幕間3:受付嬢の日常②
「お、終わりましたぁ」
「初日勤務お疲れ様。どうだった?」
ギルドが閉まる時間になり、初の受付仕事を終えたヒメナがだらしなく机の上に突っ伏していた。
教育係のフィデリアがそんな彼女に差し入れのコーヒーを差し入れながら近くの椅子に座る。
「もうほんとにこわかったです~。ハンター怖いです~」
「そう?問題起こす人はいるけど、みんないい人たちよ?」
「ほんとですか?わたしの目の前で人が3人白目向いて倒れたんですよ?わたし、人が宙を舞うところ初めて見ました」
「それはいいもの見たわね」
くすくすと口元を抑えて笑うフィデリアにヒメナは恨みがましい視線をぶつける。
「なんで助けてくれなかったんですか?なんでも相談してっていってたじゃないですか」
「え?まああのナンパ3人組ならともかく、後に来た4人なら心配いらないと思って」
「どこがですか!めっちゃ怖かったです!」
がばっと音が鳴るほどの勢いで顔をあげるも、フィデリアは穏やかに微笑みながら諭すようにいった。
「でも何もなかったでしょう?」
「……そ、それはまあ」
「エルフ3人は厳格だから近寄りがたいだけで、実際はとてもいい人たちよ。その辺のハンターよりも、よほど礼儀正しいし紳士だし仕事もとても丁寧だもの」
「で、でももう一人の人!あの仮面をつけた人は怖いです!人3人吹き飛ばしちゃいますし、口調も粗暴だし!」
「でも何もなかったでしょう?」
「う……」
有無を言わせないようなフィデリアの笑顔に思わずヒメナは押されて黙る。
なにも言わずにいるヒメナにフィデリアは笑う。
「まあもう少し様子見てみるといいわ。あの仮面をつけた人、ウィリアムっていうんだけど、見た目ほど怖い人じゃないわよ?」
*
それから数日、ヒメナはフィデリアの教えの通りに様子を見ようと受付を続けていた。しかし、ウィリアムはおろか、エルフたちも現れなかった。
「最近見ないですねー……」
彼らがいない間は平和そのもので、絡んできたナンパハンター3人も特に問題を起こすことはなかった。
そして、初日から一週間ほどすぎたある日のこと。
ウィリアムとエルフ3人がやってきた。
(き、きたー!いま空いてるのはわたしの席だから……ほんとにこっち来たー!)
緊張で手に汗をかきながら、ヒメナは精いっぱいの笑顔を浮かべてやってきた4人に挨拶をする。
「こ、こんにちは。今日はどうしました?」
「ヒュドラを狩った」
「へ?」
言葉の意味が理解できなかったヒメナ、報告を担当しているウィリアムが受付の上に麻袋を置いた。
その麻袋はところどころが黒ずんでおり、置いた瞬間に、袋の中から粘つき湿った音とどしんという重い音が響いた。
おそるおそるヒメナが中身を確認する。
「――!?ひゅ、ひゅどら!ひゅどらだぁ!?」
中身を確認したとたん、ヒメナは絶叫し、慌てて袋を持って奥に引っ込んだ。
カウンターの裏に控えていた職員たちは、慌てて入ってきたヒメナに思わず腰を浮かし、何かあったのかと勘繰る。
「はぁ、はぁ」
「ど、どうした?」
「また何か絡まれたのかい?」
「……ひゅどら」
「ん?」
「ひゅどらーーー!」
ヒメナがもう持っていられないとばかりに、麻袋を男性職員に放り投げる。慌ててキャッチした職員の周りに、他の事務や鑑定士の職員も集まり、袋の中を覗き込む。
すると――
「ひゅどらーーーー!?」
「ぎゃーーー!」
「毒だ!!」
一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
袋を持っていた男がそれを放り投げ、そこらへんの机に落ち、中に入っていたヒュドラの首が露になると、全員が少しでも離れようと壁際に這うように背中を預ける。
