幕間1:ウィリアムの日記
グラノリュースを出てからいくら経ったか。
わからなくなりそうだったので、日記を読み返すことにした。
日記には、どんなに些細なことでもいいから何か書くことにしていた。
もうすぐ山登りは終わる。
標高も下がってウィルベルもマリナもミノムシ状態から抜け出して、今は自分の足で歩いている。
今はグラノリュース下層から出て数か月が経った。季節はもうすぐ春。
暖かくなっていて、周りの景色が色鮮やかになっていくことで、二人とも気分が上がっているようだ。
なんだか、こうしていると手のかかる子供の世話をしている気分になる。
まあ、マリナに関しては事実その通りなので仕方ない。
問題はウィルベルだ。
こいつ、実は結構わがままだ。あとはトラブルメーカー。
あの日なんて特にひどかった。死ぬかと思ったんだから。
*
星暦947年冬。
下層から出てきて1か月と少し。
本格的に登山が始まり、標高が高くなって一面銀世界になった。
さすがに南といっても雲が近い標高じゃ非常に寒い。持ってきた防寒具をあるだけ引っ張り出して纏う。
といっても、もともと俺は自分の分しか準備していなかったから、マリナの分がない。
防寒具といっても服ではなくて、ただの分厚い布だ。
幸い、マリナは背負うから、俺と一緒に布でぐるぐる巻きにすることでなんとかなった。
少々窮屈になるだろうけど、我慢してもらおう。
ただやっぱりここで問題が起きた。
「うぅ……さむい……」
「お前、防寒具は?」
「ないよ!こんなに寒いなんて知らなかったし……」
震える体を抱きしめるウィルベルは、歯の根が合わず、ずっとがちがち鳴らしている。
彼女はずっと会ったときと同じ、尖がり帽子に黒を基調としたひらひら服のままだ。靴は先が尖がり上がったヒール。女の子が履くようなおしゃれなもので、耐雪性なんてまったくもって一切ない。
どれも分厚いものじゃないから、そら寒いだろうに。
「登山するってあらかじめ言っただろうに」
「こんなことになるなんて聞いてないもの。ねえ、毛布とかないの?」
「もうないよ。これ以上は俺自身が寒くなる」
「女の子にあげようとか思わない?」
「思わない。女の子と思ってないからな」
「むっかー!あたしちゃんと女の子なんだけどー!」
うるせぇ、抗議してくるが無視だ。
これ以上は俺もそうだけどマリナが危ない。
でも確かにこのままじゃウィルベルも危ない。
辺りを見回しても休めそうなところはない。遠くには少しだけ植物が生えていて、その上にたくさんの雪が積もっているのが見える。
俺たちの周囲には何もなくて、太陽の光が雪に反射してキラキラと光っている。ちょっと見る分には綺麗でいい光景だけど、ずっと歩いていると辟易してくる。
何より日差しがキツイ。寒いのに日焼けしそうだ。
まだ雪山に入ってから少ししか経っていないのに、ウィルベルの顔は赤くなってる。
彼女は銀髪で肌も白いから、日光に弱い。魔法使いの恰好をしているのは、日差し避けの意味があったらしい。
まあ屋内でも同じ格好をしているから、実益と本人の趣味の兼ね合いの結果なんだろうけど。
「そうだ!寒いなら魔法使えばいいじゃない。このあたりは植物も生えてないし、火事の危険もないからいいよね」
「え?いやまて、ここでそんなことしたら――」
「ふぁいやー」
俺が制止する前に、ウィルベルが炎を周囲に浮かべる。結構な熱量を持っているようで途端に近くの雪が溶けていく。
「おいやめろ、そんなことしたら雪が溶けるだろ!」
「いいじゃない。雪が無くなれば寒さも多少まぎれるでしょ?」
「ダメだよっ、こんな何もないところで火なんか使ったら……」
ビシッ。
どこかからかそんな音が聞こえた気がした。音のしたほうをみるとずっと上の方で雪に亀裂が走っている。少しだけ土色の部分が見えていた。
これはやっべぇ。
「おいウィルベル。頼むからホントに今は火を使うのやめてくれ。雪が溶けるとヤバい」
「何がやばいのよ。あ、あそこ地面が見えてるよ。てことはあそこはそんなに寒くないのかな」
「違うよ!あの亀裂はもうすぐ雪崩が起きるってことだよ!雪なんて溶かしたらあっという間に――」
