?……死んだら悲しい?」
マリナも難しい言葉を使えるようになったな。
死んだら悲しい、か……。
「……別に。もともとたいして長い付き合いでもない。だからこそ言う。俺のことは気にせずに、好きに生きればいい。俺がそうしているように」
余計な感情移入は厳禁だ。
俺はこの世界が嫌いだ。この世界の人間が嫌いだ。
天上人なんて他の世界の人間を人柱にして、のうのうと生きているこの世界の人間が嫌いだ。
だから俺は彼女に対して特別な思いなんて、ない。
仮面をつけているのは前の世界にいた人間として生きたくないからだ。この世界の人間と顔を突き合せたくないからだ。この世界で生まれたウィリアムとして生きると決めたからだ。
かならず別れるから、心から接する必要はないし、したくない。
ただ……少し、ほんの少しだけ。
この世界に虐げられてきた彼女に、何も思わないほど捨てきることもできないでいた。
だから、ここで彼女に俺の傍にいたいと思わせるような言葉を吐きたくない。
もし感情移入して困るのは俺だから。
連れてきておいて勝手だが、ここで断ってくれと。
そう思った。そしてそうするだろうとも。
だが、彼女は違った。
「わかった。私、あなたについていく……一緒に戦いたい」
「本気で言ってるのか?死ぬかもしれないんだぞ」
「私はあなたに救われた。あそこにいたままじゃきっと死んでた……だから今度は私が救う番」
「……そうか」
おかしいな、必要以上に仲良くならないようにしていたはずだ。今だって彼女にとっては辛いことを言ったはずだ。なのになぜ?
どうして彼女はこんなにも慕ってくれるんだ?
俺を救う?
……そんなことは初めて言われたよ。
「……なら早く寝ろ。明日起きれなくなるぞ」
「はい、おやすみなさい……ウィル」
「……おやすみ、マリナ」
*
翌日、朝早くに馬車に乗り、南部に向かって出発する。
馬車の中は四人乗りで中には3人だけだった。
マリナは昨日、遅くまで起きていたから眠たいようで、馬車に揺られて眠っていた。
今、起きているのは俺とウィルベルだけだ。会話はない。
思い返せば、ウィルベルと一緒に行動するようになったのは完全に成り行きだ。
彼女が魔法の講師になってすぐに軍が町に来た。お金も持たず、俺の講師の収入しかない上に、知識はあっても世間知らずだから、国外に行く俺についてきた。それなりに事情を説明していたが、本当の目的を言ったのは初めてだった。
マリナと同様、彼女とも話すべきだ。
「ウィルベル」
「なによ」
「お前はこれからどうする」
「……どうしようかしらね」
彼女も悩んでいるのか。俺の事情に彼女は関係ないから、行きたいか行きたくないかでいいだろうに。
彼女は世間知らずでも有能だから、金は稼げる。
「あたしね、わからなくなったの」
俺の目を見ず、窓の外に流れるのどかな風景を見て、言った。
「初めて会った時に聞いたわよね。魔法を学んでどうするのかって。あんたは故郷に帰りたいって言ってた。あれは嘘?」
「嘘なもんか。何よりも大事だ。ただそれにはグラノリュースを潰さなきゃいけない」
俺の言葉に、彼女の瑠璃色の瞳に僅かな影が差す。
「魔法はね、とても強力なの。だから、間違った使い方をすれば、酷い惨事になる。だから魔法使いとして大事なのは適正よりも性格なの」
「……」
「あんたはあの国に攻める。魔法を使ってきっと人を殺す。そうなることがわかってるのに魔法を教えるなんてできない」
そうだろうな。彼女は最初からそう言っていた。だから事情を全部説明しなかった。
だから旅の目的を知った今、ここにいる理由はなくなったはずだ。
だって裏切られたのだから。
マリナは違ったが、彼女は俺の下から去るだろう。それでいい。
「でも、だからこそ、あんたこそあたしがあの国に行った理由なのかもしれないと思った」
だからこそ、彼女がそう言いだしたことに俺は驚きを隠せなかった。
「なぜ?」
「あたしはお母さまに、あの国に運命の人がいるって言われた。具体的にどんな人なのかは知らないけど、それはきっとあんたのことだと思うの」