毒を食らってもいないのにその顔は真っ青で、あごが震えている者まででた。
――そんな状態がしばらく続いた。
その後、なんとか収拾がつき、ヒメナはヒュドラ討伐の報酬が入った重い袋を持って、受付に戻る。
その途中でフィデリアに呼び止められる。
「ヒメナちゃん、これ、ウィリアムさんに渡して」
「あ、はい……これは名簿?」
「そう、彼が募集してるまほう?の講師の応募者。渡してくれればわかると思うから」
ヒメナは首をかしげながら受付に戻る。
(重いなぁ。一つの依頼でこんなにお金がでるなんて、そんなに大物なんだよね)
受付に戻ったヒメナは、しみじみと目の前にいる4人がすごい人物なのだと改めて実感する。
報酬を渡し、ウィリアムに講師の件について話をした。
ウィリアムが名簿に目を通している間、ヒメナはウィリアムをじっと見つめていた。
(見るからに怪しいし怖いけど……)
意を決して話しかける。
「あ、あの本当にヒュドラを倒したんですか?」
「あ?それを確認したんじゃないのか」
ウィリアムの強い口調にわずかに怖気づくも、少しの好奇心とフィデリアの言葉から、引き下がることはしなかった。
「そうですけど、だってヒュドラですよ?普通4人じゃ倒せないと思うんですけど、どうやって倒したんですか!?」
「そりゃ首切り落として傷口を焼けばいい。そうすりゃ再生しないから殺せる」
「な、なるほど?ヒュドラって再生しなければそうでもないんですかね?」
「首さえ切れればな。詳しい話はまた今度な」
そう言ってウィリアムは受付を後にする。
ヒメナはウィリアムの言葉を心の中で反芻していた。
(ヒュドラってすごく危険な生き物って聞いてたんだけどな。それこそ数十人のハンターで飢え死にさせるしかないって)
自分の中の知識との齟齬に違和感を覚える。
だがそれ以外に、彼女の胸に引っかかるものがあった。
(ん?また今度っていいました?……また今度話してくれるんですかね!?)
自分でもよくわからない、ウィリアムが何気なく発した言葉に胸が高鳴っていた。
それはまだ恋愛でもない、ただの驚きの鼓動。
しかし、恐ろしい見た目と雰囲気と口調とは逆に、ヒメナは言葉の内容からはどこか親しみを感じた。
そんななか、ギルドに併設されている酒場の一角から声が上がった。
「おい!お前ら、ここにいる誇り高いエルフたちが奢ってくれるらしい!今日は飲め!」
「え!マジかよ!ありがとうございまーす!」
「エルフ様様だ!」
「ヒュドラ退治の英雄の祝杯だー!」
ウィリアムが声を張り上げ、号令をかけると我先にとハンターたちが酒場に殺到して、あっという間にお祭り騒ぎになった。
突然の変化にヒメナは固まった。
「……え?」
ウィリアムがそういうことをするとは思わなかったのか、ヒメナは驚きの表情でウィリアム、そしてエルフたちを見る。
そこでは、エルフ三人がウィリアムに困ったようにもうれしいようにも見えるような顔で抗議して、ウィリアムが笑いながらあしらっている姿があった。
「あれは私も珍しいものを見たわね。あんな4人を見たのは初めて」
「フィデリアさん」
お祭り騒ぎのギルドを見て、もはや仕事にならないと、フィデリアが肩をすくめて笑った。困惑したままのヒメナにフィデリアは隣に座って話をする。
「ここのギルドのお酒って安酒しかないからね。金貨5枚もあれば、ハンターどころか職員にお酒を奢ってもおつりがくるの。ヒュドラなんて大物倒したから、おかしくないわ」
「そうなんですね。でもこんなことする人なんですね」
「まあ、半分以上はエルフの人たちへの嫌がらせも兼ねてるんじゃないかしら。あの人、人への嫌がらせと暴力振るう時が一番生き生きしてるから」
