プロローグ
人は自然の産物であり、自然は神が作ったものだ
ゆえに我らは信奉し、調和するのみ
自然に逆らってはならない。
東部聖騎士隊長 パメラス・イングリッド
◆
アクセルベルク南部。
数年前まではまだ未開発地域が多く、他3領に比べ、発展していなかった領地はいまや見違えるほどに成長し、数多くの種族や身分の人が入り混じり活気に満ちる場所となっていた。
一番の見どころは何といっても飛行船。
そして、大陸初となる空港を兼ね備えたフィンフルラッグ基地は、今では基地として使われることはなく、当時のままで数多くの種類の飛行船が並ぶ博物館となっていた。
そこには、かつて大破した特務師団旗艦ヘルデスビシュツァーの姿もあった。
「へぇ~、よくできてるわねぇ~。あんなにボロボロだったのに」
「実はこれ、レプリカなんです。さすがにあの戦争のときに壊れたものは回収も碌にできなくて、治すことができなかったんです。それでもあれだけ立派な船ですし、歴史的価値も高いものなので、飛行船の資料を取り寄せて新しく建造しました。まったく一緒、とまではいきませんが、実際に飛ぶこともできますよ」
一際大きな飛行船の近くを歩いているのは銀髪のとんがり帽子をかぶった少女と茶髪の知的な青年だった。
「これで観光客も増えてくれましたし、年に一度行う飛行祭では実際に乗って飛ぶこともできます」
「ほぇ~それは確かに一度行ってみたいかも」
感心したような気の抜けたような声を上げるウィルベルはヘルデスビシュツァーを見上げる。
他にも最初に作り上げられた3つの試作機もあった。どれもがウィルベルにとっては思い出深いものだった。
しばらく歩いているとウィルベルは飛行船ではなく、西部であったことを話す。
それを聞いた青年アルドリエは柔和な顔を歪めて額を抑える。
「そうですか、テロ組織はもうそんなことまで。まずいですね。これは南部も何かしら手を打たなくてはいけません」
「もし本当にテロ組織の首魁があいつ……ウィルなら南部を攻めたりしない気もするけど、こんなことする時点でそれも望み薄よね。とにかくあんたたちの安全を第一にね。死ぬんじゃないわよ」
「ええ、もちろんです。ウィルベル先生こそ、どうかお体に気を付けて」
かつての執行院の教え子だったアルドリエに先生と呼ばれたウィルベルは機嫌を良くした。
するとそこに思わぬ来客が訪れた。
「いたいた。こんなところにいたんだね。久しぶりに来たのに領主様がいないから驚いてしまったよ」
それは少しばかり高い女性の声。
綺麗な音色を奏で、丁寧な口調で話すその声をウィルベルは知っていた。
「よーっす、アイリス」
「やあ、ウィルベル。南部に帰ってきてたんだね。また会えてうれしいよ」
「そうね。初めて西部に行ったのにひどい目に遭ったから、また見知った顔に会えてうれしいわ」
「報告は聞いたよ。大変だったみたいだね」
戦友と再会できた2人は互いに表情を綻ばせ、再会を言祝ぐ。
空気の読めるアルドリエは何も言わずに仲睦まじい美人二人を見て微笑んでいた。
南部の領主であるアルドリエとグラノリュースで大事な立場についているアイリスは時折交流している。
事前にウィルベルが南部に帰ってきたことはアルドリエがグラノリュースにいる特務隊の面々に手紙で連絡していた。
ただ、アルドリエはアイリスがここにくるとは聞いていなかった。
2人が落ち着いたところでアルドリエは疑問を口にした。
「アイリス大臣。どうしてここへ? 確かにウィルベル先生がここに帰ってくることは連絡しましたが、大臣がここにくるとは。公務も特に聞いていませんが」
「ああ、それはね。実は今回はグラノリュースの大臣としてきたわけじゃないんだ。今回はどちらかというとプライベート。実家に呼ばれてきたからこのあとすぐに出なきゃいけないんだ」
「あたしは事前にもらった通信機でそれを知ってたからね。とはいってもその理由までは知らないんだけど」
ウィルベルもアイリスが南部に来た理由を知らなかった。
アイリスは今グラノリュースの大臣になっている。その東部の名門の出であることを活かし、役職は主に興行といった文化や教育に関する事業を取り仕切っていた。