「ねぇ……あれなに?」
声を荒げていると背中にいるマリナがどこかを指さした。それは俺たちが向かっている山の頂上の方向。
つまり俺たちの上の斜面。
そこから白い煙を上げて、音を立てて何かが起きている。
「あ、あー……あれはあれだな。うん、あれだ」
「あれって……ウィリアムも知らないの?」
「……ねぇ、いやな予感がするのは気のせい?」
「大丈夫、俺もしてる……つーかこんなこと言ってる場合じゃねぇ!走れ!」
やってきた雪崩から逃れるために、せっかく登ってきた道をくだるように斜めに走る。
ただ雪の上は走りづらい。スノーボードも何もないのに雪崩から逃れるのは至難の業だ。
それでも走らなければいけない。
「走れ!魔法でも何でも使って動け!」
「そんなこといったって箒がないんだからしょうがないでしょ!」
「あ、がんば、って……!」
「マリナ喋るな!舌噛むぞ!」
汗水たらして必死になって走る。
それでも轟音と共に、あらゆるものをなぎ倒しながら雪崩が猛烈な勢いで近づいてくる。今まで戦ってきた魔物なんかより、よほど命の危険と恐怖が近づいているのを感じる。
どんなに疲れていても、目の前に迫る死に、鍛えた足は応えてくれた。
でももう1人は違った。
「いたっ!」
「ウィルベル!」
雪に足を取られてウィルベルが転ぶ。白い足からは赤い血が出ており、白い雪を鮮やかな赤が染め上げる。
一瞬、雪崩の方を見る。
もう間に合わないっ、でも俺だけが走れば間に合うかもしれない。
どうする?
彼女を見捨てるか?
魔法はもう基礎は教わった。ならあとは何とかなるかもしれない。
彼女はまだ修行中といっていたし、それなら他に一人前の魔法使いがいるはずだ。
俺の命には代えられない。
俺は駆け出した。
――視界を真っ白な雪が覆った。彼女の姿は見えなくなった。
*
「くそったれ、本当にくそったれ」
「ごめん……まさかこんなことになるとは思わなかったの」
「……まあ俺もデカい声出したからな。雪崩について教えてなかったし、こうして生きてるなら別にいい」
俺は今、雪崩に巻き込まれ生き埋め状態になりながらも、怪我をしたウィルベルの手当てをしていた。
雪崩に巻き込まれる直前、逃げるのをやめてマリナとウィルベルを庇うように地面に伏せた。
おかげで2人は無事。俺の体は重い雪に打たれて全身が痛い。
幸いなのはウィルベルが無事だったから、生き埋めになった状態でも、雪の中で火を起こしてちょっとした空洞を作れたこと。
窒息するんじゃないかと思ったが、そこは風の魔法で小さな穴を空けて強引に喚起をした。
魔法ってホントに便利だな。
そして俺の体も。
雪崩にもろに巻き込まれて打撲で済んでるんだから。
日も暮れて雪もすっかり冷えて固まったからか、炎で空洞を確保しても崩れることはなかった。不幸中の幸いだが、かまくらができたおかげで少しだけ寒さがマシになった。
「これでよしっと」
「ありがと。にしてもあんなにちいさな火でも雪崩が起きるなんて思わなかったわ。自然って怖いのね」
「もともとあそこは危ないところだったんだ。引っかかりになる植物もないし、日も当たっていたから、雪が固まってなかったんだろ」
「わかってたなら言ってよ。そしたら火なんて使わなかったのに」
「よくいう、どうせ言ってもこれくらいなら平気とか言って使っただろうに。俺だって登山なんて初なんだから、なんでも知ってるわけじゃないんだよ」
悪態をつきあいながら休む。
どうしようか。もう日が暮れたから今日はここで一夜を明かすとして、日が明けたらどうやってここから出よう。
あんまり雪を溶かすとまた雪崩が起きるかもしれない。雪崩を回避する方法は知っているが、どうやって脱出するかは知らなかったな。
「んで、どうするの?」
「とりあえず今日はこのまま。明日になって雪の状態を確認してからまた考えよう」
「火で溶かすのはダメなの?」
「どうなんだろうな。ここで火を使ってまた起きたら嫌だけど、そうしないと抜けられないならそうしないとな」
覆っている雪を触って確かめる。