「やばい人じゃないですか!」
「でも見境ないわけじゃないから大丈夫よ。おや、噂をすれば」
2人の受付嬢が話しているところに、ウィリアムが通りかかった。
他のハンターがお酒が入り、ハイテンションでバカ騒ぎをしている中、ウィリアムは素面のまま外に出ようとしていた。
どうしてか、ヒメナが手を振ってウィリアムを呼び止めた。
「ウィリアムさ~ん!!」
「ちょ、ヒメナちゃん?」
「え、つい……でも話してみたいな~って」
「あらあら」
ヒメナの行動にフィデリアは驚く。
その間に呼ばれたウィリアムはヒメナのもとにやってきた。
「んだよ。何か用か?」
ぶっきらぼうな口調も気にせず、ヒメナは話しかける。
「ウィリアムさんって強いんですか?」
「は?……さあ、少なくともお前よりは」
「おお!それじゃあ滅茶苦茶強いですね!」
「何言ってんだお前は」
わけわからないことを言い出したヒメナに呆れるウィリアム。
それでもヒメナは、お祭りのようなギルドの雰囲気にあてられて、よくわからないテンションのまま続ける。
「それでヒュドラってどうでした?どうやって戦ったんですか?」
「それは私も興味あるわね。どうやったんですか?」
「え?……んー」
ウィリアムはめんどくさそうに、仮面の上から唯一除く目を細める。
その視線がある一点、いまだにハンターに囲まれ四苦八苦しているエルフたちに向くと、その目は笑い、より一層細まった。
仮面の口の部分が開くほど、にやりと笑う。
「いいだろう、話してやろう。すごかったんだぞ、フェリオスたちは」
「ホントですか!聞きたいです!」
そうしてウィリアムは語りだす。
ほとんど偽物、エルフたちを過剰に持ち上げた嘘の話を――
*
「あの時は楽しかったです……」
「そうね、あんなふうにお酒飲んでみんなで騒ぐなんて、今のご時世できないものね」
うなだれるヒメナの横で、以前のことを懐かしむフィデリア。
「結局、あのとき話された内容はほとんど嘘で、実際はウィリアムさんがほとんどの首を切り落としたって聞いたときは、愕然としたわ」
「嘘の話でも信じられませんでしたけど、本当の話はもっと信じられない内容でしたね。あれからウィリアムさんはよく何気なく話しかけてくれたり、あいさつはちゃんと返してくれたりしてくれて、そこでいい人だって気づきました……ただ、自分のことに関してはびっくりするくらい話してくれないんです……何かあったんですかね」
「仮面なんてつけてるし、マドリアドから来たって言ってたからね。何かあっても不思議じゃないわ」
マドリアドでは戦があった。丁度ウィリアムが来る少し前に。
そのことからウィリアムの過去に何か辛いことがあったことは想像に難くない。
仮面もして怪しさ満点、口も悪いが、どこか気遣いと真面目さがにじみ出るウィリアムがいなくなって、すでにヒメナはさみしくなっていた。
「どこにいったんでしょう、ウィリアムさん」
「さあね……でもまた会えるんじゃないかしら。きっとね」
「……」
しばし沈黙が流れる。
しかし――
「フン!」
唐突にヒメナが自信の頬を両手で挟むように打った。
「こんなんじゃウィリアムさんに会った時に罵倒されます!あの人、ヒトの嫌がらせするの大好きですから!お世話になったエルフの人にもいろいろしてましたし!」
「!……ふふ!そうね、気合を入れて、頑張りましょう」
2人は笑う。
ちょうどそのとき、ギルドの扉が開き、来客を告げる鈴の音が鳴る。
こうして、セビリアの小さなハンターギルドで、またいつもの受付嬢たちの日常が始まるのだった。
次回、「幕間4:少女が生まれた日」