そして今、アイリスは実家に呼び出されていた。
ウィルベルはそれについて気になっていた。
「アイリスが実家に呼ばれたの? そういえば随分前に一度だけ寄ったことがあったけど、アイリスのお父様ってなんていうかあれよね」
「ああ、まあちょっと子煩悩なところはあるかもしれないね」
「アイリスだってもういい歳なんだから、自立してほしいわよね」
「あはは、そうかもね。でもたまには顔を出さないとね。それにボクもいい歳だからね。お父さんも心配してくれてるみたいで、たまに見合い話が来るんだよ」
「えー、なにそれ、めんどくさそう」
歯に衣着せぬ物言いのウィルベルにアイリスはまた笑う。
ここでアルドリエは気になったのか、女性に対して少々失礼かと悩みながら質問する。
「アイリス大臣はハーフエルフなのですよね。失礼ですが人間の年齢とは異なるのでは?」
「ああ、確かにそうだね。これでも普通の人よりは長生きだと思うよ。ただそれでも外聞があるからね。ハーフエルフって実は少ないんだ。エルフが閉鎖的だからさ。それにボクは耳が長くないから、周りの人はハーフエルフだって思わないみたいで結構気にされるのさ」
「ああ、なるほど。確かにそうかもしれませんね。とはいえ、アイリス大臣はお綺麗ですから、例え歳を取られたとしてもきっとお綺麗に違いないでしょう」
「ふふっ、ありがとう。アルドリエは女性を口説くのがお上手だね」
「いえいえ、本当のことを言ったまでですので」
上品なやり取りをするアイリスとアルドリエ。一方で置いてけぼりのウィルベルは少しだけ頬を膨らませていた。
「ねぇ、アルドリエ。あたしそんなことひとことも言われてないんだけど」
「え? そうでしたか、それは失礼しました。ウィルベル先生程であればてっきり僕が言わずともたくさんの男性から言われているので辟易してしまうかと思ったのです。失礼しました」
「! ふっふ~ん、まあね。あたしくらいになれば男なんていくらでも寄ってくるからね!」
「……ウィルベル、チョロすぎるよ。心配になるよ」
対照的に大人とはかけ離れた返答をするウィルベルにアイリスは少し呆れていた。
「まあ、ウィルにあんだけ言われてたからね。褒められ慣れてないからかもしれないけどね」
「……まあ確かにあいつが人の容姿褒めることなんて一度もなかったけど」
「あ、ボクは一度だけ間接的にだけど言われたよ。鏡見てこい、そこにかわいいこがいるからって」
「え、何それ聞いてない。そんなこと言ったの!?あいつが!?」
「え、う、うん。確かそんな感じのことを言われた気がするなーって」
アイリスの唐突な告白にウィルベルは先ほどよりもさらに頬を膨らませる。
「あたしには何も言ってくれないのに」
「でもウィルベル先生はウィリアム先生と一番付き合いが長いじゃないですか。きっと照れくさくて言えなかったんですよ」
「そうだよ。それにその指輪。ウィルからもらったんでしょ」
「……まあ、そうだけど」
ウィルベルは左手に嵌められた指輪にそっと触れる。その指輪は特殊で仄かにオレンジ色の光を放っていた。
それを見て、ウィルベルは一度大きく溜息を吐くと、話題を変えて真面目な顔でアイリスを見る。
「前に言った通り、あいつが今一番怪しいわ。今回の事件を追えば、おのずとあいつに近づけると思うの」
「聞いてはいたけど、ちょっと信じがたいな。確かに条件に合うのはウィルしかいないけど、こんなことをするとは思えない」
「僕も同感です。先生がそんなことをするとはとても……この平和を築いたのは他でもない、あの先生でしたから」
「何もないならそれでいいのよ。そんときはまた探し直せばいいんだから」
立ち止まり話し込んでいた3人は飛行船が並んでいる博物館から外へ向けて歩き出す。
「ウィルベル先生は次はどこへ?」
「次は東部よ。そこでテロ組織が何か企んでるみたいだからね。ついでにアイリスの実家にもついていこうと思って」
「なら次はボクも一緒に旅するんだね。よろしくね、ウィルベル」
「ええ、よろしくアイリス」
次回、「アクセルベルク中央」