ひんやりと冷たい。かまくらの中には小さいながらも火を起こしているから、表面が溶けて固まって雪というより氷だ。硬くなっている。
これなら一晩眠っても問題なさそうだな。ただここ以外がどうなってるかわからないな。
いっそのこと一気に爆発して、一気に出てしまおうか。
ちらりとウィルベルの方を見る。
彼女の足には包帯を巻いている。思ったより傷は深くないが、早く歩けるかといわれると無理だろう。
まだ幼い少女、そんなに力も強くないし、期待するだけ無駄だ。
……本当は見捨ててしまおうかと思った。でもここで見捨てれば俺はともかくマリナが悲しむし、このさきの情報が得られない。
魔法の基礎は確かに教わったが、これからさき優れた魔法使いに会えるかわからないし、教えてもらえるかもわからない。
結局、全身打撲しても救うしかなかった。
「はぁ」
「悪かったわよ。もうしないから」
「別に怒ってるわけじゃない。単に疲れただけだ」
俺も大きな声を出してしまったし、彼女だけのせいにするのも良くないか。
ま、いいや。とにかく休むとしよう。見張りがいらないのだけは、雪崩に感謝しないとな。
*
翌朝、起きる。
まだ2人は眠ってるみたいだ。
昨日は暗くてわからなかったが、雪を少し透過して、きらきらと光が差しているから、そこまで深くないのかもしれない。
うん、これなら外に出れそうだ。
「う、ん……」
銀色の周囲を見渡しているとマリナが起きたようだった。
もともと眠たげだった目をこすりながら、眠そうな目でこちらを見てくる。
「うぃりあむ……おはよう」
「ああ、おはよう。よく眠れたか」
「うん……毛布があったかかったから」
マリナには最優先で毛布を渡した。
そうでもしないと筋肉も脂肪もない彼女の体は雪山の寒さに耐えられない。
次点でウィルベルに渡した。あんなことになった以上、彼女に毛布を渡しておかないとどうなるかわからない。
そういえば女性の方が体は冷えやすいっていうし、もう少し考慮すればよかったか?
ただ、登山中は俺だって冷える。マリナも背負うしウィルベルにこれ以上回すわけにもいかない。
どうしようか。
ひとまず飯にするか。
例にもれず、いつもと同じ鍋にしたら、作っている途中にウィルベルが起きた。ただ眠れなかったようで、目の下にはクマができていた。
「おはよう、眠れなかったのか?」
「うん、ちょっと寒くて」
「それでも寒かったのか?寒がりか?」
「そうなのかな。そんなことないと思うんだけど」
眠そうだったが、食欲はあるようでちゃんと食べていた。ひとしきり食べた後に片付けながら言った。
「そんなに深くないみたいだから、これなら溶かしても大丈夫そうだ」
「でもまた溶かしたら雪崩がきちゃうんじゃない?」
「さすがに昨日と同じレベルのものは来ないだろうからたぶん大丈夫だろ。来てもまた同じ事すればいいだけだし」
「そうはいってもウィリアム……体痛そうにしていた」
マリナが心配そうな声で言ってきた。
バレてたか、知られたくなくて黙ってたが彼女には知られたようだ。
しばらく一緒に行動していたが、マリナは鋭い。観察力というか洞察力がある。
よく仮面の下でばれないと思ってウィルベルをおちょくってたら、何度かバレた。
俺が怪我してると知ったウィルベルが、少しだけバツが悪そうな顔をした。
「もうちょっと休んでもいいんじゃない?あたしは平気だから、あんたの怪我を治してからの方がちゃんと進めると思うし」
「平気だよ。頑丈なだけが取り柄なんだ。ただこれから先はもっと標高が高くなって寒さもひどくなる。どうしようか」
「……あたし帰る」
「は?」
唐突にウィルベルが変なことを言いだした。帰る?どこに?グラノリュースに?
「何言ってんだ、今更帰る気なんてさらさらないぞ」
「別に2人は付いて来なくていいよ。あたし一人で帰る。このままついていっても寒さに耐えられそうにないし、あそこに運命の人がいるってことだから、探しに行くわ」
「魔法を教えてくれるって言っただろ」
「お金の問題は自分でなんとかするから別にいらない。だからその契約も無し。これで文句ないでしょ」
本気か?ここまで来て帰る?こんなに体張ったのにか?