「買いかぶりだろ。お前の運命の人なんて御免だね」
「あたしだってそうよ。でもそうとしか考えられないもの。昨日あんたからあの国の惨状を聞いたわ。大勢の人が苦しんでる。それが本当なら、何とかするのが正しい魔法の使い方なのかなって」
正しい魔法の使い方、か。
そんなもの考えてる余裕はなかったな。
「意外と難しいこと考えてたんだな」
「意外とは余計よ。で、どうなの?自分のやっていることが正しいと思う?人のためになると思う?」
俺のしていることが人のためになるか?そんなの決まってる。
俺のためになる。
結果として他の人も救われるかもしれないが、逆にそれで命を落とす人もいる。どっちが正しいかなんて一概に言えるものじゃない。
「答えのない質問だな。そんなの自分がどんな立場に立つかによって変わるだろ」
「どういうこと?」
彼女が俺の目を見た。まだ幼い夢見がちな少女の瞳。
吸い込まれそうなその瞳をしっかりと見て、話し出す。俺は決して正しくないと。
「俺はただ、自分の人生のために、あの国と戦う。戦った結果、多くの人は救われるかもしれない。でも少なくても犠牲になった人は?多くの人が助かったから自分は死んでもよかったなんて言う人は誰もいない。そんな人にとって、俺はただの犯罪者だよ」
「でも国の政治なんて、少数の犠牲を容認しないといけないこともあるっていうわ」
「それを犠牲になった人に言えるか?そういって自分を少数の側に置く奴を俺は見たことがない。結局それは、無能な統治者の言い訳だよ」
「でも統治するのに誰にも犠牲を強いないなんて不可能じゃない?」
「不可能だろうが何だろうが、目指すのが統治者だよ。現実見たつもりで犠牲前提の統治者に、だれが付いていくもんか」
「でも国は戦争をするでしょ?それには犠牲を伴うじゃない」
「犠牲を出すのはその責任を負う覚悟があるときだけだ。戦争を始めるなら、その戦争の犠牲になった人たちの非難を受ける覚悟がいる。辞職でも腹を切るでもなんでもな。それだけの覚悟があるから、人はついていくんだよ」
「そう、かもね……」
話は逸れたが、これはあくまで俺の意見だ。この世界の政治がどうなっているのか知らない。この世界には合っていないかもしれないし、そもそも見当違いかもしれない。
我ながら甘いことを言っていると思う。いや、統治者にとっては厳しいことか?
なんにしろ、統治することなんかない俺にとっては関係ない。
俺は人を率いる気なんかない。
あの国と戦うときは俺一人だ。
特務隊に入るといったが、内情はただの俺のためだけの部隊だ。そこに彼女はいない。
それによしんば率いるとしてもそれは軍人だ。もとから自分から死ぬ気のある人間だ。そいつらが勝手に死に場所を求めて俺の下にくるんだから、心は痛まない。
しばらくの沈黙ののちにウィルベルは言った。
「ウィル、あたし、行くわ」
「どこに?」
「あなたと行く。あなたと行って魔法を教えた自分の判断が正しかったのか、ちゃんと見届ける。あたしの運命がどうなるのか、知りたいの」
これはよくない。そう思った。
彼女は、軍人じゃない。自分の意志で入ったわけじゃない。ただ俺がいるから入った。
……俺はそんな彼女の命を何でもないように使いつぶせるだろうか。
答えは出なかった。
ただ彼女の魔法は有効だ。
「……そうか、ならこれからもよろしく頼む。ベル」
「ええ、よろしくね。ウィル……にしてもさっきの話、結構いい話だったと思わない?マリナに聞かせてあげたかったわ」
「その言葉がなければな。そんでマリナなら起きてるぞ」
「え?」
ベルが横を見るとマリナがうっすら目を開けて、笑う。
「い、いつから起きてたの?」
「ベルが話し始めたときから?」
「最初から!?」
結局、この縁はまだしばらく続きそうだ。
親しくなる気はない。責任なんて取りたくない。あくまで俺の問題だ。
まあ、それでも精々、多少の面倒くらいは見てやろう。
本名も顔も知らない相手だからどうでもいいなんて、二人は言わないだろうから。
次回、「南部の風景」