何とも言えない感情が胸の奥から湧いてきた。
でも俺が何かを言う前に、隣にいたマリナが言った。
「……やだ」
「マリナ?」
「ウィルベルも……一緒が、いい、です」
「……」
マリナがウィルベルの服の袖を握って目を真っ直ぐ見る。
ウィルベルは困ったような顔を浮かべて俺とマリナを交互に見つめる。
「でも寒いし……」
「私の……あげる」
「危ないし……」
「ウィリアムが……守ってくれるから。わたしも、まもる」
「……えー?」
思った以上にマリナが熱心にウィルベルを引き留めるのを見て、俺も少し驚いた。
俺の中に湧いてきた感情がどこかに行って、吐いた溜息と共に霧散していった。
「マリナ、昨日は寒かったか?」
「え?……ウィリアムの背中にいたから、寒くなかった」
「ウィルベル、足怪我したんだろ、箒もないんじゃ1人で帰れないだろ」
「そんなの、適当な木の枝探していくわ。ゆっくりだけどそれで帰れるし」
「飛竜もいるのにゆっくり飛んでたら襲われるぞ。寒いのが嫌なら、今日から俺がしょってやるからそれで我慢しろ」
「え?」
さっきまで深刻そうな顔をしていたのに、急に年相応のアホみたいな顔を浮かべるウィルベル。
「イヤじゃないなら背負ってやるよ。どうせこれから先はクライミングになるし、防寒具もないならそうするしかない。どうする?」
「やったー!わーい!歩かなくていい!じゃあよろしく!おぶっていってね!」
「……なんだ元気じゃないか、やっぱりなしで」
「いいやもういったーー。おぶってね」
「……」
「え?ちょっと待って、ごめんなさい、謝るから毛布持ってにじり寄ってこないで!」
「寒いんだろ?温めてやるよ」
「セクハラ!やー!」
いやー楽しいな。昨日は死ぬかと思ったが、元気になった女の子の元気な声を聞くのはいい。
そうして一頻り暴れたあと、腕と足がまとめてくるまれた、ミノムシウィルベルが誕生した。
「うぅ、これじゃあ襲われたら何もできないよ、目の前に飢えた野獣がいるのに」
「こんな手も足もない文字通りのちんちくりんを襲う獣は雪山にもいねぇ。精々踏んづけるのが関の山だ」
「マリナ!あたしやっぱり帰るわ!こんな男の近くにいたらいつ襲われるかわからないもの!」
「大丈夫……私も同じになるから」
するとマリナがわかってますといわんばかりに、目を瞑って細い腕を広げてくる。
どうぞ好きにしてくださいみたいな、竜に捧げられる生贄みたいな感じだ。こっちが悪いことをしている気分になる。
「だめー!マリナが襲われるー!」
ウィルベルうるせぇ。
確かにちょっといたずらしてやろうと思ったけど。
といっても実際悪いことをするわけじゃないから、躊躇はしない。
ウィルベルはともかくマリナの体で興奮なんかホントにしない。
というわけで目の前に白と黒のミノムシが二体生まれた。
「こうしてみるとアレだな、いたずらしたくなるな」
「やー!助けてー!」
「私が生きるにはこうするしかないから……どうぞ好きにして」
「おいこら、叫ぶなウィルベル。また雪崩が来たらどうすんだ。そしてマリナ、俺が変態みたいになるからやめろ」
溜息をつきつつ、包んだ2人をさらに大きな布で俺の上半身ごと包む。これで俺も防寒具に身を包みつつ、2人も温まるはず。
さらに上から残った防寒具をありったけ羽織って、2人が座れるようにちょうど腰のあたりに荷物が来るようにベルトを調整して背負う。
「あら、思ったより快適だね。マリナは昨日ずっとこんな感じだったのね」
「そう……体温が伝わってきて、あったかい」
「へぇ、座るところもあるし、いいわね。昨日からこうしてくれればよかったのに」
「それやると俺が大変なんだよ。2人も背負ってひたすら登る俺の身になってみろ。しんどくて仕方ない」
話ながらも準備ができたことで、雪崩によってできたかまくらの天井部分を魔法で軽く吹き飛ばす。しばらく待っても特に音も何もなかったので、顔を出す。
俺が顔を出すと必然的に2人も顔を出すことになるので、ちょうどよく360度見渡せる。
「前は良さそうだな」
「右も問題なしね」
「左も……」
「よし、それなら行くか!」
そんな感じで、ミノムシ2つ背負っての登山が始まったのだった。
*
日記を閉じて、前を歩くウィルベルを見る。
あれから数週間、ウィルベルの足はすっかり治り、傷跡も消えてもとの白く健康的な足が見えている。
マリナもここしばらくは食べて背負われているだけだったので、すこしだけ太くなった。
登山が始まったばかりのときは生きて出られるか不安だったが、何とかなったし、2人の仲も深まって元気になった。
雨降って地固まる、雪崩が起きて雪固まるってな。
「あいた!」
「ウィルベル……大丈夫?」
「木の枝が引っかかったみたい、ちょっとだけ切っちゃった」
「足切れてるね……背負う?」
「そうね、ウィリアム~、おんぶ!」
「ふざけんな、そんくらい自分で歩け」
一時は別れるかと思ったが、もう少しの間この縁は続きそうだ。
ま、お互いに利点があるなら忌避することもない。精々、嫌われないように気を付けるとしよう。
次回、「幕間2:受付嬢の日常①」




